玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

琵琶湖の秘密

2018-01-20 14:29:35 | Weblog


ホツマツタヱが面白い。

古事記、日本書紀の原典ではないかとも言われ、様々に論議されている曰く付きの謎の書。真偽がどうであれ、このホツマツタヱにおいて、ある人達がこのクニのひとつの歴史を伝えようとして書かれたことは間違いない。特に惹かれるのはその文体が五七調で書かれていること。語呂が良く、また言葉そのものに格調があります。ホツマツタヱの他にミカサフミ、フトマニと言われる文献があり、それらを称してヲシテ文献と呼ばれてます。

このヲシテ文献に伝わるアマカミと呼ばれる天皇に連なるクニを治めるリーダー。その初代はクニトコタチ。以下は、

初代:クニトコタチ
2代:クニサツチ(トホカミヱヒタメ)
3代:トヨクンヌ
4代:ウビチニ・スビチニ
5代:オオトノチ・オオトマヘ
6代:オモタル・カシコネ
7代:イサナギ・イサナミ
8代:アマテル
9代:オシホミミ
10代:ニニキネ/ホノアカリ
11代:ホオテミ/ニギハヤヒ
12代:ウガヤフキアハセズ

ここまでがカミヨ(大昔の世)と言われ、それ以降がヒトノヨと言われます。

第一代:タケヒト(神武)
第二代:カヌガワミミ(綏靖)
第三代:タマテミ(安寧)
第四代:スキトモ(懿徳)
第五代:カヱシネ(孝昭)
第六代:タリヒコクニ(孝安)
第七代:フトニ(孝霊)
第八代:クニクル(孝元)
第九代:フトヒヒ(開化)
第十代:ミマキ(崇神)
第十一代:イクメイリヒコ(垂仁)
第十二代:ヲシロワケ(景行)

この第十二代のヲシロワケは日本武尊で知られるヤマトタケの父である。

クニトコタチが建国した当時の日本の名称はトコヨクニと呼ばれていたそうです。そして、その建国の中心地は、何と今の琵琶湖の湖岸だったようです。そのことをフトマニは以下のように記しています。元の字はヲシテ文献独特の字で、それをカナ表記で表すと、

「ハツニヲウミノ 
 ヱトノコノ ヱミコアニツギ
 ヲウミタス オトミコノスム
 トシタクニ コレイマハラノ
 ミヤノナモ トシタトイイテ」
 
(「クニトコタチの次代を継ぐものは、ヱトの子、すなわちヱノミコトとトノミコトの二人が秀でていた。ヱノミコトはクニトコタチ(ア)の後を継いでヲウミ(琵琶湖地方)を治めた。弟のトノミコトはトシタクニのトシタミヤにて治めた。のちのハラノミヤ(ハラミノミヤ)である。)

これらはヲシテ文献の研究者である池田満氏の著書『縄文人のこころを旅するーホツマツタヱが書き直す日本古代史ー』より抜粋しています。ずいぶん前に揃えたこれらの書物が今になって気になり始め、その内容が以前よりもよりわかるようになってきてます。何よりも琵琶湖が建国の中心地であると書かれていることの重要性はこれからさらに明らかになっていくことでしょう。また7代のイサナギ・イサナミは比叡山にある日吉大社にてクニを治めたと言われている事も気になります。

さて、クニトコタチが建国したというトコヨクニ。それがどういうクニであったのか。その事を池田さんの『縄文人のこころを旅する』から引用します。

「トコヨクニはヲウミを中心として建国された。現代での琵琶湖の湖岸地方である。トコヨクニの名称の意味は古いヤマトコトバを解きほどいてゆくと解り易い。古い言葉になるにつれて、一音一音がそれぞれに大きな意味を持つことになる。トコヨクニとはすなわち、(ト)トノヲシテに基づいて、団結(コ)してクニとなしゆくことが良き(ヨ)こと、の意にも解釈できそうである。〜」

「トコヨクニでの社会に充満する空気は、そこで流行していた踊りを知ると解りやすい。〜 つまりトコヨの踊りとは”ナガサキ”(汝が幸福・あなたのお幸せ)のためだったのである。他人の幸せを祈り、「何かお役に立つことができれば」この思いが”ナガサキ”である。そしてこの極まりの位置にトノヲシテが成立した。」

「トコヨクニ成立の当時、お祭りで諸人が集うときの踊りが”ナガサキ”であった、ということになる。祖先の人々は、楽しいとき、悲しいとき、事あるごとに集った際の踊り舞う主題が、相手の幸せを願うこと、この目的にあった。踊りであれ、歌であれ、原点としての人々の出会いの根本が”あなたの幸せのために、何かをどう、足しましょうか”

「百人のうちの三人がこんなお人好しの人だと、うまいように甘い汁だけ座れるのが落ちである。しかし、百人のうちの九十七人がこのお人好しのミヤビの心に溢れているとなると、社会のゆく先は一八〇度変わってくる。それがトコヨクニの建国当時の日本の姿だった。今から六千年ぐらい前のことになろうか、あるいはもっと古い次代である可能性もある。正確にトコヨクニ建国の年代を確定してゆく方法は、考古学との照合が不可欠となる。ともかく六千年ぐらい前かあるいはもう少し古い次代に、トコヨクニの建国はなされた。そこには”ナガサキ”の踊りに明け暮れる、ミヤビの心に満ちた社会が形成されていた。」

トノヲシテとはトコヨクニの建国の精神と伝えられます。これらの事は1つの仮説であり、解釈や思いも入ってることがわかります。それでも、こういった古代の建国についての仮説は、今に伝わる歴史とは違う別系統の歴史を伝えることもあり、そのことでとても注目しています。ホツマツタヱに関しては多くの方が言及されていますが、ホツマツタヱを初めて世に問い出した松本善之助さんへの偉業を讃え続け、その意志を継ぎながら、学術的に質を高めようとし続けている池田満さんの著書こそがヲシテ文献の基本図書と考えます。

