奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

映画「猿の惑星」今年の干支に因んで♪

2016-01-09 13:17:06 | 映画・テレビ


今年、二番目の記事はさる年に因んだお話をしたいと思います。
 福を呼びこむためには、その年の干支に因んだ記事を書いたほうがいいのではないでしょ

うか♪ 
 そこで、お猿さんが登場するお話で、何があるかなと考えたら、真っ先に昔話の「さるか

に合戦」を思いつきました。
 だけど、このお話では、猿が悪者なので、却下する事にしました。(苦笑)
 でも、そういえば、(猿知恵)とか、(猿芝居)、(猿真似)など、お猿さんに悪いイメ

ージの言葉って、結構ありますよね?
 どうしてでしょう?
 ともかく、いいイメージのお話ってないかな?と考えてたら、今度は「桃太郎」を思いつ

きました。
 しかし、確かに悪者ではないですけど、主役はあくまでも桃太郎ですから、これも却下せ

ざるを得ませんでした。(苦笑)
 なんかね、昔話からしか考えつかないの。(苦笑)
 でも、そうも言ってられませんので、映画で当たってみることにし、タイトルに猿の付く

SF映画「猿の惑星」を思いつきました。
 この映画は、昔、大ヒットしてたんです。
 そこで、早速、レンタル屋さんに行ってみました。
 すると、あるあるある。
 「猿の惑星」シリーズのDVDが、20枚ほど置いてあるではありませんか!
 しかも、Blu-rayまであります!
 普段は、こんなに沢山置いてないんだけど?
 きっと、お店の人も、今年はさる年だから、「猿の惑星」を観て、縁起を担ごうって人が

多いだろうと思って、沢山、揃えたに違いありません。
 だけど、ふと気づいたんです。
 こんなに沢山あるのに、1枚も借りられてないという事に!
 縁起をかつぐって、廃れてしまったの?
 
 すぐ上の棚には「スター・ウォーズ」シリーズが沢山、置いてあって、こちらは新作が発

表されて間がないからか、ほとんど借りられています。

 もう、誰も縁起をかつぐ人はいないんだ!
 私がやろうとしていたのは、古臭いことだったんだ!!
 
 わ~ん!
 私はもう過去の人なんだ~~!!!(涙)

 と思ってたら、ちょっと待って。
 「スター・ウォーズ」には、たしかチューバッカというお猿さんが出てるんじゃない?

 もしかしたら、新作が発表されたからじゃなく、みんなチューバッカ目当てに「スター・

ウォーズ」を借りてるのかも?
 そうよ、そうに決まってる。
 私が過去の人のはずがないもん!
 
 だったら、さる年に合わせて、「スター・ウォーズ」の新作を作ったジョージ・ルーカス

の商魂て、すごい!
 やっぱり、成功した人って、思いもよらないことまで考えてるのね。

 私も、実は「スター・ウォーズ」シリーズは大好きなんです~♪

 しかも、映画館に足を運んだのはもちろんのこと、DVDはすべて揃え、初期の三部作は公開

当時のものと、特別版と両方、持ってるんです。
  
 「スター・ウォーズ」は映画の魅力を存分に味あわせてくれる、とても優れた作品だと思

います♪

 じゃ、それではいよいよ、「猿の惑星」のお話にいきましょうか。
 

 「なに~、そこまで「スター・ウォーズ」を持ち上げといて、「猿の惑星」かよ!?」
 

 だって。そう決めたんだもん♪


 「猿の惑星」で、すごいのは、この映画の大ヒットを受けて、日本で、子供向けのテレビ

番組で、「猿の軍団」とか、「宇宙猿人ゴリ」などが作られたことにあると思うんです。
 「猿の惑星」そのものは、別に子供を意識して作られた訳ではないのにです。
 それだけ、この映画の猿に子供心を引きつける魅力的な何かがあったということでしょう

ね?
 そしてまた当時の子供達は、ワクワクさせるものに飢えていたと言ってもいいかも知れま

せん。

 それで、私が思いつきたのは、最初に書いた「猿知恵」とか、「猿真似」という言葉に現

されてるように、猿に悪いイメージがあったことです。
 翻訳家として、日本文学を世界に広く紹介したドナルド・キーン氏が仰ってましたが、日

本人には判官びいきと言って、弱い者、虐げられた者に情愛を示す傾向があるらしいです。
 その人間より劣るとみなされてきた猿が、この映画では人間以上の知恵を持ち、地上の支

配者になって、君臨しています。
 そこに、日本人である我々は溜飲を下げた思いがし、それがこの映画の大ヒットを生んだ


 それは、日本の怪獣映画「ガメラ」にも言えるのではないでしょうか?
 ガメラによく似た亀は、テレビドラマ「スチュワーデス物語」の名文句「教官!私、ドジ

で、のろまで、マヌケな亀なんです」に現されてるように、いいイメージはまったくありま

せん。
 だからこそ、そんな可哀想な亀を応援したくて、「ガメラ」の大ヒットにつながった。
 怪獣博士、この説どうかしら♪


 それではせっかくですから、「猿の惑星」そのものの感想も書きますね♪
 まず、秀逸だなと思ったのは音楽ですねぇ。
 これは、クラシックの現代音楽を髣髴とさせる作りで、未知なるものへの恐れや不安感を

煽るメロディで、主人公の置かれた状況と見事に一致してると思います。
 因みに、音楽を担当したのは、「パピオン」「パットン大戦車軍団」「トラ・トラ・トラ

!」を作曲したジェリー・ゴールドスミスです。
  
 映画の舞台が地球に非常に似てるところも、謎を呼んで、どことなく不気味さを覚えずに

はいられません。
 そして、あの驚愕の事実を知らされる戦慄のラストシーン!!

 このラストシーンは、映画は観てなくても、誰も知らない人はいないのではないでしょう

か?  

 取り返しのつかない現実を目の当たりにし、平和の大切さをあらためて考えたくなる素晴

らしい映画だと思います。




映画「伊賀屋敷」八千草薫♪

2015-12-23 20:12:22 | 映画・テレビ
あれは、二ヶ月前のことでした。
 横山光輝先生のファンのSさんに、「伊賀の影丸」のコンビニ本が出てますよと教えた

のは。
 それは、今まで、単行本化されたのと違って、少年サンデーのオリジナル版というファ

ンなら誰でも喜んで飛びつきそうな、とても貴重な作品だったの。
 
 
 これがね、その本。
 ね?
 字が小さくて見づらいかもしれないけど、ちゃんと少年サンデーオリジナル版て書いて

あるでしょう?
 あの時、Sさん早速、コンビニに行って、探したけど見つけられなかったと残念そうだ

ったけど、もうとっくに手に入れてるわよね?

 ああ、嬉しそうに読んでるSさんの顔が浮かんじゃうわ。
 
 人に親切にするって、なんて素敵なことなんでしょう。


 ♪ランララララ~



 あ!もしかしたら、Sさん,私にものすごく感謝してるかも知れない!

 そして、まさかとは思うけど、私のこと、女神さまみたいに思ってるかも?


 そんな女神さまだなんて・・・

 私はただSさんのお役に立てれば、それだけでいいんです・・・

 女神さまだなんて、とんでもありません・・・(真っ赤)

ええ!どうしても、私のこと、女神さまと呼びたい?


 どうしよう?

 そんなつもりじゃなかったのに・・・



 ああ、また始まっちゃったわ、私の妄想が。(苦笑)


 
 ところで、その「伊賀の影丸」のコンビニ本は最初から買う気はなかったので、お店で

、店員さんの目を盗んで、写真だけ、こっそり撮ってきたの。

 ごめんなさいね、Sさん。(笑) 

 でも、せっかくだから、忍者もので、私の興味を引くものはないかな?と思ってたら、

パッと女性の忍者が浮かんじゃったの!

 女性でも、忍者になりたいって人いるんですよねぇ。

 何年か前、ラジオで、観光地で働いている女性の忍者の方が喋っているのを聞いた覚え

があります。

 それに、私の周りでも、忍者が、「さらば」と言うなり、シュッと消えるところがかっ

こいいと言って、自分自身、忍者になりたいという女性がいたんです。

 え?
 私はどうかって???

 ううんと、私は~別に忍者になりたいと思ったことはないんですけど、コスチュームが

よく似たバニーガールだったら、すっごくなりたいと思ってたわ♪

 
 キャー!
 ほんの冗談ですから、お尻ペンペンしないで~(苦笑)

 
 ところで、女性の忍者を「くの一」と呼んだりしますけど、実際は映画やマンガに登場するよ

うな忍装束に身を包んで、敵と戦うことはなかったそうなの。
 女中や小間使いとしての諜報活動はやっていたみたいですけど。

 つまり、マンガやVシネマにあるような色仕掛けで、敵の男性を骨抜きにするのは全く

の作り話ってわけ!

 だいたい、好きな男性にならまだしも、憎っくき敵に、自分の裸体をさらして、色仕掛

けで、骨抜きにするって、そんなこと出来るわけないじゃない!!


 それでね、私が観てみたいと思ったのは、若かりし頃の八千草薫さんが、お姫さまと、

忍者の両方を演じている「伊賀屋敷」という映画だったの。
 



 あの美しくて優しい八千草薫さんが、忍者を演じていたのです。

 すごく意外でしょう?

 私も、びっくり!

 そして、興味津々観てみました!
 八千草薫さんの役は百合姫といい、豊臣家の家臣・真田幸村の娘で、もしもの時のため

に、幼い頃から、家来の霧隠才蔵のもとで、才蔵の息子の才助とともに大事に育てられま

す。
 ところが、相次ぐ戦で、豊臣の軍勢は敗退を喫し、真田幸村は亡くなり、霧隠才蔵はた

だ一人、徳川軍の総大将・老中松平伊豆守の命を狙うも、あえなく討ち取られてしまいま

す。
 そして、百合姫と才助は敵から逃れるうち、離れ離れになり、やがて百合姫は伊豆守に

助けられ、面倒を見てもらいながら、美しく成長します。
 一方、才助は父、才蔵の名を継ぎ、一人前の忍者になり、ある日、徳川転覆を狙う紀州

六十五万石の君主・徳川頼宣と由比正雪を引き合わせようと、伊豆守の屋敷に潜入し、そ

こでかつて仲良く暮らした百合姫と出会うのです。
 百合姫の無事を知った才蔵は、伊豆守のもとから逃がそうとするのですが、百合姫は明

日をも知れぬ我が身を助けてくれた伊豆守を裏切れないと、なかなか首を縦に振ろうとし

ないのです。
 そしてあろうことか、百合姫はお蘭という名の忍者として、才蔵の命まで狙うのです。
 お蘭は、才蔵の命を奪ったあと、自分も死ぬ覚悟だったのです・・・


 この映画を観て、私は女性はやはり戦いには向いてないと、あらためて思いました。

 女性は戦うより、愛ですよね?
 
 暴力で、人を屈服させるんじゃなくて、愛で、人の心を動かすほうが、よっぽど素晴ら

しい♪

 そういう訳で、私は愛を出来るだけ育んで、より多くの人を幸せにしたいと思います♪



 でも、くの一も、案外かっこいいかも?


 「さらば!」


 シュッ♪
 


  
 

  
 




 


 


「ガメラ生誕50周年」ガメラは子どもと女性の心強い味方♪

2015-12-18 22:32:20 | 映画・テレビ


  前回、戦後70年のお話をして、次は何にしようか、考えあぐねていたところ、今年はゴジ

ラと人気を二分するガメラの生誕50周年の年でもあるということが、わかって来ました!

 きっかけは、ちょっと前にご紹介した三島由紀夫の映画「憂国」に、ガメラの関係者が複

数いた事で、その事実を突き止めてしまったのです。
  撮影助手の喜多崎晃さん、照明助手の上原正一さんがそうです。

 つまり、「憂国」は、大映という映画会社の社員さんや、その契約者で作られていたんで

す。
 でも、「憂国」という映画には、どこにも大映の会社名はおろか社員さんのお名前すら出

てこないのです。
 その訳は、大映に映画を撮りたいといえば、お金は出してくれるかも知れないけど、その

代わりに注文をいろいろつけてくるだろうと思って、大映の社長さんに黙って、社員さんを

使ったからだそうです。
 だから、もし社長さんにばれたら、その社員さん達は首になったかも知れない。
 
 その危険を冒してでも、三島由紀夫の映画に関わりたかったなんて!!

 三島由紀夫ファンの私としては、どれだけ感謝してもしきれないです。(涙)

 でも、そうなると、映画の「ガメラ」も観ない訳にはいきませんよね? 

 それに、このところ、文学や戦争など、堅いお話ばかりしていたので、ちょっと傾向のま

ったく違うお話もしてみたかったの。
 でも、そうは言うものの、女性ってね、堅いものが、結構好きだったりするものなの・・



 そう、堅くて太いと言うか・・・

 だいたい、私がその気になってるのに、いざという時、いつまでも小さくてフニャフニャ

フニャフニャしてる男なんか許さん!

 私を何だと思ってるの!!

 その点、ガメラは、亀さんより、何倍も大きいと言うか、太くて堅いでしょう?

