農村ライフ 日々是好日

山形・庄内平野でお米を作る太ももの会広報部長の農村日記

ポプラ発表会

2015-10-31 20:57:52 | 学校行事
今年のポプラ発表会は、久しぶりに
プログラムの最初から最後まで観ることができました。

どの学年も素晴らしい発表でしたね。

特に5年生の発表は担任の先生のカラーを反映されて
コント仕立ての劇で、大いに笑わせていただきました。

「O」と「G」でおもしろい学校。
冗談ではなくて「笑い」の力は、
世の中を変えるかもしれませんよ。


そして出羽人形芝居の出し物は、
故郷に伝わる伝説「大渕のあかがめ」でした。

宝物が入っていると思われた大きな甕の中に
入っていたのは、真っ赤な漆。
その漆の赤で京田川が染まった話は、
私も初耳だったので、興味深く拝見しました。


さらにフィナーレの6年生の北前太鼓には、
毎年確実に受け継がれている伝統が確認できて
うれしくなりましたよ。

皆さんありがとうございました。


クローバー学年のハロウィンバージョン、
目立っていましたよ。




         *             *


県高校サッカー選手権は3-2で日大山形が優勝しました。
健闘した羽黒の得点を入れたユウスケとセナ。

ふたりはジュンと同じスポ少出身。
そのこども時代を知るだけに、テレビでその勇姿を観ていて、
あのやちゃくちゃない(やんちゃな)やつらが、
こんなに躍動している様をみて、思わず目頭が熱くなってしまいました。

日大には県代表として全国でがんばってほしい。
応援しましょう!


裏口あり

2015-10-30 21:15:47 | 日記

街角で見つけた看板です。

「裏口あり」

裏口?


コンビニの看板でした。

通り抜けしてみます?


ヤマザキショップ白山店でした。

この店の道路向かいに、
プロ野球長谷川勇也選手の卒業した小学校があります。

ソフトバンク日本一おめでとうございます!
工藤監督は9回も胴上げされましたね。

秋仕込み味噌

2015-10-29 22:37:13 | 食べ物

2年ぶりに自家用の味噌を仕込みました。

米と大豆を一斗ずつ、上新田の鈴木麹屋さんに
合わせていただいたものです。

米は新米「山形95号」のくず米。
大豆は青豆「さといらず」を。

ただ大豆は古い豆なので、堅くて
麹屋さんに苦労かけてしまいました。

ちょうど今日、太ももに山形の深瀬善兵衛商店
「味噌かあちゃん」ことナオコさんがいらっしゃいました。

聞いたところ、味噌作りには
春仕込みと秋仕込があるそうです。

ただ秋の仕込みは冬の間麹菌が活動を休眠するので、
味噌の表面が若干固くなりやすい。
春先に手で攪拌してやるといいそうです。

そして暑い時期の夏は、雑菌が繁殖し易いので
避けるということでした。

秋仕込みの味噌が食べられるのが1年後。
来年の秋が楽しみだなあ。


味噌かあちゃんのナオコさん。
あちこちの小学校やサークルで味噌作り教室を開いています。

親子で味噌作りなんていいですね。
いっぺん庄内にも来ていただこうかしら。

長府の風呂釜

2015-10-28 19:43:26 | 暮らし

新しい風呂釜に交換しました。
漏水して交換した前器は13年使用したことになります。

長府の薪専用風呂釜です。(ステンレス製)
船場町の取り扱い店から、じっちゃんが購入してきてくれました。

ただし浴槽と接続して、お湯を循環させるパイプを
通す穴の位置が微妙にずれていることが判明。

特に下のパイプ(吸管)が若干つぶれ気味になるために、
水の通りがスムーズに行かないようです。

なるほど、これは以前から家族も気がついていました。
釜で暖められたお湯が、浴槽に放出されるときに、
異常に大きな音がするのです。

人間でいえば血管が細くなった状態に似ています。

日曜日にでも穴の大きさと位置を点検することしましょう。

まずは家の風呂に入ることができるようになって
一安心です。

いまどき薪を焚いて風呂を沸かすうちは少ないでしょうか。
でも薪にする木材は、豊富に調達できるし
なにより経費がかかりません。

4年前の大震災のときは、電気が止まったけれど
わが家は普通に風呂を沸かして入ることができました。

なお浴槽には灯油ボイラーも接続してあるので、
風向きが悪い日(ダシ風の日)は、灯油に切り替えています。

いまはやりのハイブリッドでエコなんですよ。

ゴダイゴ40周年

2015-10-27 22:14:24 | 日記

結成40周年を迎えるゴダイゴ。
今日のスタジオパークに出演していました。

いやー懐かしい。
古澤さんを加えて、今は「ロクダイゴ」なのだそうですよ。

還暦を過ぎた皆さん、年齢だけじゃなくて
ウエイトもかなり重ねられたようです。

番組ではNHKならでは、ドラマ「男たちの旅路」に
出演したときのなつかしの映像が流れました。
(本名で売れっこアイドルバンドの役を)

