今回は、以前、「怪獣映画祭り~♪」の記事でお約束した「ゴジラ」のお話をします。
え?
どうして、このタイミングなのかですって?
ええと、それはですね、前回、ご紹介したエッセイ「反貞女大学」の作者、三島由紀夫
が、「ゴジラ」と深い関わりがあるのを知っちゃったからなの。
三島由紀夫も、最近、お話してる吉永小百合さん同様、私がもっとも気になる人なんで
す♪
私は三島由紀夫が才能を高く評価していた映画監督の大島渚さんが、生前、テレビのイ
ンタビューで、「ゴジラ」を作る気はないですか?」と司会者に聞かれ、「作らないかと
言われたら、作る気は大いにあるよ。だけど、誰も大島渚に「ゴジラ」を作れと言って来
ないんだ」と苦笑混じりに答えたのを覚えています。
もし、大島渚さんが、「ゴジラ」を撮ったら、どんなのが出来てたかしら?
あ、もしかしたら!
大島渚さんといえば、野坂昭如さんと、テレビ番組「朝まで生テレビ!」で、ビンタの
応酬をしてたので有名じゃないですか?
(因みに、三島由紀夫は、野坂昭如さんの才能をいち早く見抜き、処女作「エロ事師た
ち」を高く評価していたとか。)
だから、文学怪獣ノサカザウルスというのを登場させて、ゴジラと、ビンタの張り合い
をさせてたかも!?
タイトルは、その名も「朝まで生ゴジラ!」
ノサカザウルス
「お前な、あの三島由紀夫に評価されたからって、全然、自慢になんないぞ。俺だって
、三島由紀夫に認められていたんだぞ!」
ゴジラ
「なんだと!俺のほうが、お前より、ずっと高く評価されたに決まってる!!」
バシッ!
バシッ!
バシッ!
かくして、ビンタの張り合いは永遠に続くのであった♪
ところで、昭和29年の1作目の「ゴジラ」は素晴らしかったのに、だんだん、つまら
なくなったと言う人がいますよね?
本当にそうなのでしょうか?
実は私、昭和29年公開当時の1作目の「ゴジラ」を観たマスコミがどう反応したのか
、資料を入手しちゃったのです。
それによると・・・
「映画は、ゴジラ対策の人間側でいろいろと芝居を盛り込むが、この処理がまったく拙
い。荒唐無稽なものにせず、科学的な面も見せようという手段も実に不手際。特殊撮影だ
けがミソの珍品である」(読売新聞 11月3日付け夕刊)
「志村喬の学者以下人間の方のお話がついているが、こっちはあまりうまくない。最後
にナントカいう新発明の一物をもって、若い学者が海底に潜っていき、ゴジラが一休みし
ているところへぶっつけるところなんか、やたら決死隊みたいでかえってナンセンスであ
る。人物はどれもセンチメンタルでみみっちく、人臭くてゴジラ氏の感じとちぐはぐだ。
」(毎日新聞 11月4日付け)
「ゴジラ征服の研究が破壊兵器に利用されることを恐れる科学者の悩みやゴジラ退治を
反対する生物学者を配合する傍筋は、いかにも当世流のとってつけたようなものである。
従って見物的興味以外は期待できない」(東京新聞 11月5日付け)
「最後の3分の1くらいは大変、感傷的でつまらなくなる。東京の悲惨な状況を描き、
災いの根本が水爆実験にあると言わんばかり。水爆に絡む、その絡み方が嫌味である。こ
んな空想映画はいっそのことカラリと仕上げた方がよかろう。化学者も文学青年のように
センチである」(週間朝日 11月14日号)
「最後に若い科学者が怪物退治に新発明のナニカをもって海に潜るなんぞというのに至
っては特攻隊そのもので、困った精神である」(サンデー毎日 11月14日号)
「困ったことに脚本家と監督者はいとも現実的なみみっちいものを持ち込み、小市民映
画みたいなぼそぼそとした演出をえんえんとはさみ、なんだか深刻な理屈まで加えて普通
の劇映画も及ばぬくらい人物を懊悩させる。そのために全体がちぐはぐになり、空想を空
想として楽しめず、薄暗い嫌な後味が残る。もちろん、この怪獣によって水爆時代に対す
るレジスタンスをこころみようという意図があったに違いない。が、それはいささか欲張
り過ぎだし失敗である」(キネマ旬報 12月上旬号)
参考資料「懐かしのヒーロー・大怪獣ゴジラ99の謎」より
これ、どう思いますか?
