ふかごろうキリスト教神学日記

キリスト教の神学について、ふかごろうが学んだことを記して行こうと思います。

第8部終末論

2009-06-23 21:31:48 | 組織神学
<2009年6月10日~2009年6月23日に読んだ箇所>
「組織神学」
ヘンリー・シーセン著
717~840頁

<第8部終末論>

とうとう、組織神学、読み終わりましたよ。
やったね!
良くこんな分厚い本を読み通せたものだ。
読み終わって嬉しいです。

この次は、キリスト教綱要を読みたいと思っています。
キリスト教綱要は、たまたま近所の古本屋に全巻置いてあったので、一気に全部買いました。
定価の半額以下の値段で買えました。
定価の5分2ぐらいの価格でした。
ラッキー!!

さて、今回読んだ箇所の感想を書いてみますかね。
今回の箇所には、終末について書かれていました。
終末論とは、この世の終わりについて起こる出来事のことについて論じています。
この世の終わり、サタン(悪魔)や悪い人々が永遠の刑罰の中に入れられてしまうと書かれています。
あと、地上を神が支配する1000年王国についても書かれています。
世の終わりは、天変地異や戦争などが起こるそうです。
あと、終末には、イエス・キリストが再臨します。
この再臨の時期や1000年王国が起こる時期については、色々な説があって定説は無いみたいなんです。

以上、今回はここまで。

第7部教会論

2009-06-09 21:05:36 | 組織神学
<2009年6月6日~2009年6月9日に読んだ箇所>
「組織神学」
ヘンリー・シーセン著
661~716頁

<第7部教会論>

どうも、こんばんは。ふかごろうです。
さて、この組織神学の本も残り少なくなってきました。
分厚い本なのですが、わりとさくさく読めます。
さくさく読めるのは、これまで何冊か神学の本を読んでいたおかげだと思います。

で、今回の箇所の内容なのですが、教会論です。
教会は、公同の教会と地域教会の2つに分けられます。
公同の教会とは、今まで教会に所属していた全員が含められている巨大な一つの教会のことを指します。
もう、亡くなった人もいるでしょうが、そういう人も含めた一個の教会です。
これが公同の教会です。

そして、地域教会とは、公同の教会に含められている、それぞれの地域に現存する教会のことを指します。

第6部救拯論・第二項救いの適用・第二目救いの適用の持続

2009-06-05 20:23:11 | 組織神学
<2009年6月4日~2009年6月5日に読んだ箇所>
「組織神学」
ヘンリー・シーセン著
621~660頁

<第6部救拯論・第二項救いの適用・第二目救いの適用の持続>

どうも、こんばんは。
ふかごろうです。
今日もぼちぼちこの本読んでいますよ。
この本、面白いです。

さて、今回の箇所では、堅持について書かれていました。
堅持とは、一度救われた人は、救いからもれることは無いと言う教理です。
この教理があるので、クリスチャンは、安心して生活できるわけなのですね。

第6部救拯論・第二項救いの適用・第一目救いの適用の開始

2009-06-03 22:16:38 | 組織神学
<2009年5月23日~2009年6月3日に読んだ箇所>
「組織神学」
ヘンリー・シーセン著
565~620頁

<第6部救拯論・第二項救いの適用・第一目救いの適用の開始>

相変わらず「救拯論」の文字の音読ができないふかごろうです。
一度、ネットで調べたら読み方が書いてあったのですが、忘れてしまいました。
その後、またネットで調べたのだが、どこに読み方が書いてあるのか分からなくなりました。
「ダメじゃん。ダメダメじゃん。」(←ふかごろうの知人の口ぐせです。)
この文章を読んでいる人で読み方が分かる方はコメントをくれると嬉しいです。
コメントできない人は、ふかごろうの部屋のBBSにでも書き込んで頂けると助かります。

今回の箇所には、救いについて、色々な角度から論じられていました。
救いには回心が伴うとか。

あと、この本、面白いですよ。
僕はこういうロジックが書かれている本好きです。

第6部救拯論・第一項救いの準備

2009-05-22 22:02:16 | 組織神学
<2009年3月15日~2009年5月22日に読んだ箇所>
「組織神学」
ヘンリー・シーセン著
451~564頁

<第6部救拯論・第一項救いの準備>

この日記更新するの久しぶりになりました。
でも、この本、読んでいますよ。
今回の箇所では、救拯論に入りました。
救拯論とは何なのか。
とりあえず、文字が音読できません。
さっきネットで調べたのだけど、もう忘れてしまいました。
意味は、「救い論」と言うことだそうです。
イエス・キリストは、十字架に架かり、人類の罪を背負って死なれたのです。
そして、3日目に復活なさいました。
これによって、クリスチャンは救われることになったのです。