玉川太福さんの浪曲を生で聴く機会に恵まれました。
櫛引歴史バトンプロジェクトよ、ありがとう!
お隣新潟市生まれの太福さんですが、庄内にもご縁があります。
師匠の玉川福太郎は旧平田町出身。
しかし16年前、福太郎は故郷の農作業中に事故で亡くなってしまいます。
そのとき太福さんは弟子入りしてまだ3か月だったそうです。
曲師の玉川みね子さんは福太郎の奥方でした。
やはり旧平田町の生まれで、高校は庄農だったそうです。
そのような縁で旧平田町での文化祭に太福さんは、
若手の頃から10年くらい出演されていたそうです。
今日は、笑点でも披露した百歳超曲師玉川祐子師匠のスマホ機種変話と、
男はつらいよ第1作目の後編の二話をつかみにして、
題名が分からないのですが、会津若松の藩主だった蒲生氏郷、
家臣との人情話の三席を演じてくれました。
生で浪曲を聴くなんて初めてと言っていいほど記憶がありませんが、
演台(この日のため町で作って用意したそうです。卓上マイクも)や
テーブルクロスのような幕(なぜか鬼怒川温泉の名前入り)をはじめ、
太福さんのオンとオフのスイッチになるメガネ、
湯呑みからお茶(中味は分からないが)を口に含むとき、
湯呑みを手拭いで覆いながら持つ所作など、
なかなか興味深い場面がいくつもありました。
また浪曲師が節をつけて唸る時には拍手を要求するなど、
演者からの一方通行にならない、話芸がよりよい舞台になるための
観客へのアドバイスも適度に織り交ぜて楽しませてくれました。
多忙な太福さん、夕方の飛行機で東京へとんぼ返りだそうです。
玉川太福オフィシャルサイトを見たら昨日は昨日で荻窪で昼席、
夜は千住で独演会を終えたばかりなんですね。
映画「絶唱浪曲ストーリー」にも出てきた浪曲の定席館
浅草の木馬亭にはぜひ行ってみたいものです。
会場は櫛引の黒川、王祇会館。
初めて行ったのですが、庄内平野の南端に近く里山的な雰囲気が濃い地域です。
赤川を隔てた西に連なる紅葉の屏風の中で、
三角に尖った母狩山が特に印象的でした。