アコースティックライブでのヒット曲のメドレーも良かったなあ。

ゴダイゴがデビューした時、私は高校生でした。
全編ネイティヴに聴こえる英語のロックは、
とても日本のバンドとは思えず新鮮で、
とても格好良かったですね。

初期の頃、ゴダイゴはCMソングをたくさん作っています。

そしてCMソングばかり集めたアルバムを2枚も出しています。

私はこの「CMソング・グラフィティ」が大好きです。
LPもCDも持っています。

車の「ミラージュのテーマ」や「スプリンター・リフトバック」、
日本石油の「ナウ・ユア・デイズ」、
カネボーの「僕のサラダ・ガール」、
サンヨーの「イン・ユア・アイズ」
など名曲が目白押し。

えっ!これもあれもゴダイゴ!
と当時は思ったものです。

その中で私が一番好きなのが、
日立の「ホワット・ディド・ユー・ドゥ・フォー・トゥモロー」という曲。
当時「歌のベストテン」の番組のCMで流れていました。

「明日のために、今日何をしましたか」(という意味かな?)
短い曲ではありますが、輝く朝日の映像とともに、
いまだ私の中では人生の応援歌です。

ゴダイゴの新曲「きみはミラクル!」は、
現在NHKみんなの歌で放送されていますよ。

35年前の「ビューティフル・ネーム」の
姉妹歌(?)ともいえるいい曲ですね。

お風呂通い

2015-10-26 22:10:54 | 日記
風呂釜が水漏れして壊れたので、
3夜連続して町湯に入りに行きました。

大きなお風呂は、やはり疲れが取れますね。

町湯は明日でオープン1周年だそうです。

この一年で何が変わったか?

浴室の壁にやたらと貼り紙が増えました。

やれ「身体を良く洗え」だとか、
やれ「タオルやマットを浴槽に入れるな」だとか、
やれ「浴槽の縁に寝そべるな」だとか・・・

よほど目に余るほど、マナーの悪い客が多かったのでしょうか?
(余目にかけたわけじゃないけど)

既存の温泉施設に比べて、洗練されていて
何も余計なもの、おせっかいなものがなかったのが
町湯の魅力だっただけに、
何だかいろいろ俗っぽくなって残念です。

ところで貼り紙って効果あるんでしょうかね?

いまどき小学校にもいちいち
「廊下は走らないようにしましょう」
なんて貼ってないけどなあ。

高校サッカー選手権 決勝は羽黒と日大山形に

2015-10-25 14:25:48 | スポーツ

落ち葉舞う小真木運動場。
選手権県大会準決勝、
わが鶴岡東は0-3で、残念ながら羽黒に敗退です。

粘って守っていた後半15分、
相手FWの伊藤瀬七に決められてしまい均衡が破れました。
その後は次々と加点を許してしまいますが、
最後までよくがんばりました。

3年生は引退になる最後の公式戦。
県3位という成績は、なかなか立派なものです。
皆さんたいへんお疲れさまでした。

これで来週の決勝戦は羽黒と日大山形に。

羽黒の瀬七はスポ少時代、ジュンのひとつ上の学年で
当時家にもよく遊びに来ていたものです。
来週はがんばってぜひ全国の切符を掴んでくださいね。

私の二百名山体験その4 大天井岳

2015-10-24 16:48:51 | 
田中陽希さんは10月5日、蝶ヶ岳から
常念岳を越えて大天井岳、燕岳を登頂して中房温泉に下っています。

ワンゲルの先輩サトーさんと霞沢岳に登った翌年だったでしょうか。
10月の末、また北アルプスに出かけています。

紅葉が終わり稜線には雪がつく時期なのですが、
稲刈が終わってからだと、どうしてもこのタイミングになってしまいます。

上高地から徳沢、長塀尾根を蝶ヶ岳に登り、
常念岳、大天井岳、そして喜作新道を経て東鎌尾根から
槍ヶ岳を目指すプランでした。
しかし雪のコンディションが厳しかったら無理をせず
槍沢に下山するつもりでした。

