アポロン ディオニソス
文明論者・哲学者オルテガは危機について次の様な言葉を現す。
「危機とは2つの”信念”の体系のはざまにあって、いずれにも落ちつかぬ過渡的状況を言う。」
長崎で起きた凄惨な事件。
命の重要性を必死で説き続けた教育機関をあざ笑うかのような現象。
アポロンとディオニソス。
秩序とカオスの神々。
現代社会は清潔で整列を好む。どこにいっても殺菌消毒の無菌社会。表向きは秩序の神アポロンの支配下。
しかし、殺菌しても殺菌しても菌の存在は消せない。在るものは在る。いる場所を変え続ける。自然は崩壊の方向にむかうのは自然の摂理。消化、溶解の働きこそ菌の菌たる働き。その働きこそディオニソス的。
アポロンの支配下のもと、時に暴れ出し、その顔を突如表にだすディオニソス。神話に伝わるディオニソスは陶酔の極み、血は滴り、混沌と破壊の極み、その姿のおぞましさに人々は震え上がる。
世界は秩序の神アポロンだけでは成り立たない。
混沌と破壊の神ディオニソスだけでも成り立たない。
この違う神同士の絶妙なバランスの上で世界は成り立っている。
そのバランスをとるのは人間である。
世界史もアポロンとディオニソスのどちらが優勢であったかという視点でみると、一つの流れがわかってくる。
長崎の事件だけに関わらず、妙に無菌社会となっている現代社会。
在る存在を無き者のように扱う社会。時にその押さえ込まれたエネルギーは爆発する。
それは現代を生きる人間のどこで起きるかはわからない。同時代を生きる宿痾ともいえる。
秩序、整理された状態を求められ、体裁を整えれば良しとする社会へのほころび。
起こるべくして起こるこの現象は1995年の神戸事件からずっと続いている。
管理が徹底され、携帯電話やSNSに翻弄され、時間の徹底、すべて機械化、オートマチックな社会。
製品はそれでもいい。しかしお金も人の命も管理でどうにかなった事は歴史上一度もないのである。
80年代のバブル前の輝かしい時代、人もお金も管理・効率性で何とかなった時こそ異常事態であり、奇跡なのである。
そこへの郷愁からか、効率・管理重視によりあの時よもう一度と言わんばかりの、現代の有様。
やればやる程ボロが出る。
もう時代は完全に変わっている。
これ以上、犠牲者を出してはいけない。
今回の事件は社会全体の問題である。
もう無菌社会を越えて、在るものは認め、向かい合い、許容できる逞しい社会にしなくてはならない。
人体の中に最も菌が存在する腸。その腸で一番調子を崩した状態というのは特定の菌ばかりになってしまう状況といい、多種多様な菌がバランスよく存在する腸ほど、調子がよく、強靭なのだといいます。
在るものは在るとして認め受け容れ、バランスをとってきた古代社会。
アポロンとディオニソスの伝説に残るそのメッセージ。
どっちつかずの現代の危機を乗り越えるためにも、古代社会から学ぶことはあまりに多く、その必要性は高まっている。
在るものを無きものとし過ぎた故、共存の感覚なき現代社会にとって、遠回りでもそれが近道なのかもしれない。
文明論者・哲学者オルテガは危機について次の様な言葉を現す。
「危機とは2つの”信念”の体系のはざまにあって、いずれにも落ちつかぬ過渡的状況を言う。」
長崎で起きた凄惨な事件。
命の重要性を必死で説き続けた教育機関をあざ笑うかのような現象。
アポロンとディオニソス。
秩序とカオスの神々。
現代社会は清潔で整列を好む。どこにいっても殺菌消毒の無菌社会。表向きは秩序の神アポロンの支配下。
しかし、殺菌しても殺菌しても菌の存在は消せない。在るものは在る。いる場所を変え続ける。自然は崩壊の方向にむかうのは自然の摂理。消化、溶解の働きこそ菌の菌たる働き。その働きこそディオニソス的。
アポロンの支配下のもと、時に暴れ出し、その顔を突如表にだすディオニソス。神話に伝わるディオニソスは陶酔の極み、血は滴り、混沌と破壊の極み、その姿のおぞましさに人々は震え上がる。
世界は秩序の神アポロンだけでは成り立たない。
混沌と破壊の神ディオニソスだけでも成り立たない。
この違う神同士の絶妙なバランスの上で世界は成り立っている。
そのバランスをとるのは人間である。
世界史もアポロンとディオニソスのどちらが優勢であったかという視点でみると、一つの流れがわかってくる。
長崎の事件だけに関わらず、妙に無菌社会となっている現代社会。
在る存在を無き者のように扱う社会。時にその押さえ込まれたエネルギーは爆発する。
それは現代を生きる人間のどこで起きるかはわからない。同時代を生きる宿痾ともいえる。
秩序、整理された状態を求められ、体裁を整えれば良しとする社会へのほころび。
起こるべくして起こるこの現象は1995年の神戸事件からずっと続いている。
管理が徹底され、携帯電話やSNSに翻弄され、時間の徹底、すべて機械化、オートマチックな社会。
製品はそれでもいい。しかしお金も人の命も管理でどうにかなった事は歴史上一度もないのである。
80年代のバブル前の輝かしい時代、人もお金も管理・効率性で何とかなった時こそ異常事態であり、奇跡なのである。
そこへの郷愁からか、効率・管理重視によりあの時よもう一度と言わんばかりの、現代の有様。
やればやる程ボロが出る。
もう時代は完全に変わっている。
これ以上、犠牲者を出してはいけない。
今回の事件は社会全体の問題である。
もう無菌社会を越えて、在るものは認め、向かい合い、許容できる逞しい社会にしなくてはならない。
人体の中に最も菌が存在する腸。その腸で一番調子を崩した状態というのは特定の菌ばかりになってしまう状況といい、多種多様な菌がバランスよく存在する腸ほど、調子がよく、強靭なのだといいます。
在るものは在るとして認め受け容れ、バランスをとってきた古代社会。
アポロンとディオニソスの伝説に残るそのメッセージ。
どっちつかずの現代の危機を乗り越えるためにも、古代社会から学ぶことはあまりに多く、その必要性は高まっている。
在るものを無きものとし過ぎた故、共存の感覚なき現代社会にとって、遠回りでもそれが近道なのかもしれない。