玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

雑感:景気

2018-11-22 18:16:34 | Weblog
それにしても、凄まじい時代になったものである。

日々のニュースは少し前の世紀末的な映画の1シーンでも見ているのかと錯覚してしまうほど、あまりに悪い事が平然と起きている。人を騙すことは当たり前。殺人事件も毎日どこかで起きている。絶対に良いとされている人たちが嘘を平気でつき、それがいよいよ公共的な分野にまで及んでいる。

今、日本全体が沈没しかかっている船に見える。とてつもない大波がすぐ近くに来ているのに気づいていない様にも見える。投資家で有名な大竹慎一さんは景気の法則として知られるコンドラチェフの波の動きは正しいとして、様々な仮説を述べられている。2003年くらいの本だったかに、このコンドラチェフの波の底は2020年くらいにかけてくると予測されていた。今一見、景気が良いようにみえても、全体の動きとしては下降しているといいます。最近のOECDの先進国の経済成長率は全体的に下がっている事が指摘されていました。またある経営コンサルタントのコラムに、これからの景気低迷に備えてキャッシュを蓄えよ、キャッシュフローを良くすることを要とせよ、というのがありました。オリンピックに向けて景気は上向きと世間では捉えられているけれど、実はそうではないといいます。アメリカの動向はアジア全体にマイナスに響いてくると予測され、さらに日本は来年、消費税の増税が決まっています。さらにここ数日起きている日産の問題も、実はとんでもないことの引き金になり兼ねないともいいます。

お金の動きがまず先にあって、それから物や事が動くというのは大竹慎一さんが特に強調される経済の法則である。今お金の動きはどうであろうか。お金の動きを体の血流として考えてみると、どうも頭部にだけ血液がめぐっているだけで、体の隅々、末端には巡っていなくて体全体としては冷え性のようになって、動きが取れなくなっているようにみえてきます。顔に象徴される表への体裁ばかりよく見せて誤魔化していることが、体の末端からの悲鳴により明らかになっている、これがまさに今起きている大企業の不祥事ではないだろうか。現場に血液が巡っていない。要は現場で働く人に生活に必要なお金が巡っていないということです。こういった事をマルクス経済学、特に宇野派の経済学者で知られる鎌倉孝夫さんはまぎれもない”生活破壊”が起きているといいます。

どの様な状態にあろうとも、大事な事は現実を正しくわかること。流れを掴む事といいます。そして起きている事の背景をわかることともいいます。あまりにいろんな事が起き、そして平然と報道されています。知らず知らずに慣れていくことが最も恐ろしいことです。気づいたら沈没していたではすまないのです。景気の波はある意味避けられない、構造上の問題ともいいます。今できることは必要な知識、考えから学べる事は学び、備えられることには事前に備えるということ。そうあってこそ、何か起きても冷静にいられるとおもいます。景気の波と連動しているかのように、様々な事がおかしくなってはいるけれど、これはある意味、自浄作用でもあり、この膿を出し切った先にこそ、本当に良い社会が作れるのかもしれません。その先を見据えた本物の理念やビジョン、コンセプトこそが新しい価値となる。それは以前取り上げた、リーアン・アイスラーや大熊先生の言う”生命”を中心に据えた経済社会であり、”思いやり”の経済であり、”女性”が生きやすい社会のことである。それは女性が安心して暮らせ、子供を育んでいける社会である。人間として当たり前の事が当たり前になっていない社会は変わらざるをえないのです。
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ムハンマド〜コーランにみる言葉の威力

2018-11-04 16:24:34 | Weblog
(「天使ジブリールから啓示を受けるムハンマド」wikipediaより)

ムハンマド。日本ではマホメットと言われるイスラム教の開祖。

彼が現れる以前のアラビア人は懐疑的な物質主義者であり、非物質的な超感覚的事象には関心すら示さず、何でも眼で見た上でなければ承知しない民族であったという。そんなアラビア人の中から誕生したムハンマド。その彼にある啓示がおり、唯一神であるアッラーの言葉をコーランとして現し、世界宗教となっていく道のりは決して平坦ではなかったようです。

何よりも眼で見たものしか信用しない当時のアラビア人です。自身そのアラビア人だからこそ、その気質を自己の事としてわかっていたからこそ、ムハンマドの天才性は逆説的に発揮していく事になる。そのコーランを論理的に捉えようとすると、あまりに退屈でほとんどの人は読み続ける事はできないでしょう。しかし別の側面から捉えると様相が変わってきます。その事を以下の様に端的にまとめられています。以下、『イスラーム思想史』(井筒俊彦著 中公文庫)より抜粋。

「コーランはどんな経典にもまして、著しく視覚的であり、聴覚的経典である。 コーランは隅から隅まで視覚的なイマージュに満ちている。そして同時にコーランは、誦すればたちまち高らかに錚々と鳴渡る不思議な響きを蔵している。かくも玄妙な響きは何処から発して来るのであろうか。回教徒にとっては、コーランそのものが最大な奇蹟であった。」

「人はよく、それまで多神教と偶像崇拝の巣窟であったあのアラビアに、厳格な一神教を唱えるムハンマドの教えが、なぜあれ程迅速に拡がって行ったのかと驚くが、これはコーランが著しい聴覚的魅力をもっていたと同時に、またその描写的側面において直接視覚に訴えて来る生々しいイマージュに満ちた経典であることによって、少なくとも一部は説明がつく。」

