玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

エチオピアとシリアの情勢によせて

2018-10-29 19:24:26 | Weblog
最近の国際情勢においては、ある方向性一辺倒で、報道の取り上げ方や、そこからの影響など、いろんな方向から考えても、うんざりする事ばかりである。しかし、そんな中でも、エチオピアの女性初の大統領の誕生や、シリアの国立博物館の6年ぶりの開館には、今までにない希望を感じます。

(AFPBB Newsより)
閣僚半数に女性起用のエチオピア、史上初の女性大統領を全会一致で選出

エチオピアには2001年11月10日に首都アジスアベバで開催された、NPO高麗とエチオピア政府の共同主催の”いだきしん エチオピアコンサート「天命」”への参加で訪れました。メスケル広場というアジスアベバの中心の広場で開催されたこのコンサートは主催者発表で11万人の人が訪れ、いだきしん氏の即興演奏といだき氏により撮影されたエチオピア全土の映像が同時に流れ、またエチオピア国立舞踊団とのコラボレーションのパフォーマンスもあり、まさに人類発祥の地と言われるエチオピアに相応しい荘厳なコンサートでした。

人類発祥の地と言われる所以は発掘されたルーシーと言われる女性の人骨が現段階では最も古い人骨とされているからである。そのエチオピアにおいて、女性の大統領が誕生したというのは、何か人類史的なものを感じます。エチオピアでの大きなイベント事の多くはトラブルだらけで、場合によっては暴徒化し、警察や軍が出る事もあるといいますが、自分もこのコンサートに参加して驚いたのは、現地のエチオピアの人たちは本当に穏やかにこのコンサートを楽しみ、何よりも日本から来た我々を大歓迎してくださると共に、敬意を表してくれる方が本当に多かったのが印象的でした。エチオピアの人たちのもつ本質とその歴史性、精神性を音楽と映像でありのままに表現されたコンサートはエチオピアの人たちのプライドを呼び起こし、そのことがジワジワと醸成していき、だんだんと芽が出始めているのかもしれない、もしそういう影響があり、現象化しているのだとしたら、こんなに嬉しい事はありません。


(AFPBB Newsより)
シリア首都の国立博物館、6年ぶり開館 ISが破壊の像も修復し公開

またシリアにおいては、よくぞここまで持ちこたえてくれたという想いと、そしてその復興が少しずつなされている事が本当に嬉しいです。2015年にはパルミラ遺跡も破壊されてしまい、そのパルミラの博物館の館長が殺されてしまいましたが、そのパルミラの遺跡のライオンの像が復元され、今回展示されたことは、パルミラにおいて最も重要な文化財は事前に隠し、まさに歴史を守ったパルミラの館長の魂に報いるものであり、シリアの復活に相応しい。シリアは古代において思想、宗教、文化の要の地であり、特に自分はイスラム思想において最も重要な一人とされるイブン・アラビーの最後の地とされるダマスカスにとても惹かれています。存在一性論という神秘主義と存在論を一つにした、ある意味、人類でも稀に見る境地に到達した思想家の存在の痕跡が残るシリアです。まだまだシリアの現実は大変であり、国際情勢的にも落ち着いたとはいえません。しかし、今回のニュースの様に、文化的なことの復活を世界に大きくアピールすることは、世界だけでなく、シリア国内においてもとても大事なことと感じます。精神性を重んじる人たちは必ず復活し、復興を成し遂げる。その事を実証してくれたのは、何と日本人であり、その日本から多くを学びたいと、シリア人の多くが捉えているというから驚きです。日本人も今忘れてしまっているこういった精神性を取り戻す事が急務であることは言うまでもありませんが。
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全体

2018-10-13 10:57:16 | Weblog


全体。

体が全てということ。
全体という世界がどこかにあるのではなく、今ここにある体が全てということ。
その体が何を感じ、どう動くかが全てということ。
ひとりひとり違う体。感じること違う体。どう動くかも違う体。

何をわかっているかで動きが変わる。
何に気付いているかで動きのスピードも変わる。
関心、配慮、一貫性。

全て体でやっている。
全て体で起こっている。

大変な時代、危機的な時代の今。
だからこそ大事なのは体。今この瞬間瞬間、働く体をわかること。

世界とはひとりひとりの体のこと。
世界をわかる唯一の手がかりはこの体。
だから世界を良くするとは、
世界を平和にするとは、
ただ自分の体をどうするかだけなのかもしれない。

もっとも難しい問題の答えは、実は
もっとも身近なところに答えがあるのかもしれない。
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本居宣長〜医者として〜

