玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

抜け出し口

2021-05-30 16:28:47 | コンサート


”生命讃”

生命の悲鳴と光に包まれて生まれた

音達です。

つい不可能に思ってしまう

絶望的事柄にも

希望の光はある、と

やさしく語りかけてくれる一時に……

世界の創造的出会いに、

心からありがとうと言える

一日のはじまりに……



本当に苦しい時です。自粛自粛で未来への展望が見えない今の時。この今の時を生きるだけで、苦しくなる。心も身体ももう限界にきている人は多いのではないだろうか。

抜け出し口を求めている。

これは社会も人も同じでしょう。この閉塞された今の時、どこに抜け出し口があるのだろうか。一見良さ気なことも続かない。誰も彼も正体がバレてしまってきている。

誰が本当に助けられるのか。そして本当の抜け出し口はどこにあるのだろうか。

私は28日から既に始まっている前代未聞の20回に渡るコンサートをオススメします。そのコンサートは常にここでお知らせするいだきしん氏による即興演奏のコンサートです。上に掲げた文章は氏による1992年に発売された『生命讃』という、とても優しい音に包まれたCDに掲載されたものです。もう30年近く前の表現ですが、まさに今のコンサートにおいて、現わされている事と感じました。というより常にこのような表現をされている氏のコンサートです。

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"いだきしんコンサート ーDivine Agesー"

2021年5月28日(金) 三鷹市芸術文化センター
2021年5月31日(月) 渋谷区文化総合センター大和田
2021年6月1日(火) 府中の森芸術劇場 どりーむホール
2021年6月2日(水) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール
2021年6月4日(金) 三鷹市芸術文化センター
2021年6月5日(土) 杉並公会堂 大ホール
2021年6月6日(日) 杉並公会堂 大ホール
2021年6月7日(月) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール
2021年6月8日(火) 三鷹市芸術文化センター
2021年6月9日(水) 新宿文化センター
2021年6月10日(木) 三鷹市芸術文化センター
2021年6月11日(金) 三鷹市芸術文化センター
2021年6月14日(月) 杉並公会堂 大ホール
2021年6月15日(火) 三鷹市芸術文化センター
2021年6月16日(水) 三鷹市芸術文化センター
2021年6月17日(木) 三鷹市芸術文化センター
2021年6月21日(月) 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール
2021年6月23日(水) 京都コンサートホール
2021年6月29日(火) 盛岡市民文化ホール 大ホール
2021年6月30日(水) 盛岡市民文化ホール 大ホール

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28日から始まり、6月末までほぼ毎日20回に渡るコンサート。尋常じゃないこの開催はそれがただの音楽のコンサートでないことの証左です。生命が活きるために、とにかく今を心身共々癒されること。そしてその先の未来創造へと導く。それは今を苦しむ人を受容できる力はもちろんのこと、その何歩もの先への意志が明確にあることにより、その経験を共にすることで、今を癒し、今から未来へと共に歩み、時には引っ張り、状態を変化させるべくなされるピアノのコンサートなのである。

これだけほぼ毎日コンサートがあるということで、今が苦しい方はどれか一回でもいい、参加されてはいかがでしょうか。もちろん直接会場に行けないような状態の方もいらっしゃるでしょう。今、このコンサートは”IDAKI SHIN Official Site”というサイトにて、ライブストリーミングでの参加、さらにはオンデマンドで後日、期間内なら何度でも視聴が可能(有料)です。私も全ての参加はかなわないので、ライブストリーミングにオンデマンドでの経験が貴重な時となっています。

今、本当に大変な時です。正直苦しいです。それは私自身もそうです。ただ、このコンサートで現わされている新しい潮流に希望を見出しています。だからその潮流をとにかくつかむこと。それはいつどこで何が催されているかをわかることから、できたら直接経験すること。さらにそこで発信された言葉、メッセージをつかむ事で、今起きている潮流が理解でき始めます。それによって何度状況が変わり、状態が変化したかしれません。今、大きな変化の渦中でもありますが、この潮流をモノにし、何とか今の逼迫した、苦しい状態を抜け出していきたい。それは私自身、個人においても、また社会においても、そして全世界においても同じであると言えます。新しい潮流をつかむ以外にこの閉塞された状況を超える事はまずできないでしょう。

