
まだ昼間が、今ほど暑くない春のうららかな頃だったと思います。
クリント・イーストウッドが素晴らしい映画監督だと、私の敬愛してやまないあの人に教わったのは。
でも、私はそれまでただの一本もクリント・イーストウッドの映画を観た事はなかったのです。
いいえ、観ようと思った事はあったのですが、ある映画についての感想を書いたある男性の文章を読んで、急に観る気が失せてしまったのです。
その映画のタイトルは「マディソン郡の橋」と言って、とてもロマンチックな大人の恋を描いていると、公開当時大評判だったのです。
それで、私もロマンチックな気分にひたりたいと観てみようと思ったのですが、その矢先にこんな文章を見つけたのです。
この映画は不倫をする女性にとても都合よく作られている。
自分がどんなに妻を愛していても、妻がほかの男性を思い続けているとしたら、もう妻を真剣に愛するのが馬鹿らしくなる。
この映画が女性の不倫を肯定し、夫に妻を愛する気持ちを失わせると知り、私は急に観る気が失せてしまったのです。
当時、私は新婚間もない頃で、長男はまだ赤ん坊で、これから主人と協力して子育てをしようと張り切っていた時期でした。
そんな時期に、妻の不倫を肯定する映画を観て、感動している場合ではないと思ったのです。
それに、その映画の中での不倫は美しいかも知れませんが、実際には不倫がばれて、修羅場になるケースの方がほとんどではないでしょうか?
私の女友達や従姉妹の場合がそうです。
不倫がばれた私の女友達は、夫にこう言われたそうです。
「お前は俺達家族をどう思ってるんだ!
不倫なんかして、子供が可哀相だと思わないのか?
お前に子供は任せられない。
子供は俺が育てるから、もう別れよう。」
彼女は、普段は小学生の自分の息子をチビ、チビと呼んで、何かにつけ邪険にしているふうだったのですが、夫にそう言われて、泣きじゃくりながら、何度も何度も床にひざまずいて謝り、なんとか許してもらえたそうです。
でも、私の従姉妹の場合は、どんなに泣いて謝っても許してもらえませんでした。
彼女も、夫に「子供をお前に任せられない。 俺一人で育てるから、出て行け!」と言われ、離婚後、子供と離れ離れにされてしまいました。
それは十年以上前の事で、彼女は不倫した相手とはすぐに別れて、罪を償うかのように、人前にあまり出なくなり、今も一人でひっそり暮らしています。
そういう女性達を、私は実際に何人も知っているので、不倫を肯定する気にはとてもなれないのです。
だけど、その一方で、不倫して自分も夫も相手も誰一人不幸な結末にならなかった稀有な例も私は知っています。
その女性の夫は、同じ頃に結婚したばかりの男友達と、夫婦ぐるみで付き合っていて、お互いの家で食事をするほど、とても仲良かったそうです。
ところが、その女性はそうやって夫の友達と仲良くしているうちに、お互いを好きになってしまい、不倫をするようになってしまった。
でも、不倫は夫になかなかばれなかったらしいです。
理由は、夫の男友達は夫と同じ運送屋で長距離トラックのドライバーをしていて、一度仕事に出たら、一週間ほどは帰って来ないらしく、その合間を見計らって思う存分不倫を楽しんでいたとか。
だけど、どこでどう間違えたか、ある日ラブホテルで、ばったり夫に不倫の現場を見つかってしまったそうです。
彼女はそうとう慌てたそうですが、なぜか夫の横には男友達の奥さんが仲良く腕を組んで寄り添っていた。
つまり、お互いにこっそり不倫をしていて、怒るに怒れなかったという訳。(笑)
その結果、どうなったかと言うと、共に離婚し、不倫した相手と再婚したので誰一人傷つかなかった。(笑)
でも、これは本当に稀有な例で、妻の不倫がばれた場合、ほとんどのケースで子供と引き離されて離婚に至るのが多いみたいです。
これは愛する妻に裏切られ、子供を大切に思う夫にしてみれば当然の決断なのかも知れません。
だから、映画に憧れて、簡単に不倫をしてしまうと、とんでもない事になってしまうと思うのです。
それでもなお世間では不倫をする女性があとを絶ちませんが、私にとって、不倫とは自分の真実の愛を育てられなかったという意味において、敗北以外の何ものでもないのです。
それに、そう思わなければ結婚生活はとても続けられませんから。
でも、もしかしたら不倫の中にも一片の真実や妥当性はあるかも知れない。
それを、私が敬愛する彼が、クリント・イーストウッド監督の「マディソン郡の橋」で見出だしたのなら、私も観てみる価値はあるかも知れない。
そう信じて、この映画をようやく17年振りに観る気になったのです。
だけど、だからと言って、私はすぐに観る訳にはいきませんでした。
不倫を肯定する映画を観る以上、私もその主人公の気持ちになりきる必要があると感じたからです。
だとしたら、「マディソン郡の橋」に感化されて、私自身、不倫をしたくならないとは断言出来ないですよね?
