農村ライフ 日々是好日

山形・庄内平野でお米を作る太ももの会広報部長の農村日記

タンポポ

2009-04-30 21:39:36 | 季節

家の裏の農道端、草刈された中にタンポポが残されていました。
じっちゃんのやさしい心遣いでした。


代かき3日目。
トラクターの左右にミラーがあって、後方(回転部)が確認できます。
臨場感ありますか?

素敵なトラクターライド

2009-04-29 22:14:06 | 農作業

先週と今週はトラクター強化週間です。
今日も代かきで何時間乗っていたでしょう。

昨日から天気も回復して、日差しが強くなりました。
お日さまが高い日中は、水面からの照り返しが強く、とてもまぶしく感じます。

夕方、日が傾いてくると風も弱まり、ようやくほっとします。

ここからがもうひとふんばり。
今日、トラクターが田んぼから上がったのは午後7時10分。
最後はライトの灯りを頼りに、代を掻きました。

入水

2009-04-28 21:40:12 | 田んぼ

田んぼに水が入りました。
いよいよ代かきです。

田んぼに水が入ると、にわかに忙しくなります。
水の状況を見るために、田んぼの巡回が日課になるからです。

(業界用語では)
「水見で田回りする」と言います。

山形県縦断駅伝

2009-04-27 21:17:33 | マラソン、駅伝

3日間にわたる県縦断駅伝がスタートしました。
今日は気温が上がらず、雨が降り続けるあいにくのコンディションになりました。
選手の皆さん、寒い中の力走たいへんお疲れ様でした。

私はラジオを片時も放さず、合羽を着て田んぼで中継を聞いていました。
9時半ごろには黒森に移動。
中継所の手前で2区の選手を応援することができましたよ。

明日と明後日はトラクターに乗りながら、声援を送ります。


鶴岡田川チームの梅木貴文選手、山形チームの須藤朗選手は、ともに区間新記録の力走でした。

昔遊び復活!プロジェクトの提案

2009-04-26 22:31:52 | 学校行事
提案その2です。
前回の記事から、一週間が経過してしまいましたね。

昔の遊びを復活させよう!という提案です。
昔遊びといっても、お手玉やおはじきではありません。
屋外での遊びです。

私たちが子どもの頃は、テレビゲームもなかったので、天気のいい日は当然のように外で遊んでいました。
いろいろな遊びがあったものです。

鬼ごっこ
かくれんぼ
馬跳び
石蹴り
ゴム跳び
ペッチ(メンコ)
ソフトボール
ドッジボール
などなど

それらは別に大人から教わったわけではありません。
子どもたちの中で順送りで、次第に伝えられ遊び続けられていったものです。

いつの頃からでしょう。
子どもたちが余り外で遊ばなくなり、私たちがかつてやっていた遊びが伝承されなくなってしまったのは。

もちろん今の子どもたちが、まったく外遊びをしなくなったわけではありません。
しかし家の子どもたちを見ていても、外遊びといえば野球などのボール遊び。
遊びにヴァリエーションがありません。
時には外でかたまって、もくもくとテレビゲームをやっている光景も見られます。

子どもたちに、昔遊びを教えましょう。
昔の遊びは楽しかったぞ!
私たちの記憶が薄れてしまわないうちに!
というのが、今日の提言です。

まず昔遊びの発掘です。
いろいろな遊びがありました。

鬼ごっこひとつとっても、
「手つなぎ鬼や」
「めくら鬼」
「雪道鬼」
鬼ごっことかくれんぼが合体したような、「缶蹴り」
などありましたね。

地面に線を引いて、石を投げたり蹴ったりするあそびには
「いっけにけ」
「天下取り(?)」
などがありました。

地面の区切られた敷地を、釘や小石で領地を広げてゆく
「陣取り」
という遊びもありましたね。

「馬跳び」の跳び方の1つには、
「さんごくどーめー!」と掛け声で跳んで、
「ニッポン、イタリア、ドイツのドン!」
と馬とお尻をぶっつけ合う、なんてのもありました。

まず遊びをリストアップしましょう。
そしてそれぞれ遊び方のルールの確認です。
ここら辺は記憶がだいぶあやふやなのではないでしょうか。

もちろん地域によって、遊びの名前が違ったり、
名前は同じでも、ルールが微妙に違ったりするでしょう。

紙媒体やインターネットで広報して、
昔の少年少女たちの記憶を寄せて集めて、ルールを確立しましょう。
しっかり文章化して保存します。

その上で普及員の養成です。
遊びとルールを熟知したインストラクターを育成します。

そしていよいよ普及活動。
実際に今の子どもたちに昔の遊びを指導します。
これは自治会単位でもいいし、学校のクラス単位(親子レクレーション)でもいい。
学校と相談して、総合学習の時間やイベントで子どもたちと一緒に遊びます。
もちろん家庭で実際に子どもと遊んで、子どもが「面白い」と感じたら、子どもの輪で次第に遊びが広がっていくこともあるでしょう。