是非、心に留めておいて、出来たらこのコンサートに参加してみてください。
新しいウェブサイトもどのような方がなされているのか、よくわかるサイトとなっているので、こちらもチェックしてみてください。
IDAKI SHIN Official Site

全て、心よりオススメ致します。
全てより良くなるために。
そして全てがこの状況から抜け出していけるように。
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自律

2021-05-19 20:02:17 | Weblog


これで大丈夫。これさえあれば、これさえやっていれば大丈夫。
そういったものを求めていた自分に気づく。しかし、今まで漠然と、確かにこれさえやっていれば大丈夫としてきたことが、揺さぶられている。どこか無意識に価値の前提としていたことが崩れはじめている。

やはりそれは先日の経験が大きい。内面の変化と簡単に言えることではないけれど、何か動き出している感覚と、今現実の状態とのギャップを大きく感じてしまっているのだ。この変化は自分自身だけのことでありながらも、もしかしたら全体的な変化に反応してのことなのかもしれない。

こういう状態の時に、ついつい過去の何か偉大なことを求めてしまう。さらには他に何か手がかりがないかと求めてしまう。こういう意識で、今までなら答えが導けたのかもしれない。最近見知った現実の状況の中では、こういったことですら通用しなくなっていることがわかってきたのである。こういったことはどこか他者依存的というか、自分より偉大なことに寄りかかりたいという、依存欲求になっていってしまう。そういうことでは変われないという現実を知る。大げさに言うならば、今までの秩序、今までの神という世界ではそれでよかったかもしれないという、他者依存的な寄り添い。しかし新しい秩序、新しい神という世界においては、絶対的と言っていい程の、自律が求められていることをあらゆる状況から見え始めている。

自律。

自分自身で果たして答えは出していけるのだろうか。
今まで多くのことを学んできてはいる。しかし学んでばかりいることと、本当に自律し、自分で考えて、ある答えを導いていくことは、実は根本的に違うということがわかってきたのである。

徹して自律すること。
それは自分のことでありながら、行為としては人のためであったり、状況を良くしていくことに他ならない。自己探求していく内に結局自己満足だったり、自我意識の強化になったりと、結局、自己に拘泥していくことになり、自己膠着のようになっていってしまう。

超越。
自己を超える経験。
今までの自分では理解できない経験。
自己を超えているから、今までのことでは理解できないのである。言葉にすらできない。でも言葉にしないと前に進めないというのも事実である。言葉にできない経験をしながら、言葉にしていかないと先に進めないという大いなる矛盾。この矛盾をいかに超えていくかの答えは、今はただとどまらないということ以外にはないのである。

だから常時、表現し続けている人は強いのである。大いなる矛盾の中にいても、必ず時と共に抜け出していっているからである。今日はそういうことを念頭に、おもむくままに書いている。

また書きます。
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奈良の巨石の謎-益田岩船

2021-05-16 16:56:10 | Weblog
奈良県の飛鳥地方には橿原神宮、高松塚古墳、キトラ古墳など、古代日本を象徴するような遺跡が多く存在します。その中でもその存在意味が全く解明されず、それでいて全く注目されてない不思議な巨石があります。

益田岩船。


(西国三十三所名所圖會より)

それは江戸の昔から人々の注目を浴び、数多くの絵巻などにも描かれた不思議な巨石である。あの本居宣長も次のように表現されている。

「この石、いずれの世に、如何なるよしにて、かく作れるにか、いと心得がたき物の様なり。
 里人は昔の長者の酒船と言い伝えて、このあたりの畠の名も、やがて酒船と言うとかや。
 この石、昔は、なお大きなりしを、高取の城築きし折に、かたはらをば多くかき取りもて去にしとぞ。」(『菅笠日記』)

