ふかごろうキリスト教神学日記

キリスト教の神学について、ふかごろうが学んだことを記して行こうと思います。

罪の重大さ

2007-11-29 18:50:21 | キリスト教神学第3巻
<11月26日~11月29日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第3巻、ミラード・J・エリクソン著」:192~216頁

<罪の重大さ>

今回の箇所のタイトルは罪の重大さとなっていますが、いまいちタイトルと本文が合っていないような気がしました。
今回の箇所には原罪についての解説などが載っていました。

ペラギウス主義、アルミニウス主義、カルヴァン主義などが解説されていました。

罪の結果

2007-11-25 16:22:15 | キリスト教神学第3巻
<11月19日~11月25日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第3巻、ミラード・J・エリクソン著」:169~191頁

<罪の結果>

○罪の結果人間はどうなってしまうのでしょう。

1.神に嫌われる
2.罪責
3.刑罰
4.死
  肉体の死
  霊的な死
  永遠の死

○罪人への影響

1.奴隷状態
2.現実逃避
3.罪の否定
4.自己欺満
5.無感覚
6.自己中心
7.不安

○他者との関係への影響

1.競争、張り合うこと
2.感情移入の能力の欠如
3.権威の否定
4.愛する能力の欠如

罪の根源

2007-11-18 23:51:46 | キリスト教神学第3巻
<11月14日~11月18日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第3巻、ミラード・J・エリクソン著」:147~168頁

<罪の根源>

罪の根源とはなんでしょう。

今まで、さまざまな議論がされてきたようです。

例えば、罪の根源とは人間が動物だった時の衝動が残っていると言う説を唱える人がいたりしました。
これは、進化論に基づいています。
例えば、食欲や性欲。
この2つも行き過ぎると害を及ぼす可能性があります。
食欲は、暴飲暴食になったり、性欲は、強姦などの犯罪になったりすることもあるでしょう。
そうならないために、理性によってコントロールするのが人間なのでしょう。

ただ、罪の根源が動物だった時のなごりであると言うのは、キリスト教的では無いようです。

本から引用致します。

--------

福音主義の見地から言うと、問題は、人間が本質において罪深く、彼らを罪へと誘おうとする強い力のある世界に住んでいることにある。
罪の治療法は、超自然的に人間の本性の変革が生み出されることを通して、また誘惑の力に立ち向かう神による助けによってもたらされる。
人を変革し、神との関係に入らせるものは個人の回心と新生であり、この神との関係が、成功したキリスト者生活を可能にするのである。

罪の本質

2007-11-13 20:16:50 | キリスト教神学第3巻
<11月8日~11月13日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第3巻、ミラード・J・エリクソン著」:121~146頁

<罪の本質>

キリスト教で言う罪とはなんなのでしょうね。
もちろん不倫とか罪なんでしょうけど。

罪の本質とはなんなのでしょうか。

この本によると「神の排除」が罪の本質のようです。

神の排除とは、神以外のものを神とすることだそうです。

たとえば、お金とか自分の考えとかを神とする、そういうことが罪になるのでしょう。

人類の普遍性

2007-11-07 19:25:33 | キリスト教神学第3巻
<11月4日~11月7日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第3巻、ミラード・J・エリクソン著」:99~120頁

<人類の普遍性>

今回の箇所には、人類の普遍性について書かれていました。

人種差別について。
アメリカでは、白人至上主義みたいなものがあります。
黒人に対する差別。
このような差別は聖書の一部を勝手に解釈して行われてるようです。
その差別に対する反論が載っておりました。

その他、富のあるなしの差別。
男女の差別。
胎児を人とみなすかどうか。

そのような問題について書かれていました。

この本の著者は、保守的な福音派の方なので、中絶には反対の意見が載っておりました。