玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

キースジャレット

2014-11-27 22:39:00 | Weblog



最近、伯父が好きだったキースジャレットを聴いている。

ジャズからクラシック、インプロビゼーションまでこなす正に天才。

今は亡き伯父は公務員の電子関係の研究者でした。趣味で音響を研究し、自作のスピーカーを10年近く時間をかけて作る程の人。研鑽に研鑽を重ねて、納得のいくスピーカーが完成した時の感動は、妹である母から、当時学生だった自分にも伝え聞いています。本当に嬉しかったようで、好きなCDをずっとかけて、その音色、音響を試し、浸っていたそうです。

そのスピーカーは伯父が亡くなった後、我が家に引き取り、今は仙台の別宅に大事に置いてあります。スピーカーの中で鳴り響く、、それ自体が共鳴装置であり、その音色が外に鳴り響く、そういうイメージです。タワー型のスピーカーで、細かい音が輪郭を持って響き渡るようなイメージで作られたのかもしれません。

今、キースジャレットを聴いていて、キースはピアノという楽器の限界を超えようとしていたように感じます。さらにハープシーコードのバッハの平均律クラヴィーア曲集の見事さは、音律の見直すきっかけになっているし、キースの目指している音楽が、どこか、基音から作られる既存の音楽から、 倍音を中心とした響きの可能性に着目してるように感じます。

キースジャレット=ソロコンサートというブレーメン、ローザンヌのコンサートを今聴いてますが、それはほぼ即興で、その音色、音の響きが本当に素晴らしい。何かと繋がろうとしてるかのような、伸びと響きを重視した演奏。それは正しく演奏者キースジャレットに何かがおりてきてるかのようです。透明感のある素晴らしい演奏です。

自分自身、ロックからジャズ、クラシック、ピアノ即興演奏、アフリカン等の民族音楽となるたけ幅広く聴いていますが、どれだけ聴いても比較の余地なく、全ての音楽は本当に素晴らしいです。新たな音楽を知る喜びは掛け替えのないものです。

今、伯父が生きていたら、どんな音楽談義を交わせただろうか。キースジャレットが好きだった伯父はキースの音楽に何をみていたのだろうか。音楽極まる所は即興、インプロビゼーションにあると感じてる自分と果たして話が合うだろうか、きっと分かり合えるのではないかな、、そんな事を感じながら聴くキースジャレットのピアノはどこまでも優しいです。


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気持ち

2014-11-22 09:36:19 | Weblog


高倉健さん。
その知られざるエピソードがどんどん明かされる日々です。
とても印象に残っているのが、健さんは手紙をよく書かれていたというもの。

カマンベールチーズを定期的に買っていたお店の容器が変わったことで、味が変わったと感じた際に、手紙を書いて、味の変化を伝えたといいます。そのお店は健さんの指摘から、味の改良を一生懸命やったそうです。その改良を続けていく中で、健さんはすぐに味がよくなったことを手紙で伝えられ、お店がさらなる改良を続けた結果、今まで食べた中で一番美味しいとのメッセージを送られたという。そのお店には一度も顔を出した事はないのに、ずっと定期的に購入されていたそうですね。

もっと感動したのは、とある野球選手に対して、どうしても伝えたい気持ちが湧き、その気持ちをそのまま手紙にして、送ったそうです。その野球選手に対してこのように感じている人がいるんです、ということをどうしても伝えたかったのだそうです。

健さんから感じる大事な事は、自分の気持ちには正直である事、そしてその気持ちは表現し、可能であるならばその気持ちを相手に伝えるという事です。今、メールなどで連絡をとることは容易になっているけど、はたして、そこで自分の気持ちはちゃんと伝えているだろうか。当たり障りのないことだけで、本音を包み隠していないだろうか。

そしてメールとは違う手紙を書くという事。そこで書いた一文字一文字。これで良いのかな、これで伝わるかな、、と何度も読み返し、これで良し!となってもまだ大丈夫かなと、、それ程までに気持ちを言葉にするのは難しい。でも言葉がたらなくても、それでも伝えたいその気持ちを大事にするということ。メールとは違う、手紙という伝達手段。健さんの成されてきたことから、今一度見直してもいいのかもしれません。

気持ちは自然とわくもの。その気持ちは”好き”という気持ちだったり、”嫌”という気持ちだったり。中々全てを伝えられるものではないけれど、そういう気持ちが現れた事はそのまま受け容れ、伝えられる人には伝え、それができないのなら、それでも言葉にすること、書く事が何より大事です。言葉にしない事が心のモヤモヤをつくるのかもしれません。健さんのその潔さ、裏表のない筋の通った在り方はきっと自分の気持ちに素直に、そのまま現し続けたことからくるのでしょう。おそらく、表に出さなくとも、相当に言葉を書かれた方と感じます。