 もう頼もしい限りで、ガメラこそ、男の中の男だと思います♪

 
 あら?
 ごめんなさい。
 私、どこから、そんな話に・・・(真っ赤)

 あ、そうだ!それとね、もう一つ理由があるの。

 私、ブログで元怪獣博士と仲良くなっちゃったから、たまには怪獣のお話もしなくちゃな

と思ったの。

 だからと言って、私が怪獣を好きな訳じゃないのよ。

 怪獣博士って、いかにも男の子って感じがするところがいいの。

 これに、プラモデルを作るのが好きなら、もっといいんだけど。

 まあ、そういう訳でね、実を言うと私は映画の「ガメラ」は一度も観たことがなかったの



 そこで、ゴジラとの魅力の違いは、どこにあるのか、その点に注意して観てみることにし

ました。
 私が観たのは昭和に作られた8本すべてと、平成のガメラ三部作と、「ガメラ小さき勇者

たち」の計12本です。
 第一作だけがモノクロで製作されていたんですね。

 観始めた時は、知っている役者さんが、何人も出ている事に、懐かしさを覚えずにはいら

れませんでした。
 まず、左卜全さん。
 この人は、黒澤明監督の「醜聞」「生きる」「七人の侍」「どん底」「赤ひげ」などにご

出演されるほどの名優ですが、私の小さい頃は、「老人と子供のポルカ」で大ヒットを飛ば

し、私も「♪ズビズビー パパパヤー やめてけれ やめてけれ やめてけれ ズビズバ・

・・」とよく歌ったりしていたんです♪

 次に、船越英二さん。
 この人は、俳優で、松居一代さんの夫としても知られる船越英一郎さんのお父様ですが、

船越英一郎さんは年をとられるごとに、お父様に似てきてるように思います。
 船越英二さんは、映画よりもテレビドラマで馴染み深く「熱中時代」の校長先生の役が、

一番思い出に残っています。
 
 イーデス・ハンソンさん。
 この人は昔、テレビによく出てましたよね~
 三島由紀夫の「反貞女大学」にもイーデス・ハンソンさんが出てくるのですよ。
 それは、イーデス・ハンソンさんの離婚についてで、国際結婚の難しさを、三島由紀夫な

りに分析したものでした。

 大村崑さん。
 この人は、「ガメラ対大悪獣ギロン」と「ガメラ対大魔獣ジャイガー」の2本に出ていま

す。
 大村崑さんといえば、オロナミンCの看板で、長い間、目にしていましたが、その昔はすご

く人気者だったみたいです。
 子供の頃、テレビ・アニメの「おんぶおばけ」に出てきた時は、「あ!崑ちゃんが出てる

!!」と、幼心に狂喜乱舞したものでした♪

  坪内ミキ子さん。
 この人はNHKの「連想ゲーム」で見かけていて、明治時代の文豪・坪内逍遥の孫としても有

名でしたが、実際はそうではないらしいです。

 役者さんのお話はこのくらいにして、いよいよ私が感じた「ガメラ」の魅力について書き

ますね。

 一言で言えば、ガメラの魅力は子供の味方という点に尽きると思います。
 
 子供がガメラに助けられたり、ガメラの背中に乗って、空を飛んだり、子供の喜びそうな

場面がいくつもあります。

 当然、子供が重要な役柄で、必ず登場します。

 滅多に、子供が登場しない「ゴジラ」と大きな違いですよね。

 私のイチオシは、断然、「ガメラ対深海怪獣ジグラ」です。

 あまりリアルさを追求しないところがいいなと思いますし、健一とヘレンの二人の子供が

シリーズ中、最年少で、可愛らしいのも好印象です♪
 X1号という敵の女性工作員が、女性らしい優しさを見せるところも、なんだかね、うるう

るしちゃうの・・・
 

 だけど、この「ガメラ・シリーズ」、なかにはだんだん子供におもねるような内容になっ

て、つまらなくなったという人もいるみたいです。

 でも、怪獣って、もともと子供のために創造されたのでしょう?

 その怪獣が、子供が大好きだという設定は、子供にとって、これほど嬉しいことはないん

じゃないでしょうか?

 大人になったら、それに相応しいものを見つける事も大切なんじゃないかしら?


 あの怪獣博士だって、普段は心の奥にしまい込んで、たま~にしか怪獣のお話はしてませ

んしね♪


 ていうか、怪獣のお話ばかりされたら、私、とてもついていけませんから~(汗) 

 ところで、昭和のガメラは子供の味方だけだったのですが、平成の三部作では、中山忍さ

ん演じるヒロインの味方にもなっています。

 私も、実を言うと、ガメラにはなぜか惹かれちゃうものが・・・(真っ赤)

 その女性の味方であるガメラの秘密兵器は、口からの火炎噴射なんです。

 やっぱり、ガメラは大きくて堅いだけじゃ・・・

 しかも、火炎噴射をしたあとも、フニャフニャにはならない!!

 女性にとっても、ガメラは頼もしい味方~♪


 いいえ、男性は、みな体の中にガメラを内包してるんです!

 そして、ガメラに変身させるもしないも、すべてはあなた次第!!


 ガメラ、空を見上げて、今こそ飛び立つの!


 いくのよ、ガメラ!!!


 
 さあ、あなたが子供と女性の味方なら「ガメラのマーチ」を、一緒に歌いましょう。


 ♪ガメラ

  ガメラ

  いかすぞ ガメラ

  いかすぞ ガメラ

  いかすぞ ガメラ

  日、月、火、水

  日、月、火、水

  日光さえぎる 悪魔の虹だ

  冷凍怪獣 来るなら来い

  跳ねたぞ 飛んだぞ ゴーゴーゴー

  火炎噴射でやっつけろ

  いかすぞ ガメラ

  いかすぞ ガメラ

  いかすぞ ガメラ






  
   

[サザエさん]で、私の故郷が紹介されています♪

2015-11-28 16:52:59 | 映画・テレビ
 大変!

  大変!!

    大変~!!!

 それは私にとって、驚天動地と言っていいほどの大事件でした。

 テレビ・アニメの「サザエさん」を久しぶりに観ようと、テレビをつけたら、なんと私の故郷が紹介されているではありませんか!
 それはオープニングの時で、主題歌が流れるなか、私の故郷、都城市が、ほかの宮崎県内の観光地とともに紹介されてるのです。 

 田の神さぁ、島津発祥まつり、関之尾の滝、都城島津邸、都城大弓、金御岳、都城焼き肉三昧盛り御膳がそうです。

 しかも、私の故郷がメインと言わんばかりに、ほかのどの観光地よりも、沢山、映ってるんです!

 え?
 どうして、私の故郷が映ってんだろ?
   
 「サザエさん」といったら、誰も知らぬ者はない国民的テレビ・アニメですよね?
 その番組で、紹介されてるという事は、私の故郷、都城市は、もしかしたら全国的に有名なのかも知れない!?

 きっと、そうに違いないわ。
 でなきゃ、私の故郷が取り上げられるはずがないもの。
 
 しくしく・・・

 しくしく・・・

 実はね、私、生まれ故郷に、ちょっとしたコンプレックスを持っていたの・・・

 宮崎県といったら、それだけでも日本の南の果ての辺境の地と言って過言じゃないじゃない?

 しかも、その中の私の故郷、都城市を知ってる人が、全国でどれほどいることか。

 だけど、東京とか、京都だったら、知らない人はいないでしょう?

 言うなれば、東京や京都を知らなければ、日本人の資格はないと言っても、誰も疑問の余地ははさまないと思います。

 でも、私の故郷を知らなくても、日本人としての資格をうんぬん言う人は皆無に違いありません。
 それが、ちっぽけな存在というか、居ても居なくてもいい人のように思えて、私の悩みの種だったの・・・

 私だって、東京や京都に生まれたかったです!

 そうすれば、「どこの出身?」と聞かれても、胸を張って答えられたのに、誰も知る人のない宮崎の内陸部で生まれたばかりに、コンプレックスを持たなければいけないなんて・・・(涙)

 でも、それは私の大きな勘違いだったんだわ!
 「灯台もと暗し」という言葉があるけど、まさにその通りだったんだわ。
 知らぬは地元の人ばかりで、私の故郷は、国民的テレビ・アニメ「サザエさん」が取り上げたくなるほど、全国的に有名だったんだ!

 もちろん、私のブログを読んでるあなたも、ずっと前から、私の故郷を知ってたに違いないですよね?
 だったら、早く、教えてくださったらよかったのに。

 そうしたら、私も無用なコンプレックスは持たないですんだのに・・・
  
 これからは、故郷に自信を持って生きようと思います♪


 え?
 何言ってるの??

 そんなところ、知らないですって???
 
 やっぱり、そうだったんだ~。(苦笑)


 実は、「サザエさん」で、私の故郷が大きく取り上げられたのは、有名だからではなく、都城市の方から、テレビ局に働きかけた結果だったんです。

 私もおかしいな?と思ってました。(苦笑)

 なんでも、都城市の魅力を、「サザエさん」で発信することで、人や物、お金を呼び込み、地域経済を活性化させ、都城市民や出身者の皆さんの故郷への愛着と郷土愛の醸成を図るために企画されたそうです。

 私の故郷が流されるのは、来年の3月までで、12月までが秋編で、1月から3月までが冬編となっているそうです。

 そういう事で、「サザエさん」の本編は観なくても構わないですから、オープニングだけでも、ぜひ観て下さいませネ♪


 でも、やっぱり、本編も大事ですよね?(笑)


 それでは、せっかくですから、「サザエさん」をより楽しんでいただけるように、「アニメサザエさん公式大図鑑サザエでございま~す!」から豆知識をお送りしたいと思います。

 国民的テレビ・アニメ「サザエさん」が始まったのは、昭和44年10月5日で、第1回放送は「75点の天才」だったそうです。
 今は家族全員で安心して観られるほのぼのとしたお話ばかりですが、放送開始当初は、アメリカのアニメ「トムとジェリー」を意識したドタバタコメディだったとか。
 その第1回放送は、以前、ユーチューブにあったので観たことあるのですが、今と全然、イメージが違ってて、すごく驚いちゃいました。

 次に紹介するのは登場人物です。
 サザエさんは24歳で、姓はフグ田。言わずと知れたオッチョコチョイで、年下のカツオとよくケンカしたり、失敗の連続なのは詳しく説明するまでもありませんよね?(笑)

 そのサザエさんの夫が、マスオさんで、年齢は28歳で、大阪の出身。早稲田大学卒で、海山商事の営業課に勤務し、一番の仲良しはアナゴさんです。
 サザエさんの実家にお世話になっているストレスからでしょうか?
 アナゴさんと、よく麻雀をしたり、お酒を飲みに行ったりしているようです♪
 
 磯野カツオは、サザエさんの弟で、11歳。かもめ第三小学校の5年生で、趣味は野球とサッカーとイタズラ。親友の中島くんとよく遊んでいます。
 クラスメートのかおりちゃんと早川さんが好きみたいですが、お隣りに住む伊佐坂先生の娘の浮江さんにもほのかな恋心を抱いてるようです♪
  
 磯野ワカメ、9歳。カツオと同じくかもめ第三小学校の3年生で、趣味は読書で、オシャレするのが大好き。将来の夢は可愛いお嫁さんになること♪

 フグ田タラオ3歳。サザエさんマスオさん夫婦の長男です。仲良しのお友だちはリカちゃん、タケオくん、イクラちゃん。それに飼い猫のタマ。どんなことにも興味を持ち、それが騒動のきっかけになることも、しばしば♪
 
 磯野波平、54歳、九州出身。サザエさんのお父さんで、囲碁、盆栽、釣りなどが好きで、決まり文句は「バカモ~ン」。でも、それはカツオやサザエさんに対するのが殆どで、叱る時は、しっかり叱るという愛情からきていて、根はとっても優しいお父さん♪

 その波平の妻磯野フネ、50ウン歳。出身は富士山が綺麗に見渡せる静岡県で、実家はみかん農家。お隣のお軽さんとは女学校からのお友達で、垣根越しによくお喋りします。家族みんなが幸せでいてくれたら、これ以上嬉しい事はないという理想的な日本のお母さんです♪ 

 飼い猫のタマ。オスで、トレードマークは大きな鈴。普通のネコと違って、ネズミが大の苦手。だけど、お隣りの伊佐坂先生の飼い犬ハチとはとっても仲良しで、なんとピンクのペルシャ猫のガールフレンドがいます♪

 ノリスケ、姓は波野で、年齢ははっきりしてなくて24歳から26歳。出版社に勤めていて、作家の伊佐坂先生の担当です。波平の甥にあたり、サザエさん、カツオ、ワカメのいとこになります。ちゃっかりしているところもありますが、のんびり屋で楽天家で、どことなく憎めないタイプで、何かと得をして生きています。そのいい例が、奥さんのタイコさんに尽きると思います♪

 タイコ、22歳くらい。私、この人大好きなのですが、なぜかノリスケの奥さんをやっています。(笑)イクラちゃんという1歳のわんぱく盛りの息子を持つ素敵なママで、サザエさんと年齢が近いこともあり、とても気が合います♪

 伊佐坂難物。サザエさん一家のお隣りに住む小説家で、お顔に似合わず、恋愛小説を書いています♪

 伊佐坂浮江さん。この人も、私、好きです♪伊佐坂家の長女で、美人で優しくて、しっかり者。そのうえ成績優秀で、スポーツ万能でテニスをしています。趣味はお菓子作りで、カツオとワカメの憧れの存在です。もちろん、私にとっても♪

 ほかにも、愛すべきキャラクターが、い~っぱい!


 それでは、この豆知識を参考に、オープニングの映像で、少しでも私の故郷に興味を持って下さいね♪  

 
    
    

「プロジェクトX」男たちは、戦後をどう生きたか?