2018-10-08 14:04:23 | Weblog
 

本居宣長。

古事記や源氏物語、和歌などのいわゆる国学の大家として知られているけれど、その本職としては医者、それも啞科の医者で現代でいうなれば小児科医。とはいえ、子供だけでなく婦人から老人など、全ての人を診る今でいう総合診療医のようであったようです。

そのことを国学者だけでなく医者としての本居宣長を総合的に研究した『本居宣長〜済世の医心〜』(髙橋正夫著 講談社学術文庫)より、備忘録的に抜粋します。

まず、宣長が医者として学び始めた時代背景ですが、当時の医学の中心はもちろん東洋医学。とはいえその時代背景的には伝統的漢方医学の到達点と言われる李朱医学に対して、復古医学(古医方)の擡頭があり、それに加えて、蘭方(オランダ)医学の輸入と進展があり、それを体現する人達、すなわち山脇東洋吉益東洞前野良沢杉田玄白といった人達の思想や学説が激しくぶつかり合っていた時代だったようです。

その様な中で宣長がどんな学びをしていたのか、大変興味があります。彼の日記などにどのような本を読み、学んでいたのかが克明に書かれているそうで、その総数は百四十九種にも及ぶ医書名が記載されているそうです。その中から、重要な医書としていくらか紹介します。

まず五大医書とされる
素問(そもん)』
霊枢(れいすう)』
難経(なんぎょう)』
金匱要略(きんきようりゃく)』
甲乙経(こうおつきょう)』

それから李朱医学東垣(とうえん)十書と言われる、
内外傷弁惑(べんわく)論
脾胃論
局方発揮
『㴑洄(そかい)集』
『脈決』
湯液本草(とうえきほんぞう)』
蘭室(らんしつ)秘蔵
格致(かくち)余論
此事難知(しじなんち)』
『外科精義』

さらに『薛己(せつき)十六種』(「薛立斎医書十六種」)として、
『婦人良方』
『保嬰撮要(ほえいさつよう)』
明医雑著
『内科摘要』
『外科枢要』
『小児直訣(じきけつ)』
原機啓微(けいび)』
女科撮要
『癩瘍(らいよう)機要』
正体類要
『小児痘診(とうしん)』
『保嬰精要』
口歯類要
『保嬰全鏡録』
『傷寒全鏡録』

その他にも、
『医方大成』
『医宗必読』
『衛生易簡方(いかんぽう)』
『救急方』
『食医必鑑』
『臓器本草』
『法生(ほつしょう)堂経験方』
『仲景傷寒論』
病源候論
名医類按
嬰童百問
『全幼心鑑』
『梅師集験方(しゅうげんぽう)』
『寿世保元(じゅせいほうげん)』
傷寒槌方(ついほう)』
『朱子集験方(しゅうげんぽう)』
『小児要訣』
『斗門方』
『鍼灸聚英』
『丹渓怪痾単』

などなど。今では手に入らないものも多いのではないでしょうか。

啞科と言われる由来は自分の症状を正しく言えない子どもに対して、当時つけられた医科名のようで、宣長は自分で自身の状態を表現できない人を助けるために、というよりも人の状態を察する事が出来た故に小児科として開業したのかもしれないと考えると面白い。その事が古事記研究や和歌論にいたる言葉の探求と実は関わりがあるとするならば、どこか人の本質や病の本質に気付いていたのかもしれないとも考えられます。古事記において、古語(ふること)をわかること、正しく神のことなどをわかること、また和歌により自分の心をありのままに表現する事を提唱していたことは、医師として数々の患者に向き合い、そして治癒していった経験が統合され、そこから人間にとっての健康、人間にとって何が必要な事なのかの実証と実践だったのかもしれません。
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海の底

2018-10-07 10:16:20 | Weblog
前回に引き続き、井筒先生との対談本の中からの紹介。

ユング派心理学者のジェイムズ・ヒルマン氏と共に河合隼雄氏が対談に参加されていて、その河合隼雄氏の昔話に対する分析から以下のように語られているのが大変興味をひきました。

まず前提として以下のように語られます。
「メタフォリカル(隠喩的)に言うと、西洋人の”目”は意識のなかにありますが、東洋人の”目”は、いわば無意識のなかにあるとさえ言います。」

そして昔話が例として引用されます。
「昔話のなかに、主人公が海底の国を訪ねる話が洋の東西を問わずにありますが、そのときに、西洋の物語は陸地の方から見た話として語られるのに対して、日本の物語は海底の方から見た話として語られるというのです。つまり日本人は海の底からものごとをみてるというわけです。」(井筒俊彦著作集 別巻 中央公論社)

