(タレス)
知れば知る程、知らない事を知る。
自分のあまりの無知を知り、愕然とするが、その無知に気付けた事が一番大事な知ることなのかもしれない。
覚え書きの様な事。
古代ギリシア哲学はソクラテス以前をさし、それは”万物の根源は水にあり”というタレスから始まったとされる。
そのタレスはアテネではなくイオニア地方の人。このイオニア地方の哲学の見方が今、どんどん変わってきているという。
現代西洋社会を中心にした政治哲学の元はアテネのギリシア哲学にあるというが、だからこそ、現代の問題点もすべてここにあるという。
それと全く違う、いわゆる支配関係を元にしていていない独自の統治機構をもっていたのがイオニア地方にあり、その哲学や制度全体をイソノミアという事。ソクラテスに関しても、実はこのイソノミアを表現していたが故に、当時のアテネの体制に殺されることになったという。
さらに、このタレスはフェニキア人であったという事。アルファベットを創ったのがこのフェニキア人というけれど、今の様なカタチで広めて行ったのはイオニア人であり、「イリアス」で有名なホメロスの言葉はイオニア方言であったといいます。
フェニキアはそのままアジアを通り越して、高句麗へとその系譜はあるというし、高句麗が独自の文化圏を構築していった大元はこのフェニキア・イオニアからの流れがあるのかもしれないと想うとなんとも壮大で面白い。とうぜん、途中にはペルシアやアラブの文化との交流もあり、そこで培われ、育まれていた文化はある時、ある時代に突然の様に花が開いたのかもしれない。ずっとギリシア哲学に興味があったけれど、中々のめり込む事ができずにいたのがこのソクラテス以前の哲学、特にイオニアの事を知り、それがフェニキアとの繋がりもわかり、一挙に探究心が刺激されてしまいました。
最近、インドでもフェニキアの遺跡が見つかっているというし、神々の故郷といわれるインドには全ての宗教・哲学がそこにあるといいます。イスラム哲学はアリストテレスの哲学との邂逅により一挙に発展したといい、イスラム教そのものがインドへと伝わり、受け容れられて独自に発展していったのがシーク教。またアレキサンダー大王はインドで没しているけど、インドを目指す理由が何かあったのかもしれない。インドでは人類史上初めて”愛”の哲学が生まれたといわれ、何かあらゆる宗教哲学がインドを目指していた様にも感じてしまう。
そしてそのインドで不思議な導きにより12月2日にいだきしん先生、高麗恵子氏によるコンサート”高句麗伝説”が開催される運びです。この時期に開催されるとは。一般的意味合いでは説明がつかないかもしれないが、そこには魂の系譜というか、ある大いなる存在の働きを感じてしまいます。
そういうわけで、私はインドへ行ってきます。
いよいよ来週出発です。実は今年は全てここに向けての取り組みだったわけです。
さてさて、一挙に色々と調べていて、今は頭が大混乱。
少しずつ整理して、今日の天気に様に天晴れな頭にして、さらなる理解を深めていかなくては。。