2015-10-29 20:54:48 | 映画・テレビ
 三島由紀夫に関心を持つうち、同時代を生きたほかの人達についても、興味が湧いてきました。
 とくに気になったのは、戦争に深く関わった人の戦後の生き方でした。
 そこで、様々な書籍や映像作品を渉猟していたところ、かつて、NHKで放送された「プロジェクトX」が目に止まりました。
 この作品は、戦時中、軍艦や戦闘機など、軍事兵器を作った技術者が、戦後どう生きたかを何人も扱っていました。
 
「翼よ、よみがえれ」は、国産初の旅客機YS11の開発に携わった人々のお話でした。
 以下、この番組のナレーターの田口トモロヲ風に書いてみます。

 戦時中、大田稔は「隼」、菊原静雄は「紫電改」、堀越二郎は「零戦」、土井武夫は「飛燕」、木村秀政はロケット戦闘機の設計者として、その名を轟かせていた。
 彼らはみな東京帝国大学航空学科で、大空へのロマンを胸に、共に、勉学に勤しんだ仲間だった。
 「いつか、自分たちの設計した飛行機で、世界中の空を飛び回ろう」
 青春の夢は大空に羽ばたいていた。
 彼らはみな純粋に大空に憧れ、飛行機を設計することに喜びを覚える若者たちばかりだった。
 しかし、彼らの純粋な夢を、時代は許さず、大学を卒業後、戦闘機の開発に携わざるを得なくなった。
 それは、当時の軍国主義を唱えていた国の要請でもあった。
 そうして、彼らは、「隼」「紫電改」「零戦」「飛燕」などの名機を次々と世に送り、連合軍を恐怖に陥れた。
 しかし、やがて敗戦を迎え、アメリカの占領下に置かれた日本は、航空機の製造、及び開発を禁じられ、世界を恐れさせたほど優秀な日本の航空機の技術は葬り去られつつあった。
 大田稔、菊原静雄、堀越二郎、土井武夫、木村秀政ら、戦争に深く関わった者達は、悲惨な戦後を余儀なくされた。
 そうしたなか、この事態を憂慮した一人の男がいた。
 通産省に勤める赤澤璋一だった。
 1952年、サンフランシスコ対日講和条約が発効され、連合国による占領統治が終了し、航空機の製造・開発の禁は解かれたが、当時、すでに外国の旅客機が日本中の空を飛び回っていて、もう日本が旅客機を作るのは無理だと思われていた。
 赤澤は、「なんとか、元の日本に・・・日本を世界の一流国にしたい」と思い、国産旅客機の製造に着手する決意を固めたのだった。
 赤澤が眼をつけたのは、かつて、「隼」「紫電改」「零戦」「飛燕」などの名機で、世界中を震え上がらせた戦闘機の技術者、大田稔ら、5人の男たちだった。
 ようやく、彼らの消息を突き止めた赤澤は、5人を前に、こう言った。
 「日本の航空機を作りたい」
 赤澤が切り出した途端、彼らの顔つきが変わった。
 「自分たちの技術を、次の世代に伝えたい」
 「我々は、もう少ししたら、60代になる。今のうちなら、戦前に培った設計、技術を伝えていける。赤澤さん、国産機を作らせて下さい。」
 5人はみな口々にそう言った。
 赤澤は、彼らの飛行機に対する熱い思いに胸を打たれた。
 そうして、国産初の旅客機WS11のプロジェクトが本格的に動き始めた。
 5人の男たちの元に若い技術者も集められた。
 
 しかし、この巨大プロジェクトには、難関がいくつも待ち受けていた。
 まず、旅客機と、戦闘機では求められるものが違っていた。
 5人の男たちは、みな優秀な戦闘機の技術者だったが、戦闘機は乗り心地を要求されることはなく、防寒着と酸素マスクは必需品だった。
 一方、旅客機は子供から老人まで、あらゆる人が乗る。
 機内の温度や気圧は地上と同じように保たなければならない。
 機内サービスの設備に、トイレも欠かせない。
 旅客機と戦闘機はまったく別もので、1から設計を見直す必要があった。
 一番大きな難関は、国から巨額の予算を引き出すことだった。
 時あたかも、新幹線のプロジェクトが始まっており、実現性の低い旅客機の製造に、予算はかけられないと政府や国民の多くが疑問を抱いていた。
 この難関に対し、土井武夫は実物大の旅客機の模型を人々に見せ、大空へのロマンをかき立てる事で、予算の獲得に、見事、成功した。
 
 これで、旅客機の製造が続けられる!

 5人の男たちのもとに集まった若い技術者はみな希望に湧いた。

 そんな彼らに、ある衝撃が走った。

 5人の男たちが、みな旅客機の製造から身を引くと言い出したのだ。
 
 我々はもう老いてしまった。
 
 若い人に旅客機の製造を委ねる時が来たのだ。

 そして、彼らより10歳ほど若いある一人の人物に白羽の矢が当てられた。

 それは、新三菱重工名古屋航空機製作所技術部で次長を務め、1500人の部下を率いる東條輝雄という男だった。
 彼は、戦時中、零戦設計チームの一員で、「飛龍」など大型機の設計も担当した。
 能力は群を抜いていた。 
 彼に技術者として歩めと教えたのは父親だった。
 その名を東條英機と言った。
 東條英機は開戦時の総理大臣で、戦後、A級戦犯として、処刑された。
 息子の東條輝雄の戦後は厳しかった。
 世間の遺族に対する風当たりは凄惨を極めた。
 しかし、ひたすら耐え忍び、幾多の修羅場を乗り越えて、1954年から、名古屋航空機製作所で、主にF86ジェット戦闘機のライセンス生産を手掛けるまでになっていた。
 WS11の責任者の話を受けた時、東條輝雄はF86の仕事を通じて、欧米との技術格差を嫌というほど感じていたので、初めは固辞した。
 とても、実現性の低いプロジェクトだと映っていた。
 でも、とにかくまともな飛行機が飛ぶところまではやってみようーーーー東條は腹を決めた。

 そうして、幾多の困難はあったが、見事、日本初の旅客機WS11の製造に成功し、その安全性と快適さで、世界各国で、182機が飛び回った。

 彼らの、「元の日本を取り戻したいーーー日本を世界の一流国にしたい」という願いは叶えられた。  




 ソニーのトランジスターラジオの成功を扱った「町工場、世界へ翔ぶ」も、私の胸を打ちました。

 戦後すぐの日本の車や電化製品は壊れやすいので、世界から日本の製品は、どれも三流品と馬鹿にされていた。
 そうしたなか、日本再建を掲げ、トランジスターラジオを世界に売り込んだのはソニーだった。
 ソニーの前身、東京通信工業は、昭和21年に日本橋に誕生した。
 工場の周りには焼け野原が広がっていた。
 進駐軍に群がる子供たちであふれていた。
 
 ソニーを興したのは、戦時中、海軍の技術者だった盛田昭夫で、当初は仲間の井深大と、20人ほどの小さな町工場だった。
 
 日本の誇りをかけて、日本製品は粗悪品の汚名を返上し、世界に日本を認めさせたい。
 
 ソニーはそれまでの大きかった真空管のラジオから、小型で、どこへでも持ち歩けるトランジスターラジオの開発に成功し、世界に進出するべく、営業マンを欧米各国に送った。
 しかし、その道程は遠く険しく、幾多の試練が待っていた。
 とくに、日本の製品は粗悪品というイメージは大きく、どの販売店でも断られる事が多かった。
 昭和30年、まず、ソニーの創業者の盛田昭夫がアメリカに飛んだ。
 ニューヨークの卸売業者をしらみつぶしにまわった。
 だが、日本のラジオなら、どうせ、すぐ壊れると門前払いの連続だった。
 そうしたある日、チャンスが訪れた。
 アメリカの大手時計メーカーのブローバー社だった。
 ラジオ部長のアーサー・グールドは、トランジスターラジオを厳しく点検した。
 そして言った。
 「完璧だ。10万台、買おう」
 盛田は驚いた。
 聞いたこともない巨額の注文だった。
 ただし、グールドは注文を付けた。
 ジャパン・ブランドでは売れない。ソニーではなく、ブローバーの名で売る。
 無名のソニーでは売れない。一方、我が社には50年の歴史がある。
 
 注文は喉から手が出るほど欲しかった。
 しかし、日本の誇りが許さなかった。
 盛田は断った。
 そして言った。
 「50年後にはお宅より必ず有名になってみせます。」
 そうして、本格的に海外営業部を作り、世界にトランジスターラジオを売る決意をし、腕利きの営業マンを欧米各国に送り込んだ。
 しかし、日本の製品は粗悪品というイメージは大きく、販売は熾烈を極めた。
 その営業マンの一人に、小松万豊がいた。語学に長けていた。
 戦時中、小松は軍人を目指し、広島の海軍兵学校に入った。
 終戦の時は、被爆していた。
 戦後は復興を助けようと、輸入を手掛けた。
 これからは輸出だという言葉に心を決め、ソニーで営業マンとなり、ドイツに行った。
 時に、昭和35年だった。
 
 アメリカには、25歳の大河内祐が行った。
 大河内は東京大空襲の時、焼夷弾の嵐の中を逃げのびた。
 「戦争に負けて、そこから這い上がってきて、今度は勝ってやろう、これからはやるぞ」という決意を胸に秘め、アメリカに向かったという。
 一族郎党に見送られ、みな、期待の大きさに、売れなければ、日本には戻れないと思った。
 大河内らは、必殺のセールストークを考えた。
 「これさえあれば、家のラジオにしばられているあなたの暮らしが変わります」

 ある日、憩いの場所を見つけた。
 当時、アメリカでは珍しかった日本料理店だった。
 そのお店は、秋刀魚の塩焼き、豆腐の味噌汁、そして白い飯を食べることが出来た。
 そこには、アメリカ進出を始めたばかりの日本企業の営業マンも数多く集まっていた。
 自動車メーカーはポンコツ車と罵られていた。
 カメラ会社はドイツのまがい物と相手にされなかった。
 研究を重ね、苦心の末に作り上げられた日本製品が売れずにもがいていた。
 そのお店に集まった営業マンは業種は違ったが売れずに苦しんでいて、口には出さずとも、お互い頑張ろうと同胞意識を持っていた。



 一方、ヨーロッパを任された小松は、一つのユニークな提案をした。
 カフェに入ったら、必ずこう注文しよう。
 「ソニーを下さい」
 ウェートレスはきょとんとするだろう。
 しかし、ヨーロッパが日本を認めてくれたら、「ソニーはラジオでしょう?」と答えるだろう。
 それまで頑張ろう。
 


 アメリカは順調に滑り出した。
 営業マンの考案したセールストークが受けた。
 しかし、まもなくとんでもない事態が発生した。
 修理の依頼が数多く寄せられ、倉庫は故障したラジオでいっぱいになった。
 盛田昭夫は、指折りの修理工をアメリカに送った。
 どれも、コンデンサーに異常をきたしていた。 
 故障したラジオは日に日に増えるばかりで、やはり、日本の製品はダメだと信用を失いつつあった。
 日本では壊れないのに、アメリカで販売しているラジオだけ、なぜ壊れるのだろう?
 原因はなかなか掴めなかった。
 ある日、日本の技術者に出会い、その男がこぼした。

 「コンデンサーが壊れて、参っているんです」

 うちの製品だけじゃない。ラジオが日本から送られてくる途中で、何かが起きている。
 そこで、はたと気づいたのは船で輸送中、熱帯のパナマ運河を通ることだった。
 倉庫の中はとんでもない高温多湿になるに違いない。コンデンサーには湿度が高くなると変質する銀が使われていた。
 そうして、原因を究明し、湿度に強いコンデンサーに変えることで、故障するラジオが激減し、アメリカでの信用を回復した。
 
 ヨーロッパの方も売上を図ろうと、日本ブランドのイメージを確立するため、一流品だけを扱うお店に置くことにし、昭和36年12月、経費のすべてを投入して、新聞に全面広告をうった。
 
 あなたのクリスマスにソニーのラジオをどうぞ


 それは大成功を収めた。
 ヨーロッパの人にとって、もっとも大切なクリスマスの日に、家族や恋人に心をこめて贈るプレゼントにソニーのラジオが選ばれたのだ。

 それから、まもなくだった。
 小松が、久しぶりにカフェに入り、「ソニーを下さい」とウェイターに言うと、「ソニーはラジオでしょう?」と返事が返ってきたのは。
 ソニーの名は有名になっていた。
 苦しかったヨーロッパ戦線で、待ち望んでいた答だった。

 アメリカでは、昭和37年10月、ニューヨーク5番街に、ソニーはショールームを開いた。
 日本企業としては初めての快挙で、多くの日本人であふれかえった。
 7年前、トランジスターラジオをアメリカで売るためには社名を捨てろと言われた盛田昭夫も駆けつけた。
 盛田は言った。
 「日の丸の旗をあげよう」
 ニューヨーク5番街に、星条旗とともに、日の丸の旗が翻った。 
 それを見て、泣いている男たちがいた。
 かつて、日本料理店で、売れずに苦しんでいた他の企業の営業マンたちだった。
 車、カメラ、電化製品メーカー・・・ソニーの社員でもないのに泣いていた。
 
 日本の誇りをかけて、メイド・イン・ジャパンを世界に認めさせようとした彼らの熱き思いは、見事、成功したのだ。

 
 この「プロジェクトX」には、そのほか戦時中、陸軍科学研究所で、軍艦の航行に不可欠な信号装置を手掛けた陸軍大尉の川辺一、海軍航空技術廠で零戦の改良に携わった松平精、そして特攻機・桜花を手掛けた三木忠直の三人が主力となって作った「執念が生んだ新幹線」のエピソードも胸を打たれました。
 とくに、私の心に響いたのは三木忠直で、自身の手掛けた特攻機で、多くの若者が命を散った自責の念から、戦後、宗教に救いを求め、平和産業の鉄道に魅力を覚え、新幹線の開発に乗り出したことです。


 また、日本中が総力を結集した南極観測船の巨大プロジェクトを扱った「運命の船・宗谷発進」では、老朽船「宗谷」を、南極観測船として、厳寒の南極に耐えるよう改造を設計した牧野茂のエピソードが、胸を打ちました。
 牧野茂は、戦前、日本の命運をかけた戦艦大和を設計した老技術者で、当時、世界最大の軍艦は2700人の乗組員とともに、海のもずくとなり、牧野茂は、長い間、自責の念を感じていて、今度は自分の設計技術を日本の復興のために使えると、改造に没頭していたそうです。


 こうして、私は軍艦や戦闘機など、戦争に深く関わった技術者の戦後の生き方を観てきた訳ですが、モノを作るのが好きで、技術者になったのであり、戦争に深く関与したことに自責の念を覚え、戦後、日本の復興に寄与したいと願った人が多くいたことに感動せずにはいられませんでした。
 


 平和は、やはり、大切なんですね。


     
三島由紀夫を通じて、平和の大切さとか、元の日本を取り戻そうと尽力した戦争に深く関わった人々のエピソードを知り、さまざまな思いを巡らさずにはいられませんでした。
 

 
 
 
  
 
 
 
 

「タイガーマスク」これぞ、本物の正義の味方♪

2015-08-19 23:18:09 | 映画・テレビ


 今回は久しぶりに、正義と悪のお話をします。
 取り上げますのは、テレビ・アニメの「タイガーマスク」です。
 理由はちょっと前にお話した同じ原作者の梶原一騎さんによる「あしたのジョー」と「巨

人の星」に、すっごく感動したからなの。
 それにね、数年前、このアニメに登場する伊達直人の名で、養護施設に寄付する人が、全

国に続出し、話題になった事があったでしょう?
 あれには私もすごく感激して、4年前にブログにも書いたほどなの。
 だけど、このアニメ、私のちいさい頃に放送はしていたんですけど、あまり観た記憶はな

かったの。
 それでね、ずっと記憶の糸を辿ってみたら、最初のうちは観ていたような気がするけど、

途中から、テーマ曲とエンディング曲の時だけ観てて、肝心の本編は観てなかったって事を

思い出したの。
 
 主題歌とエンディング曲は大好きだったんです~♪
 
 主題歌は血沸き肉踊る感じで、かっこよかったですよね。
 またエンディング曲は、なんだかもの悲しいメロディで、タイガーマスクのお兄ちゃんの

子供の頃の映像が出てきて、あれは終戦直後なのか、ボロを身にまといながら、廃墟の街を

さまよってて、それがたまらなく可哀想で、私はそれを見ると、いつもしくしく泣いていた

の。

 だけど、私、どうして、肝心の本編は観なかったんだろ?
 