どのマスコミも、「ゴジラ」を、けちょんけちょんにけなして、まったく評価してない
じゃないですか!
つまり、「ゴジラ」はだんだん、つまらなくなったのではなく、最初の1作目からして
駄作だったって事!
もしかしたら、「ゴジラ」が素晴らしいと言っているのは、特撮オタクの人だけなんじ
ゃないの?
しかし、ご安心下さい。
映画通のマスコミ関係者がまったく評価しなかった「ゴジラ」を、ただ一人、養護した
人がいたんです。
それが、ジャジャン!誰あろう、あのノーベル文学賞候補にもなった三島由紀夫その人
~~~!!!
またまた、三島由紀夫が出てきちゃいました~♪
何でも、公開当時、「ゴジラ」を、多くの文化人が「ゲテモノ映画」と酷評する中、特
撮部分だけでなく内容についても「文明批判の見地がある。」と三島由紀夫は高い評価を
与えていたとか。
さすが、ノーベル文学賞候補にもなっただけはある~♪
ていうか、三島由紀夫がノーベル文学賞を取れなかったのは「ゴジラ」を高く評価した
からかも?
ゴジラ・ファンの皆様、これ、ほんのジョークですからね♪
とにかく、三島由紀夫が「ゴジラ」を評価してたのなら見ない訳にはいかないですよね
?
それともう一つ、今回、書こうと思った理由に「ウルトラシリーズ」を書いた時、突然
、現れた怪獣博士との再会を記念するという意味もあったんです。
私はその怪獣博士との出会いが、すっごく嬉しかった半面、悩んじゃったのです。
怪獣博士を引き止めるには、このままずっと怪獣のお話をしなければいけないんじゃ?
そう思って、「ウルトラシリーズ」を続けてたのですが、もう、これ以上は無理・・・
私、怪獣のお話ばかりは書けない・・・
どうしよう、出会いは別れの始まりとも言うし・・・
よ~し、だったら、沢山の怪獣映画のお話をして、怪獣博士を盛大に見送っちゃいまし
ょう!
それだったら、怪獣博士も心置きなく、私とお別れ出来るに違いないわ。
「怪獣映画祭り~♪」の記事を書いたのは、そういう訳だったの。(苦笑)
そうして、その怪獣博士とお別れし、暫くは何の音信もなかったのですが、私が忘れら
れなかったのか、最近、帰って来ちゃったのです!
しかも、今度は怪獣のお話じゃなく、素敵な大人の男性のお話をしてくれたの。
怪獣博士、すごい!
私、すごく嬉しい♪
そういう二つの理由で、「ゴジラ」の記事を書こうと思った訳♪
だけど、私は映画好きの割には「ゴジラ・シリーズ」は、ほんの数本しか観てないの・
・・
だって、「ゴジラ」は特撮で、街を破壊したり、戦闘シーンがあったりして、暴力的だ
し、女性が観るようには作られてないでしょう?
だから、どんな心構えで観たらいいかわからなかったの。
そんな時、天から声が聞こえてきたの。
え?
それだったら、名案がある?
私が、ゴジラになったつもりで、今まで私を振った男性を怪獣に見立て、やっつければ
気持ちいいかもですって?
なるほど、それは名案かも!?
「よくも、私という素敵な彼女がいながら、ほかに女を作って、振ってくれたわね。
あんな女のどこがいいの?
どうして、私が、あの女に負けなきゃいけないの?
あなたに、女を見る目はないの?
もう、悔しいったらありゃしない!!