だから、私はこの映画を観る前に、純愛路線の映画や文学作品に出来るだけ触れて、純愛の素晴らしさを再認識する必要があったのです。
それで、観ると決断してから、ここまで遅れ、今に至った訳です。
そうしたうえで、私は「マディソン郡の橋」に臨んだのです。
つづく
前回のつづきです。
別に不倫したい訳でも、離婚したい訳でもない私が、不倫を肯定しているらしい「マディソン郡の橋」を観ようと思ったのは、私の敬愛する人が、クリント・イーストウッドが世界最強の映画監督であると絶賛したのと、どんなシチュエーションの不倫を描いているのか、その二つの理由を知りたかったからなのです。
そう、クリント・イーストウッドは世界最強の映画監督らしいのです。
はっきりした理由はわからないのですが、おそらく八十歳を過ぎた今でも、優れた作品を生み続けているからではないでしょうか?
優れた作品なら、ほかにも多くの映画監督が撮っていますが、クリント・イーストウッドよりも、若い頃にしか撮っていませんから。
その二つを念頭に入れて、出来る限り不倫する主人公の気持ちに成り切って、「マディソン郡の橋」を観てみる事にしました。
ここで、はっきり書いておきますが、私はこれまで独身の頃を含め、不倫をした事は一切なく、ごく普通に生きてきました。
この映画は、主人公フランチェスカがすでに亡くなっていて、遺灰をローズマン橋からまいてくれという遺書に子供達が驚くシーンから始まり、彼女の手記で次々に不倫の事実が明かされていきます。
フランチェスカの一家は畜産農家を営み、子牛の品評会のために、彼女一人を残して、家族はみな出かけて行きます。
その僅かな四日間にフランチェスカは、写真家のロバート・キンケイドと出会うのです。
私は、キンケイドが、よその土地から来た写真家で、世界中を旅している点が惹かれた理由の一つだなと思いました。
私だって、誰にも頼らずに一人で旅する男性は尊敬しますし、カメラマンという感性を大切にする職業にも憧れたりしますので。
しかも、キンケイドはとても紳士的で優しく、こう言われたいなと思う言葉を次々に口にするのです。
また、お話の舞台が騒がしい都会の雑踏ではなく、緑豊かで静かな田舎の町という点も牧歌的な雰囲気でいいなと思いました。
そうした訳で、私はあれほど、不倫を否定して生きてきたのに、あれよあれよという間にロマンチックな気分になってしまい、最後の別れの時、キンケイドが雨に打たれながら、フランチェスカをじっと見つめる場面では感動して泣いてしまったのです…
素晴らしい…
これこそ真実の愛だわ…
ところが、しばらく経つうちに、待てよ、おかしいぞ?という気持ちがムクムクわいてきたのです。
その最大の理由は、キンケイドにありました。
だって、何はどうあれフランチェスカとエッチしてるじゃないですか!
それにキンケイドって、すごく話上手のわりには証拠が何もないじゃない?
もしかしたらキンケイドって、相当な嘘つきでフランチェスカの体だけを目当てに近づいたんじゃ?
それを、フランチェスカが傷つかないように鮮やかな手口でやってのけたのでは?