 でも、番組そのものは、あまり興味はないけど、主題歌は好きで、そこだけ観てたって事

ありますよね?
 私が、ほかにそうしていたのでは、NHKの大河ドラマの「草燃える」と「黄金の日々」があ

るの。
 私ね、大河ドラマって、どうしても観れない人で・・・あれって、時代劇独特のセリフの

せいかしら?何度、観ようとしても、すぐチンプンカンプンになって、1話すら、最後まで

、まともに観たことがないの。(苦笑)
 まあそういう事でね、「タイガーマスク」がどんなお話か知りたくて観たくなったという

訳。
 あ、それとマンガ版の方も読んでみました。
それで観てみたら、私が観なくなった理由がだんだん分かってきたの。
 取っ組み合って、相手を負かすプロレスがこんなに激しいものだとは思わなかったです。
 だって、戦う場面で、必ず、血しぶきが飛ぶし、それに反則技がすごいの!
 
例えば、こんなのとか。

 これって、こんなことしたら大怪我だけじゃすまなくて死んじゃうじゃない?


 それに、このプールデスマッチでは、ピラニアまで出てくるの!

 本物のプロレスでも、プールの中で、ピラニアに食いつかれながら闘ったりしてるのかし

ら?



 でも、数ある反則技の中で、もっとも相手に打撃を与えるのは、ええっとね、ええっと・

・・ヤダ、私、何、恥ずかしがってるのかしら?

 それは、ジャジャン!!急所げり~!!(真っ赤)


 どうして、そんなとこ狙ったりするの。

 もう、恥ずかしいったらありゃしない・・・(真っ赤)

 だけど、男性のタマタマって、蹴られるとそんなに痛いものなんですか?

 鍛える事って出来ないの?

 あんなに痛がって、もだえ苦しんでるところ見ると、撫で撫でしてあげたくなっちゃうか

も・・・


 ところで、反則技はこれくらいにして、タイガーマスクと闘うレスラーにしても、とても

ユニークなキャラが沢山、出てくるの!
 
 ブラックパイソン、ゴリラマン、スターアポロン、ライオンマン、ミスタークエスチョン

、赤き死の仮面、ミスターカミカゼ、ジャングル・キング、ブラックV、ミラクルスリーなど

など・・・ 

 ね?
 名前からして、ユニークでしょう?

 でも、そんな数あるレスラーの中で、私がもっとも注目したのは、鉄腕ジョーの名で、虎

の穴の指導者だったストロング・アームなの!
 鉄腕ですよ、鉄腕!
 鉄腕といったら、マンガの神様・手塚治虫先生に「鉄腕アトム」って作品があるでしょう



 きっと、あれから取ったんですよね?

 いいえ、そうに違いないです!

 このキャラは、原作マンガには出てこないので、アニメだけのオリジナルだと思うんです

けど、
手塚治虫先生はテレビ・アニメの創始者でもあり、その第1号が、「鉄腕アトム」だ

ったので、ちょっと似た名前にして、敬意を込めて、「タイガーマスク」に登場させたので

はないかしら?
 だからね、鉄腕ジョーは、虎の穴出身の悪役レスラーだったのに、タイガーマスクが養護

施設に寄付をしていると知った時、理解を示し、必殺技を編み出すべきだとヒントまで与え

て、去っていくの。


 それでね、さっきも言ったように、この鉄腕ジョーは原作マンガには登場しませんけど、

その代わり、手塚治虫先生の名作「火の鳥」が出てくるんです!
 

「火の鳥」は、「巨人の星」にも登場してましたので、原作者の梶原一騎さんが、手塚先

生に、尊敬の念を抱いていた何よりの証拠ではないでしょうか?


 あ、ついでだから、「サイボーグ009」と「鉄人28号」が、「タイガーマスク」に採

用されなかった訳も書きましょうか。(笑)
 「サイボーグ009」は、9人だから、そんな大勢で、タイガーマスクと闘うなんて卑怯

だからだと思います。
 こちらが9人なら、敵も9人じゃなきゃフェアじゃないですよね?
 寄ってたかって、1人を攻撃するなんて、リンチ以外の何ものでもないでしょ!
 それに、タイトルからして良くないです!
 というのも、昔、お胸のない人を、ペチャパイとか、ボインの反対だから、ナインて言っ

てたんです。
 だから、それに00が加わると、009は、限りなく0に近いほど、お胸がぺちゃんこっ

ていう意味にとれちゃう訳。
 これって、はっきり言って、セクハラですよね。
 それに私は、ちゃんとおっぱいあるし。
 009なんて、本当に失礼しちゃうわ!
 そこで、これからは「サイボーグ009」じゃなく、「サイボーグ・ぷるるんボイン」に

したらどうでしょう?

 ね?聞いてる??ファンの人???

 これからは、「サイボーグ009」あらため「サイボーグ・ぷるるんボイン」にするのよ


 お分かり♪


 だったら、次「鉄人28号」は、なぜ選ばれなかったかというと・・・
 鉄人の場合、せめて兜(かぶと)と鎧(よろい)は取らなくちゃですよね。
 だって、プロレスラーって、たいてい半裸でしょう?
 それに私、鉄人の中に、どんな人が入ってるのか見てみたいの。
 
 え?
 あれはロボットだから、中は歯車とか、バネとか、ピストンとか、メカしか入ってないで

すって?


 いいえ、鉄人は、本当はロボットじゃないと思う。

 あれは、人がロボットのふりをしてるだけだと思う。

 それに証拠だって、私、いくつも握ってるもん!!


 何で?って言う、そこのあなた、わからないなら教えてあげましょうか?
 
 実は、横山光輝先生自身、鉄人は本当はロボットじゃないと、それとなく読者に伝えてい

たのだと思いますヨ♪

 まず、鉄人が活躍していた時代に注目すべきです。
 鉄人は、はるか未来じゃなく、昭和30年代に活躍した事になってるでしょう?
 科学万能と言われる現在でさえ、鉄人のようなスーパーロボットは、いまだ発明されてな

いのに、どうして、昭和30年代に発明出来るの訳?
 いくら、敷島博士が天才科学者でも、無理に決まってます。

 天才と名が付けば、何でも出来ると思ったら大間違いだわ!


 二番目に、場面ごとに、鉄人の大きさが変わるのは、何人もの人が、鉄人の中に入ってい

たからだと思います。
 あれほどの怪力を人間が出したら、すぐに疲れちゃうでしょう?
 だから、すぐにほかの人にバトンタッチしてたので、鉄人の大きさが違っちゃってるの。
 つまり、身長を統一するより、腕力や体力を優先してたって事なの。

 三番目は、リモコンです。
 鉄人の大きさも場面ごとに変わっちゃいますけど、それに合わせたかのようにリモコンも

ころころ形が変わっちゃうんです。

 これも、不思議でしょう?

 しかも、あんな単純なリモコンで、複雑な動作を鉄人にさせるのは、現代科学の粋をもっ

てしても、無理だと今の科学者も断言してるんです。
 そこで、正太郎君に気をつけて見てみると、リモコンを操作しながら「鉄人、モンスター

をやっつけるのは今だ!」とか、「よし、とどめだ!」とか、鉄人に向かって、命令を発し

てるじゃない?
 リモコンだけで鉄人が動かせるなら、声を出す必要はないのでは?

 つまり、リモコンはただ操作してる振りで、本当は声で、鉄人の中に入ってる人に命令を

出していた。


 ね?
 すごい説得力でしょう?
 だから、鉄人28号は、人間が入ってたの♪

 
 閑話休題。
 ここから、真面目にいきます。
 「タイガーマスク」のテレビ・アニメ版、マンガ版ともに鑑賞して思ったのは、世にはび

こる「おれは正義の味方」と言いながら、平気で暴力をふるうキャラクターへのアンチ・テ

ーゼとして描かれたのではという点です。
 なぜなら、この作品のいたるところに反正義の味方を意識しているのが伺われるからです


 それは、タイガーマスクが、当時、正義の味方がよく羽織っていたマントをし、正義の味

方と名乗っている場面や、普段は誰にもタイガーマスクだと知られずに、冴えない伊達直人

を演じ、いざという時だけ、かっこよくタイガーマスクに変身するのにも現れています。
 そして、世に言う正義の味方は、悪が暴力をふるうから、それを阻止するために暴力で応

戦するのが常ですが、タイガーマスクの場合は、悪役レスラーがどんな反則技を使っても、

反則はしないのです。
 ちゃんとルールを守って、フェアな試合を心掛けるよう努力する。
 すると、中には「おれは、今まで間違っていた」と改心する悪役レスラーまでいるのです


 これが、普通の正義の味方が登場する作品ですと、悪は絶対、改心しなくて、正義の味方

が徹底的に殴る蹴る武器で傷を負わせるなどして、暴力の限りを尽くし、最後は殺しちゃう

のです。
 これでは、どちらが正義か悪か分からないですよね?
 それに、相手が暴力をふるうから、こちらもふるうなんて、それでは子供のケンカと一緒

でしょう?
どうして、正義は愛とか、法を遵守し、平和的な解決策を探ることだと言えないのでしょう



 本当に、自分は正義の味方だと言い張りたいのなら、タイガーマスクみたいに正々堂々と

、フェアプレイに徹し、反則技という悪の連鎖を断ち切る努力をしなくちゃいけないのでは


 だけど、これで終わらないのが、「タイガーマスク」のすごいところで、正義の味方は、

決して、間違いを犯さず、いつもスマートで爽やかな笑顔を浮かべていますが、そんな人間

て、実際はいませんよね?
 タイガーマスクは、相手がどんな反則技で攻めてきても、フェアプレイをモットーにして

いるのですが、最後の強敵ミラクル・スリーのあまりの反則技に、マスクを剥がされ、つい

に堪忍袋の緒が切れて反則の限りを尽くしてしまうのです。
 それも、伊達直人(タイガーマスク)が面倒を見ていた養護施設ちびっこハウスの子供達

がテレビで見てる前で。
 実は、はじめタイガーマスクは虎の穴で養成された悪役レスラーだったのですが、ちびっ

こハウスの子供達に素直に育ってほしいとの願いから、正統派のレスラーに転身していたの

です。
 そうして、反則の限りを尽くし、タイガーマスクは、虎の穴の支配者ミラクル・スリーに

勝つのですが、健太をはじめとするちびっこハウスの子供達の前から、何も言わずに忽然と

姿を消してしまうのです。

 その理由を、タイガーマスクは明かしません。

 「子供達は、いつの日か、きっとわかってくれるだろう」という言葉だけを残して。
 
 
 それをどう受け取るかは、私たち次第なのです・・・ 
  




 

  
 
   


   



  
  
 

「奥さまは魔女」

2015-08-16 11:39:54 | 映画・テレビ
 お久しぶりです。
 お盆休みも今日で最後という方が多いと思いますが、どう過ごされたでしょうか?
 うちは、息子が揃って帰って来なかったので、ちょっと淋しいお盆になっちゃいました。
 それでは気を取り直して、早速、本題に入らさせていただきますね。
 
 先日、古本屋さんに行ったら、横山光輝著の「夜光島魔人」というマンガを見つけたの。

 このマンガは、以前、私がブログで親しくさせていただいている空飛ぶアカエイさんに、

そのネーミングの元になったキャラクターが登場していると教えて下さった事があります。
 でも、その時、私はそのマンガを知らなかったですし、買おうとしても高いのではと思っ

て、あまり興味はわかなかったの。
 ところが、それは文庫本で出てたんです。しかも、古本屋さんなので、かなりリーズナブ

ルなお値段で。
 どうしよう?買おうかな?
 でも、有名でないという事はさして面白くないのかも知れない。
 だったら、いくらリーズナブルでも買うのはよそうかなと、そっちの方に傾きつつあった

の。
 だけど、少年マンガでは、正義と悪が重要なテーマになる場合が多いじゃない?
 ということは、空飛ぶアカエイというキャラクターも、どっちかに分類されてる可能性は

大いにあるって事じゃないですか?
 ブログで親しくさせていただいている空飛ぶアカエイさんとは、もうかれこれ4年ほどの

お付き合いで、ブログを読んだり、コメントをあげたり貰ったりして、私の中ではいつしか

大切な人になっちゃってます。
 でも、直接会ったこともなければ、当然、さわられた事もありません。
 つまり、ブログ以外では謎の人って訳!
 そんな私は、数少ない情報から、私なりにいろいろ想像はしていたの。
 私は、今、人って書いちゃいましたけど、空飛ぶアカエイというのは真実で、人間以外の生物ではないか?
 私の推測では、プロフィールの画像にあるように、ある使命を帯びて、夜な夜な、空を飛

び廻っている気がするんです。
 そして昼間はね、水中生物ということで、お風呂にずっと浸かってる。
 そうじゃなきゃ、ぐたっとなって、すぐに死んじゃうから。
 ブログを書くときは、パソコンのキーを、尾っぽの先で、ちょんちょんと押して書いてる

んじゃ?
 私は、ずっとそう思っていたの。
 でも、「夜光島魔人」を読めば、その謎が解けるかも知れない!
 そして、空飛ぶアカエイというキャラクターが正義か悪かも分かるかも知れない!
 もし、空飛ぶアカエイが悪だったら?
 その可能性もなきにしもあらずですよね?
 万が一、悪だったら、悪と仲良くする訳にはいかないのでは?
 4年間も仲良くさせていただいて申し訳ないけど、お別れするしかないかも?
 それとも、読まずにいようかな?
 それなら、これからもずっと仲良くお付き合い出来るかも知れないし。
 でも、この重要な問題を有耶無耶のままにさせておいていいの?
 
