玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

気持ち

2014-11-22 09:36:19 | Weblog


高倉健さん。
その知られざるエピソードがどんどん明かされる日々です。
とても印象に残っているのが、健さんは手紙をよく書かれていたというもの。

カマンベールチーズを定期的に買っていたお店の容器が変わったことで、味が変わったと感じた際に、手紙を書いて、味の変化を伝えたといいます。そのお店は健さんの指摘から、味の改良を一生懸命やったそうです。その改良を続けていく中で、健さんはすぐに味がよくなったことを手紙で伝えられ、お店がさらなる改良を続けた結果、今まで食べた中で一番美味しいとのメッセージを送られたという。そのお店には一度も顔を出した事はないのに、ずっと定期的に購入されていたそうですね。

もっと感動したのは、とある野球選手に対して、どうしても伝えたい気持ちが湧き、その気持ちをそのまま手紙にして、送ったそうです。その野球選手に対してこのように感じている人がいるんです、ということをどうしても伝えたかったのだそうです。

健さんから感じる大事な事は、自分の気持ちには正直である事、そしてその気持ちは表現し、可能であるならばその気持ちを相手に伝えるという事です。今、メールなどで連絡をとることは容易になっているけど、はたして、そこで自分の気持ちはちゃんと伝えているだろうか。当たり障りのないことだけで、本音を包み隠していないだろうか。

そしてメールとは違う手紙を書くという事。そこで書いた一文字一文字。これで良いのかな、これで伝わるかな、、と何度も読み返し、これで良し!となってもまだ大丈夫かなと、、それ程までに気持ちを言葉にするのは難しい。でも言葉がたらなくても、それでも伝えたいその気持ちを大事にするということ。メールとは違う、手紙という伝達手段。健さんの成されてきたことから、今一度見直してもいいのかもしれません。

気持ちは自然とわくもの。その気持ちは”好き”という気持ちだったり、”嫌”という気持ちだったり。中々全てを伝えられるものではないけれど、そういう気持ちが現れた事はそのまま受け容れ、伝えられる人には伝え、それができないのなら、それでも言葉にすること、書く事が何より大事です。言葉にしない事が心のモヤモヤをつくるのかもしれません。健さんのその潔さ、裏表のない筋の通った在り方はきっと自分の気持ちに素直に、そのまま現し続けたことからくるのでしょう。おそらく、表に出さなくとも、相当に言葉を書かれた方と感じます。

ただ、先日発表された健さんの死去の報を受けて、日本の大事な父の様な方を亡くした事による悲しみ以上の切なさを感じたのは確かです。ちょうど次回の作品を来春から撮り始める準備をしていたとのことだけど、健さんはもっと伝えたい事があったのではないか、その伝えたい事がカタチに出来ずに逝ってしまった何か無念さのようなものを感じ、自分の中で少しモヤモヤした感じが起きています。

人が病気になる本当の原因は何だと思いますか。
それは気持ちを押し殺しすことにあるといいます。ある人に好きと言えず、その気持ちを押し殺した事が、数十年後に病となって現れ出る。そういうことがあるのだそうです。伝えたい気持ちがあるのに伝えきれず、、もちろんそれは手紙の様なカタチから、映画という作品にしないと伝わらないこともあるのかもしれない。健さんは手紙を多く書かれ、その気持ちを欠かさず伝えてこられたけど、俳優として、映画人として、やはり大きな気持ちは作品を通して伝えたい人だったのではないでしょうか。作品に心動かなければ出演しない方だった健さんです。次の作品がどのようなテーマで作られる予定だったのか。気になるところです。

人の死そのものが大きなメッセージです。高倉健という時代を象徴する人が亡くなられたことで伝わることは、どこまでも”気持ち”を大事にすること、”こころ”を大事にすることに尽きるとおもいます。今、まるで真逆の様な事件がはびこる時代だからこそ、本気になって、このメッセージを受けとり、考えることが何より大事だと強く感じます。より人間らしい時代をつくっていかなくてはいけません。そして人として、丁寧に生きていくこと。高倉健さんの死から多くを学ぶ日々です。
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