玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

新しい軸へ

2018-09-26 20:31:46 | Weblog
歴史の必然。

ある状態へと至る、その過程が歴史とも言える。
ある時は同時に。ある時は何年もの時を経て。

始まりと終わり、次への展開、美しくとも全てをハッキリさせていくキレのある色。イエス・キリストの存在。それを記す聖書。

濃くなれば濃くなるほど情熱たぎる激しくとも情け深い要の色。ムハンマド。マホメット。コーランの存在。

流れ流れ、まわりまわり、あたたかくも安心させていく循環の色。シャカ。お釈迦様。数々の仏典。

時を経て、今現れ出はじめている、合わせ合わせ、全てを統べ上げていく全く新しい調和の色。ニュータイプ。未だ言葉にならず。新しい軸。

それぞれをわかることで、”すべて”いくその色のことがわかっていける。

今、起きていること、これから起きていく事、すべて同時、そして瞬間瞬間のこと。

閃めきも啓示も思索による発見もすべて瞬間で同時。

新しい軸の歴史はじまる。
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「タハーフト(崩落)」

2018-09-20 19:22:37 | Weblog


「タハーフト」。
この言葉はアラビア語で、英語で言うとdestructionが当てられる。いわゆる「破壊」の意味であるが、本来の意味はもっと深い。

「原来、アラビア語の「タハーフト」は、たんに何かを破壊する、あるいは何かが破壊されることではなくて、表面的には完璧な自己整合性をもって立っているかのごとく見えるシステム(物質的であれ、理念的であれ)が、己れの深部に秘めている矛盾、非整合性が暴露されることによって、内部から崩壊することを意味する。一つの構造体が、自分自身の内臓する自己矛盾の故に、自然に、必然的に、崩れ落ちていくことだ。現代的な言い方をすれば、自己解体というような表現に当る。」(『イスラーム思想2』岩波書店)

これは中世のイスラム思想家ガザーリーの著書である『哲学の崩落』におけるその題名の「崩落」について、井筒俊彦氏が解説している文である。「タハーフト」という語には「破壊」というよりも、自己が抱える矛盾により、自己解体せざるを得ない、もしくは自滅していくということが明らかにされている。

己れの秘めている矛盾、非整合性を解決することがなければ、カタチあるものであろうとなかろうと崩落していくことが語られているが、何か、今のこの国、社会、世界そのものの事を語っているかのようである。誰もがおかしいと気づいているのに、誰もがその矛盾や筋の通らない非整合性に気づいているのに、当事者達が解決する動きを見せない。いや解決する動きを表面上見せかけてるだけで、実際は何も取り組んでいないことが明かされ続けている昨今である。

こんな事をずっと続けていては必ず「タハーフト」していかざるをえない。おりしも、今日、ある方向性が確定した。本当にこれで良いのだろうか。仮に近い将来「タハーフト」したとしても、自分はその先を見据えて、今から新しい道を創っていくという道を選択する以外にない。今がどうであろうと、先を創っていく道を選択するという決意である。今までもやってきていることはあるけれど、より強固に、ハッキリさせていくよりなく。いよいよ大変な時に入った。「タハーフト」の時に入ったのかもしれない。

引用したイスラムの思想家達の強靭な精神力と探求力、思索力。その思想は中世キリスト教にも絶大な影響を与えたと言われ、その後の宗教、哲学、学問を変えたとも言われ、それはそのまま世界を変えたとも言える。世界を変えた始まりは一人の人間の深い思索であり、その生き方や行動であることを、このイスラムの思想家達から学びます。啓示と思索が入り混じるイスラム思想の在り方。その本質に実はこれからの事のヒントがある気がしています。
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2018-09-15 10:23:48 | Weblog


暑い夏も過ぎ、秋らしい空気にどこかホッとしています。
時おり吹くひんやりした風が心地よく、冬生まれの自分にとってはこの秋から冬にかけての独特な匂いがたまらなく好きですね。

この数ヶ月、変化があまりに大きく、またいろんな所に行ってきました。
今度あらためて書きますが、兼ねてからずっと行きたいと思っていた本居宣長の地である松阪へ行く事ができました。この旅は兄玄が名古屋や伊勢神宮で開催されるワークショップに参加するのに同行する形で行ってきました。名古屋や伊勢では日中は全くの別行動だったので、行きたいところに行く事ができました。

