玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

危機を越えるもの

2014-08-25 12:58:38 | コンサート
 
世界を変えてる事とは
要予断を許さぬ中東情勢。欧米寄りの報道機関により伝えられる報道の偏り。シリアについて、その報道の偏りを早くから指摘されているのは元シリア大使の国枝氏。シリアはフランス統治...&g...
 
 
 
 
gooブログのサービスで、一年前に書かれた自分のブログがメールで送られてきます。
今月の11日に送られてきたメールを見て、そのメールにはさらにその一年前に送られたメールについて自分で書いてました。
ちょうどシリア情勢の悪化におよび、何とか持ちこたえているその状況はコンサートの表現の力だったのではないかと考えての事でした。
時同じくして、今はイラクやウクライナでの混乱が日を増して悪化しています。
このコンサート、いだきしんコンサートは今では日本を中心にほぼ毎月開催され、その全てをインターネットを通して世界に配信されています。前回のブログでも、詩人の高麗恵子さんについて、詩的であり文学的な表現で記されたレバノン大学のガジ教授の言葉を掲載させて頂きました。今でもガジ教授はこのコンサートの配信が何よりの心の糧であり、日本とのこういった繋がりが生きる力になっていると状況厳しいレバノンの地からメッセージを下さっています。
 
なぜかは知らないけど、8月から9月にかけて、世界はいつも危機的状況に陥ります。
それと呼応するかのように、いつもこの時期に即興のいだきしんコンサートや歴史の開放、歴史の大ロマンをテーマとした即興の詩の朗読と音楽のコンサートである”高句麗伝説”が開催されます。このコンサートが開催される土地ではいつでも不思議な事が起こります。それは隠れた歴史が明らかになったり、新たな遺跡の発見が起きたり、さらに人によっては神の様な超越したものの存在を近くで感じるようになったということまであります。明らかになる事で、短期的には混乱や破壊的な事が起こるかもしれません。しかし長期的には全体的に良くなっている、平和への導きに成っているということがあるのです。最近驚いたのは奈良でピラミッド型の古墳が発見されたというニュースです。この同じ型のものは中国にある高句麗が最大の勢力を誇った時の王様である好太王のお墓以外は東アジアで見つかっていないといいます。奈良には高句麗と関わる歴史や伝説が数多くありますが、この古墳はその中でも最もインパクトがあるように感じます。その奈良で9月10日”高句麗伝説”が開催されるのです。
 
日本の歴史の中で最も隠され、埋もれているといわれるのが東北の歴史といいます。
時の大和政権と真っ向から対立し、文化もまるで違ったといわれる東北。歴史上では坂上田村麻呂と蝦夷の阿弖流為との対決が有名です。なぜ執拗なまでに東北を攻め立てたのか。一説によると東北には高句麗人が早くから一緒に暮らしており、混血していたというのがあり、その当時の高句麗は世界で最も高い文化を誇っていたといいます。時は桓武天皇の時代。この桓武天皇は百済系と言われており、百済は高句麗の強大さをしっていたがために、何としてでもその勢力を潰してしまいたいという思いが執拗に東北を攻めたのではないかという説があります。時の体制に順応せず、自分達の文化で穏やかに暮らしていた蝦夷(エミシ)。そこに時の体制が恭順を求めて攻め立てる。この構図は今の中東情勢とどこか似ているように感じるのは私だけでしょうか。グローバル化を盾にして、その地域独自の文化を全く無視し一方的に恭順を求め、攻め立てる。歴史の繰り返しは地域を越えています。
 
こういった文脈の中で9月5回に渡って歴史の開放をテーマにしたイベント”高句麗伝説”が開催される時の意義は大きいと考えます。
しかも東北では玄音で昨年からイベントに参加させてもらっている福島県いわき市から”高句麗伝説”は始まり、杜の都仙台、そして阿弖流為の地奥州とイベントは続きます。その数日後には京都、奈良斑鳩と歴史を巡る旅は続きます。自分達で演奏をしているのでハッキリわかりますが、表現する前と後ではその場、その地域の印象はまるで変わってきます。それは一緒に聞いてる人も同様に感じてくれる時があります。まして、自然や人と一体となる感覚で表現される全人的ないだきしん先生と自然のメッセージをそのまま言葉にできる詩人の高麗恵子さんによる即興イベントです。是非、音楽と詩は最も文化的に高い表現である事、その表現を経験することがどれだけ自身の内面を豊かに高めてくれるのかを経験して、新たな人生の経験を深めて頂きたいと想います。自身の豊かさが平和への導きとなることを願いつつ、以下にイベントの予定を紹介します。
 
