玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

確信にみちた言葉〜岡潔先生より学ぶ〜

2021-09-26 12:40:34 | Weblog

(岡潔先生「奈良女子大 岡潔文庫HPより」)

世界的数学者である岡潔先生。

独立数学者の森田真生さんがその功績を顕彰するように岡先生の事を何冊かに渡って書いておられます。この森田さんもかなり独特な研究者で、その人生の土台に、数学だけでなく、あの古武術家の甲野善紀さんから実際にその武術を身体で体感するということを確か中学生くらいの時に経験されたという。ただ頭だけで思索するのではなく、必ず身体を通してするので、「数学する身体」という著書も書かれた方で、理性だけでなく数学は情緒を表現するものとされた岡潔さんに共感する理由がわかってきます。

今、混迷の時代にあります。何が本当で何がおかしいのか。おかしいと感じていてはいても、誰の言葉を信じていいのか。正に混濁した時代にあります。そういう時代だからこそ、確信にみちた、はっきりした言葉を求めます。あの小林秀雄さんとの対談で、小林氏に「あなたは確信したことばかり書いておられますね」と言わしめ「それで私は心を動かされた」とまで言わしめた岡潔先生の言葉。それはやはり数学者であるということ、しかもある分野を極めた方であるという事が根っこにあるのかもしれません。”多変数函数論”という正直全く未知の数学の世界。一体どういう内面の世界が広がっていたのだろう。

最近、その岡潔先生の『情緒の教育』という本を読んでいて、おそらく1960年代後半に書かれた教育論を読んでいて、そこで危惧された以上の状態に今の日本はなってしまっていることに愕然としました。多くの事が失われてしまっている現代日本です。でも岡潔先生が大事にした情緒を取り戻し、日本人の最も日本人らしい情緒、感性を取り戻すに当たって、今一度岡潔先生の言葉に触れ、見直すところは見直すことは何より大事な事と考えます。何より、最も日本的な情緒を極めた人が、世界でも突出した数学者としてその名を残しているのですから、何が大事なのか、よくよく考えなければなりません。少し長いですが、感動した文章を抜粋します。


「いまの義務教育はもう胃ガンと同じ症状を見せている。手遅れでないとはいい切れない。治療法としては、直ちに切開して「疑わしきは残さず」の原理によって「人」も「学科」も「やり方」も清掃してしまうほかはない。何よりもます、動物性を持った者を教育者にしないことである。

「闘争性、残忍性、少しでもそんなものがあってはいけない。師弟は互いに敬愛すべきであって、大自然の子を畏敬尊崇できない者は小学校に師たるの基本がかけているのである。ともかく人の子という敬虔の念なしにやっている者は、教師でも学科でもみな削り、残った者だけで教育をやればよいのである。極端なことをいうと思われるかもしれないが、少なくともこれぐらいにいわなければ問題の所在はわかってもらえない状態にある。

「敬虔ということで気になるのは、最近「人づくり」という言葉があることである。人の子を育てるのは大自然なのであって、人はその手助けをするにすぎない。「人づくり」などというのは思い上がりもはなはなだしいと思う。」

「動物性の侵入を食いとめようと思えば、情緒をきれいにするのが何よりも大切で、それには他(ひと)のこころをよくくむように導き、いろんな美しい話を聞かせ、なつかしさその他の情操を養い、正義や羞恥のセンスを育てる必要がある。

「そのためには学校を建てるのならば、日当たりよりも、景色のよいことを重視するといった配慮がいる。しかし、何よりも大切なことは教える人のこころであろう。国家が強権を発動して、子供たちに「被教育の義務」とやらを課すのならば「作用があれば同じ強さの反作用がある」との力学の法則によって、同時に、自動的に、父母、兄姉、祖父母など保護者の方には教える人のこころを監視する自治権が発生すべきではないか。少なくとも、主権在民と声高くいわれている以上は、法律はこれを明文化すべきではななかろうか。

「いまの教育では個人の幸福が目標になっている。人生の目的がこれだから、さあそれをやれといえば、道義というかんじんなものを教えないで手を抜いてるのだから、まことに簡単にできる。いまの教育はまさにそれをやっている。それ以外には、犬を仕込むように、主人にきらわれないための行儀と、食べていくための芸を仕込んでいるというだけである。

「しかし、個人の幸福は、つまるところは動物性の満足にほかならない。生まれて六十日目ぐらいの赤ん坊ですらすでに「見る目」と「見える目」の二つの目が備わるが、この「見る目」の主人公は本能である。そうして人は、えてしてこの本能を自分だと思い違いするのである。それでこのくにでは、昔から多くの人たちが口々にこのことを戒めているのである。

「私はこのくにに新しく来た人たちに聞きたい。「あなた方は、このくにの国民一人一人が取り去りかねて困っている本能に、基本的人権とやらを与えようというのですか」と。私にはいまの教育が心配でならないのである。」(『情緒の教育』より「日本的情緒」から抜粋)


これは敗戦からGHQの占領を経て、様々な制度が大きく変わる時期に対する岡潔先生の危惧が述べられている。本能むき出しの動物性を戒め、抑制することで、人間は人間となり、そして情緒を育む事でさらには豊かな人間になっていくことをずっと説いておられる岡潔先生。情緒を育むには幼少期がとても大事であり、その時期にこそ大自然の豊かさに触れること、他者に対して抑制することを覚えさせることの重要性が説かれています。

今の時代のことはあまり言いたいくはないけれど、ここで表現される”動物性”むき出しの人間がいかに多くなっていることか。それは男女関係にも、友人同士にも、さらに言えば国家対国家に対しても言えることである。

現代の状態に対しておかしいことは誰もが感じている中で、森田真生さんのような方が現れてきていることは希望です。しかもその最も影響を受けたのが岡潔先生であるとされていることも頼もしい。こういった共感、共有をどんどん増やして、本来の日本的情緒を育み、広げていく事がこの国をどんどんたくましくしていくのではないでしょうか。その端緒として、確信に満ちた言葉に触れること、自分の身の言葉にしていくことが何よりも大事だと考えています。気づきと、感動から変化は始まる。
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