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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

180冊目:「生命とリズム」

2021-01-24 17:59:37 | 
総評:★★★☆☆ 総評としては普通。
面白い度:★★★☆☆ 面白くなかった所もあり、面白かったところもあり。
読みやすい度:★★☆☆☆ 難しめの内容もそれなりにあった。
ためになる度:★★★★☆ 新しいことが結構学べた。
また読みたい度:★☆☆☆☆ 読み返すことはしないかなと思う。



前にFOOT×BRAINでいろんなサッカー選手が自分が影響を受けた本についてやっていた回があり、それで取り上げられていた本。


とりあえずテレビや本などでこれが良かったと言って紹介された本は見るようにしている。

今回、本の題名から、人の生命と何らかのバイオリズムの関連性について書かれた本なのかなと思ったが、読んでみたら、著者の「三木成夫」さんが大学教授時代に講演した内容や、本や何かに寄稿した内容がまとめられた本であった。

なので、あまり内容としてはつながらないものが多く、何のことを言っているのかがよく分からない箇所もあったりした。


しかし面白かった所もいくつかあり、とても興味深かった内容は、ヒトは魚類から両生類、爬虫類、哺乳類と進化していって、その後ヒトに進化しているが、その進化の三十数億年の過程を、人間の胎児が経験して生まれているということだった。

人間の胎児は受胎してから1~2ヶ月の間に、魚類~哺乳類の今までの進化をなぞるように形を変えてヒトの赤ちゃんになるとのことだった。
実際にそれぞれの時期の胎児の顔が書かれている(本の表紙にもそれが書かれている)が、これを見ると確かに人の顔とは程遠い形をしていて、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類とそれぞれに似たような顔の形を経ているのだった。

これを見ると、人はやはり確かに、魚類から進化しているというのが分かるし、魚類→両生類→爬虫類→哺乳類とやはり順番を追って進化しているというのが分かるのだった。
ヒトは他の生物と比べると頭を使ったり言葉を使ったり、全然違うので、ヒトだけ何か突然変異的な何かで生まれたんじゃないかと思っていたが、実はそうではなく、魚類から長い年月をかけて少しずつ進化していき、今のヒトがあることが分かったのだった。

ということは胎児は、受胎してから2ヶ月も経たない間に今まで三十数億年のの生物進化の過程を圧縮して経験しており、そういったドラマに生命の神秘を感じるのだった。


そういった今まで知らない知識を学ぶことができた本であった。

そんなんで、他に面白かった箇所について抜粋する。

・胃袋と糞袋の集まった上腹部がいつまでもパンパンに張っているのはよくない。その代わりに空腸と回腸につねに流れが保たれている。こういった状態が消化管のあり方として一番素直なあり方ではないかと思います。それは結果的にみますと上虚下実ということになるのではないかと思いますが、あくまでも、これはまったく我流の考えですから、どうかそのおつもりで・・・
 結論を申しますと、動物というものは植物と違って食物がある時、それをため込む。そのためのため込みの場所が口から肛門にいたるまで方々にある。”たまり”のあるところに必ず病気が起こる。肺といっても食道の一部が盲腸のようにふくらんだものですから、ここにもたまります。肺の中も糞づまりのようになりますから、どうしてもきれいに出さないといけない。呼気が大切なゆえんです。つまり肺もまた空気のたまり場であります。
 その次がさきに申しました胃袋の”たまり”と結腸の”たまり”ですね。ともにガンの好発生部位であります。申し忘れましたが、口の中には舌ガンと上顎ガンがあるではありませんか。
 要するに何かがたまるところにガンができるということは、植物と違って動物だけの持つ業の報いみたいなものではないかと思うのですが・・・。
 そしてこの大半が上腹部に集まっている・・・。今日の私の話の、このあたりが結論ということになります。

・カルチャー、文化というものは何か。耕す、耕すとは何か。それは、行ってみれば一年分の保存食品をつくる準備をすることです。シュンのものを食べないで、いつでも食べられるようにそれを缶詰にするとか、いわゆるインスタント食品をつくるなどその一例ですが、文化というものは、結局は自然から離れていく一つの方法であるような気がするのです。
 お釈迦様の悟りは天のリズムと人のリズムの調和ではなかったかと思う。アショカ王はこれを「人天交換」という言葉でもって表現した。そして国民にひろく教えを垂れ、これを政治の根本理念にいおたそうです。われわれが将来を配慮して、一年間の食料を蓄えるのは、人間だけが持つ一つの智能でしょう。しかしこの智能も一つ間違えると、人間の欲になります。人間の腹をたち割ると、”慾と糞の塊”といいますが、ほんとうに慾は人びとを盲目にするものですね。また将来計画といわれますけれど、それは実は「予期不安」であることが多いのです。われわれはこうした慾と不安に駆り立てられて次第次第に自然から離れて、あるいは自然を破壊していくのをお釈迦様は憂えたのではないでしょうか・・・。
 話が横道にそれてしまいましたが、呼吸のリズムもこれとまったく変わりないと思います。われわれの日常を振り返りますと、このような慾と不安に駆り立てられた時の呼吸には、まったくリズムというものがない。たいていは息を凝らし、さらには息を殺しております。これに対して、平常心の時には呼吸のリズムがあります。これこそ、古生代の昔からえんえんと続いてきたリズムです。それは、はじめにお話ししました、あの波打ち際の、ザザーっと寄せて、そしてサァーッと引いていく、あの波のリズムです。それこそ宇宙的なリズムではないでしょうか。お釈迦様の呼吸の教えはこのことではないかと思っております。

・ところで潮のリズムというものがあります。これはお月さんを基準にして地球が自転する時のリズムです。これが二十四時間と二十四・八時間という二種のリズムが出てくるかというと、月は地球のまわりをまわる。ところが太陽は逆に地球のまわる中心なんです。つまり中心になるものを基準とした一回転とおのれのまわりをまわっているものを基準として一回転で結局二十四時間プラスアルファができるわけです。
 私は最近、この夜更かしの朝寝坊というのはこの潮のリズムと何か関係があるのではないかと真剣に考えています。毎日五十分ずつずれるというリズムがいかに根強いものであるかということは、海辺で生活された方は、もう十分にご存じでしょう。毎朝起きますと必ず潮の線が下がっております。満ちてくるのが五十分ずつ遅くなり、そのうちに完全に逆転して二週間たったらまた元通りになる。ところが夜ふかしの朝寝坊の人間を見てますと、どうも多少にかかわらずこれと同じ現象が出ておるようです。~(中略)~
 例えばの話ですが、東南アジアから入ってきた海洋民族の血の濃い人たちは、この潮すなわち月のリズムの二十四・八時間が強い。これに対して玄奘法師が渡ってきたシルクロードーあのネパールからパキスタンを経てチベットを通って入ってきた山岳経由の血の濃い人たちには、太陽のリズムの方がより強く働く。どうもそのように太陽型と太陰型とが私たちのからだで人ごとに微妙なバランスを保っているような気がしてなりません。


抜粋の箇所が長くなってしまったが、こんな感じでしょうか?
人体や進化について書かれていて、なかなか新しいことを知ることができた本であった。
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