ただ、先日発表された健さんの死去の報を受けて、日本の大事な父の様な方を亡くした事による悲しみ以上の切なさを感じたのは確かです。ちょうど次回の作品を来春から撮り始める準備をしていたとのことだけど、健さんはもっと伝えたい事があったのではないか、その伝えたい事がカタチに出来ずに逝ってしまった何か無念さのようなものを感じ、自分の中で少しモヤモヤした感じが起きています。

人が病気になる本当の原因は何だと思いますか。
それは気持ちを押し殺しすことにあるといいます。ある人に好きと言えず、その気持ちを押し殺した事が、数十年後に病となって現れ出る。そういうことがあるのだそうです。伝えたい気持ちがあるのに伝えきれず、、もちろんそれは手紙の様なカタチから、映画という作品にしないと伝わらないこともあるのかもしれない。健さんは手紙を多く書かれ、その気持ちを欠かさず伝えてこられたけど、俳優として、映画人として、やはり大きな気持ちは作品を通して伝えたい人だったのではないでしょうか。作品に心動かなければ出演しない方だった健さんです。次の作品がどのようなテーマで作られる予定だったのか。気になるところです。

人の死そのものが大きなメッセージです。高倉健という時代を象徴する人が亡くなられたことで伝わることは、どこまでも”気持ち”を大事にすること、”こころ”を大事にすることに尽きるとおもいます。今、まるで真逆の様な事件がはびこる時代だからこそ、本気になって、このメッセージを受けとり、考えることが何より大事だと強く感じます。より人間らしい時代をつくっていかなくてはいけません。そして人として、丁寧に生きていくこと。高倉健さんの死から多くを学ぶ日々です。
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健さんが逝かれた

2014-11-18 12:06:14 | Weblog


高倉健さんが亡くなられた。
昭和の象徴、昭和の男子の憧れ。
「自分不器用ですから」
といいながら、人に寄り添い、人を包み込む、正に器の大きな男。

器用な男が多い昨今、言葉の多い男が多い昨今、
寡黙で、いるだけで何かを語れる人はどれほどいるのだろうか。

正に映画に命をかけた人で、以前にも書いたけど、映画のキャラクターを大事にする故、自分のプライベートは一切知らせないし、普段の日常生活も大変気をつけておられたとのこと。仮に自分に不祥事があったことで、その映画やキャラクターを台無しにしてしまうことは絶対にしたくないので、その生活態度は一貫していたそうです。

「気持ちは画面に映る」
とも言っておられたのが印象的で、映画を通して何を現したかったのか、そのことは各作品それぞれに現れでているとおもいます。

今を生きる人間は世界劇場という場で役割を演じているに過ぎず、本当の自分がそこにあるわけではないと存在論では語られることがある。これは自我だと思って自己主張していることに自分が在るのではなくて、自我をなくした所にこそ自分が在ると捉えることができます。役者さんは映画という世界で何人もの人生を演じるけれど、健さんのように自分自身を引っ込め、映画という世界での人生を演じ切ることは、その映画で現される世界・人生をより際立だせ、映画そのものに生命を吹き込んでいるようです。自分を無くすことで、かえって存在が現れ出るということを実証してくれたかのようです。まさに”存在の妙”を感じさせてくれる人です。(役柄と本人のキャラクターを分けれないという意味で本当に不器用だったらしいですね。そういう意味では本人の存在そのままだったからこそできたことなのかもしれません)

とはいえ、素の健さんは映画はやっぱギャラが良いものから選びます!とハッキリ仰っているのがまた人間臭い。
映画の全てが好きだったことは、自分の出番がなくとも現場に出向き、日夜関係なく働くスタッフさんをよくねぎらわれていたというエピソードからもよくわかります。

高倉健さん。
本当にカッコいい大人の男。
逝かれたのは残念だけれど、多くの事を後世に残してくれたことに、感謝です。
ありがとうございます。

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存在とは

2014-11-16 15:44:07 | Weblog
フランスの哲学者ドゥルーズはかく言う。
「存在とは創造性である」と。

またベルグソンはこう言う。
「もしわれわれが創造されるものと創造するものというふうに分けて考えるならば、創造という観念においてはすべてが曖昧になってしまう。~中略~そこには事物が存在するのではない。そこには行動だけしか存在しない。~中略~このように定義されるならば、神は出来上がった何ものももたない。神は不断の生命であり、行動であり、自由である。またこのように考えるならば、創造は一つの神秘ではない。われわれが自由に行動するやいなや、われわれは自己のうちに創造を体験する」と。

そして以下のようなことが言われる。
「創造的活動の言語は名詞よりはむしろ動詞を通して発話する」と。

ハイデガーは存在を了解することから、生成していくダイナミックな動きとしてその理解を展開させていったという。
まさに生成こそ創造ともいえる。

存在を問う哲学。
それはただ概念を覚えたり、理解するだけにとどまらず、必ずある動きを伴うことが実は大前提にある。
その動きのことをプロセス、生成する過程と表現したのは確かホワイトヘッド。