小高い岩船山の頂上に推定800トンと言われる巨石をどのように運んだのか、そして何のために運んだのか、あまりにも不思議である。この益田岩船を知ったのは松本清張氏の「火の路」という小説である。この作品は「ペルセポリスから飛鳥へ」という古代イランと日本の古代との関わりを推測したまさに壮大なストーリーが展開されている。その益田岩船に先日、ついに行くことができました。


益田岩船への入り口。ここの周囲は団地や公園がありますが、あまり注目されてない事もあって、全く人が往来するようにはできていません。とはいえ以前調べた時よりも、岩船までへのルートはわかりやすく、ちょっとした山道ですが、整備はされているようでした。


このような山道。雨の日は止めたほうがいいというアドバイスもあるようです。

そして10分ほど山を登ると、いきなり現れる益田岩船。


でかい。


とにかくでかい!なんだこりゃあ!!あまりに周囲と溶け合わないその巨石っぷり。。

周囲は竹林に覆われていて、タケノコ掘りをした後が結構ありました。


少し上側から。


以前はむき出しのようでしたが、今は竹林に覆われています。それでも岩の上には天空が開けていました。


岩の上部には二つの穴が作られています。

一つはなぜか水が溜まっておらず。底に水が抜けていくルートがあるのかもしれません。


こちらは水がしっかりとたまっています。

この二つの穴の存在から松本清張氏は古代イランの宗教であるゾロアスター教の祭壇、もしくはジッグラトと言われる聖なる塔ではないかと推測しています。ゾロアスター教は火を祀る拝火教とも言われ、主神であるアフラ=マズダを祀る拝火壇だけでなく、実は水を司る女神アナーヒターに捧げる儀式のための岩であるサンゲ・アープを含めた二つの祭壇を合わせ祀る所もあったという。この益田岩船はその二つを同時に備えた聖なる祭壇としての使用されていた可能性が指摘されています。


不思議な模様が彫られています。


見る角度によって様々な表情を見せてくれる岩船。


何かを流すような形相。

改めて、その全貌を見てみると。


とにかく巨大である。

いきなりイランが出てきたり、ゾロアスター教が出てきたことで、まったく理解できないとするのは現代人的な認識である。奈良時代には胡人と言われるペルシャ人が官僚として名前が記されていたり、正倉院にはペルシャのガラスの器が多数存在しているようで、奈良時代は今考えられている以上に国際的な交流があったことがわかっているといいます。ちなみにここでいうペルシャ人は今でいうイラン人です。

そして松本清張氏は益田岩船だけでなく、飛鳥地方に多く存在する不思議な石造物の形状の多くが古代イランの遺跡、ペルセポリスの石像にとてもよく似ていることから、その関わりの深さを推測しております。

さらに、です。
今回の益田岩船の公的な史跡説明に以下のように記述があります

「古くからこの地に築造された益田池の台石とする説もあるが、頂部平坦部を九十度回転させ横口式石槨(棺)だとする説や占星台の基礎とする説、物見台とする説がある。 このように用途は明らかでないが、上部平坦部の溝や孔が高麗尺(こまじゃく)で計画され、花崗岩の加工技術が終末期の古墳と共通するなど、すくなくとも七世紀代の特色をもち、飛鳥地方に分布する特異な石造物の中でも最大のものである」

何とこの益田岩船は高麗尺で計測されて作られているといいます。この高麗尺は高句麗尺とも言われ、あの法隆寺も高麗尺で作られており、高句麗の人たちの高い技術力がそのまま奈良時代の日本に伝わり、もしくは高句麗人そのものが指導にあたって作ったのかもしれない事がわかってきます。

その高句麗人は、あまり知られていないかもしれないが、高句麗将軍塚と言われる中国の集安に、巨大なピラミッドを造築する技術を持ち合わせているのである。それがこれである。