あんたなんか、こうしてやる~!! 」
「ガオーッ!」
バシッ!バシッ!(怪獣を殴ったり、蹴ってる音)
ついでに、火なんか吹いちゃったりして♪
キャー♪
気持ちいい~~♪♪
すっきりする~~~♪♪♪
でも・・・
なんだか、むなしい・・・
こんな事したって、あの人が帰って来る訳じゃないし・・・(涙)
それにさ、私って、清楚で、思いやりのある優しい女の子だから、そんな暴力的なこと
出来るはずないじゃない・・・
ロマンチックで、感動的な何かがないと、とても「ゴジラ」を観る気になれない・・・
そこまで思った私は、突然、ゴジラに、ミニラという息子がいた事を思い出しちゃった
のです!
私、奇跡的にそれだけは知ってたの!!
ゴジラに息子がいるという事は、奥さんもいるって事じゃない?
ゴジラが何もしないで、ミニラが生まれるはずもなく、もしかしたら、ゴジラとメスゴ
ジラのラブシーンがあるかも知れない!
だったら、観てみた~い♪
こうして、ようやく、本格的に「ゴジラ」を観る気になったの♪
私が観たのは、第一作目から、去年公開のハリウッド版「GODZILLA」までの、全30
作に加えて、新たなカットを入れて、再編集された1957年公開のアメリカ版「怪獣王
ゴジラ」と、「ゴジラ」を作るヒントになったと言われる1953年制作の「原子怪獣現
わる」と、CGのゴジラが登場する「ALWAYS 続・三丁目の夕日」と、平成の「モスラ」
三部作と、東宝の未公開特撮映像集のビデオ数作です。
つまり、「ゴジラ」に関する作品はほぼすべて網羅したことになります♪
ところで、ゴジラは、1954年3月1日に、ビキニ環礁の水爆実験で、被爆した第五福竜
丸の乗組員達に着想を得て誕生した水爆の申し子と言われてますよね。
という事は、「ゴジラ」を観るには、まず水爆について知る必要があると思うの。
ウィキペディアによると、原爆は強力な兵器であるが、核分裂反応の連鎖反応の進行時
間と温度上昇による飛散(爆発)までの時間との競争の問題などから、最大でも広島・長
崎級の原爆の10倍程度の爆発エネルギーをもつ原爆しか作れないそうです。それに対して
、熱核反応(核融合反応)はそれを起こす物質を追加すればいくらでもエネルギーを増加
させることが出来る特徴を持ってるとか。
そのため、熱核反応を利用する事で、広島・長崎級原爆の数十倍から、数百倍の爆発エ
ネルギーを持たせた核兵器が開発出来る。
それが、水爆で、歴史上最大の威力の水爆はソ連の「ツァーリ・ボンバ」と呼ばれるも
ので、50メガトン(広島・長崎型原爆の約3,300倍、第二次世界大戦で使用された全
薬の10倍)の核出力を誇った(本来の設計は100メガトンを超えていたが、自国の環境に
配慮して威力を抑えたと言われている)。ですって!!!
広島・長崎に投下された原爆の3,300倍!!
恐ろしい~!!!
だったら、なぜ、人類はそんな恐ろしい水爆を作ったのでしょう?
