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玄語

玄音の弟玄です。日々感じている事、考えている事を語っていきます。そんな弟玄が語る”玄語”です。よろしく。

悩むな、考えろ!

2024-10-12 18:54:00 | Weblog




今起きてる世界情勢の肝についてどう考えたらいいのか。ふと思い出し、取り出したある本の言葉にハッとする。

人はみずからの特殊な愛着の対象に、いかに公平に厳格でありうるか」(『イスラエルとは何か』平凡社新書 ヤコブ・M.ラブキン著 菅野賢治訳 訳者あとがきより)

これができないことにより、あらゆる諍い、争いが起きている。

さらに続けて、

「…人間は、何かの対象について「大切だ、価値がある、私の心にかなう」と思った瞬間、それに対する道義的批判の視点を秘めやかに欠落させるものである。

…人間は、薄々ながら予想される道義的批判のわずらわしさをあらかじめ回避するために、ことさら「あれ」ではない「これ」を「大切だ、価値がある、私の心にかなう」と決め込んでしまう存在なのではないか、ということです。

事態は、事実性、客観性、公平性を何よりも重んじるとされる学術研究の場…でも変わらないようです。」(同上)

このことは、この数年前から今に至る、ロシア・ウクライナ情勢、新型コロナやそのワクチンのこと、イスラエルとパレスチナの中東情勢全てに言えることではないか。

人間としての道義が求められている。正義とは何か、公平性とは何か。今本当に考えないと、考えないことから起きる混沌の方が強くなると本当に世界は終わってしまいかねない。

世界を真っ当にしなくてはいけない。何ができるのかわからないこそ、肝心要は考えること、わかることに努めるよりない。わかるためには背景をまず知ることよりない。

混迷を極める中東情勢や今の日本の状況についての報道やドキュメンタリー番組を一気に見てるうちに、問題の根っこは同じに感じ、上に引用した言葉が響いてきました。

さらには悩むな、考えろ!と、ある哲学者の言葉がしっくりくる今である。


AI画像-哲学とAI

2024-09-06 16:15:00 | Weblog



ちょっとお遊び。

AIに"哲学とAI"をテーマにAIの可能性と人間存在の拡張を、子供をモチーフにして画像を作成してもらいました。

子供が未来的な環境でAIと対話するイメージを描いたそうで、結構面白いです。

chatGPTを中心に日進月歩ならぬ秒進月歩な生成AIの世界。これはインターネット登場以上のインパクト。本当に凄い。

これからこんな風に遊びながら学んでいきたい。

ちなみに、同じ内容で別のAIアプリで作成したのがこれ。


かなり違いますね。。。
それぞれ特性がありそうです。





自分とは人類

2024-09-01 16:47:00 | Weblog



「それぞれの人が自分のために自分のやりたいことをやっているその結果が、まさにひとつのある時代、時代の精神というものを作りあげているのだから、自分と時代、人類の全体というものが、どうして関係ないことがあるだろう。

それどころか、精神というまさにそのことにおいて、自分とは人類、人類の歴史そのものじゃないだろうか」(『14歳からの哲学』)

9月に入りました。
あまりに色んなことが起き過ぎて、それは最近の台風や報道、政治のこと、先の見えない世界情勢など、何かタガが外れてどこに進むのか見えない混沌とした状況です。

こんな情勢のなか、外からくる情報に振りまわされてるうちに、不安は増し、恐怖に煽られ、知らず知らずに自己を見失ってしまいます。

だからこそ、上の引用した言葉が示す"自分"という真をふまえ、自分が自分として存在することを自覚し、自分の状態を良く保ち、元気に明るくいることだけでも、もしかしたら世界を良くしているのかもしれません。

毎日本当に不安や苦しいこと、怒りや悲しみがおそってきます。正気を保つだけでも大変かもしれません。

だからこそです。何が起きてるのかわかり、関心をもち、整理していく。解決できることは些細なことでも見逃さず、取り組む。そういう人が一人がいるだけでも世界の希望の光は消えてはいないはずです。

