霞沢岳は上高地の東側、
梓川をはさんで穂高と対峙するようにそびえています。
今では徳本峠から登るルートが地図に記載されていますが、
以前は登る人が少なく、一般的なルートがありませんでした。
私はその名前すら知りませんでしたが、
ワンゲルの先輩サトーさんに誘われて、
一緒に登ることにしたのが、24歳の晩秋です。
長野県飯田出身のサトーさんは、マイナーな山が好きで
霞沢岳には大学卒業間際の12月に単独で挑戦したものの、
登頂が叶わず、再挑戦のパートナーとして私に声をかけていただいたのでした。
11月7日の深夜1時、松本駅で落ち合って再会を喜びました。
そのままサトーさんの車で夜中に上高地に入り、
車の中で3時間ほど仮眠して、
朝7時には霞沢岳目指して歩き出しました。
アルパインガイドを参考にして選んだ登頂ルートは、
大きく急な八右衛門沢をひたすら詰めていくもの。
帝国ホテルの辺りから東に入ると沢は始まります。
沢とはいえ取り付きから少し行くと、
もう壁のような傾斜で、水は流れていません。
技術的には難しかった印象はないのですが、
ゴロゴロとした大きな岩が不安定に堆積した
沢の中を進んでいくのにはかなりの緊張を強いられました。
稜線に出てからは穂高や焼岳、乗鞍の絶景を眺めながら
ハイマツの中のわずかな切込みを辿ります。
霞沢岳の頂上(2646m)には、13時15分に到着しました。
3年越しの念願が叶ったサトーさんとがっちり握手。
登頂記念の赤い布は、あらかじめ私が準備していたものです。
今月4日だからついこの間、田中陽希さんは上高地を出発して
徳本峠から霞沢岳を往復し、そのまま大滝山を越える長い
紅葉した稜線を蝶ヶ岳ヒュッテまで歩いています。
霞沢岳は縦走路から外れているため、
今でもあまり訪れる人の少ない静かな山のようです。
こちらは翌日登った対岸の西穂高岳から見た霞沢岳。
左側の大きな白い筋が、前の日登った八右衛門沢です。
おまけで登った西穂高岳でしたが、
サトーさんは緊張の糸が切れてしまったのか、
手前の独標で「おれ、ここでいいや」とザックを下ろしてしまいました。
そこから私はひとりに西穂高のピークを目指しましたが、
困難な新雪の岩稜帯にひどく緊張を強いられ、
喉がカラカラの状態でなんとか登頂を果たしました。
あんな危ない山登りはこりごりです。
通年営業している西穂山荘で、
温かいラーメンをすすってようやく生気を取り戻しました。
下山して町に戻りました。
山の帰りによく立ち寄ったのが、松本市内の山岳喫茶「山小屋」です。
今も在るのでしょうか?
店内には大学ノートが置いてあって、
山屋がコーヒーを飲みながら、
好き勝手に雑感を記入しています。
このときは霞沢岳の記録と感想を書きました。
たしか「サトーさんの恋の成就を見届けた云々」と著した記憶があります。
(追記)
サトーさんと別れたあと、大阪まで足を伸ばしています。
それはなぜか?
大好きなマンハッタン・トランスファーのコンサートを観に行ったのです。
しかも大胆にもジャージ姿で。
このチケットはダフ屋から買いました。