初日はすでに小屋閉めして無人になった蝶ヶ岳ヒュッテの脇に
テントを張って寝ました。
稜線上の日陰には新雪が積もっていて、
朝方はかなり冷え込みました。


2日目、常念岳から見た大天井岳です。
エアリアマップには「だいてんじょうだけ」と
ふり仮名が付いていますが、ワンゲルのクラブでは
「おてんしょうだけ」と呼んでいました。

北側の燕岳(つばくろだけ)から槍を目指す
人気の表銀座コースと常念山脈の分岐点になっている山です。
どっしりとした質感でそびえています。

2日目の泊地はこの山の手前の山小屋大天荘でした。

初冬の北アルプスなので小屋泊まりすれば、
あのような苦い体験をせずに済んだのですが、
学生時代からの意識の延長で、山登りといえば
テント泊が当たり前。

お金を出して泊まるという小屋泊は、
あの頃は最初から選択肢にありませんでした。

後にテント泊したことを大後悔することになる、
壮絶な体験をこれから書きたいと思います。
わが人生の中でも最も怖い思いをした一夜の記録です。

お化けが出た?
いいえ。
強盗に襲われた?
いいえ。
それは予測の範疇を超えた気象現象でした。


夕闇迫る大天荘。
この日の宿泊客は決して多くなかったと思います。
ちなみに周辺に張られているテントは、
私のダンロップテント1張りだけでした。

穏やかな日没でした。
夕食はたしかレトルトのカレーかシチュー。
登る予定では来てみたものの、あまり気が進まない
槍ヶ岳方面の雪のコンディションを考えながら、
食事後は早々にシュラフにもぐり込んだと思います。

夜半に風の音で目が覚めました。
かなり強い風です。
テントの外張りがバタバタとはためいています。

嫌な予感がしました。
風の様子が尋常ではありません。

やがて地鳴りのような風音が遠くから轟いてきました。
(まずい!来るぞ)
それはドーンとテントを直撃しました。
かなりの衝撃でした。

小屋の前のテントを張っている地形はコル(鞍部)になっていて、
困ったことに風の通り道になっているようです。
風は安曇野側から強く吹き上げてきます。

テントを張る場所を吟味しなかったことを、
今更悔やんでも後の祭りです。

ますます風は強度を増して、凶暴性を高めていきます。

再び遠くでゴウと不気味な風鳴りが生まれて、
それは確実に接近して来ました。

シュラフの中で身体を固くして身構えます。
ビューン!
風圧でひしゃげるテント。
前回より確実に威力を増しています。

いやがおうでも身の危険を感じました。
突風は周期的にこのテントを狙ってやってきます。

ペグ(杭)でテントは固定されていません。
自分ひとりの体重でこのテントは、
かろうじて大地に接地しているのです。

大自然の猛威の中で、そんな比重はあまりにも軽すぎます。

テントがもし突風に負けて飛ばされたら・・・
ここが平地だったら、まだ良かったでしょう。

しかしここは紛れもなく標高2800mを超える
北アルプスの不安定な稜線です。
尾根の両側の地形は確実に斜面になっています。
さらにもしそこが崖になっていたとしたら・・・

強風に煽られ崖から谷底に転落するテント。
そんなことは考えたくもありませんが、
その危機はいままさにそこに迫っています。

また遠くから猛烈な風の塊が、こちらに向かって近づいてきました。

テントから這い出して身体ひとつで逃げるか?
しかしそんなことをしたら、主を失ったテントは
あっと言う間にザックごと吹き飛ばされてしまうでしょう。

ガツーン!ズズズー
今回の衝撃は強烈でした。
ついにテントは風下に30cmほどズリ押されて、
およそ90度向きが変わってしまいました。

「ヒャー!神さまー!」
もはや生きた心地がしません。

何度も繰り返し襲ってくる恐怖に耐えて、
ひたすら風が収まってくれることを、
祈るしかありませんでした。

こうして何時間凌いだことでしょうか。
時刻は明け方近くになっていたと思います。

雨が降らなかったのはまだ幸いでした。
多少風が弱まったのを見計らい、
思い切ってテントからザックとわが身を放り出し、
テントを引っ張って近くの物置小屋に避難しました。

