日本人が古来より大事にしてきたのは身を清める事。
それは身体を清める事だけに限らず、魂を清める事にその本質があったといわれます。
心身という表現が身体と魂をひとつとしてきた日本人の本質を現しているともいえます。
その身体と魂を清める事を古神道では禊ぎといいます。
その禊ぎについて。
たまたま紐解いていた本に気になる記述がありました。
著者は神道天行居の創設者の友清歓真。元は大本の出口王仁三郎に学んでいたが、その後その教義に失望して大本を脱会し、独自の研究研鑽を積みある域に達した人。
曰く
「また秘事にわたることでありますが実はみそぎにも表裏二義がありまして、表の義は世人周知の如く水行(みそぎ)でありますが、裏の秘義はみそぎは耳注ぎ(みそぎ)の約でありまして、音霊のことなのです。」
要は水で心身を清める水行(みそぎ)よりもその本質は耳、つまりは音による清め祓いにあるというのです。この友清歓真の独自性はこの音による禊ぎ、その本質である音霊の発想にあるようで、その瞑想法はとにかくひたすら音を聞く事にあるといいます。よく”聞くことは効くこと”と耳の感覚の調整こそが心身を調えるという考えがありますが、それはこういった古神道から考え出されてきた事に元があるのかもしれません。この事は今後さらに調べていきます。
友清歓真は日本の和歌にも注目しており、「言葉の秘密は宇宙の秘密であります」という言葉もあり、人間存在の本質を言葉と音にみていたようです。あらゆる哲学の究極は言葉にあり、ハイデガーも「言葉は存在の家」と表現してます。
禊ぎは耳注ぎ(みそぎ)。
自分の求め、現したい事へのヒントがこういう所にあるのかもしれません。
日本は奥深い。古神道は奥深い。
やはり音と言葉が全てに関わるようです。
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