とは言うものの、キンケイドの死後、大切なカメラやフランチェスカとの四日間の思い出を綴った冊子が彼女のもとに送られてきた点が疑問ではあったのですが。
そこで、その点に気をつけながら、再び「マディソン郡の橋」を観てみたのです。
すると、出会ってすぐにキンケイドは車の中で、煙草を取る際にフランチェスカの脚にさわったり、野菜を切るフランチェスカの手伝いをする時にわざと彼女の体にふれる場面に気づいたのです。
あのね、女性ってね、ちょっとでも気になる男性に体をさわられると、ついその気になっちゃうものなの。
それにフランチェスカに事あるごとにお酒を飲ませているし。
だけど、フランチェスカにも否がない訳ではないのです。
初めて会ったキンケイドの車に乗り込んで道案内したり、家に泊めたり、不用心過ぎるというか、あまりにも積極的過ぎません?
フランチェスカって、不倫願望の塊なのかも?
それに、キンケイドがフランチェスカの生まれたイタリアのバリという小さな町に行った事があるというのもおかしくない?
そんな都合のいいお話ってある?
女性って運命を信じやすい生き物だから。
やっぱり、キンケイドは天下無敵の大嘘つきに決まってる!
私、絶対騙されないもん!
とまあ、疑心暗鬼で観ていたのですが、不覚にもやっぱりロマンチックな気分になって、同じ場面で感動して泣いてしまったのです。
だってね、不倫をしたルーシーが町で噂になり、冷たくあしらわれていると知ったキンケイドが、フランチェスカに会わない方がいいかも知れないと電話するなど、常に女性の立場に立って優しく接しているんですから。(苦笑)
そんな場面の数々を観ているうちに私は、不倫だとか道徳観はどうでもよくなって、二人の愛の形に陶酔してしまい、私の体の中に眠っている何かが否応なしに呼び覚まされるような感覚になってしまうのです…
こんな気持ちにさせてくれるこの映画とクリント・イーストウッドはすごいとしか言いようがない…
だったら、私もチャンスがあれば不倫してみようかしら♪
一瞬、そんな気持ちにならないでもなかったのですが、この映画は本当に不倫を勧めてるの?
いいえ。
そんな訳がないですよね?
フランチェスカの書いた不倫の打ち明け話を読んだ二人の子供達は、共にもう一度自分のパートナーを愛する事を決意して、この映画は幕を閉じるのですから。
この映画は不倫という非常に危うい恋を題材にして、生きるうえでの心の支えや、愛し愛される事の大切さを描きたかったのだと思います。
フランチェスカは自分の思い描いていた人生を送っていた訳ではなく、不満を抱えながら生きていた。
それに夫のリチャードは謹厳で、フランチェスカとの性生活は淡泊だったのではないでしょうか?
そこへ、別世界から来たキンケイドに自分を変えてくれる何かを見出だし、積極的に彼に迫っていった。
キンケイドにしても、最初はフランチェスカの体が目当てだったのが、世界中を旅しても得られなかったもの。つまり自分と同じ何かをフランチェスカに見つけ、次第に彼女を愛するようになった。
だけど、それは出会うのが、あまりにも遅すぎて許されない愛だった。
一緒になれたとしても、そのあと夫のリチャードや子供達はどうなる?
きっと後悔ばかりが残って、喧嘩が絶えなくなり、あの真実の愛と信じた四日間さえ色あせてしまうだろう…
愛しているから別れなければならない。
フランチェスカは日記にこう書き残しています。
彼なしでは長い年月を農場で暮らせなかったでしょう…
フランチェスカはキンケイドと四日間という短い間ではあったけれど、真実の愛の思い出を作る事が出来て、それが彼女の人生を支えてくれた。
美しい思い出は、とても大切なもの…
私もそう思います。
私は決して主人と順調に暮らしてきた訳ではありません。
大喧嘩して、家を飛び出したり、もう別れようと思った事は何度あるかわかりません。
でも、時々、付き合っていた頃や、新婚当時や、子供が生まれたばかりの頃を思い出すのです。
あの頃の主人は、私を大切にしてくれて、とても優しかった…
主人を愛し、愛されたという思い出があったから、私はどんな嫌な事や苦しい事があっても、乗り越えて来られたのです。
この映画は、そんな思い出を私の胸に蘇らせてくれました。
でも、私達夫婦はまだまだ人生という名の旅の途中…
これからも私は主人と愛を育み、生きる支えを作って行こう…