そう遊びは楽しいもの。
指導や普及と大上段に構えなくても、面白かったら自然と子どもたちの間にそして広がっていくことでしょう。

直接指導の教材として、遊び方の詳細やルールの説明を、図解したり実際の遊び方の映像をビデオに撮影し、DVDに保存して活用していただいてもいいですね。
そして遊び方説明ビデオには、子どもたちから出演してもらえたら嬉しい。

あなたが昔熱中した遊びは何ですか?





荒れ風

2009-04-25 22:59:56 | 季節

なんとか午前中天気は持ったものの、祭りの行列が始まる昼過ぎからぽつぽつ落ち始めました。
雨もさることながら、朝から非常につよい東風が吹き荒れ、行列やお祭り見物を妨げてしまったようです。
雨と風で肌寒い一日となってしまいました。

じっちゃんがアイちゃんを連れて、神社に行列を見に行きました。
綿飴を買ってきましたが、悪天のため人出が少なかったと言っていました。

勇んで早い時間帯からお宮に出かけていたジュンも、びしょ濡れになって帰ってきました。

私はこの一週間、トラクターに乗りずめだったので、疲れが出て午後はコタツで寝ていました。
明日の休日、疲れを取って態勢を整えて、代かき作業に臨みます。


昨秋、赤カブを採った畑は、菜の花畑になっていました。

雨近し

2009-04-24 21:41:23 | 家族
明日は当地区の神社のお祭りです。
ああそれなのに、また雨が近づいてきました。

お昼の天気予報では、明日の昼前から雨、とのこと。
なので明日の午前中には大豆畑の耕運作業を終えられるようにと、今日は今日で目いっぱいトラクターに乗っていました。

日も暮れて薄暗くなり、続きは明日と帰宅すると、
お庭がなにやら賑やかです。
もう人の顔も分からないほど暗くなったというのに・・・

誰かと思ったら、なんと家族総出でお庭の掃除をやっているではありませんか。
こんな時間に。
アイちゃんは訳も分からず、三輪車に乗ってはしゃいでいます。

「天気予報見だら、朝から雨降てくんなんけ」
どうやら雨の降り出しの時間が、かなり早まってしまったようです。
「雨降ってしまうど、地面さ花びらくっつぐさげの」

雨が降る前に、せめて家の前だけでもきれいにしよう、という訳です。
散ったばかりの桜やモクレンの花びらを、箒で掃き集めて箕に受けます。
大量の桜の花びらはまだふわふわしていて、舞台の小道具として使えそうです。

明日のお祭り、予報がはずれて天気が持ってくれたらいいのになあ。


ヘルメット物語

2009-04-23 22:57:41 | トライアスロン

最近買い物といえば、子どもたちの衣服や日用品ばかり。
たまには自分の欲しいものを・・・
ということで自転車のへルメットを買いました。

陽気もよくなってきたので、近所に出かけるときは、車を使わずになるべく自転車に乗ろう!
という目論見です。
まずはカッコウから。
もっとも自転車はロードもMTBも20年前のものですが・・・

最近のヘルメットは硬質発泡素材の表面にプラスチックをコーティングしたものが主流です。
軽くてベンチレーションがいいのが特徴です。
カラーリングも凝っていますね。

「中学校の(通学用自転車)ヘルメットも、こんなんだったらもっと着用率が上がるのでは?」
とイッセイに言ったところ、
「いや、もっと被らなくなるかも」
「・・・・・・」

昔むかし・・・
トライアスロンの黎明期、こんなん被っていましたよ。

(87年 第2回酒田おしんレース)
競技用の自転車用ヘルメットといえばこれしかなかった。
OGKの硬質プラヘルメット。
とにかく選択肢がなく、みんなこれ被っていました。


(88年 第3回酒田おしんレース)
チームエトナの中山選手らにあこがれて、ウエアやグッズを懸命に真似しました。
これはチネリのエアロヘルメット。
真っ白つるつるの強化プラ製で、ベンチレーターはありません。
トラックのタイムトライアル用のメットです。

オークレー(当時はオークリーとは言わなかった)のアイシェード、ナイキのランシャツなど気分はチームエトナ。
ハンドルはスコットハンドルもどき、当時売り出されたばかりの日東バーです。


(90年頃のサンセットビーチ温海大会)
当時一世を風靡したジロの軽量ヘルメットです。
発泡スチロールに布カバーを付けていました。
布カバーは何色もあって、気分によって交換できるのでおしゃれでした。