この海の底は無意識のメタファーとも言えます。無意識から見る感覚。その例えとしての昔話では主人公は海の底に行き、そこで物語を展開させていく日本人の感覚は改めて考えると本当に不思議です。海の底には何があるのでしょうか。

科学的には昨今では深海の調査が少しずつ進み、未知の魚や古代魚がたくさん見つかっているようです。もしかしたら公にすることができない、全く未知の生物が発見されているのかもしれません。沖縄近海には海の底に沈んでしまっている遺跡が発見されているし、プラトンにより記述されたアトランティス大陸はいまでもどこかの海の底にあるのかもしれません。海の底に住む地底人のような存在を予測する説もあるくらい、未知の空間、海の底。

この海の底は全く見えない世界でもあり、それが無意識の世界とも重なっていきます。海の底を考える事は人間の無意識を考える事にもつながり、海の底のことが語られることは、人間が意識的にも無意識に押し込んできたある何かが開放されていくことにもつながるのかもしれません。

実際、この対談の最後の方でユングが語った事として、
「”神々は病に転身した。そして(病人たちの)病気を通じて帰ってきた”と」

と語られています。ここでいう病とは精神系の疾患のことです。神々は無意識の世界に引っ込み、時おり顔を出すとも。

海の底、無意識、そして神々の存在。意識、無意識という言葉で現される人間の深遠なる内面の世界。昔話として当たり前に語る日本人こそ、この深遠なる世界を感覚的にわかる、稀有な存在なのかもしれません。深海探査機を世界でも稀なる技術をもって作ってしまう日本人。海の底にやたらに惹かれるのには何か深遠なる理由があるのかもしれません。

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中心と焦点

2018-10-06 11:08:38 | Weblog


井筒俊彦先生の対談本がとにかく面白い。

一流の学者同士の対話に興奮させられます。何より相手のもっている深い教養を対話によって引き出す井筒先生の話の持って生き方は、言葉の探求者の実践を目の当たりにしているようで、多くを学びます。

いくつか心に残った話として、ユング系の心理学者で『魂のコード』の著者であるジェイムズ・ヒルマン氏とユング系心理学者の河合隼雄氏と井筒先生の三人の対談において、ヒルマン氏が日本の庭園に行って深く感銘をうけ、そこで気づいた中心と焦点の違いについて、こんな話をしています。

「日本の庭は、ヨーロッパの造形的な庭園のような中心をもっていないようですね。庭中のどこに立っても、たちまちそこに、新しい焦点が現出する。至るところに注視の焦点があり、別の展望が開けています。ところが、俯瞰的全望が、全体の景観が、一望にできるような場所はどこにもない。”中心”はどちらかといえば抽象的、客観的、、つまり、デカルト的世界に、いわゆる”外在”するものです。ですが、焦点は展望的視野の中に我々(感覚主体)を巻き込み、組み入れ、したがって我々は庭の一部になります。しかも視点はいつも自在に移動しますからね。」(井筒俊彦著作集 別巻 中央公論社)

ここに指摘されていることは西洋的な視点と東洋的な視点として理解することができます。西洋の、特に心理学や哲学の分野において、東洋思想に自分の思想の展望を見る人はユングを含めて、多くおられます。逆に河合隼雄氏や井筒先生は東洋人である我々が西洋の思想を理解する事は言葉にならない体験や理念的な事を言葉や概念化するためには必要であると述べられています。

この”中心”と”焦点”の話はそれにしてもこれからの時代においてはとても示唆的です。ヨーロッパの庭園は中心を設定して、その中心に合わせて庭園の部分部分をつくっていきます。日本の庭園は全体で一つであり、全体が中心なのです。このことを時代的な事として考えていくと、今までの時代はどこかに中心があり、それをわかり、外さない事が大事とされてきました。中心に合わせていくという事です。しかしこれからの時代は個々が中心となり、個々がそれぞれのいる世界で全体でひとつである働きを展開させていくことが望まれています。これらのことを庭の例えを使って、”中心”と”焦点”という言葉で表現されていることをこの対談で知り、腑に落ちてきました。この対談は1983年に行われたものです。がこの対談で話されている事は普遍的なことでもあり、未来的でもあり、今に活きる貴重な言葉に満ち溢れていました。真の学者ここにあり。

何よりもこういった話を魂の心理学者と言われるヒルマン氏がしていることが重要です。21世紀は知性・科学の時代というよりも、実は魂の時代になるのではないかと自分は考えています。だから一人一人の中心に在るとされる魂のことをわかること、ましてその魂に働きかける根源的な存在が現れ出ているともいわれる今の時代です。真の言葉、真理、真実こそが魂を成長させる、そのことを実感するこの対談です。
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