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○高句麗伝説コンサート
 
開催日時 2014年9月3日(水) 午後6時30分~午後8時00分
会場 いわき芸術文化交流館アリオス 中劇場
出演 出演:高麗恵子 / 演奏:いだきしん
料金 5,000円 (全席自由席)※残席僅か
主催NPO高麗
 
開催日時 2014年9月4日(木) 午後6時30分~午後8時00分
会場 日立システムズホール仙台 シアターホール
出演 出演:高麗恵子 / 演奏:いだきしん
料金 5,000円 (全席自由席)
主催NPO高麗
 
開催日時 2014年9月5日(金) 午後6時30分~午後8時00分
会場 奥州市文化会館 Zホール 中ホール
出演 出演:高麗恵子 / 演奏:いだきしん
料金 5,000円 (全席自由席)
主催NPO高麗
 
開催日時 2014年9月9日(火) 午後6時30分~午後8時00分
会場 京都府立文化芸術会館 ホール
出演 出演:高麗恵子 / 演奏:いだきしん
料金 6,000円 (全席自由席)※完売
主催NPO高麗
 
開催日時 2014年9月10日(水) 午後6時00分~午後7時30分
会場 いかるがホール 大ホール
出演 出演:高麗恵子 / 演奏:いだきしん
料金 6,000円 (全席自由席)
主催NPO高麗
 
 
○いだきしんコンサート
 
いだきしんコンサート Piano Improvisation
開催日時 2014年8月30日(土) 午後5時半開場 6時開演 8時終演予定
会場 三鷹市芸術文化センター 風のホール
料金 全席自由:6,000円
 
いだきしんコンサート Piano Improvisation
開催日時 2014年9月16日(火) 午後6時半開場 7時開演 9時終演予定
会場 ヤマハホール
料金 全席自由:6,000円
 
いだきしんコンサート Piano & Pipe Organ Improvisation
開催日時 2014年9月29日(月) 午後6時半開場 7時開演 9時終演予定
会場 新宿文化センター 大ホール
料金 S席:7,000円 A席:6,000円
 
いだきしん 東日本大震災チャリティーコンサート
開催日時 2014年10月3日(金) 午後6時00分開場 6時30分開演 8時30分終演予定
会場 北上市文化交流センターさくらホール 中ホール
料金 全席自由:3,000円
主催NPO高麗
 
いだきしんコンサート Piano & Pipe Organ Improvisation
開催日時 2014年10月22日(水) 午後6時00分開場 6時30分開演 8時30分終演予定
会場 京都コンサートホール 大ホール
料金 S席:6,000円 A席:5,000円(全席指定)
主催NPO高麗
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引きこもりから独りへ

2014-08-22 14:04:08 | Weblog



鬱病、引きこもりなどで外に出れなくなっている子供が多いと聞きます。
そりゃあそうだ。これだけ人を対象化して、全てが商品化してるような社会だもの。
人の関係も人の身体も全て経済を媒介した言葉での表現にまみれ、人の意識も感情も経済に反応するようになっている昨今。
真っ当な感覚の子、もしくは感性豊かな子は恐くて外に出れないよね。人間を人間として扱ってない社会ですもの。
義務教育が国民の義務として課されているから、大きな声では言ってはいけないけど、学校なんかいかなくても真っ当に育つ人は育ちます。海外では学校に行かさないで、自分の家で子供を育てたという方がいて、ある人なんかはそのお子さんが数学者、物理学者になったという人までいます。
今当たり前にしなくてはいけないとされている事、当たり前にあるものも本当にそれが必要なのだろうかと疑うことも大事です。
全ては否定する必要はないけど、学校が出来て学歴社会による差別が生まれ、病院がある事で病気の人が増えている現実があります。

SNSやメールの機能でも「開封済み」とかいう余計な機能を付けた事で、読んでるのに返信くれないと疑心暗鬼になって妙な感情に苛まれている事が多いといいます。無くていいものがあることで、余計な心がうまれている。こういう事が多々あり過ぎます。
しかもネットは本当に恐い。今世界で起きているオゾマしい現実や人間性を疑う現象がそのまま映像で見れてしまいます。
テクノロジーには必ず善し悪しがあります。その限界や枠をよく理解して、うまくつかう事はこれからの教養のひとつになるでしょう。

引きこもってるのなら、本を読みまくる。ネットとはほどほどにつきあう。誰もが読まないけど、すまじく価値の高い本はたくさんあります。しかも日本には海外のものであっても訳されている本が多いです。自身の心に闇を抱えているのなら、ドストエフスキーを真剣に読んで見る。時代が違うとはいえ、人間の心理、心の奥底に立ち向かった凄まじい思索の形跡が読み取れると思います。自分自身、妙な心理状態の時に「地下室の手記」を読んで、何だこれは、、この凄まじい重苦しさは、、と感じ、それが活字となっており、読み進めていくうちに、人間心理の深さが身に沁みて、すっとした事があります。読んでおかしくなるのではなく、読んで自分の事がわかり、その時、状態が確実に変化していくのです。そう、そして歴史の残る文学者や科学者の中には今の病院で診断したらほとんどの人が鬱病、統合失調症と診断されるという話があります。引きこもってひたすら創作したり、研究したり、読み続けたりという人ばかりだったといいます。