ハンドルはエアロ1タイプ。
通販で買いました。
結構使いやすくて好きでした。

当時OGKが同じ素材の軽量エアロヘルメットを、チームケンズなどにサポートしていましたが、一般にはあまり普及しなかったですね。


(93年 第2回北欧の杜アドベンチャー 秋田)
雑誌でポーラーニュービーやグレッグ・ウエルチなどが被っていた、ヘッドウエイヘルメット。
色使いがカラフルでした。
当時、絶好調だった名取芳春選手も使っていましたね。

(※材質の表現はちゃんと調べたわけではないので、違っていたらゴメンナサイ)


花散らし

2009-04-22 20:50:01 | 田んぼ

低気圧が通過して強風注意報が出ました。
家の前の庭は花吹雪です。
花散らしの雨になりました。


田起し3日目。
作業は順調なのですが、天気が安定しません。

トラクターの周りに、カモメ(ウミネコ?)が集まってきました。
起されたばかりの土の中から餌をついばんでいます。
餌はおそらくミミズと思われます。

これから代かき期間中は、車内からバードウォッチングができます。
今日はカモメのほか、カラス、セキレイ、ツバメが見られました。

急逝 原眞さん

2009-04-21 22:59:43 | 

(平成13年夏 鳥海笙ヶ岳にて
 右より原眞さん エリザベスさん 今野先生)

原眞さん急逝の報を、奥様のエリザベスさんからいただきました。
3月20日未明、脳梗塞でお亡くなりになりました。
故人の強い希望で、葬儀、告別式は行わず、ご家族で内々に見送られたそうです。
突然の訃報にただただ驚いております。

原眞さんは名古屋在住の医師で登山家です。
ご自身の輝かしい登攀歴もさることながら、低圧酸素室による高所順応法を開発。
高山研究所からはヒマラヤを無酸素で攀る多くのクライマーが輩出されました。

そんな中、弟正明が原さんから一方ならぬお世話になりました。
当時岩登りをしながら世界を放浪していた正明を、原さんはたいそう気に入ってくれたのでした。
1985年暮れ、南米への原さんの家族旅行に正明は同行しました。
その後、原さんと遠藤(晴行)さんと正明はフィッツロイに挑んでおります。

そのときの様子は、原さんの著書「還らざる者たち」(悠々社)に詳しく書いておられます。
今からもう4半世紀前のことです。

「フィッツロイからの撤退に、渋谷が不満を持っていたのは当然であろう。暴風がこようがこまいが、とにかく彼は突き進みたかったのだ。フィッツロイからは、私の一存で撤退したような形になっていたいたから、口には出さなくても渋谷の内心は穏やかではなかったはずだ。一匹狼のはずの渋谷が、計画書に高山研究所などど添え書きしてくるのは妙な気がした。
もし渋谷が、もう一度フィッツロイに行くなら、財政援助はしてやると約束していた。金だけを渡すわけにもゆくまいから、渋谷には仕事をさせて謝礼だけは破格の率で与えることにした。窓拭きとか庭木切りとか、穴掘りとか、いろんな労働を彼はやった。私としては、渋谷の才能を愛したからそうしたのであった。当分は岩登りはやれるだけやれ。いずれはヒマラヤに行く男である。岩登りだけで満足する人間ではない。渋谷は高所に対して不必要な不安を持っているようにも見受けられたが、私の訓練システムで育てればヒマラヤ登山で頭角を現すはずだと私は予測していた。」
(フィッツロイに挑む 正明とマルコの死より抜粋)


正明の死後、原さんは三度酒田を訪れてくださいました。

1度目は86年夏の終わり、正明の葬式の時です。
一家総出(まだまだ小さい子どもさんもたくさんいらっしゃいました)で、名古屋から800km夜通し車を飛ばして駆けつけてくれました。
その時は所用でトンボ帰りされるといことで、残念ながらゆっくりお話をすることができませんでした。

2、3年のち原さんがおひとりで訪ねてくださいました。
座敷でささやかな宴を囲みながら、今度はゆっくりと正明の想い出話をお聞きすることができました。

3度目が8年前の夏です。
ご夫婦でキャンピングカーでバカンスを楽しみながら、東北を北上中立寄ってくれました。
そのとき一緒に笙ヶ岳に登ったのが、上の写真です。

名古屋に遊びにいらっしゃいと何度もお誘いいただきました。
そして正明の追悼集を出そうと、いつもおっしゃってくださいました。
昨年電話でお話した時は、また酒田に行きたいとおっしゃっていましたね。
それが叶わなくなってしまい、とても残念です。


(同年 十里塚の浜で夕日を眺めるご夫妻)

謹んでご冥福をお祈りいたします。