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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

12日目:プノンペン2日目。-カンボジアの負の遺産を観る、日本について-

2014-06-03 23:52:39 | 旅行
○トゥール・スレン博物館を見る

起きたら結構風邪は昨日よりかは結構いい感じになっていたが、咳がちょいちょい出るのと、頭が若干痛いのが残っていた。

支度をして、9時半過ぎに、チャリを借りて近くのトゥール・スレン博物館という所に行った。
これはポルポト政権下に犯罪者として捉えられた無実の人たちがひどい拷問を受け、そこで殺されたりした、言わば元収容所であった。
ポルポト政権下の時代は、カンボジアでは負の遺産と言われており、カンボジアにまだ所々存在している地雷も、この近辺の時代に埋められたものである。

それもポルポト政権下に殺された人たちは、言わば知識人で、教師、科学者、弁護士など、特定の専門家であった。
学校を出ているだけで知識人と見なされ、眼鏡をかけているだけでも知識人と見なされたらしい。
同じ国の人が同じ国の人たちを大量に殺していたなんて自分も信じられないが、そんな常軌を逸した殺戮が行われていたらしい。
こういった殺戮はカンボジアの各地で行われていたが、トゥール・スレンの収容所(同時の名称はS-21)に入った人は2万人程いて、生還者はわずか7名だったらしい。
自分はプノンペンに来るまでこういった歴史の事は全然知らなかった。今回、ここに来れた事で、このカンボジアの凄惨な歴史を知る事ができただけでも、大きな成長になったと思う。


トゥール・スレン博物館


トゥール・スレン博物館の入場料は2ドルだった。博物館は4つの棟に分かれており、それぞれ展示がされていた。
拷問部屋の棟が一番最初だったが、部屋には鉄のベッド一つしかなく、かなり殺伐としていて、生々しかった。
その後は、S-21に入った人の顔写真がひたすら並べられていたり、当時の拷問道具が展示されていたり、当時の状況を描いた絵、さらには拷問の時の生々しい写真もが展示されてあった。

またポルポト政権の党の名前はクメール・ルージュというのだが、そのクメール・ルージュに入った幹部の名前やプロフィールなどの情報が展示されている部屋などもあった。今どうしているという情報まで書いてあったが、そんな情報まで公開していいのか?と思った。
最後に1時間程のビデオを見て11時半くらいに博物館を出たが、このカンボジアのかなり悲惨な歴史があり、このせいで近隣諸国から発展が一足遅れているという事が分かった。国民は反乱とかを起こせなかったのだろうか?当時カンボジアは鎖国政策を行っており、どの国も当時のカンボジアを知らなかったらしい。それもベトナムがカンボジアに攻め入って初めて分かったという。何とも皮肉な発覚だったのだ。

当時の国際社会も、カンボジアの惨状にまさかそんなバカな?といった感じで信じなかった程、国内で異常過ぎる事が行われていた・・・
自分は今までこの事は全く知らなかった。自分は理系だったので、そういった世界の歴史系の事は全然学んでこなかったのだが、こういう事は文系だったら学ぶのだろうか?こういった歴史に結構密接に関わってくるのが冷戦だったりベトナム戦争だったりするらしく、この歴史を日本人も少なからず学ばなければいけないと思う。そういった事を知ると、今、日本に生まれた事に幸せというのが、本当にありがたく受け止められると思う。


○キリングフィールドに行く

途中でランチを軽く食べて一旦ホテルに帰って、今度はキリングフィールドという、大量虐殺が行われていた場所を見に行く事にした。
10kmほど遠い場所にあるらしいので、バイクの運ちゃんを探して行く事にした。
案の定人だかりができ、自分は往復で6ドル~8ドル辺りの相場で考えていて、6ドルということを言ってきた運ちゃんがいたので、周りの怖さもあり、すぐにバイクに乗り込んだ。

キリングフィールドには20分~30分程でついた。途中の道は舗装が結構悪く、なかなか悪路だった。
ちなみに着いた時に片道6ドルの認識だったことを聞かされる。まあ乗る前にその確認をせずパッと乗っちゃったから今回はこちらの責任だった。
んで負けてもらって往復10ドルになったが、1時間しか待てないとの事。なので結構駆け足でキリングフィールドを見る事になった。

キリングフィールドはパッと見、緑のある普通の公園だった。
しかしさっき行ったS-21から送られてきた人びとがここで殺されたのだ。ここから何百という人骨が後々掘り返されて見つかっている。
一番最初に見える塔には外から頭蓋骨が積み重なった展示が見えて、かなり凄惨な場所だということがわかる。


キリングフィールドの塔。窓の所に並べられているのは人の頭蓋骨である。


パッと見こんな普通の公園である。


ちなみにここは入場料は6ドル。日本語の音声ガイドがあったことがとても良かった。ガイドはしっかりとした日本語で分かりやすく、ポルポト政権の話や、歴史の話、ここで死刑執行をしていた人の話、生存者の話などを聞く事ができる。
この音声ガイドだけで、かなり多くの情報を知る事ができる。プノンペンに来たらここは見ておくべき場所だと思いました。

またワイヤーで立ち入り禁止となっている所をよくよく見ると、人骨らしきものが落ちてあったり、布切れも落ちていたりするのだが、これも殺された人びとが身につけていた衣服ということだった。
まだ掘り返されていない個所もあり、かなり生々しい傷跡がそのまま残っていたことに、少なからずショックを受けました。。。