これは、アメリカと、ソ連の東西冷戦に端を発しているらしいです。
ソビエト連邦はレーニンを指導者として、社会主義国を建国しましたが、それを受け継
いだスターリンは工業生産とともに軍事力の増強に着手し、次第に強大な国家への道を歩
み、ポーランドを軍事占領するなど、アメリカを始めとする資本主義の国々に多大な不安
と怖れを与えるまでになったそうです。
一方のアメリカも、そうしたソ連の軍事力に脅威を覚え、ソ連を圧倒する化学兵器の開
発に余念がなかった。
そうした途上で、1945年7月16日、原子爆弾が作られ、時のアメリカ大統領トル
ーマンの指示で、日本に投下されて、悲惨な結果を生むことになった。
戦後初の核実験は1946年で、その時、初めてビキニ環礁で行われ、アメリカはソ連
に見せつける目的で、第2次世界大戦で使われた日本の戦艦長門を始め、軍艦70隻あまり
を、瞬時に破壊した。
それは、アメリカの圧倒的な軍事力の優位をソ連に誇示するものであった。
それに対し、スターリンは危機感を覚え、国中の科学者に、原爆の開発を急がせた。
そのソ連が、原爆の開発に成功したのは、4年後の1949年で、一瞬にして、地球を
も壊滅させる核の力を、米ソ両国が手にしたことで、冷戦は一気に核戦争の危険をはらむものとなった。
そうして、米ソは相手を上廻る核戦力を維持しようと軍拡競争を押し広めた。
1952年、アメリカの大統領選挙で、第2次世界大戦中、連合軍の最高司令官を務めたアイゼンハワーが当選する。
アイゼンハワーは共産主義国に決然と対向する意志を見せ、1952年11月1日、エ
ニウェトク環礁において、初の水爆実験に成功し、再び、ソ連に対し、軍事的優位に立っ
た。
しかし、その9ヶ月後の1953年8月、ソ連も水爆実験に成功し、再び、アメリカに
追いつく。
だが、スターリンは成功する直前の同年3月、73歳で亡くなり、その後、指導者にな
ったフルシチョフに、冷戦は受け継がれる事になった。
このフルシチョフの時代に、ソ連は核兵器の開発で、アメリカを追い抜き、宇宙開発においても、1957年10月4日、世界初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功した。
しかし、スプートニク打ち上げの真の目的は人工衛星の代わりに核弾頭を積んで、大陸間弾道ミサイルICBMで、アメリカを直接、攻撃する事にあったのだ。
対するアメリカも、1957年2月、人工衛星ヴァンガードを打ち上げようとするが、失敗し、世界にソ連優位を知らしめる結果となってしまった。
その一方で、アイゼンハワーはソ連と対立するだけでなく、融和を図ろうと、フルシチ
ョフをアメリカに招待。
この時、フルシチョフは冷戦の雪解けを感じさせるほど、アメリカで友好ムードを振り
まくが、1960年5月、アメリカの偵察機U2が、ソ連本土をスパイし、ソ連軍によって
撃墜され、再び、両国の関係は硬化する。
その年の11月、ジョン・F・ケネディが、43歳の若さで、第35代アメリカ大統領に当選。
そうした最中、フルシチョフは、ニューヨークで行われた国連総会に出席し、その時、
前の年にキューバ革命に成功したばかりの社会主義体制のキューバの首相カストロに会い
、これ以後、親密な関係を強めていく。
キューバの社会主義化は、アメリカにとって大きな脅威だった。
フルシチョフ、ケネディとウィーンで会談。
それは、戦後、分割占領されたベルリン問題で、フルシチョフは西ベルリンからのアメ
リカ軍の撤退をケネディに強く迫ったのだ。
しかし、アメリカにとって、それは社会主義体制のさらなる拡大を招くものであり、容
認する訳にはいかなかった。
それに対し、フルシチョフは新たな挑戦をケネディに仕掛け、アメリカの裏庭とも言え
るカリブ海に浮かぶキューバに、アメリカを射程にしたミサイル基地を建設する事にし、秘かに、核弾頭と、中距離ミサイルを、キューバに運び込む。
それを、偵察機U2で、キューバにミサイル基地が建設されているのを知ったケネディは「キューバから、西側世界に向けて発射された核ミサイルは、ソ連からアメリカへの攻撃とみなす」という声明を発表し、キューバの周辺海域の封鎖を指令して、キューバに向かう船の臨検を始め、世界に展開するアメリカ軍は厳戒態勢に置かれた。
一方、キューバでは全軍に動員令が発せられ、戦闘態勢に突入。
アメリカ軍を迎え撃つ体制が整えられたのである。
しかし、出来れば戦争を回避したいのは米ソ双方ともに同じで、世界が固唾を呑んで見
守る中、米ソ首脳は息詰まる交渉を続けた。
フルシチョフが、ミサイル撤去に同意するまでの数日間、世界は核戦争勃発の危機に直
面したのだ。
もし、この時、核戦争が起きていたら、米ソ両国だけでなく、地球全体が放射能で汚染
され、人類は滅亡していたかも知れません・・・
フルシチョフは、在任中のジュネーブ会談後、セミパラチンスク核実験場で行われた新
型水爆実験の成功で、「戦争はもはや不可能になった」と宣言したそうです。
核兵器は、それ以後、戦争を抑止する力とみなされるようになったのですが、この考えこそが、米ソ両国の核軍拡競争を進める事に・・・
そうして、戦争を抑止するという理由で、米ソ両国は核軍拡の道を歩み、水爆まで開発し
ました。
そして、相手からの核攻撃を恐れるあまりに、先制攻撃のボタンを押しかねない状況に
追い込まれていったのです。
核の時代の平和。
それは、恐怖の均衡の上に成立した脆く危うい平和に過ぎない。
この事を、人類は嫌というほど思い知らされたのです。
参考資料「NHKスペシャル・映像の世紀」より
ゴジラを生んだ水爆のお話から、冷戦やキューバ危機による核戦争一触即発の事態まで
書いたのは、軍事研究家の素敵な方も私のブログを読んでくださっているからです。
スナフキン、納得していただけたでしょうか?
