ふかごろうキリスト教神学日記

キリスト教の神学について、ふかごろうが学んだことを記して行こうと思います。

キリスト教綱要第4篇、第7~16章

2018-10-16 17:28:44 | キリスト教綱要第4篇
<2017年12月13日~2018年10月16日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要 改訳版 第4篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
124~390頁

<第4篇、第7~16章>

今回の箇所には、政教分離のこととか、サクラメントのこととか、
幼児洗礼のことなどが書かれていました。
カルヴァンは、政教分離を主張しておりました。
幼児洗礼に関しては、カルヴァンは認めておりました。


<働かざる者食うべからず>

今回の箇所で、特別に思うところがありましたので、文章にしました。
以下に記します。

----------記----------

ゴスペルシンガーのMigiwaさんの歌に「15年後のことだった〜♪」(CD『蟻と宇宙』の中の曲『赤いのが欲しかった』)と言う歌詞があるけど、昨日(2018年10月14日)、僕も同じような体験をしました。
今から15年ほど前、洗礼を受ける前、聖書を初めて通読した時、テサロニケの手紙第二 3章10節に、「働きたくない者は食べるな」と書かれているのを読んだのです。
僕自身も母から「働かざる者食うべからず。」と言われて育てられました。
僕は、その当時(聖書通読を初めてした時)、働いていなかったので、この言葉が心に引っ掛かりました。
それで、聖書を通読して、しばらく経ち、教会へ通うようになってから、先輩の信徒の方にここの部分の解釈は、どうしたら良いのか聞いてみました。
そうしたら、その先輩の信徒の方は、そういう言葉が聖書にあることを知らなかったのです。
その信徒の方は、しっかり働いてきた方だったので、その言葉自体、心に残らなかったのだと思います。
この箇所の解釈が分からないまま、その後何年か経ちました。
それで、別の方にも、聞いてみました。
そうしたら、その方は「働かざる者食うべからず。」というのは、レーニンが聖書を悪用して言った言葉だと言っていました。
でも、その解釈については、その方も分からないようでした。
(そもそも、唯物論者のレーニンが聖書の言葉を使っているということ自体がおかしいのだが...。)

それで、昨日、『キリスト教綱要改訳版第4篇』を読んでいました。
そうしたら『キリスト教綱要改訳版第4篇』ジャン・カルヴァン著、渡辺信夫訳、第16章の「29」、381ページにこの箇所の解説が載っていました。
「働きたくない者は食べるな」という言葉は、全ての人に当てはまるわけでは無い、という意味のことが、書かれていました。
この箇所には、働くという行為は、例えば子どもには、当てはまらないと書かれていました。
なるほどと思いました。

このカルヴァンが書いた内容をふまえ、僕は、「障がいなどがあり、働きたくても働けない人には、この言葉は当てはめられない。」と解釈致しました。

僕の心に引っ掛かっていた疑問が、15年経って解決しました。
コメント

キリスト者の標準

2018-07-20 15:55:57 | その他(信仰書)
<2018年4月10日~2018年5月20日に読んだ箇所>
「キリスト者の標準」
ウオッチマン・ニー著
斉藤一訳
全頁読みました

<キリスト者の標準>

この本は、いつか読みたいと思っていた本でした。
絶版になっていて、入手困難でしたが、最近、復刊したので購入しました。

この本は、名著です。
クリスチャン向けの本です。
クリスチャンじゃない人向けの本ではないです。

この本を読むと、きっと信仰が強められるでしょう。
なんか、神様にフォーカスを当てて生きて行こうと言う気になりました。

ちなみに、この本、なんと実家にありました。
僕が生まれる前から、実家に置いてありました。
新しいのを購入してから、発見しました。

「全ての営みには時がある。」by 伝道者の書

きっと今回がこの本を読む時だったのでしょう。
それまで、実家の本棚にあったこの本は、僕の目から隠されていたのでしょう。
すっごく不思議に感じます。

でも、いい本だったよ。
コメント

この世界で働くということ

2018-04-26 04:08:02 | その他(信仰書)
<2018年4月21日~2018年4月26日に読んだ箇所>
「この世界で働くということ」
ティモシー・ケラー著
峯岸 麻子訳
全頁読みました

<この世界で働くということ>

この世界で働くことについて、キリスト教の視点から書かれていました。
今(2018年4月26日現在)、僕は、無職なのですが、これから働こうと思っています。
それで、この本がこのタイミングで出版されたので、まさに僕に向けられた本という感じがしました。
読んでみました。
非常に読みやすい本です。
かなり早く読み終わることができました。

主に仕えるように、心をこめて働きなさい。
他にも、色々、示唆に富んだことが書かれていました。

一般恩寵に関しても書かれていました。
クリスチャンじゃない人でも、すばらしい人はいる。
他の宗教の人でも、すばらしい人はいる。
こういう人は、一般恩寵にあるように、心に良心が刻み込まれている。
こういう人を尊重しながら仕事にあたることもできる。