自分こそ人類であり、時代の精神であるということ。それはある意味、相互的な影響を示しているということ。だからこそ、今自分のいる"今、ここ"で、その都度どう在るかが本当に大事だということ。

久しぶりに"14歳からの哲学"の言葉にふれ、ハッとしました。

最高へと

2024-06-17 10:16:00 | Weblog







今起きてる事を考える。
大海と高山。
最も高い山。最も深い海、その底。
こんな言葉に出会う。

「もっとも高い山は、どこから来るのかと、私はかつて問うた。そのとき私は、それらが大海から来ることを学んだのだ。

その証拠は、山々の岩石に、その山頂の岩壁に書き込まれている。最高のものは最深のところから、その高みへ登ってくるのでなくてはならない」(「ツァラトゥストラ」より引用『ニーチェ』ハイデガー著 平凡社)

最も高い事象の現れが、最も深い所を刺激し、長いこと現れでることのなかったものが動き出した。最も深い所の覆いがとれ、逆に最も高い所がより輝く。闇が輝きとなり、光はより輝きを増し、本来の光だけの世界となる。

これにより一人ひとりの存在は現れ、今までにないことが誰にも起こり始める。
全ては善きことへと。
それが今起き始めたことか。

誰も知る由もない大変化の時、その今。


高麗神社参拝

2024-05-12 11:12:00 | Weblog
五月晴れの清々しい日の昨日、久しぶりに高麗神社に参拝してきました。

今回はまず聖天院の若光王様の王墓から参拝させて頂きました。

高麗若光王 王廟


少し早い時間という事もあり、他に人もおらず、静かな時でした。

爽やかな風が吹き抜けてきました。

王廟の表の瓦に"王"の文字が刻まれておりました。

静かに心澄まし、王廟の前に佇むひととき。本当に誰も来なくて、ありがたい時間を過ごさせて頂きました。

それから高麗神社本殿へ向かいます。


五月晴れで本当に気持ちの良い天気でした。

"高麗"の間に小さく"句"の字が書かれており、正式には"高句麗神社"であることがわかります。

本殿に行っても奇跡的に誰一人おらず、ここでも心静かに参拝することができました。


本殿では高句麗王の若光王様、導きの神様の猿田彦命、長寿にして長く朝廷に仕えた武内宿禰命が祀られております。

高麗神社は参拝した政治家が何人も首相になったことから"出世明神"とも言われてます。天皇陛下をはじめとした皇室の方々も多く参拝されてるようです。


この日は産まれたばかりの小さな赤子を抱かれたご家族が何組も正装されて参拝されてました。わが子の健やかな成長と大きなご神徳を願われての事でしょう。和やかな境内でした。

そして高麗神社に参拝に来たら必ずおみくじをひきます。ここのおみくじの"神の教"の言葉が毎度、ハッとする言葉にみちていて、実に深いのです。今回は次のような言葉を頂きました。

神の教
神とひとつの心になれば、はれて清しい胸のうち


自分も知らず、相手も知らぬが、愛おしいと思う心、憎いと思う心、それが此の身体から光となり波となって、相手の身体に心に傳わって、善いも悪いも悉く影響を及ぼす。


常に神様の御心と御一体になり、平らかな心、清しい思いで、美しい光、清い心の波を放出しなさい。それが神の子として社会に生きる人の在り方です。


今回もすごいお言葉だなと感じました。

自分の在り方、内面の在り方が常にまわりに伝搬しているという。ならば常に清く平らかで、美しい光を放てる人とならなくてはと心を新たにしました。そしてそれが神の子として社会に生きる人の在り方であるとは、この言葉は胸に刻みました。



高麗神社の空間、出会う言葉も含めて全てが神々しいです。この高麗神社参拝後の清々しい気持ちで、いよいよの明日の狛江の高句麗伝説コンサートにのぞみたいと思います。よろしくお願いします。