ふかごろうキリスト教神学日記

キリスト教の神学について、ふかごろうが学んだことを記して行こうと思います。

宗教改革の神学者

2006-05-29 20:43:54 | キリスト教神学入門
<今日読んだ箇所>
「キリスト教神学入門、A・E・マクグラス著」:104~107頁

<宗教改革の神学者>

今日は、宗教改革の主な神学者を紹介します。

<マルティン・ルター>

1483年~1546年の人です。
マルティン・ルターは、エアフルト大学で教育を受けました。
その後、ヴィッテンベルク大学の聖書学の教授となりました。

ルターは、1517年の『九十五箇条の提題』によって人々の注目を集めました。
その後、ライプツィヒ討論があり、これによりルターは、スコラ主義の徹底的な批判者としての評価を確立しました。

ルターは、福音が制度的教会の虜になってしまっていると主張しました。
ルターによると中世の教会は、司祭とサクラメントの複雑な体系に福音を封じ込めてしまったとのことです。

ルターの著作『キリスト者の自由』では、義認信仰について深く語っています。

<ジャン・カルヴァン>

1509年~1564年の人です。
カルヴァンは、スコラ主義が支配的なパリ大学で学びました。
その後、人文主義的であったオルレアン大学に移りました。

20代の半ばに回心を経験し、パリでの改革運動との結びつきを深めました。
カルヴァンは、宗教改革の第2世代に当たる人で、体系的な神学の必要性によく気が付いていました。

彼は、その必要に応じ『キリスト教綱要』を著作しました。

<フルドリヒ・ツヴィングリ>

1484年~1531年の人です。
彼は、キリスト教的人文主義に興味を寄せました。
彼は、初期の宗教改革において、東部スイスでは、重要人物でした。

アナバプティスト、カトリック宗教改革

2006-05-26 15:12:40 | キリスト教神学入門
<今日読んだ箇所>
「キリスト教神学入門、A・E・マクグラス著」:102~103頁

<宗教改革急進派(アナバプティスト)>

「アナバプティスト」とは、再洗礼派と言う意味です。
責任ある個人として公に信仰を告白する者だけに洗礼を授けると言う主張をしました。
だから、幼児洗礼は無効としたようです。

1520年のチューリッヒでこの派が生まれたようです。

他の特徴としては、外的権威への一般的不信、財産の共有、平和主義と無抵抗の強調があったようです。

<カトリック宗教改革>

トレント公会議(1545年~)の後、ローマ・カトリックでは、教会内での信仰の復興が起こったようです。
この改革は、プロテスタント宗教改革の反動で起こりました。
この改革の結果、人文主義者やプロテスタントから出されていた改革の要求の背後にあったさまざまな問題が解決されました。

宗教改革とそれ以後の時代

2006-05-25 12:49:44 | キリスト教神学入門
<今日読んだ箇所>
「キリスト教神学入門、A・E・マクグラス著」:95~101頁

<宗教改革とそれ以後の時代>

この時代は、1500年から1750年頃だそうです。

宗教改革をした中心人物:

マルティン・ルター
フルドリヒ・ツヴィングリ
ジャン・カルヴァン

私は、ルターとカルヴァンは以前から聞いたことがありました。
ルターの名前を初めて聞いたのは中学生のころの歴史の授業かもしれません。
それだけルターと言う人は、歴史的に重要な人なのでしょう。

宗教改革は、最初、ドイツとスイスで起こったようです。
最初この両者の運動は関係無かったようです。
ドイツの方がマルティン・ルターで、スイスの方がジャン・カルヴァンだそうです。

