玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

気づき

2016-01-13 19:30:58 | Weblog
 
 
知れば知る程、知らない事を知る。
意味連関の果てしない連なり。どこまで続く事柄の真相よ。しかし我にできることは知ることのみ。知るといよりも「気づく」ことのみ。果てしない「気づき」の連続。気づけば気づく程、事柄の真相はあまりに当たり前で、何も隠れていなかったことに「気づく」。隠れていたのではなく、自分が見えなかったのである。
 
「…時として、突然、覆いが取り払われることがある。今まで隠れていたものが、一瞬にして露見する。それを体験する主体の側から言えば、すなわち「気づき」の瞬間である。一体何が露見するのか。言うまでもなく、事柄の真相がである。」
「「気づく」とは、存在に対する新しい意味づけの生起である。一瞬の光に照らされて、今まで意識されていなかった存在の一側面が開顕し、それに対応する主体の側に詩が生まれる。」
「「気づき」の意外性によって、アラヤ識にひそむ無数の「意味種子」の流動的絡み合いに微妙な変化が起こるのだ。「意味」機能磁場としての意識深層におけるこの変化が、次の「気づき」の機会に、新しい「意味」の連鎖連関を、存在体験の現象的現場に喚起し結晶させてゆく。「気づき」は日本的意識構造にとって、その都度その都度の新しい「意味」連関の創出であり、新しい存在事態の創造であったのである。」
 
 
「気づき」の深層について、正に痛快です。
井筒俊彦著『読むと書く』(「気づく」詩と哲学の起点)より。
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