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玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

マツリゴト

2014-04-20 12:43:03 | Weblog


対えるモノのを一つとし、実態となすのが全体という事。
人間、男と女。
光、波と粒子。
マツリゴト、祀りと政り。
神話においてのヒトあるいは神、ヒコとヒメ。
陰と陽。
その対は永遠に循環し、そして新生し続ける。

現代の問題の全てはマツリゴトにあり。
マツリゴトを疎かにし、その本質を忘れたことにあり。
一方だけを重視し、コトをなし続けた事により、カタチだけのヌケガラ社会を生んでいる。
人間の本質を現すマツリゴト。その始まりは祀りにあり。
祀りがあり政りがある。今は政りがあっても祀りは重きをおかれていない。
その結果、ヌケガラなる間が世を闊歩し、単なる欲を生命の要求と勘違いし、妙なる世界をつくる。
しかしその世界にあっても祀りのカタチを伝統とし守り続ける人や場所がある。
カタチや儀式だけでそのナカミがなくとも、それでもカタチが残っている、その事が大事である。
京都に今でも残るその伝統、カタチ。
長い長い時の流れにありながらも、よくぞ守り通してくれた、と何とも言えない感謝の念に満たされる。

今、マツリゴトの再生、祀りの新生の時。ナカミを呼び、取り戻す。
その動きは今のバランスを大きく崩す破壊の体をなしながらも、本来であり新たなバランスを創造する動きとなる。
何をやっても誰がやっても活きない何かが意味あるモノとなしていくはじまりとなる。
マツリゴトの復活の時、今。
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一即多即一

2014-04-12 15:01:02 | Weblog


存在と存在者。
人間は現存在であって存在者ではない。存在者は対象化されたあるモノ。モノは者でもあり物でもある。
生命の働きは瞬間瞬間の連続。一度たりとも同じ状況はない。近くともそれは似て非なるモノ。
頭は記憶する。しかし記憶はその全体像をイメージしてるだけで、実態は常に変化していることを生命はわかっている。

「『天台山徳韶国師、一日僧の浄慧禅師に左(下)の如く問い、左の(下)如く答えられて豁然開悟したという。
『如何なるか是れ曹源の一滴水。』
『是れ曹源の一滴水。』
これは全くの同語反復であるが、決して同義反復ではない。AはAである。しかしAはA(a1,a2,a3…)である。つまり一即多即一。還ってきたAが既に質を異にしていたように、既にそこに在る一は、それであると同時に、それでないことで、それである。」(『事象そのものへ!』p46 池田晶子著 法藏館)

現象の本質を端的に表現されたこの文章に感動する。以前読んでわかったようでわからなかった文章。今はよくわかる。
移ろいゆく生命現象を固定化して捉える事はできない。全てはプロセスであること。確率論的にしか実態を把握できないと結論づけた量子力学の知見もその理解を深めてくれる。

この世に存在するあらゆる生命あるものはその生命現象によって、何を現しているのか。在る事が現れなのか。存在論の極致を”生成”と表現したハイデガーの真意は何なのか。固定化した答えをだすのではない、表現し続けることで、現れてくるそのものを捉えていくこと、これに尽きる。プロセスを実感す。今日はそういう事。
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科学とは?

2014-04-10 21:19:47 | Weblog



STAP細胞をめぐる一連の動き。
昨日小保方さんの記者会見が行われた。

1月以降、マスコミの執拗な張り込みがあり、一人で出歩くのがまま成らない状況になり、しかも今回の理研の発表があってから、共同執筆者と一度もまともに顔も合わせられず連絡もとれない、そして研究所にも行けない状態にあった事を告白されている。この状況は明らかに異常である。また直接本人とあって問い質さず、決めつけの様にして裁断した理研の在り方。弁明の余地を与えないで判決先にありき。これって自白強要のえん罪に構造が近くないか。極めて官僚的であり、同時に何かの力が働いたのかと疑わざるをえない。

