ふかごろうキリスト教神学日記

キリスト教の神学について、ふかごろうが学んだことを記して行こうと思います。

三位一体論、教会論

2006-04-29 17:21:12 | キリスト教神学入門
<今日読んだ箇所>
「キリスト教神学入門、A・E・マクグラス著」:49~50頁

<三位一体論>

イエス・キリストの両性の問題が決着すると、次に起こったキリスト教の教理の探求は、三位一体論でした。

三位一体論とは、神には3つの位格があり、この三つが等しく神であり平等であるということです。
この3つの位格は、父、子(イエス・キリスト)、聖霊のことです。

父と子が同等であるということは、ニカイア会議にいたるキリスト論論争を通じて確立されました。
聖霊の神性については、特にアタナシオスとカイサリアのバシレイオスの著作を通じて確立されることになりました。

三位一体論に関しては、この本の別のページで詳しく解説するとのこと。

<教会論>

西方教会では、教会の聖性の問題が論争になりました。

教会は、聖徒だけのものであるか、それとも、聖徒と罪人がまじりあった状態に留まるべきであるか。
この2つの考え方がありました。

アウグスティヌスは、後者のまじりあった状態を支持しています。

ちなみに、宗教改革の時にも、教会論に関わる問題が表面化したそうです。

イエス・キリストの両性

2006-04-27 14:35:54 | キリスト教神学入門
<今日読んだ箇所>
「キリスト教神学入門、A・E・マクグラス著」:47~48頁

<イエス・キリストの両性>

イエス・キリストの両性と言うのは、イエス・キリストの神性と人性の両方のことを指しています。
つまり、イエス・キリストが神であり、また人であったと言うことです。
この教理が確立するまで様々な論争があったようです。
この本ではこの論争に関して、2つの学派、2つの論争、2つの公会議が紹介されていました。

1.学派

アレクサンドリア学派:キリストの神性を強調する。
アンティオキア学派:キリストの人性を強調する。

2.論争

アレイオス論争:
a.アレイオス(250年頃~390年頃)の主張
   キリストは被造物の中では卓越しているとはいえ、被造物だ。
b.アタナシオスからの反論
   アレイオスのキリスト論は救済論的に見て不適切である。
   アレイオスのキリストは罪に堕ちた人類を贖うことが出来ない。
   アレイオス主義は異端である。

アポリナリオス論争:
a.アポリナリオス(310年頃~390年頃)の主張
   キリストは完全に人間であったとみなされることはできない。
   キリストの場合、人間の霊は神のロゴスによって置き換えられた。
   キリストは、十全な人性を持たない。
b.ナジアンゾスのグレゴリオスなどの反論
   アポリナリオスの立場では、キリストが人間の本性を完全に贖うことが出来ない。

3.公会議

ニカイヤ会議(325年):

イエスが父(神)と存在において一つ、あるいは、一つの本質であると主張した。

カルケドン会議(451年):

ニカイヤでの決定を確認し、キリストの人性について、
その後に起こった新しい論争に応えた。

世界教会信条の制定

2006-04-26 15:00:54 | キリスト教神学入門
<今日読んだ箇所>
「キリスト教神学入門、A・E・マクグラス著」:45~46頁

<世界教会信条の制定>

信条というものは、特定のキリスト教の教派に関わるものではないそうです。
ある特定の教派に関わるものは、しばしば「信仰告白」という形でまとめられています。

信仰告白の例をあげましょう。

ルター派の「アウクスブルク信仰告白」
改革派の「ウェストミンスター信仰告白」

こういうものは、信条ではないそうです。

信条と言うものは、広く普遍的に、キリスト教の教派全体が認めるものです。

この本には、2つの信条が載っていました。

一つは「使徒信条」です。

「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。・・・」

この信条はクリスチャンなら誰でも知っているかもしれませんね。
礼拝で唱和しますものね。

この信条は、元々洗礼を受ける人が信仰を告白する時に唱えたものだそうです。

もう、一つの信条は、「ニカイヤ信条」です。

この信条は、名前はどこかで聞いたことがあったのですが、具体的な内容を知ったのはこの本を読んでからでした。

なるほど、こういう内容だったのだ、と分かりました。

このニカイヤ信条は、アレイオス主義がキリストを被造物と理解したのに対抗してキリストの完全な神性を主張しようとしたものだそうです。

世俗文化との関係

2006-04-24 15:12:59 | キリスト教神学入門
<今日読んだ箇所>
「キリスト教神学入門、A・E・マクグラス著」:39~44頁

キリスト教神学と世俗文化との関係

キリスト者は詩や哲学や文学という古典世界の膨大な文化遺産をどの程度まで自分のものと出来るのか。
このことが、古代教会の論争の一つになっていました。

初期の見解は、殉教者ユスティノスから出されました。

ユスティノスは、神の知恵の種子は世界中に蒔かれていると考えました。
ということは、キリスト者は教会の外に福音を反映している要素を見出すことが出来るし、またそうすべきだと主張しました。

この見解に対して、古代の教会の反応は冷たいものでした。
この見解は、事実上キリスト教と古典文化を同一視していることになります。

次に、テルトゥリアヌスがこの見解に対して反対します。

彼は問いました。
アテネとエルサレムと何の関係があるのか、プラトンのアカデメイアが教会にとって何の役にたつか。

彼の見解はこうでした。
キリスト教は、そのような世俗の影響を避けることで自分自身の特色ある存在を守らなければならない。

次に、アウグスティヌスによって、最終的に教会に受け入れられた見解が示されます。

それは、「古典文化の批判的適用」と言われるべきものです。

出エジプトの時を思い起こして見ると、イスラエルはエジプトの偶像を後にしたもののエジプトの金銀は携えてきたのです。
それはそのような富をよりよく、また適切に用いるためであり、そのようにして富は以前よりも高次の目的に仕えるように開放されたのです。
同じように、古代世界の哲学と文化をキリスト者は、それが正しいと思われるところでは、自分のものにすることができます。
そしてそれをキリスト教信仰の大儀に仕えるようにさせることが出来るのです。

以上が、アウグスティヌスによる見解です。

新約聖書正典論

2006-04-22 15:17:11 | キリスト教神学入門
<今日読んだ箇所>
「キリスト教神学入門、A・E・マクグラス著」:37~38頁

今日の箇所では、新約聖書の正典としての範囲を決めたいきさつが簡単に書かれていました。

正典入りに関して、西方教会が難色を示したのはヘブライ人への手紙で、特定の使徒のものではないからでした。
東方教会が難色を示したのは、ヨハネの黙示録でした。

ただ、367年に回覧されたアタナシオスの第39復活際書簡では、今日と同じ27の新約聖書を正典的として確定しています。