農村ライフ 日々是好日

山形・庄内平野でお米を作る太ももの会広報部長の農村日記

私の二百名山体験その2 南駒ヶ岳

2015-10-22 21:31:47 | 
田中陽希さんは9月27日、
中央アルプスの安平路山から、
濃い笹薮を6時間も泳ぐように抜けて
越百山を経て南駒ヶ岳に登頂しています。
さらに空木岳から風のように駒ヶ根に下っています。

私は学生最後の夏に中央アルプスを単独で歩きました。
初日は木曽福島から入山して、木曾駒ヶ岳に幕営。

翌日上天気の下、宝剣、檜尾、熊沢と一気に縦走、
急激な木曾殿越のアップダウンをこなして
空木岳を越えて南駒ヶ岳に達しました。

南駒ヶ岳の手前にはぜひ訪れたいところがありました。
稜線から伊那側に大きくカールした摺鉢窪(すりばちくぼ)です。

本多勝一さんの「愉しかりし山」には伊那谷で育った少年時代、
何度も中央アルプスに登っては、
摺鉢窪でキャンプした思い出がつづられています。
私にとっても、本で読んだその摺鉢窪が憧れの地になっていたのです。

稜線から外れて摺鉢窪に下り立ち、避難小屋の周辺を散策しては
「愉しかりし山」の描写を思い出して、ひとり満足していました。
ここで泊まっても良かったのでしょうが、なぜか先を急いでいます。

南駒ヶ岳の頂上には、午後3時ごろ着いたのでしょうか。
静かないいピークだった印象があります。

ところがほっとしたのか、
うっかり山頂にカメラを置き忘れてしまいました。
それに気づいたのがしばらく経ってからだったので、
取りに戻ることは叶いませんでした。

このカメラ(オリンパスペン)は下山後、
山と渓谷誌の読者投稿欄に、
落し物として掲載していただいたところ、
後日運よく拾ってくれた読者から返答があり、
郵送してもらって、無事手元に戻りました。

ただし現像した写真は、フィルムが雨に濡れたために
ぼやけたものになってしまいました。

さて時刻はすでに夕方にはなっていましたが、
天気が崩れてきたこともあり
越百山から伊那谷に下山を開始しました。

しかしほどなく雨に捕まってしまいます。
さてどうしたものか。
途中運よく樹間に平地を見つけたので、
テントを張ってそこに泊まることにしました。

ただし道はまだ尾根上で水場がなかったので、
傘を逆さにして中に雨水を溜めて、それを炊事に使いました。

ドラマはここから起こります。

雨の中、登山者が下りてきて、私のテントの近くに
やはりテントを張った気配がしました。

その御方も雨に降られて、ほうほうの態で移動してきたのでしょう。

テントの中、EPIガスでご飯を炊いていると
やがて雨が止みました。

テントのジッパーを開けて外の様子を伺うと、
お隣さんがテントから出てくるのが見えました。
それが・・・

!!!(オンナだよー)

お隣さんは意外にも若い女性でした。
しかも当時にしては珍しい単独行です。

現代のような華やかな「山ガール」ではありません。
ニッカボッカーを履いた力強い「山女」でした。

山女は雨上がりだというのに、どこからか
木っ端を集めてきて焚火を始めました。

白い煙がまっすぐに立ち昇り、
ぱちぱちと木がはぜる音がしました。

山女はこちらのテントに声をかけてきました。
「当たりませんか?」

私はテントの中であぐらを掻きながら、
ガスにかけてコトコト煮だっているコッフェルの蓋に
手を置きながら、こくっと会釈しただけでした。

もうー、この若者はただひたすらうぶだったのか、
それとも偏屈な人嫌いだったのか、
ドラマはなんら華々しい展開をみせることなく
急速にしぼんでしまいます。

このエピソードの冒頭に、「ドラマはここから起こります」
と著しましたことを謹んで訂正して、
期待をもたせましたことお詫び申し上げます。

翌朝、テントをたたんで先発したのは、
私だったか、それとも山女だったかは記憶が定かではありません。

この日私は伊那谷の飯島駅に下山し、
国鉄飯田線で伊那駅下車、
出来たばかりの南アルプススーパー林道を、
バスで一気に北沢峠まで上がり
この日のうちに仙丈ヶ岳を往復しています。

仙丈をピストンする前に、
峠で作って沢水で冷やしておいたプリン
旨かったなー。

山男はやはり色気より食い気なのだ。