(助かったー・・・)
その安堵たるや涙が出る思いでした。

3日目の朝になりました。
夜中のバカ風は嘘のように弱まり、
朝日を浴びた槍や裏銀の山々が神々しく輝きだしました。
今日も晴天が続いています。

私は一応槍の方面に歩みを進めたものの、
西岳を過ぎて深い雪の中、水俣乗越へ苦労して下り立つと、
なんの迷いも未練もなく槍沢に下山したのでした。


これは槍沢に下りてから、
大げさではなくて「生還」を実感しているところです。

この日は上高地の小梨平で幕営して、
最後の夜を過ごしました。

思い返せばこのときの山行は、
とくに登りたい山があって出かけたわけでもなくて、
中途半端な気持ちで山に向かってしまった
ツケが回ったのかもしれません。

夕食でマーボー春雨をツマミに、
缶ビールを飲みすぎて気持ちが悪くなったのを覚えています。

この後、稲刈後に日本アルプスのような高山に登ることはなくなりました。












私の二百名山体験その3 霞沢岳

2015-10-23 20:08:33 | 

霞沢岳は上高地の東側、
梓川をはさんで穂高と対峙するようにそびえています。

今では徳本峠から登るルートが地図に記載されていますが、
以前は登る人が少なく、一般的なルートがありませんでした。

私はその名前すら知りませんでしたが、
ワンゲルの先輩サトーさんに誘われて、
一緒に登ることにしたのが、24歳の晩秋です。

長野県飯田出身のサトーさんは、マイナーな山が好きで
霞沢岳には大学卒業間際の12月に単独で挑戦したものの、
登頂が叶わず、再挑戦のパートナーとして私に声をかけていただいたのでした。

11月7日の深夜1時、松本駅で落ち合って再会を喜びました。
そのままサトーさんの車で夜中に上高地に入り、
車の中で3時間ほど仮眠して、
朝7時には霞沢岳目指して歩き出しました。


アルパインガイドを参考にして選んだ登頂ルートは、
大きく急な八右衛門沢をひたすら詰めていくもの。

帝国ホテルの辺りから東に入ると沢は始まります。

沢とはいえ取り付きから少し行くと、
もう壁のような傾斜で、水は流れていません。

技術的には難しかった印象はないのですが、
ゴロゴロとした大きな岩が不安定に堆積した
沢の中を進んでいくのにはかなりの緊張を強いられました。


稜線に出てからは穂高や焼岳、乗鞍の絶景を眺めながら
ハイマツの中のわずかな切込みを辿ります。


霞沢岳の頂上(2646m)には、13時15分に到着しました。
3年越しの念願が叶ったサトーさんとがっちり握手。
登頂記念の赤い布は、あらかじめ私が準備していたものです。

今月4日だからついこの間、田中陽希さんは上高地を出発して
徳本峠から霞沢岳を往復し、そのまま大滝山を越える長い
紅葉した稜線を蝶ヶ岳ヒュッテまで歩いています。

霞沢岳は縦走路から外れているため、
今でもあまり訪れる人の少ない静かな山のようです。


こちらは翌日登った対岸の西穂高岳から見た霞沢岳。
左側の大きな白い筋が、前の日登った八右衛門沢です。

おまけで登った西穂高岳でしたが、
サトーさんは緊張の糸が切れてしまったのか、
手前の独標で「おれ、ここでいいや」とザックを下ろしてしまいました。

そこから私はひとりに西穂高のピークを目指しましたが、
困難な新雪の岩稜帯にひどく緊張を強いられ、
喉がカラカラの状態でなんとか登頂を果たしました。
あんな危ない山登りはこりごりです。

通年営業している西穂山荘で、
温かいラーメンをすすってようやく生気を取り戻しました。

下山して町に戻りました。
山の帰りによく立ち寄ったのが、松本市内の山岳喫茶「山小屋」です。
今も在るのでしょうか?

店内には大学ノートが置いてあって、
山屋がコーヒーを飲みながら、
好き勝手に雑感を記入しています。

このときは霞沢岳の記録と感想を書きました。
たしか「サトーさんの恋の成就を見届けた云々」と著した記憶があります。

(追記)
サトーさんと別れたあと、大阪まで足を伸ばしています。
それはなぜか?