名古屋では古事記の最古の写本を保存する真福寺(大須観音)、日本の歴史の真相に関わるとされる説を最近目にした為に行ってきた八事興正寺、お釈迦さんのご遺骨が安置され、どの宗派にも属さない全仏教徒の為の寺院を謳う日泰寺、そして先祖のお墓がある八事霊園へ行ってきました。

伊勢の日は伊勢神宮の外宮で兄玄と別れ、そのまま松阪へ。真っ先に向かったのが本居宣長のお墓。本居宣長のお墓は二つあって、一つは世間常識に則った形でのお寺にあるお墓で、もう一つは山の中にひっそりあるお墓です。この山の中のお墓を”おくつき”といって奥津城、奥津宮などと書きます。この奥津城に行ってきました。ちょうど大阪に多大な被害を出した台風が過ぎて数日後だったのもあって、山の中は大荒れでした。この事は今度書きます。奥津城はひっそりとした山の中で、どこか神社の奥宮のような佇まいでした。とても気持ちの良い空間です。

下山した後は本居宣長記念館に行き、宣長直筆の多くの書物を直接目にしてきました。ここで初めて知ったのは、宣長は出雲大社への関心が高く、実際叶わなかったけど、ずっと行きたい場所だったとのこと。国学の大成者として有名な本居宣長は小児科医でもあり、女性や子供に対して大変配慮のある方だったそうです。医者として現実に病気をみていたことと、古事記や和歌を中心に言葉を探求していた事は深く関係していそうです。このあたりの事も今度書いていきます。

宣長記念館の横には鈴屋(すずのや)と言われる宣長の邸宅があり、今そのまま再現されています。鈴が大変好きな方だったようで、いつも鈴の音が響いていたことから鈴屋と言われるようになったそうです。鈴の字を名前に宿す自分としてはさらなる興味を覚えます。それから宣長神社に行き、そこから時間が迫ってきたので伊勢へと向かいます。

伊勢へと向かう道中、何かに導かれるように気になり訪れたのが伊勢神宮に奉祀していた斎王の御所である斎宮です。斎王とは伊勢神宮や賀茂神社において巫女として神に仕えた女性のことです。近年発掘が進み、今では斎宮歴史博物館や斎宮の御所の再現がなされ、とても清々しい場所でした。なかなか注目度が低いようで、ガイドをされていた地元の方はもっともっと斎宮のことを知ってほしいと願っておられました。古代の国において、神の啓示を受けたり、そのメッセージを受けていたとされる斎王の存在。今考えられているよりも、もっともっと重要な存在だったのではないかと感じています。

それから伊勢神宮の外宮である豊受大神宮に行ってきました。初めて訪ずれる場所で、何か重要な地である印象を受けました。外宮の方が伊勢神宮としては重要であるという説もあると聞きます。そうではなくて、内宮を見張るために作られたという全く違う歴史の説もあります。歴史の真相は本当にわかりにくい。様々な説があり、様々な立場があるけれども、真相は必ず一つにいきつくのではないかと考えます。歴史の真相が明らかになっていくことは、人の意識も変わっていくので、このことに関わる動きの重要性はどれだけ言っても足りないくらいです。

そして伊勢神宮内宮へと向かう途中、これも前から行きたかった猿田彦神社を見つけ、行ってきました。神話で天皇の行く道を導いたとされる猿田彦。未来を開く、先を切り開く神様で、今の自分にとってはとても重要な働きの神様で、心から参拝しました。

いよいよ待ち合わせ場所である伊勢神宮の内宮へ到着。待ち合わせ時間には少しあるので、内宮にも参拝してきました。結界のように流れる五十鈴川を渡り、清らかな神域に入ります。ここを大事にしてきた日本人の魂の歴史を感じます。しかし、同時に現実、ここにきている人たちの雰囲気になんともやりきれない想いにかられたのも正直なところ。世俗的すぎるというのか、どこかのテーマパークにきている感覚でいわゆる観光的すぎる人の雰囲気はとにかくうるさいです。昔の人は伊勢詣や熊野詣ではそれこそ人生かけて参拝したといいます。今は車ですぐにこれる安易さからか、その本質的な意味がうすまっている気がします。

そして兄玄と無事に合流し、帰路へと向かいました。

いろいろ感じた名古屋から松阪、伊勢の旅です。
これからの日本のこと、自分の人生のこと、歴史のこと。これから感じたことを色々と書いていきます。
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