![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/82/08302894ce3b3b7c6586185b05ed3fa0.jpg)
昭和31年春、村にあった分教場です。
桜が咲いて子どもたちが遊んでいますね。
分教場は明治の時代から昭和30年代初めまであったようです。
生徒は下中村のほか奥井新田や上中村からも通ったそうです。
本校までか片道3kmあるので通学が困難な3年生以下の低学年が対象。
それでも子どもはたくさんいましたから。
だから当村に生まれた子どもはすべてこの分教場に通っていましたから、
この写真に写っている子どもたちは、
私より10歳前後上の先輩たちでしょうか。
手前の平らなコンクリートは防火用水の溜めです。
今も現役で残っています。
この校舎は閉校後も平成5年ごろ建て替えられるまで
村の公民館として残っていました。
当然、私もよく覚えていますよ。
写真左手には今も残っていますが恩賜郷倉が在ります。
郷倉の正面をホームベースにして、校舎左側手前の角を1塁にして
よく三角ベースのボール遊びをしたものです。
だから打球を何度校舎の側面にぶつけたことか。
さすがに建物にぶつけるのは罪の意識があったのか、
学校の壁に打球をぶつけたら一発アウトというルールがありました。