今の画一化された在り方に合わないのなら、合わないと自己卑下することなく、ただ違うんだと認識する事が大事です。
と同時に好きな事を探究し、しかも具体的な事ばかりではなく、難しいことに向かっていく。
人間とは何かと、自分に向き合うことから全ては始まります。
どこまでも邪悪にもなれるし、どこまでも神聖になれる、人間というこの不思議な存在の桁違いな大きさ。
人間とは何か?と問い続けている限り、必ず変わる何かがある。
一人でいるのでない、独りになれることを追い求めるべき。大勢といて一人でないだけで、決して独りになれない人が多いのも現実。
独りとは?おなじ”ひとり”と読むがその意味合いは全く異なる。
独りとなってはじめて超越した存在に出会えるとは古今の宗教や哲学伝えることです。
一人から独りへ。引きこもりから独りへ。
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「花子とアン」を観て

2014-08-16 08:16:53 | Weblog
「花子とアン」をたまに観ています。
大正時代を舞台としたこのドラマ。
女性が自立するということを初めて意識しはじめたのはこの大正時代といいます。
身だしなみ、言葉遣い、関係性。
どことなくぎこちなさがあるけれど、全体に感じる空気はとても爽やかです。
今の時代は携帯にSNSとで人と簡単に関係を持つ事ができるとても安直な時代です。
大正時代の様な、人と人との出会いには神秘的な何かがあるという感覚を感じている人は今どれくらいいるのでしょう。
不器用だがそれでもエレガントに自己の愛に忠実に生きる女性達。
男に依存する事なく、自立した個として、女として在りながら、共に生きる道を一人一人が求め続けた女性達。
この「花子とアン」を観ていて、身を糾す女性は多いのかもしれません。
言葉がとても美しく品がある。男性も女性も相手をさんづけで呼ぶことに相手への尊敬の念を感じます。
関係がとても爽やかです。
時代時代に色んな特徴があるけれど、その時代のとても良い所に注目し、今に活かしてこそと感じます。
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残暑見舞い申し上げます。

2014-08-15 15:00:34 | Weblog



今の時代、ホント、変な時代になったなと感じる。
全てが嘘くさく、その気になってしゃべっている人もただ動かされているだけと感じる。
感情ですら操作されている現代の恐ろしさ。
感情的になっている事自体がコントロールされている事に気付いていない。
人間の感情がどう動くかはテレビが開発されてから、もの凄く研究されているといいます。
世論形成の研究。大衆心理の研究。その働きかけの方法論、技術論。
さらにテレビの応用が瞬時にできるのがネットの世界。
「最善の堕落は最悪」という言葉を知りました。
テレビもネットも情報が正確に何のバイアスもかかっていないならば善といえるでしょう。
それがある意図や方向性をもたれたり、情報そのものが偽造だったならば、最悪です。
最も良いとされたモノが没落する、、これが続くと人の心はどうなっていくのか。
答えの出ていない事柄も、没落を前提として情報が流される。
こういうセンセーショナルな情報の方がうけるし、面白い。
この些細な感覚が実は社会にとって大きなダメージを作り続けているのかもしれない。
この「最善の堕落は最悪」を表現した方が最も大事にした事は「今、此処で」。
媒体をつかうことなく、今此処で、この場こそ、最も大事であると言い続けたそうです。
この事を大事にしたい。そう感じている暑い夏です。
残暑見舞い申し上げます。
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生きてこそ

2014-08-07 15:33:43 | Weblog



人間は社会的生き物。
社会からドロップアウトして見えてくる事がある。
生きる自信も生き甲斐もおそらく健康も社会的な認知や立場によって得られる事がある。
そして逆に、社会的立場を外してあげることで、苦境から逃れる事ができる。
権利行使する立場にない状況で発生する義務に対して、どのような責任もとりようがない。
それでも責任を感じ、責任を取る意味で社会的立場から外れる事を望み、その処置をあいまいにされる事で、さらにつのり続ける責任という苦境。
逃れる場を失った人が選ぶ道は限られる。人は社会的生き物なのである。
逃げ道のない社会。現代の危機は社会の危機。

本当に苦しければ、どこかに逃げちゃえばいい。
逃げて逃げて逃げまくればいい。
逃げる事は負けではない。
逃げて真っ当になる道もあるのではないか。
生きてこそ、
そう、生きてこそ
です。
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