 決めました!
 
 この際、白黒、はっきりつけようじゃないの!

 そうして、私は「夜光島魔人」を大金320円で買い求め、恐る恐る読んでみたの。

 すると、いきなり、空飛ぶアカエイが人を襲って殺しちゃってるんです!

 さらに読み進めていくと、主人公の山形三郎少年と、その兄まで襲ってる!

 空飛ぶアカエイは悪に違いないわ。

 私が親しくさせていただいている空飛ぶアカエイさんとの関係ももはや風前のともしび・

・・

 さようなら、空飛ぶアカエイさん。あなたとの別れは辛いけど、私、悪と仲良くする訳に

はいかないの。
 でも、今まで、いろいろ親切にさせていただいた事だけは忘れませんから。(涙)

 一時、そう思ったものの、念のため、最後まで、「夜光島魔人」を読んでみる事にしまし

た。
 すると、空飛ぶアカエイの意外な正体が明らかになったのです!
 私は、それまで、空飛ぶアカエイはマッド・サイエンティストによりバイオ技術で作られ

た画期的な新生物だと思っていたの。
 ところが、これを見て下さい。

 空飛ぶアカエイの正体はこの通り飛行服で、人間がこれを着て、自由自在に空を飛び回っ

ていたの!
 
 ええっと、ということは空飛ぶアカエイ自体に正義とか悪の観念はなく、それを着た人に

よるってことみたい。

 ああ、ほっとした~

 私、空飛ぶアカエイさんとお別れしなくていいんだわ♪

 
 空飛ぶアカエイさん、ドキッとさせちゃってごめんなさい。
 
 空飛ぶアカエイさんの事、悪と疑ってた訳じゃないんですけど、ま、一応ね。(笑)

 そこでお詫びのしるしに、空飛ぶアカエイさんが尊敬している横山光輝先生の作品で、私

が横山作品でもっとも好きな「魔法使いサリー」を書こうと思ったのですが、すでにご紹介

してますので、今回は横山先生がそれを描くきっかけとなったテレビ番組「奥さまは魔女」

について書きたいと思います♪ 

 無理やり、こじつけたなと気づきました?(笑)
  
 なんでも、この番組で、日本では「魔法使いサリー」以下一連の「魔法少女もの」と呼ば

れるジャンルが作成されるきっかけになったそうです。
  
 もちろん、私も大好きで、よく観てました。
 サマンサみたいに魔法が使えたらと、どれだけ鼻をピクピクさせようと真似たことでしょ

う。

 そう、女の子って、占いに代表されるように不思議なものが大好きなんです。
 それは、もしかしたら男の子みたいに腕力がないからかも知れません。
 だから、魔法で、嫌な相手をとっちめたり出来るこのドラマの主人公サマンサに憧れてた

のかも?(笑)
 それに、私に笑いのコツを教えてくれたのも、この番組だったのです。
 というのも、この番組を私が観てたのは、かなり小さな頃で、面白いには違いないのです

けど、どこで笑えばいいのか、まだよく分からなかったの。
 だけど、この番組のすごいところは、ここで笑いなさいよと言わんばかりに笑い声が入っ

てたことなの。
 それでね、幼い私は、その笑い声を聞いてから、安心して笑ってたの。(苦笑)
  

 それでは簡単に、この番組を説明しますね。
 サマンサは愛するダーリンと新婚ホヤホヤなんですが、自分が魔女であるのを黙って結婚

しちゃったのです。
 そこへ現れたのがサマンサの母親のエンドラ。
 エンドラは、魔法を使えない人間を下等動物とバカにしていて、魔法の国に連れて帰ろう

とするのです。
 だけど、サマンサはダーリンに本当は魔女だと打ち明け、それを聞いたダーリンは最初は

大変、驚くのですが、「それでも僕は君と別れるつもりはない」と結婚生活の継続を宣言す

るのです。
 
 なんて、優しいダーリン♪

 そこからエンドラをはじめとする彼女の親戚たち魔法使いが次々と現れては珍騒動を繰り

広げ、番組は続いていくのです♪
 
 私は、この記事を書くにあたって、久しぶりに観たのですが、今みたいな高度なCGじゃな

く、いずれも初歩的な特撮ではありますが、突然、エンドラが現れたり、ものが消えたりだ

とかを、実に効果的に使っていて、あまり特撮に頼らずに楽しませてくれる点が良いなと思

いました♪

 そして、観ているうちに、いつしか、サマンサみたいに鼻をピクピクさせている自分がい

ました♪


 魔法はあらゆる常識を打ち破って、ありとあらゆる想像力を無限に引き出してくれるとこ

ろが素晴らしいと思います。

 もし、あなたの奥さまが魔女だったら、どうします?
 

 きっと、それはそれは素晴らしい結婚生活が待っていること、断言します♪



 奥さまの名前はサマンサ。
 
 そしてだんな様の名前はダーリン。
 
 ごく普通の二人はごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。

 でも、ただひとつ違っていたのは、奥さまは魔女だったのです♪





  

ゴジラよ、永遠に♪

2015-06-07 16:25:48 | 映画・テレビ
今回は、以前、「怪獣映画祭り~♪」の記事でお約束した「ゴジラ」のお話をします。
 
 え?
 どうして、このタイミングなのかですって?

 ええと、それはですね、前回、ご紹介したエッセイ「反貞女大学」の作者、三島由紀夫

が、「ゴジラ」と深い関わりがあるのを知っちゃったからなの。

 三島由紀夫も、最近、お話してる吉永小百合さん同様、私がもっとも気になる人なんで

す♪
 私は三島由紀夫が才能を高く評価していた映画監督の大島渚さんが、生前、テレビのイ

ンタビューで、「ゴジラ」を作る気はないですか?」と司会者に聞かれ、「作らないかと

言われたら、作る気は大いにあるよ。だけど、誰も大島渚に「ゴジラ」を作れと言って来

ないんだ」と苦笑混じりに答えたのを覚えています。

 もし、大島渚さんが、「ゴジラ」を撮ったら、どんなのが出来てたかしら?

 
 あ、もしかしたら!

 大島渚さんといえば、野坂昭如さんと、テレビ番組「朝まで生テレビ!」で、ビンタの

応酬をしてたので有名じゃないですか?
 (因みに、三島由紀夫は、野坂昭如さんの才能をいち早く見抜き、処女作「エロ事師た

ち」を高く評価していたとか。)
 だから、文学怪獣ノサカザウルスというのを登場させて、ゴジラと、ビンタの張り合い

をさせてたかも!?

 タイトルは、その名も「朝まで生ゴジラ!」 
  
 ノサカザウルス
 「お前な、あの三島由紀夫に評価されたからって、全然、自慢になんないぞ。俺だって

、三島由紀夫に認められていたんだぞ!」

 ゴジラ
 「なんだと!俺のほうが、お前より、ずっと高く評価されたに決まってる!!」

 バシッ!

 バシッ! 

 バシッ!  


 かくして、ビンタの張り合いは永遠に続くのであった♪



 ところで、昭和29年の1作目の「ゴジラ」は素晴らしかったのに、だんだん、つまら

なくなったと言う人がいますよね?

 本当にそうなのでしょうか?

 実は私、昭和29年公開当時の1作目の「ゴジラ」を観たマスコミがどう反応したのか

、資料を入手しちゃったのです。

 それによると・・・


 「映画は、ゴジラ対策の人間側でいろいろと芝居を盛り込むが、この処理がまったく拙

い。荒唐無稽なものにせず、科学的な面も見せようという手段も実に不手際。特殊撮影だ

けがミソの珍品である」(読売新聞 11月3日付け夕刊)

 「志村喬の学者以下人間の方のお話がついているが、こっちはあまりうまくない。最後

にナントカいう新発明の一物をもって、若い学者が海底に潜っていき、ゴジラが一休みし

ているところへぶっつけるところなんか、やたら決死隊みたいでかえってナンセンスであ

る。人物はどれもセンチメンタルでみみっちく、人臭くてゴジラ氏の感じとちぐはぐだ。

」(毎日新聞 11月4日付け)

 「ゴジラ征服の研究が破壊兵器に利用されることを恐れる科学者の悩みやゴジラ退治を

反対する生物学者を配合する傍筋は、いかにも当世流のとってつけたようなものである。

従って見物的興味以外は期待できない」(東京新聞 11月5日付け)

 「最後の3分の1くらいは大変、感傷的でつまらなくなる。東京の悲惨な状況を描き、

災いの根本が水爆実験にあると言わんばかり。水爆に絡む、その絡み方が嫌味である。こ

んな空想映画はいっそのことカラリと仕上げた方がよかろう。化学者も文学青年のように

センチである」(週間朝日 11月14日号)

 「最後に若い科学者が怪物退治に新発明のナニカをもって海に潜るなんぞというのに至

っては特攻隊そのもので、困った精神である」(サンデー毎日 11月14日号) 

「困ったことに脚本家と監督者はいとも現実的なみみっちいものを持ち込み、小市民映

画みたいなぼそぼそとした演出をえんえんとはさみ、なんだか深刻な理屈まで加えて普通

の劇映画も及ばぬくらい人物を懊悩させる。そのために全体がちぐはぐになり、空想を空

想として楽しめず、薄暗い嫌な後味が残る。もちろん、この怪獣によって水爆時代に対す

るレジスタンスをこころみようという意図があったに違いない。が、それはいささか欲張

り過ぎだし失敗である」(キネマ旬報 12月上旬号)

 参考資料「懐かしのヒーロー・大怪獣ゴジラ99の謎」より

 
 これ、どう思いますか?
 どのマスコミも、「ゴジラ」を、けちょんけちょんにけなして、まったく評価してない

じゃないですか!


 つまり、「ゴジラ」はだんだん、つまらなくなったのではなく、最初の1作目からして

駄作だったって事!

 もしかしたら、「ゴジラ」が素晴らしいと言っているのは、特撮オタクの人だけなんじ

ゃないの?
 
 
 