縄文時代に対しての見方は昨今、どんどん変わってきています。今後、考古学的発見などがなされることで、歴史が180度変わってしまう、そのような事が起きるかもしれない時代に生きる今です。歴史の発掘、発見こそ、AI・人工知能の時代になっても人間にしかできない事ではないかと、これらの事を書いていて、ふと浮かんできました。まだまだ明らかになっていない、埋もれた歴史はたくさんあるはずです。全く思いもよらない歴史の真実、真相が明かされていく機運を今年は感じています。

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悪を超克

2018-01-07 10:42:28 | Weblog


現代の行き詰まりについて考えさせられることが多い年明けです。それは新聞や報道番組など見ていても明らかなること。

根本的な悪とは何なのか。それは生命を犠牲にすること、関係を断ち切ることにあると考えます。普通に生きていれば、誰もが仲良く生きていけるのに、そうならないのは、それ以外の要因の影響によるとしか考えられません。子供を見ていればそれはよくわかります。子供達だけならば、みんなで仲良く遊びます。その関係の良さを分断するのは親だったり、まわりの環境です。それはそのまま大人である我々の関係を悪くさせる要因がどこにあるかはわかってきます。ある番組で指摘しているのはこのお金を中心とした資本主義であり、戦争であるといいます。資本主義はこの世界的なお金をめぐる体制でもあり、戦争を起こす主体は国家です。

こういったことに対して、昨年末からずっと読み進めている大熊信行先生の『国家悪』から、深く考えさせらる言葉に多く出会いました。

〜国家悪という以前に人間悪の問題があり、国家悪とても人間悪を根元とする以外のものではあるまい。国家悪はわれわれの外にあるのではなくて、われわれの内にある。

悪の問題は外にあるのではなくて、人の内面にあると指摘され、それではどうその状態を解決していくかという思索によりひとつの答えが導かれます。

それは人間が真に人間らしくあることだ。

そして次のように言います。

われわれは自分のなかに人間悪を断たなければならない。それを断つことによって国家悪を断たなければならない。

われわれは国家に対する恐怖を断たなければならない。それを断つことによって国家の存在を超えなければならない。

悪の問題を自分自身の事として捉え、国家の起こす問題も自分のこととして捉えるこの考え方について、現代の問題について指摘する人達はどう考えるでしょうか。この『国家悪』は戦後すぐの1948年くらいから書かれた論文が集まった本です。敗戦後の現実にふれ、そこから日本のこと、国家について真剣に考え、向き合ってきたひとりの学者の言葉が、今ほど深く考えさせれることはありません。

こういったことを踏まえ、国について考え、さらには国をも超えることを考え、人間存在そのものについて考えることが、どれだけ大事なことなのかがわかってきます。悪を超克。ひとりひとりがそれについて考え、また何によってそれを成し遂げるのか、そのことを良く考える時に来ていると考えます。それはこの世を、この社会を終わらせないためにあるのは言うまでもありません。

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元旦

2018-01-02 18:18:13 | Weblog


新年明けましておめでとうございます。
2018年の幕開けは京都から。

京都全貌が見渡せる東山頂上、将軍塚へまずいってきました。ここはあの新田義貞公が足利尊氏との戦いで陣を敷いたところ。その戦いには勝利したとされ、また、多くの偉人達がここから京都全貌を見渡し、日本の将来について考えた場所と言われています。

 
将軍塚。


京都全貌が見渡せる高さにあり、空も近いです。


この東山山頂はあの青不動の絵で有名な将軍塚青龍殿。この青龍殿と京都全貌が見渡せる大舞台は圧巻でした。青龍殿の左奥に見えるのは比叡山です。ここは京都全体を考える、すなわち歴史を考え、日本を考えるに最適な場所です。

元旦の朝は人もあまりおらず、自分にとってはとても最適な場でした。あの新田義貞公はこの地から京都全体を眺め、どのようにその戦いを考え、または日本を考えていたのでしょう、歴史に思いを馳せる良い時間となりました。

そして下山して、毎年恒例で高麗ギャラリーカフェにて開催されるいだきしん先生のお餅つきに参加して、搗き立てのお餅が入ったぜんざい、その先生が焙煎されたエチオピアコーヒーを頂きました。ぜんざいは絶品。コーヒーはすっと身体に入ってきて、体全体を浄化してくれてるように、深く心地よい味わいでした。ぜんざいとコーヒーがこんなに合うとは毎年ながら驚いてます。

そしてここに来たら必ず立ち寄る通称八坂の塔。いつも京都に来る度に撮影してますが、今年はどうでしょうか。少し周囲を歩き、いろんな角度から撮ってみました。今年はいつもとその姿が違います。なんとも凛々しく清々しい。塔ながら惚れ惚れしてしまいました。












今年も始まりました。今日2日はスーパームーンだそうです。凄まじく明るく、存在感のあるお月様を見ながら、この文章を書いてます。夜の闇を眩いばかりに照らす月光。その光の元は太陽からくるものですが、この月光あってこそ闇夜をも動くことができます。この世はある意味闇。自分の気付きやわかっていくことを表現していくことがこの月光のようになっていったらいいなあと、ふと感じました。この太陽、月、そして月光の関係はある意味、象徴的です。昨年末から、なぜか、ふと見上げると昼間でもお月様を見つけるのです。見られているかのようです。昨夜の京都からの帰り、新幹線からもずっとお月様が見えていました。とても不思議な感じでいます。今年はこういう感覚を大事にしていきたいですね。今年もいろいろ書いていきますので、どうぞよろしく!
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