常に動きにある存在のこと。
存在とは神とも違う。われわれのようなある役割や思い込みの中に規定された存在の事を存在者という。
神のことを聖なる存在者とし、存在とは違うと言ったのはハイデガー。この微妙だが大きな違いのある認識。

では存在とは何なのか。
規定した途端に違うとなる。それはまるで量子力学の観察者効果のように、観察した途端、量子は違うものになってしまう。あるいはそこにいない。だから確率的な認識以外にその存在を確定できない。存在とは動きの中で生成するようにわかっていく過程でしか把握できないものなのかもしれない。

「哲学者が言っていることを繰り返すよりはむしろ、彼が当然視せねばならなかったこと、彼が口にはしなかったにもかかわらず彼が言ったことに現れてしまっていることを、哲学史は言わねばならない」とドゥルーズは言う。

人の人生そのものが存在の現れなのかもしれない。
死によってその人の存在が明確になることは誰でもが経験していよう。
死が存在を明らしめる。
生きるとは過程そのもの。成りて成るもの。
そういえば、旧約聖書に出てくる神ヤハウェは「在りて在るもの」と表現されていた。

答えはでない。
ただ語り続けるのみ。
そこで知らず知らず現れ出る何かがある。
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『民族の創出』

2014-11-12 13:34:18 | Weblog


最近、近年稀に見る良書に出会いました。
それは『民族の創出-まつろわぬ人々、隠された多様性』(岡本雅享著 岩波書店)という、日本は単一民族国家ではなく、アイヌ、蝦夷、大和、熊襲、隼人、琉球、朝鮮渡来系など、多くの異なった文化を持つ多民族が共存する国家であったことを論証した本です。あまりにも内容が深く、広く、多岐に渡っていて、まだ読了していませんが、この本の内容そのものは、間違いなくそれまでの日本の歴史観を覆すものです。

今日本語として当たり前に話しているこの言葉は明治時代に東京山手で話されていた言葉を基準として、全国に普及させたといいます。それは各地域の方言、例えば東北弁と薩摩弁同士では言葉が全く通じず、それはヨーロッパの言語同士よりも遥かに異なっているといいます。明治期に近代国家化するにあたって、人為的に標準語を設定し、言葉の統一をまず計ったといいます。それまでは意志を伝える為に漢語や謡曲の謡い回しをつかったといい、あの江戸城無血開城の西郷隆盛と勝海舟も漢語による筆談だったという説もあります。

また方言扱いされる事に違和を感じ、自分の地域で話す言葉こそひとつの言語であるとし、その言語体系を整理し発表された人が岩手県気仙郡の医師であった山浦玄嗣氏。その言語を「ケセン語」とし、自身クリスチャンでもあった山浦氏によりケセン語訳新約聖書まで作られています。単純に方言は地方の言葉としてしまうのではなく、言語こそ固有の文化の基本と成るものであり、それがあるということは独自の文化があり、ひとつの民族が形成されていることを意味するわけです。ケセン人は宮城の気仙郡に住んでいたのだが、歴史的には日高見国という東北の連合国家のひとつであり、共存共栄していたといいます。それを対外的にみると蝦夷(エミシ)と大枠で捉えられていたのでしょう。同じくアイヌ、熊襲、大和、朝鮮渡来系も含め、固有の文化を尊重しながら共存共栄していたのが古代日本の姿だったのではないかと考えられています。

今、地方創世と声高らかに言われていますが、中央から地方へという発想以前に、本来、この国がどういう姿であったのか、そのことの理解なくして地方創世ができるのでしょうか。

この本はさらに歴史的に天皇陛下と同じ以上に信仰と尊崇の対象と成っていた出雲の国造さんについても考察されています。この本の著者が出雲大社から数十キロしか離れていない所の出身でありながら、出雲の歴史を知らなかったこと、自身の祖母の言葉が全くわからなかった事に衝撃を受け、もともと中国のマイノリティな民族の研究者でもあったことから、日本の歴史の深層を探り、この本の執筆に至ったといいます。この本が投げかける問題意識は途方もなく大きいです。今世界中で起きているアンチグローバルな民族アイデンティティ問題も、日本の本来の姿を理解し直すことで、その解決に寄与できるのではないかとまでいいます。

汝自身を知れ。
それが世界の問題の解決に繋がっているとしたならば、徹底して自分自身、自分の国の事を知り直すことで、何がしかの貢献ができるのかもしれません。
今まで断片的に感じていた事がそのまま書かれ、まとまっている本との出会い。ちょっとした感動です。

また書きます。
コメント (3)
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