 しかし、ご安心下さい。
 映画通のマスコミ関係者がまったく評価しなかった「ゴジラ」を、ただ一人、養護した

人がいたんです。


 それが、ジャジャン!誰あろう、あのノーベル文学賞候補にもなった三島由紀夫その人

~~~!!!


 またまた、三島由紀夫が出てきちゃいました~♪
 

 何でも、公開当時、「ゴジラ」を、多くの文化人が「ゲテモノ映画」と酷評する中、特

撮部分だけでなく内容についても「文明批判の見地がある。」と三島由紀夫は高い評価を

与えていたとか。


 さすが、ノーベル文学賞候補にもなっただけはある~♪


 ていうか、三島由紀夫がノーベル文学賞を取れなかったのは「ゴジラ」を高く評価した

からかも?


 
 ゴジラ・ファンの皆様、これ、ほんのジョークですからね♪


 とにかく、三島由紀夫が「ゴジラ」を評価してたのなら見ない訳にはいかないですよね



 
 それともう一つ、今回、書こうと思った理由に「ウルトラシリーズ」を書いた時、突然

、現れた怪獣博士との再会を記念するという意味もあったんです。

 私はその怪獣博士との出会いが、すっごく嬉しかった半面、悩んじゃったのです。

 怪獣博士を引き止めるには、このままずっと怪獣のお話をしなければいけないんじゃ?

 そう思って、「ウルトラシリーズ」を続けてたのですが、もう、これ以上は無理・・・

 私、怪獣のお話ばかりは書けない・・・


 どうしよう、出会いは別れの始まりとも言うし・・・


 よ~し、だったら、沢山の怪獣映画のお話をして、怪獣博士を盛大に見送っちゃいまし

ょう!


 それだったら、怪獣博士も心置きなく、私とお別れ出来るに違いないわ。


 「怪獣映画祭り~♪」の記事を書いたのは、そういう訳だったの。(苦笑)

 そうして、その怪獣博士とお別れし、暫くは何の音信もなかったのですが、私が忘れら

れなかったのか、最近、帰って来ちゃったのです!

 しかも、今度は怪獣のお話じゃなく、素敵な大人の男性のお話をしてくれたの。

 
  
 怪獣博士、すごい!

 私、すごく嬉しい♪


 そういう二つの理由で、「ゴジラ」の記事を書こうと思った訳♪ 


 だけど、私は映画好きの割には「ゴジラ・シリーズ」は、ほんの数本しか観てないの・

・・

 だって、「ゴジラ」は特撮で、街を破壊したり、戦闘シーンがあったりして、暴力的だ

し、女性が観るようには作られてないでしょう?

 だから、どんな心構えで観たらいいかわからなかったの。

 そんな時、天から声が聞こえてきたの。

 
 え?
 それだったら、名案がある?

 私が、ゴジラになったつもりで、今まで私を振った男性を怪獣に見立て、やっつければ

気持ちいいかもですって?

  
 なるほど、それは名案かも!?


 「よくも、私という素敵な彼女がいながら、ほかに女を作って、振ってくれたわね。
 
 あんな女のどこがいいの?

 どうして、私が、あの女に負けなきゃいけないの?

 あなたに、女を見る目はないの?

 
 もう、悔しいったらありゃしない!!

 
 あんたなんか、こうしてやる~!! 」
 

 「ガオーッ!」

 バシッ!バシッ!(怪獣を殴ったり、蹴ってる音)

 
  ついでに、火なんか吹いちゃったりして♪
 

 キャー♪

 気持ちいい~~♪♪

 すっきりする~~~♪♪♪



 でも・・・

 なんだか、むなしい・・・

 こんな事したって、あの人が帰って来る訳じゃないし・・・(涙)

 
 それにさ、私って、清楚で、思いやりのある優しい女の子だから、そんな暴力的なこと

出来るはずないじゃない・・・


 ロマンチックで、感動的な何かがないと、とても「ゴジラ」を観る気になれない・・・
  

 そこまで思った私は、突然、ゴジラに、ミニラという息子がいた事を思い出しちゃった

のです!

 私、奇跡的にそれだけは知ってたの!!
 

 ゴジラに息子がいるという事は、奥さんもいるって事じゃない?

 ゴジラが何もしないで、ミニラが生まれるはずもなく、もしかしたら、ゴジラとメスゴ

ジラのラブシーンがあるかも知れない!


 だったら、観てみた~い♪


 こうして、ようやく、本格的に「ゴジラ」を観る気になったの♪  

 私が観たのは、第一作目から、去年公開のハリウッド版「GODZILLA」までの、全30

作に加えて、新たなカットを入れて、再編集された1957年公開のアメリカ版「怪獣王

ゴジラ」と、「ゴジラ」を作るヒントになったと言われる1953年制作の「原子怪獣現

わる」と、CGのゴジラが登場する「ALWAYS 続・三丁目の夕日」と、平成の「モスラ」

三部作と、東宝の未公開特撮映像集のビデオ数作です。
 
 つまり、「ゴジラ」に関する作品はほぼすべて網羅したことになります♪



 ところで、ゴジラは、1954年3月1日に、ビキニ環礁の水爆実験で、被爆した第五福竜

丸の乗組員達に着想を得て誕生した水爆の申し子と言われてますよね。

 という事は、「ゴジラ」を観るには、まず水爆について知る必要があると思うの。

 ウィキペディアによると、原爆は強力な兵器であるが、核分裂反応の連鎖反応の進行時

間と温度上昇による飛散(爆発)までの時間との競争の問題などから、最大でも広島・長

崎級の原爆の10倍程度の爆発エネルギーをもつ原爆しか作れないそうです。それに対して

、熱核反応(核融合反応)はそれを起こす物質を追加すればいくらでもエネルギーを増加

させることが出来る特徴を持ってるとか。
 そのため、熱核反応を利用する事で、広島・長崎級原爆の数十倍から、数百倍の爆発エ

ネルギーを持たせた核兵器が開発出来る。
 それが、水爆で、歴史上最大の威力の水爆はソ連の「ツァーリ・ボンバ」と呼ばれるも

ので、50メガトン(広島・長崎型原爆の約3,300倍、第二次世界大戦で使用された全

薬の10倍)の核出力を誇った(本来の設計は100メガトンを超えていたが、自国の環境に

配慮して威力を抑えたと言われている)。ですって!!!


 広島・長崎に投下された原爆の3,300倍!!


 恐ろしい~!!! 


 だったら、なぜ、人類はそんな恐ろしい水爆を作ったのでしょう?   


 これは、アメリカと、ソ連の東西冷戦に端を発しているらしいです。 

 ソビエト連邦はレーニンを指導者として、社会主義国を建国しましたが、それを受け継

いだスターリンは工業生産とともに軍事力の増強に着手し、次第に強大な国家への道を歩

み、ポーランドを軍事占領するなど、アメリカを始めとする資本主義の国々に多大な不安

と怖れを与えるまでになったそうです。

 一方のアメリカも、そうしたソ連の軍事力に脅威を覚え、ソ連を圧倒する化学兵器の開

発に余念がなかった。
 そうした途上で、1945年7月16日、原子爆弾が作られ、時のアメリカ大統領トル

ーマンの指示で、日本に投下されて、悲惨な結果を生むことになった。
 戦後初の核実験は1946年で、その時、初めてビキニ環礁で行われ、アメリカはソ連

に見せつける目的で、第2次世界大戦で使われた日本の戦艦長門を始め、軍艦70隻あまり

を、瞬時に破壊した。
 それは、アメリカの圧倒的な軍事力の優位をソ連に誇示するものであった。 
 それに対し、スターリンは危機感を覚え、国中の科学者に、原爆の開発を急がせた。
 そのソ連が、原爆の開発に成功したのは、4年後の1949年で、一瞬にして、地球を

も壊滅させる核の力を、米ソ両国が手にしたことで、冷戦は一気に核戦争の危険をはらむものとなった。
 そうして、米ソは相手を上廻る核戦力を維持しようと軍拡競争を押し広めた。
 1952年、アメリカの大統領選挙で、第2次世界大戦中、連合軍の最高司令官を務めたアイゼンハワーが当選する。
 アイゼンハワーは共産主義国に決然と対向する意志を見せ、1952年11月1日、エ

ニウェトク環礁において、初の水爆実験に成功し、再び、ソ連に対し、軍事的優位に立っ

た。
 しかし、その9ヶ月後の1953年8月、ソ連も水爆実験に成功し、再び、アメリカに

追いつく。
 だが、スターリンは成功する直前の同年3月、73歳で亡くなり、その後、指導者にな

ったフルシチョフに、冷戦は受け継がれる事になった。
 
 このフルシチョフの時代に、ソ連は核兵器の開発で、アメリカを追い抜き、宇宙開発においても、1957年10月4日、世界初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功した。
 
しかし、スプートニク打ち上げの真の目的は人工衛星の代わりに核弾頭を積んで、大陸間弾道ミサイルICBMで、アメリカを直接、攻撃する事にあったのだ。
 対するアメリカも、1957年2月、人工衛星ヴァンガードを打ち上げようとするが、失敗し、世界にソ連優位を知らしめる結果となってしまった。
 その一方で、アイゼンハワーはソ連と対立するだけでなく、融和を図ろうと、フルシチ

ョフをアメリカに招待。
 この時、フルシチョフは冷戦の雪解けを感じさせるほど、アメリカで友好ムードを振り

まくが、1960年5月、アメリカの偵察機U2が、ソ連本土をスパイし、ソ連軍によって

撃墜され、再び、両国の関係は硬化する。
 その年の11月、ジョン・F・ケネディが、43歳の若さで、第35代アメリカ大統領に当選。

 そうした最中、フルシチョフは、ニューヨークで行われた国連総会に出席し、その時、

前の年にキューバ革命に成功したばかりの社会主義体制のキューバの首相カストロに会い

、これ以後、親密な関係を強めていく。

 キューバの社会主義化は、アメリカにとって大きな脅威だった。

 フルシチョフ、ケネディとウィーンで会談。

 それは、戦後、分割占領されたベルリン問題で、フルシチョフは西ベルリンからのアメ

リカ軍の撤退をケネディに強く迫ったのだ。
 しかし、アメリカにとって、それは社会主義体制のさらなる拡大を招くものであり、容

認する訳にはいかなかった。
 それに対し、フルシチョフは新たな挑戦をケネディに仕掛け、アメリカの裏庭とも言え

るカリブ海に浮かぶキューバに、アメリカを射程にしたミサイル基地を建設する事にし、秘かに、核弾頭と、中距離ミサイルを、キューバに運び込む。
 
 それを、偵察機U2で、キューバにミサイル基地が建設されているのを知ったケネディは「キューバから、西側世界に向けて発射された核ミサイルは、ソ連からアメリカへの攻撃とみなす」という声明を発表し、キューバの周辺海域の封鎖を指令して、キューバに向かう船の臨検を始め、世界に展開するアメリカ軍は厳戒態勢に置かれた。
 一方、キューバでは全軍に動員令が発せられ、戦闘態勢に突入。
 アメリカ軍を迎え撃つ体制が整えられたのである。
 
 しかし、出来れば戦争を回避したいのは米ソ双方ともに同じで、世界が固唾を呑んで見

守る中、米ソ首脳は息詰まる交渉を続けた。

 フルシチョフが、ミサイル撤去に同意するまでの数日間、世界は核戦争勃発の危機に直

面したのだ。
 もし、この時、核戦争が起きていたら、米ソ両国だけでなく、地球全体が放射能で汚染

され、人類は滅亡していたかも知れません・・・

 

 フルシチョフは、在任中のジュネーブ会談後、セミパラチンスク核実験場で行われた新

型水爆実験の成功で、「戦争はもはや不可能になった」と宣言したそうです。

 核兵器は、それ以後、戦争を抑止する力とみなされるようになったのですが、この考えこそが、米ソ両国の核軍拡競争を進める事に・・・ 
 
そうして、戦争を抑止するという理由で、米ソ両国は核軍拡の道を歩み、水爆まで開発し

ました。
 そして、相手からの核攻撃を恐れるあまりに、先制攻撃のボタンを押しかねない状況に

追い込まれていったのです。

 核の時代の平和。

 それは、恐怖の均衡の上に成立した脆く危うい平和に過ぎない。

 この事を、人類は嫌というほど思い知らされたのです。
 
 
 参考資料「NHKスペシャル・映像の世紀」より


 ゴジラを生んだ水爆のお話から、冷戦やキューバ危機による核戦争一触即発の事態まで

書いたのは、軍事研究家の素敵な方も私のブログを読んでくださっているからです。

 スナフキン、納得していただけたでしょうか?


 


 水爆について、勉強したところで、いよいよ、「ゴジラ・シリーズ」を鑑賞!

 果たして、ゴジラの魅力はどこにあるのか?

 ゴジラとメスゴジラのロマンチックなラブシーンはあるのでしょうか?

 
 だけど、30作品以上も観たら、途中で飽きちゃうかも?

 怪獣モノはおろか特撮モノは大人になってからあまり観てないし・・・

 だけど、そんな心配は全然、入らなかったの♪

 本格SF冒険もの、特撮コメディタッチもの、社会を風刺するものまで、実に多彩で、あ

くび一つせずに、全部、観れちゃったんです!

 私達が、普通、ゴジラに抱くイメージは、荒ぶる破壊神というか、街を破壊しまくり、

怪獣同士で戦っちゃうところにあると思うのですが、昭和のゴジラはいたずら坊主っぽく

て、とてもお茶目なんです。

 「怪獣大戦争」で、赤塚不二夫さんのマンガ「おそ松くん」のイヤミのポーズ「シェー

」を真似たかと思えば、「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」では、加山雄三さん

演じる若大将よろしく「幸せだなあ~。僕は君と一緒・・・」を真似てますし、「ゴジラ

対メガロ」では、当時の人気テレビ番組「木枯し紋次郎」みたいに、楊枝を口にして、「

あっしには関わりにねえことで・・・」とやってるんです♪





  

参考資料「FLASHスペシャル 2014年9月10日増刊号」


 平成の「ゴジラ」からは、お茶目な部分が消えて、それこそ荒ぶる破壊神と化してしま

うのですが、ゴジラ映画を大切に作り続けていこうという姿勢がうかがえて、予想以上に

素晴らしかったです♪

 とくに、1992年公開の「ゴジラVSモスラ」から、2001年公開の「ゴジラ・モスラ・キ

ングギドラ大怪獣総攻撃」までが良質の娯楽作品に思えました。

 

 それでは、私が選ぶ「ゴジラ」ベストスリーを発表させていただきます。


 まず、1位は文句なく第一作目の「ゴジラ」!

 
 2位は、前衛的で、芸術性豊かな「ゴジラ対ヘドラ」
ペインティングされたお姉さんが色っぽい♪


 3位は、2004年公開の「ゴジラ FINAL WARS」
 常識にとらわれないシュールな展開にすごい才能を感じちゃいました♪


 という具合に、思いのほか良かった「ゴジラ・シリーズ」だったのですが、残念ながら

、肝心のゴジラのラブシーンはなかったです。

 誰か作って下さいませ~~~♪