またこれとは別に本質的な事はやはり科学的な検証であろう。ただ研究所にも行けない環境でどうやってデータを出し、検証しろというのか。肝心要の自由を先に奪ってただ一方的に責め立てているとしか見えない。場所を奪って再考の機会を与えずに判決先にありき。一度失敗したら二度はない…これって今の日本社会そのものではないのか。完璧を求める妙な潔癖感というか。いや、それは科学の世界では許されない事なのですよ…この科学倫理をもっともらしく言ってる人そのものが一体何者で何をしている人なのか問いたい気持ちになったのは俺だけでしょうか。大体いつも同じ人が出てきてしゃべっている。原発事故の時にこの学者という人達にどれだけふりまわされた事やら。。日本の科学のレベルとは、学会のレベルとは、本当はどうなのでしょうか。

それと全体的な風潮として科学の本質を忘れている気がする。合理的な解の前にたくさんの不合理があることを。特に新しい発見なのである。今求められているのは帰納的に真理に到達する事。そのための実験データが導きの根拠となる。小保方さんの今の状態は演繹的である。STAP細胞があるという真理を先に宣言してしまっている。もしかしたらこの方は天才で職人的にSTAP細胞を造る事ができるのかもしれない。そういう人なのかもしれない。だから途中の実験データの記録収集にはあまり熱心ではない。こういう事は現代の科学と言われる世界では受け容れられないだろうけど。

それと一部で言われている、中国でSTAP細胞の検証は失敗してこれはないとしておきながら、実は成功していて、それを名前を変えて自分達の研究として先に特許を取ってしまおうという動きがあるとか、一部の巨大製薬会社がこんな簡単にできる万能細胞ができてしまったら病気はどんどん治癒され、製薬会社そのものの存在意義がなくなってしまうので潰しにかかったとか、、マスコミ報道が過熱する背景にはスポンサーが絡んでいるのは言うまでもない。スポンサーに多いのは製薬会社、保険、証券、クルマである。当然これらにマイナスな事は取り上げません。はたして陰謀論として簡単に排除できるだろうか。

さて、そもそも科学とは何なのでしょうか、真理とは何なのでしょうか、
科学の時代に生きている我々一人一人がこの事をちゃんと考えなくてはいけない、これが今回の一件から問われている一番大事な事なのかもしれません。
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エイプリルフール?

2014-04-01 16:14:21 | Weblog


今日理研の動きがありましたね。
同時に小保方さんもコメントを出しましたね。
実際はどうなのか素人にはさっぱりわかりません。
ただ大々的にねつ造してまで発表して誰が得をするのでしょうか。
自己アピールでこんな大掛かりにねつ造する人が日本人の研究者にいるとは想えません。ましてリケジョと言われる女性です。ちょっとリケジョにしては目立つというだけで、基本的にはリケジョはみんな真面目です。逆に今回の件で小保方さんを守ろうとした男性研究者が一人もいないのが気がかりです。別の見方をすると、女性を盾に自分の身を守ろうとしてるかのようにも見えます。特に組織。今回の理研の男性諸氏にいいたい。今回の一件、皆さん、男らしくないぞ!と。。若輩の身でしかも女性です。ただでさえ科学界には少ない女性研究者なのです。率先して男が、上の者が守ってあげなくてどうするんですか!こういう組織が実は今、たくさんある気がする。失敗した当人を責めるだけで責めて、その責任はこいつですとして、組織として守ってあげることをしない。この事は日本の今の現実として実は根深いと考えてますし、一番気に入らない部類の話でもあります。また、このSTAP細胞に関しては、ねつ造だろうとなんだろうと、こんなに希望のある新しい研究をやめる事だけは絶対にあってはいけないと考えるのは私だけでしょうか。またわーわー騒いで大事な事が何か隠されているようにも感じる。まさか、今日の一件全てがエイプリルフールというわけじゃないでしょうね。。まさか…。
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