水爆について、勉強したところで、いよいよ、「ゴジラ・シリーズ」を鑑賞!
果たして、ゴジラの魅力はどこにあるのか?
ゴジラとメスゴジラのロマンチックなラブシーンはあるのでしょうか?
だけど、30作品以上も観たら、途中で飽きちゃうかも?
怪獣モノはおろか特撮モノは大人になってからあまり観てないし・・・
だけど、そんな心配は全然、入らなかったの♪
本格SF冒険もの、特撮コメディタッチもの、社会を風刺するものまで、実に多彩で、あ
くび一つせずに、全部、観れちゃったんです!
私達が、普通、ゴジラに抱くイメージは、荒ぶる破壊神というか、街を破壊しまくり、
怪獣同士で戦っちゃうところにあると思うのですが、昭和のゴジラはいたずら坊主っぽく
て、とてもお茶目なんです。
「怪獣大戦争」で、赤塚不二夫さんのマンガ「おそ松くん」のイヤミのポーズ「シェー
」を真似たかと思えば、「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」では、加山雄三さん
演じる若大将よろしく「幸せだなあ~。僕は君と一緒・・・」を真似てますし、「ゴジラ
対メガロ」では、当時の人気テレビ番組「木枯し紋次郎」みたいに、楊枝を口にして、「
あっしには関わりにねえことで・・・」とやってるんです♪
参考資料「FLASHスペシャル 2014年9月10日増刊号」
平成の「ゴジラ」からは、お茶目な部分が消えて、それこそ荒ぶる破壊神と化してしま
うのですが、ゴジラ映画を大切に作り続けていこうという姿勢がうかがえて、予想以上に
素晴らしかったです♪
とくに、1992年公開の「ゴジラVSモスラ」から、2001年公開の「ゴジラ・モスラ・キ
ングギドラ大怪獣総攻撃」までが良質の娯楽作品に思えました。
それでは、私が選ぶ「ゴジラ」ベストスリーを発表させていただきます。
まず、1位は文句なく第一作目の「ゴジラ」!
2位は、前衛的で、芸術性豊かな「ゴジラ対ヘドラ」
ペインティングされたお姉さんが色っぽい♪
3位は、2004年公開の「ゴジラ FINAL WARS」
常識にとらわれないシュールな展開にすごい才能を感じちゃいました♪
という具合に、思いのほか良かった「ゴジラ・シリーズ」だったのですが、残念ながら
、肝心のゴジラのラブシーンはなかったです。
誰か作って下さいませ~~~♪
あと、「ゴジラ」はマンガにもなっていて、それも少しご紹介したいと思います。
え?
実写の映画ならいざ知らず、マンガはそれほどでもないだろうですって???
とんでもありません!!!
石川球太さん、堀江卓さん、桑田次郎さんというそうそうたる大御所に並んで、「はだ
しのゲン」で有名な中沢啓治さんも「怪獣島の決戦・ゴジラの息子」を描いてるんです!
中沢啓治さんは、「はだしのゲン」ばかりか、「ゴジラ」でも、核の怖ろしさを訴えて
いたのです!!!
まあ、そんなこんなで、多彩なジャンルがあって、男女ともに、大人から子供まで楽し
める「ゴジラ・シリーズ」、あなたもぜひ、ご覧になって下さいね♪
オシマイ♪♪♪