 あと、「ゴジラ」はマンガにもなっていて、それも少しご紹介したいと思います。

 え?
 実写の映画ならいざ知らず、マンガはそれほどでもないだろうですって???


 とんでもありません!!!


 石川球太さん、堀江卓さん、桑田次郎さんというそうそうたる大御所に並んで、「はだ

しのゲン」で有名な中沢啓治さんも「怪獣島の決戦・ゴジラの息子」を描いてるんです!

 中沢啓治さんは、「はだしのゲン」ばかりか、「ゴジラ」でも、核の怖ろしさを訴えて

いたのです!!!




 まあ、そんなこんなで、多彩なジャンルがあって、男女ともに、大人から子供まで楽し

める「ゴジラ・シリーズ」、あなたもぜひ、ご覧になって下さいね♪



 オシマイ♪♪♪   

テレビドラマ「夢千代日記」吉永小百合

2015-05-05 16:26:45 | 映画・テレビ


今回は、吉永小百合さんの、テレビドラマ「夢千代日記」のお話をします。
 このドラマは、NHKの制作で、「夢千代日記」が、1981年に全5話、「続 夢千代日記

」が、1982年に全5話、そして、「新 夢千代日記」が、1984年に全10話、放送

されています。
 舞台は、山陰にある鄙びた温泉街、湯里で、夢千代(吉永小百合)は、家業の置屋「はる

屋」を営みながら芸者をしていて、彼女の周りの人の生き様を描きながら、ストーリーが進

んでいきます。
 そして、3部ともストーリーは、夢千代が、原爆症の治療のために、神戸からの帰り、山

陰線の列車が、余部鉄橋に差し掛かる辺りから始まります。
 まず、列車が、山あいの線路を奥へ奥へ進みながら、武満徹作曲のテーマ曲が流れるタイ

トルロールが素晴らしいです。
 このタイトルロールで、すんなり、ドラマの舞台に入っていける趣向になっています。

 第1部の「夢千代日記」は、夢千代のもとで働いていた芸者、市駒が殺人を犯し、それを

追って、神奈川の川崎から来た山根(林隆三)が湯里に捜査にやってきて、自首するまでの

お話を描いています。

 第2部の「続 夢千代日記」は、列車で乗り合わせた家出した少女の面倒を見るところか

ら始まります。
 家出した俊子は中学生で、好きな先生(石坂浩二)を探しに来たと、夢千代に語るのです

が・・・

 第3部は、元ボクサーで記憶喪失になった青年(松田優作)の面倒を見るところから始ま

ります。
 また、はる屋で、長年、働いてきたおスミさん(夏川静江) が、敗戦後、中国から引き揚

げる際、生き別れた息子(せんだみつお)と、再会を果たして、夢千代との別れがあったり

、芸者の菊奴(樹木希林)と旅役者(ピーター)の顛末とか、金魚(秋吉久美子)と船会社

の社長(小坂一也)の末路など、夢千代に関係する人のエピソードがいくつも語られます。
 それと同時に、夢千代が、戦争中、亡くなったと、母に聞かされていた父親らしい人物、

有田久三(田崎潤)が現れたり、母の友人、玉子(鈴木光枝)によって、戦争中の母親のエ

ピソードが明かされます。
 
このドラマを観ると、まず誰もが思うのは、吉永小百合さん演じる夢千代の儚さと、美しさ

と、優しさでしょう。 
 とくに、夢千代の、誰にでも手を差し伸べる優しさや、思い遣りには、心惹かれる人が多

いと思います。
 でも、吉永小百合さんは、なぜ、そこまで優しく出来るのかが不思議で、最初のうちはマ

リア様なのか、観音様なのか、よくわからないまま、夢千代を演じておられたようです。
 その意味がわかったのは、「新 夢千代日記」の、こんなセリフにあったそうです。

 「私は治らない病気を持った人間です。
 助けばかり、呼んでいる人間です。
 だから・・・誰かの力になりたいのです。
 誰かを助けられたら、助けたいのです。
 助けられる間は、私はまだ大丈夫なんです。」  

 
 このセリフに、吉永小百合さんは、テレビのインタビューで「夢千代は、実際に、戦争に

遭遇してる訳じゃないけれども、お母さんのお腹の中で、大変な被害を受けて・・・そして

、何とか、頑張って生きていこうという思いの中にいるんですよね。つまり、人に対して、

優しくすることで、自分を鼓舞しているというか、命も限られているけれけども、しっかり

生きなきゃというふうに思うんだって」と答えられています。

 
 そして、この「夢千代日記」に出たことで、それを観ていた被爆者団体の方から、平和集

会で、原爆詩の朗読をしてほしいという依頼があり、それがライフワークとしての活動のき

っかけになったそうです。

 それでは、ここで、吉永小百合さんが朗読している原爆詩を二篇ご紹介しますね。

 
 「帰り来ぬ夏の思い」    作 下田秀枝

 黒い雨のふりしきるなか

 ぼくは母さんを探している

 のどがカラカラ

 水がほしいよ 母さん

 やけどの手足がひりひり痛いよ 母さん

 さっきの青空 どこへ消えたの 母さん

 母さん 母さん 母さん

 お願い 返事をしてよ 母さん

 なんだか、ぼくはもうぼくでなくなるよ


 炎の雨のふりしきるなか

 ぼくは母さん探しています

 周りがだんだん熱くなってくるよ 母さん

 ぼくのお家はどこへ行ったの 母さん

 さっきの話の続きをしてよ 母さん

 母さん 母さん 母さん

 早く ここへ来て ぼくを抱いて

 もうじき ぼくはもうぼくでなくなるよ



 目を閉じてごらんなさい

 見えるでしょう

 炎と灰に埋もれる街

 聞こえるでしょう

 母の子供のすすり泣き

 帰り来ぬ夏のあの呪い あの思い




 そして、もう一篇は、林幸子作の「ヒロシマの空」で、吉永小百合さんは、この詩をとく

に何度も朗読してこられたそうです。

 「ヒロシマの空」  林幸子
 
 夜 野宿して

 やっと避難さきにたどりついたら

 お父ちゃんだけしかいなかった

 「お母さんと ユウちゃんが死んだよお・・・」

 
 八月の太陽は

 前を流れる八幡河に反射して

 父とわたしの泣く声をさえぎった

 その あくる日

 父は からの菓子箱をさげ

 わたしは鍬をかついで

 ヒロシマの焼け跡へ

 とぼとぼと あるいていった

 やっとたどりついたヒロシマは

 死人を焼く匂いにみちていた

 それはサンマを焼くにおい


 燃えさしの鉄橋を

 よたよた渡るお父ちゃんとわたし

 昨日よりも沢山の死骸

 真夏の熱気にさらされ

 体が ぼうちょうして

 はみだす 内臓

 渦巻く腸

 かすかな音をたてながら

 どすぐろい きいろい汁が

 鼻から 口から 耳から

 目から とけて流れる

 ああ あそこに土蔵の石垣がみえる

 なつかしい わたしの家の跡

 井戸の中に 燃えかけの包丁が

 浮いていた

 
 台所のあとに

 お釜が ころがり

 六日の朝たべた

 カボチャの代用食が こげついていた

 茶碗のかけらが ちらばっている

 瓦の中へ 鍬をうちこむと

 はねかえる

 お父ちゃんは 瓦のうえにしゃがむと

 手でそれをのけはじめた

 ぐったりとした お父ちゃんは

 かぼそい声で指さした

 わたしは鍬をなげすてて

 そこを掘る

 陽にさらされて 熱くなった瓦

 だまって

 一心に掘りかえす父とわたし

 
 ああ

 お母ちゃんの骨だ

 ああ ぎゅっとにぎりしめると

 白い粉が 風に舞う

 お母ちゃんの骨は 口に入れると

 さみしい味がする

たえがたいかなしみが

 のこされた父とわたしに

 おそいかかって

 大きな声をあげながら

 ふたりは 骨をひらう

 菓子箱に入れた骨は

 かさかさと 音をたてる

 
 弟は お母ちゃんのすぐそばで

 半分 骨になり

 内臓が燃えきらないで

 ころりと ころがっていた

 その内臓に

 フトンの綿がこびりついていた



 「死んでしまいたい!」

 お父ちゃんは叫びながら

 弟の内臓を抱いて泣く

 焼け跡には鉄管がつきあげ

 噴水のようにふきあげる水が

 あの時のこされた唯一の生命のように

 太陽のひかりを浴びる

 

 わたしは

 ひびの入った湯呑み茶碗に

 水をくむと

 弟の内臓の前においた

 父は

 配給のカンパンをだした

 わたしは

 じっと 目をつむる

 お父ちゃんは

 生き埋めにされた

 ふたりの声をききながら

 どうしようもなかったのだ

 

 それからしばらくして

 無傷だったお父ちゃんの体に

 斑点がひろがってきた

 
 生きる希望もないお父ちゃん

 それでも

 のこされる わたしがかわいそうだと

 ほしくもないたべ物を 喉にとおす

 
 「ブドウがたべたいなあ」

 「キウリでがまんしてね」



 それは九月一日の朝

 わたしはキウリをしぼり

 お砂糖を入れて

 ジュウスをつくった

 

 お父ちゃんは

 生きかえったようだとわたしを見て

 わらったけれど

 泣いているような

 よわよわしい声



 ふと お父ちゃんは

 虚空をみつめ

 
 「風がひどい 嵐がくる・・・嵐が」

 といった

 ふーっと大きく息をついた

 そのまま

 がっくりとくずれて

 うごかなくなった


 ひと月も たたぬまに

 わたしは

 ひとりぼっちになってしまった



 涙を流しきったあとの

 焦点のない わたしの からだ

 
 前を流れる河を

 みつめる


 
 うつくしく 晴れわたった

 ヒロシマの

 あおい空






 この詩「ヒロシマの空」は、原爆でなくした肉親の深い悲しみがあふれていて、心を打た

ずにはいられないですね・・・
  
 
 

 あと、「夢千代日記」で気にかかるのは、女性の性を取り上げている点です。
 まず、湯里という温泉街には、アサ子(緑魔子)という名のストリッパーがたびたび登場

しますし、第1部に出てくる市駒は、好きだった男性と、表日本での暮らしに憧れて、湯里

をあとにするのですが、生活に困り、やがてお金が尽きると、体を売れと男性に言われてし

まいます。

 第2部に登場する家出少女、俊子は、美術の教師、上村洋一(石坂浩二)の絵のモデルを

していたのですが、突然、「私の裸を描いて下さい。先生が好きなんです」と言って、服を

脱ぎ出すのです。
 
 第3部では、記憶喪失の元ボクサー岡崎孝夫(松田優作)の記憶を取り戻させようと、結

婚まで誓い合ったかつての恋人が、ひと糸まとわぬ体になり、「私を見て。私を思い出して

」と言って、迫るのです。


 なぜ、女性の性を扱ったエピソードがいくつも出てくるのでしょう?

 その訳は、女性は性をしっかり見つめる事の大切さを説いているように、私には思えてなら

ないのです。
 言うまでもなく、性欲は、食欲と睡眠欲と並んで、人間の三大本能の一つですし。

 だから、戦争中、出征する直前に、夢千代の母親、安代のもとに、有田久三が訪ねてきた

時、「もう、生きては帰れないだろう。でも、たとえ、海に中に沈んでも、あなたのことは

忘れません。」と言われた言葉に、「私を抱いて下さい。抱いていって下さい。そうすれば

、たとえ、あなたが死んでも、あなたは私の中に生きています。」と、安代は言ったのでは

ないでしょうか?


 そういう私が、女性の性は、とても大切だと考えるようになったのは、動物学者のデズモ

ンド・モリスの説を知ったからです。
 彼によると、猿のメスは、尻を赤く充血させる事で、オスに発情を知らせると同時にセッ

クスアピールするが、直立歩行を覚え、衣服で性器を隠すようになった人間の女性はそれが

出来なくなってしまったので、その代わりに口紅をぬるようになったという説を提唱してい

るそうです。
 女性の胸が、男性から見えやすいところにあり、膨らんでいるのは、男性を誘惑するためと

も言っています。

 そして、性を、しっかり見つめ、大切さを認識した女性こそ、男性の目に、魅力的な女性

として映るのではないでしょうか?

また、性に関して、苦手だと言って、ないがしろにしていると、屈折した形で噴出してくる事があるのではないでしょうか?
 実際、私はそういう女性を何人か知っています。

 それに、私はある男性に、こう言われたことがあるんです。

 「女性の役目は、魅惑の肉体で、戦士に快楽を与え、彼らを勇者に仕立てることなのです。
 男たちはその筋肉と武器で、女や乙女たちの住む地の平和を守るために戦うのです。」

 そう言われた私はもう何も躊躇する事はないと思いました。
 
 いいえ、それどころか、男性にすべてを捧げても悔いはないとさえ思ったのです・・・



 そこで、私は、吉永小百合さんの魅力について考えてみたくなり、映画を中心に沢山、ご

出演された作品を観てみました。
  
 すると、意外にも、キスシーンはおろか、ラブシーンが多いのに気づいたのです。

 だけど、いやらしさは、全然なく、それどころか、神々しいまでに気品に満ちているように感じられるのです。

 吉永小百合さんは、独身の頃に「戦争と人間」で、早くもラブシーンを演じてますが、エ

ポックメイキングになった作品は、「青春の門 筑豊編」で間違いないと思います。

 この映画の話が、浦山桐郎監督から来た時、吉永小百合さんは、シナリオを読んで、自分

には無理だと、何度も断ったそうです。
 しかし、浦山桐郎監督は「キューポラのある街」でお世話になっているし、監督の「非行

少女」「私が棄てた女」も観て感動していて、何度も懇願されるうちに手助けをしたいという

気持ちが生まれて、出演に応じたとか。

 この「青春の門 筑豊編」は、吉永小百合さんのただならぬ雰囲気に圧倒され、相当な勇

気と覚悟を必要としたというのが痛いほど伝わり、見るのが辛くなるほどです・・・ 

 しかし、ここまで生々しく、女性の性を演じきれたから、演技に深みが出て、女性として

の魅力が増していったのではないでしょうか?

  そうして私は、吉永小百合さんの女性としての魅力を表現するのに相応しい言葉はない

だろうかと、ずっと思案し続けていました。

 すると、ある日、ルネッサンス期に活躍した画家ボッティチェリの名画「プリマヴェーラ

」が脳裏に浮かんできたのです。

 
 春の花々が咲き乱れるオレンジの森に、遠い神話の国の女神やニンフたちがにぎやかに集

い、華やいだ祝祭的気分を満ちわたらせている。
 中央に立つのは愛と美の女神ヴィーナス。 その左には、優雅な三美神が舞い、ヴィーナ

スの頭上を飛ぶキューピッドが、愛の矢を三美神の一人に放とうとしている。左端ではメリ

クリウスがその伝令杖で樹間に漂う靄を払っている。
 右側に目を転じると、空を舞う西風の神ゼフュロスが逃げる花の女神フローラを抱きとめ

ようとし、その左では、鮮やかな花模様の衣裳で包まれた「春」の女神プリマヴェーラが婉

然と微笑んでいる。