大好きなマンハッタン・トランスファーのコンサートを観に行ったのです。
しかも大胆にもジャージ姿で。
このチケットはダフ屋から買いました。






私の二百名山体験その2 南駒ヶ岳

2015-10-22 21:31:47 | 
田中陽希さんは9月27日、
中央アルプスの安平路山から、
濃い笹薮を6時間も泳ぐように抜けて
越百山を経て南駒ヶ岳に登頂しています。
さらに空木岳から風のように駒ヶ根に下っています。

私は学生最後の夏に中央アルプスを単独で歩きました。
初日は木曽福島から入山して、木曾駒ヶ岳に幕営。

翌日上天気の下、宝剣、檜尾、熊沢と一気に縦走、
急激な木曾殿越のアップダウンをこなして
空木岳を越えて南駒ヶ岳に達しました。

南駒ヶ岳の手前にはぜひ訪れたいところがありました。
稜線から伊那側に大きくカールした摺鉢窪(すりばちくぼ)です。

本多勝一さんの「愉しかりし山」には伊那谷で育った少年時代、
何度も中央アルプスに登っては、
摺鉢窪でキャンプした思い出がつづられています。
私にとっても、本で読んだその摺鉢窪が憧れの地になっていたのです。

稜線から外れて摺鉢窪に下り立ち、避難小屋の周辺を散策しては
「愉しかりし山」の描写を思い出して、ひとり満足していました。
ここで泊まっても良かったのでしょうが、なぜか先を急いでいます。

南駒ヶ岳の頂上には、午後3時ごろ着いたのでしょうか。
静かないいピークだった印象があります。

ところがほっとしたのか、
うっかり山頂にカメラを置き忘れてしまいました。
それに気づいたのがしばらく経ってからだったので、
取りに戻ることは叶いませんでした。

このカメラ(オリンパスペン)は下山後、
山と渓谷誌の読者投稿欄に、
落し物として掲載していただいたところ、
後日運よく拾ってくれた読者から返答があり、
郵送してもらって、無事手元に戻りました。

ただし現像した写真は、フィルムが雨に濡れたために
ぼやけたものになってしまいました。

さて時刻はすでに夕方にはなっていましたが、
天気が崩れてきたこともあり
越百山から伊那谷に下山を開始しました。

しかしほどなく雨に捕まってしまいます。
さてどうしたものか。
途中運よく樹間に平地を見つけたので、
テントを張ってそこに泊まることにしました。

ただし道はまだ尾根上で水場がなかったので、
傘を逆さにして中に雨水を溜めて、それを炊事に使いました。

ドラマはここから起こります。

雨の中、登山者が下りてきて、私のテントの近くに
やはりテントを張った気配がしました。

その御方も雨に降られて、ほうほうの態で移動してきたのでしょう。

テントの中、EPIガスでご飯を炊いていると
やがて雨が止みました。

テントのジッパーを開けて外の様子を伺うと、
お隣さんがテントから出てくるのが見えました。
それが・・・

!!!(オンナだよー)

お隣さんは意外にも若い女性でした。
しかも当時にしては珍しい単独行です。

現代のような華やかな「山ガール」ではありません。
ニッカボッカーを履いた力強い「山女」でした。

山女は雨上がりだというのに、どこからか
木っ端を集めてきて焚火を始めました。

白い煙がまっすぐに立ち昇り、
ぱちぱちと木がはぜる音がしました。

山女はこちらのテントに声をかけてきました。
「当たりませんか?」

私はテントの中であぐらを掻きながら、
ガスにかけてコトコト煮だっているコッフェルの蓋に
手を置きながら、こくっと会釈しただけでした。

もうー、この若者はただひたすらうぶだったのか、
それとも偏屈な人嫌いだったのか、
ドラマはなんら華々しい展開をみせることなく
急速にしぼんでしまいます。

このエピソードの冒頭に、「ドラマはここから起こります」
と著しましたことを謹んで訂正して、
期待をもたせましたことお詫び申し上げます。

翌朝、テントをたたんで先発したのは、
私だったか、それとも山女だったかは記憶が定かではありません。

この日私は伊那谷の飯島駅に下山し、
国鉄飯田線で伊那駅下車、
出来たばかりの南アルプススーパー林道を、
バスで一気に北沢峠まで上がり
この日のうちに仙丈ヶ岳を往復しています。

仙丈をピストンする前に、
峠で作って沢水で冷やしておいたプリン
旨かったなー。

山男はやはり色気より食い気なのだ。