話は関係ないが、カトリックの人がジャン・カルヴァンの像を見てダースベイダーに見えると言っておりました。

宗教改革によってプロテスタントが生まれたのだが、この運動で、カトリック内部の改革も行われたようです。

<ルター派宗教改革>

主にドイツで行われました。
主な人物は、マルティン・ルターです。
ルター派の宗教改革は当初あまり注目されていませんでした。
しかし、1517年10月31日に「九十五箇条の提題」を張り出してから注目を集めるようになりました。
この張り紙は、カトリックの贖宥券(免罪符)の販売に対しての批判の意味があったようです。
免罪符を買うことによって罪が赦される、と言う考えにルターは批判したようです。
この「免罪符を買うことによって罪が赦される」という考え方は、誤解だったようです。
カトリックとしては、そのようなつもりで、免罪符を発行したのではありませんでした。

<カルヴァン主義宗教改革>

主にスイスで行われました。
主な人物は、ジャン・カルヴァンです。
ジャン・カルヴァンは、「キリスト教綱要」や「ハイデンベルク信仰問答」を書きました。

ビザンチン神学

2006-05-24 18:19:54 | キリスト教神学入門
<今日読んだ箇所>
「キリスト教神学入門、A・E・マクグラス著」:89~94頁

<ビザンチン神学>

中世及びルネサンスの時代、ビザンチン神学と呼ばれるものが登場しました。
このビザンチン神学と言う名前は、ギリシアの都市ビザンチウムに由来します。

ビザンチン神学の特徴として、救済を神化と言う視点から見たという部分があげられます。
また、ビザンチン神学の神学者達は、西方カトリック教会に現れてきた煉獄の概念に当惑したようです。

ビザンチン神学は、キリスト教信仰の体系的形成には特に関心を払っていませんでした。
だから、ビザンチン神学にとっては、「組織(体系的)神学」と言うのは異質なものでした。

中世・ルネサンスの主要な神学的発展について

2006-05-23 15:43:49 | キリスト教神学入門
<今日読んだ箇所>
「キリスト教神学入門、A・E・マクグラス著」:85~88頁

<中世・ルネサンスの主要な神学的発展について>

○サクラメント論の発展

古代教会のサクラメント(聖礼典)についての議論にはあやふやな点があったようです。
サクラメントはどう定義されるか、サクラメントの中にはどれが含まれるか、とういう点があやふやでした。
この時期(中世・ルネサンス)にサクラメント議論が成熟し、教会内での合意が生まれました。

○恩恵論の発展

アウグスティヌスの遺産の中心的なものは、恩恵論です。
この時期(中世・ルネサンス)この恩恵論が体系化され発展しました。
このことが、宗教改革の下地になりました。

○救済の図式におけるマリアの役割

マリアに関する議論もこのころ白熱したようです。
マリアを特別な人と見なすか、普通の人と見なすか。
無原罪論と原罪論の2つの論理がありました。

○キリスト教神学の資料への直接的回帰

それまで、「ヴルガーダ」と呼ばれるラテン語の聖書を元に神学が発展してきましたが、この時代には、原典の聖書を直接研究することが始められたようです。

○ヴルガーダ訳批判

1.中世の神学の多くは結婚をサクラメントとして捕らえていました。
これは、ヴルガーダ訳で結婚をサクラメントであると述べていたためです。
ところが原典をあたってみると、サクラメントと訳されていた単語は、単に「神秘」と訳されることが分かりました。

2.ヴルガーダ訳は、イエスの伝道活動の最初の言葉(マタイ4:17)を次のように訳していました。
「悔悛をせよ。天の国が近づいたから。」
この訳は、悔悛のサクラメントと直接の関係を持つように思えてしまいます。
ところが、これは、単に「悔い改めよ。天の国が近づいたから。」と訳すべきだと言う議論が起こりました。

3.ヴルガーダ訳は、天使ガブリエルはマリアに「恵みに満ちた方」(ルカ1:28)と言っています。
これだと、マリアが恵みで満たされた貯蔵タンクで、そこから必要に応じて恵みを引き出せるようにも思えてしまいます。
ところが、この箇所は、単に「恵まれた方」と訳すべきと指摘されました。