講談社刊・NHK美術館「名画への旅」より

 この本によると、名画「プリマヴェーラ」は感覚美とエレガンスの極致と評され、こう書

いてあります。

 なぜこの作品はこんなにも人気があり、こんなにも私たちを魅了してやまないのだろうか


 それは、ボッティチェリの繊細巧緻な筆によって描き出された複雑な形象の織物が、主題

のある種の難解さを超えて、あまりにも甘美で鮮烈な美のアウラを発散しているからである

。理屈抜きの感覚的喜びと豪奢な装飾美、そして芸術的洗練の極致とも言えるエレガンスと

ソフィストケーションの感覚にあふれているからである。
 神話の女神たちのイメージは、ボッティチェリの数々の洗練された女性像のなかでも、き

わだって美しく、優雅で、文字どおり印象的なものである。知的な品位と女性的優美さにあ

ふれる聖母マリアのようなヴィーナス、フィレンツェ的なアイロニーと貴族的妖艶さをたた

えた「春」の女神プリマヴェーラ、楽しげなダンスに陶酔する純真無垢で官能的な三美神た

ち。どの人物の表情にも、ジェスチャーにも、コスチュームにも、研ぎ澄まされた耽美的な

エレガンスの感覚が満ちている。

 
 この作品自体の比類のない美的ビジョン、その全形象を特徴づけるきわだった美的特質。
 輝かしい感覚的・官能的な美の横溢と超越的・天上的イデアへの霊的観照が共存するヴィ

ジョン。
 それ自体にこそ、このロマン主義的な詩的宇宙観の反映と浸透を見出すべきだろう。かく

して私たちは、再び、知的想像と推理を超えた美とファンタジーの世界に戻ってゆくことに

なるのである。




 つまり、私が言いたいのは吉永小百合さんは、名画「プリマヴェーラ」に見られるように

、純真無垢で官能的な三美神の特質や、プリマヴェーラの貴族的妖艶さを持ち、それに一旦

は惑わされそうになりますけれど、加えて聖母マリアのような知的な品位と女性的優美さも

兼ね備えていて、最後には粛然とした気持ちにさせられるという事なのです。



 私は、この「夢千代日記」で、女性の儚いまでの美しさや、優しさや、魅力と同時に、性

の大切さをあらためて考えさせられた思いでした。




 

「マディソン郡の橋」不倫について

2015-04-01 19:10:01 | 映画・テレビ
 





まだ昼間が、今ほど暑くない春のうららかな頃だったと思います。

クリント・イーストウッドが素晴らしい映画監督だと、私の敬愛してやまないあの人に教わったのは。

でも、私はそれまでただの一本もクリント・イーストウッドの映画を観た事はなかったのです。
いいえ、観ようと思った事はあったのですが、ある映画についての感想を書いたある男性の文章を読んで、急に観る気が失せてしまったのです。
その映画のタイトルは「マディソン郡の橋」と言って、とてもロマンチックな大人の恋を描いていると、公開当時大評判だったのです。
それで、私もロマンチックな気分にひたりたいと観てみようと思ったのですが、その矢先にこんな文章を見つけたのです。

この映画は不倫をする女性にとても都合よく作られている。
自分がどんなに妻を愛していても、妻がほかの男性を思い続けているとしたら、もう妻を真剣に愛するのが馬鹿らしくなる。


この映画が女性の不倫を肯定し、夫に妻を愛する気持ちを失わせると知り、私は急に観る気が失せてしまったのです。


当時、私は新婚間もない頃で、長男はまだ赤ん坊で、これから主人と協力して子育てをしようと張り切っていた時期でした。

そんな時期に、妻の不倫を肯定する映画を観て、感動している場合ではないと思ったのです。

それに、その映画の中での不倫は美しいかも知れませんが、実際には不倫がばれて、修羅場になるケースの方がほとんどではないでしょうか?


私の女友達や従姉妹の場合がそうです。

不倫がばれた私の女友達は、夫にこう言われたそうです。
「お前は俺達家族をどう思ってるんだ!
不倫なんかして、子供が可哀相だと思わないのか?
お前に子供は任せられない。
子供は俺が育てるから、もう別れよう。」
彼女は、普段は小学生の自分の息子をチビ、チビと呼んで、何かにつけ邪険にしているふうだったのですが、夫にそう言われて、泣きじゃくりながら、何度も何度も床にひざまずいて謝り、なんとか許してもらえたそうです。

でも、私の従姉妹の場合は、どんなに泣いて謝っても許してもらえませんでした。
彼女も、夫に「子供をお前に任せられない。 俺一人で育てるから、出て行け!」と言われ、離婚後、子供と離れ離れにされてしまいました。

それは十年以上前の事で、彼女は不倫した相手とはすぐに別れて、罪を償うかのように、人前にあまり出なくなり、今も一人でひっそり暮らしています。

そういう女性達を、私は実際に何人も知っているので、不倫を肯定する気にはとてもなれないのです。

だけど、その一方で、不倫して自分も夫も相手も誰一人不幸な結末にならなかった稀有な例も私は知っています。

その女性の夫は、同じ頃に結婚したばかりの男友達と、夫婦ぐるみで付き合っていて、お互いの家で食事をするほど、とても仲良かったそうです。

ところが、その女性はそうやって夫の友達と仲良くしているうちに、お互いを好きになってしまい、不倫をするようになってしまった。

でも、不倫は夫になかなかばれなかったらしいです。
理由は、夫の男友達は夫と同じ運送屋で長距離トラックのドライバーをしていて、一度仕事に出たら、一週間ほどは帰って来ないらしく、その合間を見計らって思う存分不倫を楽しんでいたとか。
だけど、どこでどう間違えたか、ある日ラブホテルで、ばったり夫に不倫の現場を見つかってしまったそうです。
彼女はそうとう慌てたそうですが、なぜか夫の横には男友達の奥さんが仲良く腕を組んで寄り添っていた。
つまり、お互いにこっそり不倫をしていて、怒るに怒れなかったという訳。(笑)
その結果、どうなったかと言うと、共に離婚し、不倫した相手と再婚したので誰一人傷つかなかった。(笑)

でも、これは本当に稀有な例で、妻の不倫がばれた場合、ほとんどのケースで子供と引き離されて離婚に至るのが多いみたいです。
これは愛する妻に裏切られ、子供を大切に思う夫にしてみれば当然の決断なのかも知れません。


だから、映画に憧れて、簡単に不倫をしてしまうと、とんでもない事になってしまうと思うのです。


それでもなお世間では不倫をする女性があとを絶ちませんが、私にとって、不倫とは自分の真実の愛を育てられなかったという意味において、敗北以外の何ものでもないのです。
それに、そう思わなければ結婚生活はとても続けられませんから。

でも、もしかしたら不倫の中にも一片の真実や妥当性はあるかも知れない。

それを、私が敬愛する彼が、クリント・イーストウッド監督の「マディソン郡の橋」で見出だしたのなら、私も観てみる価値はあるかも知れない。

そう信じて、この映画をようやく17年振りに観る気になったのです。


だけど、だからと言って、私はすぐに観る訳にはいきませんでした。

不倫を肯定する映画を観る以上、私もその主人公の気持ちになりきる必要があると感じたからです。

だとしたら、「マディソン郡の橋」に感化されて、私自身、不倫をしたくならないとは断言出来ないですよね?

だから、私はこの映画を観る前に、純愛路線の映画や文学作品に出来るだけ触れて、純愛の素晴らしさを再認識する必要があったのです。

それで、観ると決断してから、ここまで遅れ、今に至った訳です。


そうしたうえで、私は「マディソン郡の橋」に臨んだのです。

 

 つづく




 前回のつづきです。


別に不倫したい訳でも、離婚したい訳でもない私が、不倫を肯定しているらしい「マディソン郡の橋」を観ようと思ったのは、私の敬愛する人が、クリント・イーストウッドが世界最強の映画監督であると絶賛したのと、どんなシチュエーションの不倫を描いているのか、その二つの理由を知りたかったからなのです。

そう、クリント・イーストウッドは世界最強の映画監督らしいのです。

はっきりした理由はわからないのですが、おそらく八十歳を過ぎた今でも、優れた作品を生み続けているからではないでしょうか?
優れた作品なら、ほかにも多くの映画監督が撮っていますが、クリント・イーストウッドよりも、若い頃にしか撮っていませんから。

その二つを念頭に入れて、出来る限り不倫する主人公の気持ちに成り切って、「マディソン郡の橋」を観てみる事にしました。
ここで、はっきり書いておきますが、私はこれまで独身の頃を含め、不倫をした事は一切なく、ごく普通に生きてきました。


この映画は、主人公フランチェスカがすでに亡くなっていて、遺灰をローズマン橋からまいてくれという遺書に子供達が驚くシーンから始まり、彼女の手記で次々に不倫の事実が明かされていきます。

フランチェスカの一家は畜産農家を営み、子牛の品評会のために、彼女一人を残して、家族はみな出かけて行きます。

その僅かな四日間にフランチェスカは、写真家のロバート・キンケイドと出会うのです。

私は、キンケイドが、よその土地から来た写真家で、世界中を旅している点が惹かれた理由の一つだなと思いました。

私だって、誰にも頼らずに一人で旅する男性は尊敬しますし、カメラマンという感性を大切にする職業にも憧れたりしますので。
しかも、キンケイドはとても紳士的で優しく、こう言われたいなと思う言葉を次々に口にするのです。

また、お話の舞台が騒がしい都会の雑踏ではなく、緑豊かで静かな田舎の町という点も牧歌的な雰囲気でいいなと思いました。

そうした訳で、私はあれほど、不倫を否定して生きてきたのに、あれよあれよという間にロマンチックな気分になってしまい、最後の別れの時、キンケイドが雨に打たれながら、フランチェスカをじっと見つめる場面では感動して泣いてしまったのです…

素晴らしい…

これこそ真実の愛だわ…


ところが、しばらく経つうちに、待てよ、おかしいぞ?という気持ちがムクムクわいてきたのです。

その最大の理由は、キンケイドにありました。

だって、何はどうあれフランチェスカとエッチしてるじゃないですか!

それにキンケイドって、すごく話上手のわりには証拠が何もないじゃない?

もしかしたらキンケイドって、相当な嘘つきでフランチェスカの体だけを目当てに近づいたんじゃ?

それを、フランチェスカが傷つかないように鮮やかな手口でやってのけたのでは?

とは言うものの、キンケイドの死後、大切なカメラやフランチェスカとの四日間の思い出を綴った冊子が彼女のもとに送られてきた点が疑問ではあったのですが。

そこで、その点に気をつけながら、再び「マディソン郡の橋」を観てみたのです。
すると、出会ってすぐにキンケイドは車の中で、煙草を取る際にフランチェスカの脚にさわったり、野菜を切るフランチェスカの手伝いをする時にわざと彼女の体にふれる場面に気づいたのです。

あのね、女性ってね、ちょっとでも気になる男性に体をさわられると、ついその気になっちゃうものなの。

それにフランチェスカに事あるごとにお酒を飲ませているし。

だけど、フランチェスカにも否がない訳ではないのです。
初めて会ったキンケイドの車に乗り込んで道案内したり、家に泊めたり、不用心過ぎるというか、あまりにも積極的過ぎません?

フランチェスカって、不倫願望の塊なのかも?

それに、キンケイドがフランチェスカの生まれたイタリアのバリという小さな町に行った事があるというのもおかしくない?

そんな都合のいいお話ってある?

女性って運命を信じやすい生き物だから。

やっぱり、キンケイドは天下無敵の大嘘つきに決まってる!

私、絶対騙されないもん!

とまあ、疑心暗鬼で観ていたのですが、不覚にもやっぱりロマンチックな気分になって、同じ場面で感動して泣いてしまったのです。

だってね、不倫をしたルーシーが町で噂になり、冷たくあしらわれていると知ったキンケイドが、フランチェスカに会わない方がいいかも知れないと電話するなど、常に女性の立場に立って優しく接しているんですから。(苦笑)

そんな場面の数々を観ているうちに私は、不倫だとか道徳観はどうでもよくなって、二人の愛の形に陶酔してしまい、私の体の中に眠っている何かが否応なしに呼び覚まされるような感覚になってしまうのです…

こんな気持ちにさせてくれるこの映画とクリント・イーストウッドはすごいとしか言いようがない…

だったら、私もチャンスがあれば不倫してみようかしら♪

一瞬、そんな気持ちにならないでもなかったのですが、この映画は本当に不倫を勧めてるの?

いいえ。
そんな訳がないですよね?

フランチェスカの書いた不倫の打ち明け話を読んだ二人の子供達は、共にもう一度自分のパートナーを愛する事を決意して、この映画は幕を閉じるのですから。


この映画は不倫という非常に危うい恋を題材にして、生きるうえでの心の支えや、愛し愛される事の大切さを描きたかったのだと思います。

フランチェスカは自分の思い描いていた人生を送っていた訳ではなく、不満を抱えながら生きていた。

それに夫のリチャードは謹厳で、フランチェスカとの性生活は淡泊だったのではないでしょうか?

そこへ、別世界から来たキンケイドに自分を変えてくれる何かを見出だし、積極的に彼に迫っていった。

キンケイドにしても、最初はフランチェスカの体が目当てだったのが、世界中を旅しても得られなかったもの。つまり自分と同じ何かをフランチェスカに見つけ、次第に彼女を愛するようになった。


だけど、それは出会うのが、あまりにも遅すぎて許されない愛だった。

一緒になれたとしても、そのあと夫のリチャードや子供達はどうなる?


きっと後悔ばかりが残って、喧嘩が絶えなくなり、あの真実の愛と信じた四日間さえ色あせてしまうだろう…


愛しているから別れなければならない。



フランチェスカは日記にこう書き残しています。


彼なしでは長い年月を農場で暮らせなかったでしょう…


フランチェスカはキンケイドと四日間という短い間ではあったけれど、真実の愛の思い出を作る事が出来て、それが彼女の人生を支えてくれた。


美しい思い出は、とても大切なもの…


私もそう思います。
私は決して主人と順調に暮らしてきた訳ではありません。

大喧嘩して、家を飛び出したり、もう別れようと思った事は何度あるかわかりません。


でも、時々、付き合っていた頃や、新婚当時や、子供が生まれたばかりの頃を思い出すのです。

あの頃の主人は、私を大切にしてくれて、とても優しかった…


主人を愛し、愛されたという思い出があったから、私はどんな嫌な事や苦しい事があっても、乗り越えて来られたのです。

この映画は、そんな思い出を私の胸に蘇らせてくれました。


でも、私達夫婦はまだまだ人生という名の旅の途中…


これからも私は主人と愛を育み、生きる支えを作って行こう…