「当時のアラビア人は何でも自分の眼で視てからでなくては信用しなかった。彼らに向かって抽象的に神の存在や、神の偉大さを説いて見たところで、一向利き目はなかったのである。だから、コーランにおいてはアッラーはまず何にもまして「生ける」神であることが強調され、アッラーはあたかも人々の目前にありありと見えるかの如く描かれている。そこでは神は人間と同じように手もあり足もあり、顔もあり、顔には勿論目も耳も口も、更には口には舌もあって人々に話しかける。彼は人間が善い事をすれば喜んでこれを愛し、悪い事をすれば烈火の如く怒る。一口にいえば極めて人間的な神である。そして、この人間的な神は空一杯にひろがる大きな玉座にどっかりと腰を下ろしているのである。」

「このようにして、本来ならば眼に見えぬはずの神の威力まで、眼に見える現れた形において捉えられ、説明されている。「アッラーはあらゆる事に対して能力をもち給う」とだけ言っても、アラビア人は少しもアッラーの偉大な力を感じはしなかった。故にコーランでは、この言葉には必ず具体的な説明がついている。それは時には空を流れる雲であり、乾き死んだ地を蘇生させる雨であり、また時には地を走る動物、空行く鳥、満天の星、月の運行、太陽の出没であった。即ち、何でも眼に見える物が神の力の具体的な現れとして説かれた。」

ここで起きている事はムハンマドにより直接経験された事、もしくは啓示によるイメージが言葉にされていくプロセスであり、その直接経験により現された言葉の説得力であり、さらにその言葉が人に伝わるように様々に工夫されているという事実である。

自分の経験していることを如何に言葉にして現していくか。それが人にわかりにくい事であればあるほど、様々な側面からの工夫が必要である。啓示の宗教とも言われるイスラム教は実に言葉の宗教でもあり、その言葉がどのようにして世界を巡って行ったかの歴史的出来事でもあり、その中心軸にあるのは、マホメットの啓示と経験であり、その経験が言葉にされていくプロセスでもある。今、この歴史的な現象について正しく学ぶ事は、新しい経験をしている人間にとっては本当に重要になってると感じ、自分も改めて学び直しています。
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本居宣長〜その表現について

2018-11-03 16:26:28 | Weblog


本居宣長。

宣長が成されてきた仕事について、いくらか思いつくままに。

まず宣長が伝えてくれる仕事の取り組みとして大事なのは古典などの文献においては、直にその書物に当たる事という事です。特に和歌の分野において。宣長は和歌においては新古今和歌集が心と言葉と事が一つとなって現されている頂点としています。ただ面白いのは、その新古今和歌集を真似てもダメで、その新古今和歌集を現した人たちが熟読していた万葉集・古今集・後撰集の三代集に直接あたりなさいと言います。これはある思想や学問において、その到達していった学問の背景やプロセスを考えていく事が、本当の意味で理解していく上で大事な事と同じです。

当時は公家を中心とした解釈が盛んであり、そこから何々流というものが生まれ、その流派の秘儀がわからないと和歌は詠めないとか、理解できないといったことが常識になっていたようです。そういう風潮に対して宣長は、そんなバカな話があるか、和歌は直接読んでそこで心がどう動くかが和歌において最も大事な事であり、何々流の師匠の教えを受けないとわからないなんてことはないと断言しています。そこにあるのは独立独歩の精神であり、独学の精神であり、独立した個人が堂々と和歌の世界に向き合う自律した精神です。ある意味、パンクやハードコアの世界でいうDIY(Do It Yourself)精神をそのまま体現されているようで、時の権威に動じない強さと自分でやるという独立した強さを宣長から感じるのです。

また、古事記伝を探求するにあたって、本当に多くの文献に宣長はあたっています。それは学問とはほど遠い、霊的なものから、トンデモ系まで、かなり広範囲のものにもあたっていた節があります。それは神の世界を記す古事記についての探求ですから、当然神様だとか、伝説だとか、宗教的なものには触れざるをえないでしょう。しかし、宣長はそういう世界をわかっていたはずなのに、あえてそういう胡散臭い表現をしない、むしろ排除しているように感じるのです。古事記に書かれている言葉をそのままに読む。そしてその言葉が他の古代の文献にどのように使われていたかの語源学的な探求に終始している。

こういった姿勢が自分にはとても面白く感じられるのです。というのも、古事記に関わる本においては解釈本があまりに多く、しかもそれは学問的な事を通り越して、むしろ霊的な世界の解釈本として秘儀だとか、秘密としての方が多く出ているからです。それは宣長の弟子と自称していた平田篤胤の影響などが大きそうですが、宣長自身はそういう世界をわかっていてもあえて表現しないで、表現していたと考えられるのです。

わかっていてもあえて直接的には表現しない。それは表現すると解釈や対象化が起きるのを見抜いていたからではないか。宣長が痛烈に批判していた漢意(からごころ)というのは、何でも対象化して解釈する姿勢のことです。だから宣長は自身の学問の姿勢としては、インプットとしては古典でも何でも直接その文献にあたる、アウトプットとしてはわかっていてもあえて表現しない事で、解釈や対象化がなるたけ起きないように、心がけていたのではないでしょうか。

古事記伝そのものは古事記の解釈本です。が、そこで成そうとしてたのは古事記の言葉をそのままわかるための語源学的なアプローチであり、巷にあふれる解釈本とはその質も分量も桁違いです。こういった一貫した姿勢で仕事をしてくれた事が、曖昧模糊としてしまう古事記の様な世界を、変に汚す事なく、ありのままの姿で現してくれた。もちろん、こういったある意味、余計を排除した学問の取り組みとその表現は、医師として人間に向かい合っていた事と無関係ではないはずです。

余計を排除する。その余計を生まないためにあえて表現しないという、表現がある。この事、今のような時代だからこそよく考えなくてはいけない事ではないでしょうか。
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