数多くの人骨が見つかった場所。囲いに覆われており、人骨や服の切れ端らしきものが落ちていた。


服の切れ端が集められた展示


人骨の展示


ふと気づくと雲行きが怪しくなっていた。時間も予定の1時間に近づいたので、音声ガイドを最後まで聞けなかったのは残念だったが、キリングフィールドを後にし、15時半にバイクに乗って帰路についた。


○帰路、その後セントラルマーケットに行く

帰路の途中で少しずつ降ってきた雨がだんだん強くなっていった。
道路状況は最初から悪いので、はけきれない水が両サイドの所に溜まって結構冠水していた。
途中どこかの商店によってこれを着れと雨合羽を渡されたが、これも後で請求されるんじゃないかと恐る恐る感じつつ着た。
プノンペンの市内に戻ってきた時には雨は止んでいた。というか道路を見ると濡れていなかったので、こっちにはスコールは来ていないようだった。

ホテルに戻り、何か言われるのもめんどくさかったので10ドルをさっさと渡してホテルに入った。
そしたらそこにいたその地域を仕切っている感じのトゥクトゥクの運ちゃんが10ドル渡した所を見て、お前10ドル払ったのか?と言った感じの事を言ってきたので、そうだよ(やれやれ)みたいなリアクションをしてホテルに入って行った。
もちろんキリングフィールドまでの相場は往復で6ドルかららしく、ボッタくったバイクの運ちゃんにお前なにそんなにもらってんだよみたいに抗議していた。そしたらその運ちゃんも勢いに負けて仕切っている人にいくらか払っていた・・・
こんな力関係もあるんだなとちょっと面白かったです。

ホテルに入って天候を様子見し、行けると思ったので、その後は16時過ぎくらいからセントラルマーケットというプノンペン最大の市場にチャリで行く事にした。
んでセントラルマーケットの中に入ったら、宝石とか、服とか、電化製品とか色々売っていた。
ここなら何でも買えるんだな~と思い、ちょっとうろうろしていた。
その後17時になったら店が後片付けし出したので、ここの営業は17時までらしかった。
特に買うものもなかったので、近くの中華屋さんで夕ご飯を食べて帰った。
というかトゥクトゥクの運ちゃんは夜遅くまでしつこいくせに、ここは結構早く閉めるんですね。と思った。(皮肉)


○日本の良さについて

今までタイ、カンボジアと旅してきたが、毎日と言っていいほど日本の良さを改めて考えます。
本当に基本日本人は親切、嘘を付かない、人を騙さないし、アジアの国と比べると本当に誠実な民族なんだなあと思います。
ご飯もとてもうまいし、街はきれい、信号もきちんと守り、秩序を乱さない。
日本人は騙されやすいというが、これも一つの日本人の美徳からくるものなのだろうと思うようになりました。


そして言葉。今英語をメインに使っている(というかそれしか使えない)が、そんな状況になって一つ、大きな事が分かりました。
それは、英語で「いただきます」と「ごちそうさま」に当たる言葉がないこと。
もちろん、英語で「いただきます」は「Let's eat」などに置き換えることができるが、これはさあ食べましょうという意味にしかならない。

日本語の「いただきます」はこれから食べるものに対して、米を食べるならその米を作ってくれた人たちに対して、肉を食べるならその肉となってくれた動物や生産者に対して、これから「ありがたくいただかせてもらいます」という感謝の言葉なのだ。
「ごちそうさま」もそう。「ありがたくいただきました」という感謝の言葉なのだ。

その食べるという好意をする、またはした後での人やものに対する感謝の言葉が英語にはないのだ。
なので今までご飯を食べてはいたが、お勘定を払ってその店の人に言う言葉が見つからないでいた。
でも最近、普通に会計を済ませた後は普通に日本語で「ごちそうさま」と言うようにした。
日本語のニュアンスをそのまま伝えられない言葉がないなら、そのまま日本語で伝えればいい。

その点で日本語は本当に素晴らしいと思った。礼節に満ちあふれ、そして感謝を忘れない。
日本はなんでここまでオンリーワンの国なんだろうか?文化や歴史など、ここまでの独自性は本当に世界を探してもないと思う。
日本の素晴らしさは本当に海外に誇れる。日本人でいる事に本当に誇りを持たなければいけないと思いました。


街を歩いててもしょっちゅう日本語で話しかけられる。チャリをこいでても地元の人から「コンニチハ」「アジノモト」「カンパイ」など、ワケの分からない言葉を言われた。
日本は世界ではかなり有名なのだ。自分の顔を見て日本人だとすぐに分かるほど、日本人特有の顔があるということだ。
逆に地元の人からはうらやましがられているんだろうなあと勝手に思っちゃったりしてます。

海外にいて日本を見ない日はないです。
ほぼ地元の人の乗っているバイクはHONDA、運転している車はTOYOTA、旅行者のカメラはCANONやNikonやSONYかなんか、この前借りたチャリも「埼玉県警察」という盗難防止のステッカーが貼ってありました(笑)
日本語も必ずどこかで目にします。

日本に生まれたこと、そして日本人である事に本当に感謝しなければいけない。
日本に帰ったらどれだけ日本の良さについて周りの人に力説しようかと思います。


そんなんで、明日はプノンペンを離れて3カ国目、ベトナムに入る予定です!
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