(「高句麗将軍塚」wikipediaより 高句麗第19代好太王の王陵と言われている )

日本の古代、日本のあけぼのと言われる飛鳥時代や奈良時代。実は今考えている以上に国際的で、そしてどこか桁外れな宇宙的な感覚を持って国を治めていたのかもしれない。あまりにもその後の歴史が複雑になりすぎ、勝者敗者が出たことにより、隠された歴史が多く存在することは、奈良の地に行ってみれば痛感することである。

益田岩船からイランとの関わり、ゾロアスター教、そして高句麗。奈良は実は面白い。相当な謎かけがされている。しかもそれは巨石文明に関わるような宇宙的な事と関わるのかもしれない。ただ現実とのギャップがまた凄まじくある。誰もそんなこと微塵も感じない、考えもしないところで生きている。だからこそ、あえて、全く別の視点で、側面で考えていく。そのことは松本清張氏の推理から多くを学んだことでもある。とにかくスケールを大きくして、である。

奈良はどんどん明かされ、開かれて行っている。それだけは間違いない。
また考えていきます。

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桁違いに大きな世界観〜高句麗伝説コンサート

2021-05-11 07:40:15 | コンサート


何もかもが一新せざるをえない状況。
今までのことが全く通用しなくなってきている現状。
国も人も右往左往する始末。
何を柱に生きていったらいいのだろうか。

ちいさき所で、人々が助け合い支え合っているのが唯一の救いといえようか。それすらもなき所で、必死で生きている人もいる。今本当に必要なのは大きな事。そう巨大な発想、桁違いに大きな世界観、巨木が立つような理念。

今までの事がどんどん通用しなくなっている。どうせ目先の事だけで作ってきた世界である。力あるものは無きものとされ、力無きものがあるものとされる世界が作れるだろうか。イエス以来の世界の変革。イエスによりかかり、乗り越えてこなかった人類全体の問題が今の問題か。

こういう状況下において、今、古代高句麗の王の魂が復活していることが伝えられている。これはどういう意味なのか。そういう事が分かる人がそう伝えてくれている。そういう事に関しては最も信頼のおける人がそう伝えてくれている。それをどう捉えるかはそれぞれの問題である。でも自分は賭けてみたい。古代、東アジアでもっとも強く大きな国を造った高句麗の王の魂の復活に。それがどういう事を意味するのかはわからない。でも王の象徴は天を意味する。それは先に書いた巨大な発想、桁違いな世界観、そして天に伸びる巨木のような理念が現されることを意味する。

そして、である。
いよいよこのタイミングでの高句麗伝説コンサートの開催である。
わかるわからないはどうでも良い。でもこのコンサートは大事な時期に必ず開催され続けてきた。さらにこの状況下でも開催されるという事実である。真は分かる人には伝えられるという。またそのように意志する人にヒントは与えられる。本当にこれからのこと、未来への意志を希求する人にとっては要中の要の場となりえよう。毎年開催され続けてきた13日は無観客でのライブ配信が企画されている。続く14日は日本の歴史の真相が秘められるという琵琶湖。15日は日本の古代そのもの、また高句麗との関係も深い奈良での開催です。心よりお伝えします。

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高句麗伝説コンサート

●2021年5月14日(金)
滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール 大ホール

滋賀県大津市打出浜15-1
PM5:20開場 PM6:00開演
PM7:30終演予定
出演:高麗恵子(詩の朗読)・いだきしん(即興演奏・映像)
全席自由 10,000円
主催:特定非営利活動法人高麗


●2021年5月15日(土)
なら100年会館 大ホール

奈良市三条宮前町7-1
PM5:20開場 PM6:00開演
PM7:30終演予定
出演:高麗恵子(詩の朗読)・いだきしん(即興演奏・映像)
全席自由 10,000円
主催:特定非営利活動法人高麗
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