玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

高麗神社参拝

2024-05-12 11:12:00 | Weblog
五月晴れの清々しい日の昨日、久しぶりに高麗神社に参拝してきました。

今回はまず聖天院の若光王様の王墓から参拝させて頂きました。

高麗若光王 王廟


少し早い時間という事もあり、他に人もおらず、静かな時でした。

爽やかな風が吹き抜けてきました。

王廟の表の瓦に"王"の文字が刻まれておりました。

静かに心澄まし、王廟の前に佇むひととき。本当に誰も来なくて、ありがたい時間を過ごさせて頂きました。

それから高麗神社本殿へ向かいます。


五月晴れで本当に気持ちの良い天気でした。

"高麗"の間に小さく"句"の字が書かれており、正式には"高句麗神社"であることがわかります。

本殿に行っても奇跡的に誰一人おらず、ここでも心静かに参拝することができました。


本殿では高句麗王の若光王様、導きの神様の猿田彦命、長寿にして長く朝廷に仕えた武内宿禰命が祀られております。

高麗神社は参拝した政治家が何人も首相になったことから"出世明神"とも言われてます。天皇陛下をはじめとした皇室の方々も多く参拝されてるようです。


この日は産まれたばかりの小さな赤子を抱かれたご家族が何組も正装されて参拝されてました。わが子の健やかな成長と大きなご神徳を願われての事でしょう。和やかな境内でした。

そして高麗神社に参拝に来たら必ずおみくじをひきます。ここのおみくじの"神の教"の言葉が毎度、ハッとする言葉にみちていて、実に深いのです。今回は次のような言葉を頂きました。

神の教
神とひとつの心になれば、はれて清しい胸のうち


自分も知らず、相手も知らぬが、愛おしいと思う心、憎いと思う心、それが此の身体から光となり波となって、相手の身体に心に傳わって、善いも悪いも悉く影響を及ぼす。


常に神様の御心と御一体になり、平らかな心、清しい思いで、美しい光、清い心の波を放出しなさい。それが神の子として社会に生きる人の在り方です。


今回もすごいお言葉だなと感じました。

自分の在り方、内面の在り方が常にまわりに伝搬しているという。ならば常に清く平らかで、美しい光を放てる人とならなくてはと心を新たにしました。そしてそれが神の子として社会に生きる人の在り方であるとは、この言葉は胸に刻みました。



高麗神社の空間、出会う言葉も含めて全てが神々しいです。この高麗神社参拝後の清々しい気持ちで、いよいよの明日の狛江の高句麗伝説コンサートにのぞみたいと思います。よろしくお願いします。


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高句麗伝説コンサート〜ひとつに

2024-05-06 16:40:00 | コンサート



いよいよ高句麗伝説コンサートが近づいてきました。

少し前のコンサートでテーマにされたのが猿田彦大神。この神様は導きの神様であり、埼玉日高市にある高麗神社の御祭神でもあります。

古来より高麗人が多くいたとされる京都東山。そこの八坂神社は素戔嗚尊を祀る神社です。素戔嗚尊は別名牛頭天王といわれ、朝鮮からきた渡来の神様という説がある。

日本の歴史において、高句麗との関わりある神様の真実は、あえてふれないようにか、または隠すような言説が多く、そこを触れないと本筋がわからないという事が多いように思います。

渡来系としてしまうから、わけて考えてしまうのかもしれません。元はひとつという事もあるかもしれません。元がひとつなのを無理やり分けて考えようとするから実態や真実がわからなくなる。

もしかしたら、いま起きてることは元をひとつにする大きな動きなのかもしれません。隠された元が表に出はじめてるのかもしれません。

もしかしたら真実が明らかになって、世の中ひっくりかえるのかもしれません。それで今のこの混迷と不安の時代が良く変わるなら、それこそ望むことです。

今回、歴史的な琵琶湖、京都、そして関東の高麗人がいた狛江にて開催される高句麗伝説は、生命感覚ひとつに即興演奏されるいだきしん氏とその音とその場で顕れてる存在を即興で詩という言葉にして表現される高句麗王直系子孫の高麗恵子氏の特別なコンサートです。

特別な今の時です。二度とない今の時でもあります。自分自身もそうです。今回とても大事な一回一回です。とても楽しみでありながら、どこか畏れおおい気持ちです。この経験の先にあるものは、、。

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