自己実現を目的とした労働は、失敗する。
人のため、神様のため、自分以外のことのために働くことが、一つの目標になる。
キリスト教にあるように、高い倫理観をもって仕事にあたるように。
お金を目的としないように。

などなど。

ただ、この本の難点を言うと、クリスチャンじゃない人が読むと良く分からないのではなかろうか、と思う。
そもそも、途中で読むのを挫折するのではなかろうか。
クリスチャン暦、1年以上で、聖書を1度は通読した人向けの本だね。
コメント

キリスト教綱要第4篇、第3~6章

2017-12-12 23:28:44 | キリスト教綱要第4篇
<2017年7月7日~2017年12月12日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要 改訳版 第4篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
54~123頁

<第4篇、第3~6章>

今回の箇所、特に6章には、教皇制度に対する批判が書かれていました。
なぜ、ローマ教会がキリスト教の頂点に立つのか。
聖書に教皇と言う制度に当たるものが書かれているのか。
それに対し、カルヴァンは、教皇制度は、聖書に根拠がないと主張していました。
カルヴァンは、小さな集団において、リーダーのような存在が立てられるのは
良いが、全てのクリスチャンの頂点に立つような人を立てるのは、良くない、
と主張しております。
コメント

キリスト教綱要第4篇、第2章

2017-07-06 23:49:09 | キリスト教綱要第4篇
<2017年4月22日~2017年7月6日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要 改訳版 第4篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
40~53頁

<第4篇、第2章>

今回の箇所には、カトリックの教会の批判が載っていました。
カルヴァンが生きていた当時のカトリックは、腐敗していたのでしょう。
今のカトリックは、当時ほどは、腐敗していないと思います。
コメント

キリスト教綱要第4篇、第1章

2017-04-21 21:40:08 | キリスト教綱要第4篇
<2017年4月10日~2017年4月21日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要 改訳版 第4篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
1~39頁

<第4篇、第1章>

今回の箇所は、教会について書かれていました。
教会には、救われた人だけではなく、救われてない人も存在するとのこと。
ただ、それを人が判断してはいけないと書かれていました。
人を裁いてはいけないのです。

あと、教会員となってから、罪を犯す場合もあるとのこと。
僕もそうだと思います。
ダビデは救われていたと思いますが、重大な罪を犯しました。
姦淫と、殺人の罪を犯しました。
これは、死罪に当たります。
でも、ダビデは、救われたのです。

なので、人が何か罪を犯しても、その人が罪を認め反省するならば、
教会は、赦しを与えなければなりません。
コメント

キリスト教綱要第3篇、第25章

2017-04-09 21:56:15 | キリスト教綱要第3篇
<2017年4月9日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要 改訳版 第3篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
504~527頁

<第3篇、第25章>

今回の箇所は、死後、人はどうなるかについて書かれていました。
僕は、死後、天使のような全く新しい体が与えられると思っていました。
そして、記憶と魂とか心とかが、その新しい体に引き継がれると思っていました。

カルヴァンは、それとは少し違うことを書いていました。
肉体は、死ぬ時に一時的に腐敗などをするけど、蘇ると書いていました。
今の肉体は、死後の世界にも引き継がれるようです。
ただ、死んだ時の肉体とは、性質が異なることになるとのこと。

実際どうなるのでしょうね。
これは死んでからのお楽しみですね!

さて、このキリスト教綱要の第3篇は、2011年7月9日から、読み始めました。
ようやく、今日、2017年4月9日、読み終わりました。
長かった。
5年以上かかりました。
でも、まだ、キリスト教綱要は、続きがあります。
第4篇があります。
気の長い話です。
コメント

キリスト教綱要第3篇、第24章

2017-04-08 21:38:06 | キリスト教綱要第3篇
<2017年4月8日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要 改訳版 第3篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
477~503頁

<第3篇、第24章>

今回の箇所も前回に引き続き、予定について書かれていました。

予定に関しては、人の理解を超えている部分があります。

それに対しカルヴァンは、最終的にこう答えています。

「ああ人よ、神と争うお前は何者なのか」(ローマ9:20)

神様の考えが分からないからと言って、神様を糾弾するのは、おかしいと思います。
コメント

キリスト教綱要第3篇、第23章

2017-04-07 22:59:37 | キリスト教綱要第3篇
<2017年4月7日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要 改訳版 第3篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
456~476頁

<第3篇、第23章>

今回の箇所には、神様から遺棄される人のことについて書かれていました。
もし、物事が神様の計画の通りに進んでいて、必然しかないのなら、
救われない人の存在は、不公平ではないか。

生まれる前から、人が救わるかどうか決まっているとは、あまりにも不公平ではないか。
救われない人は何をしても救われない。

これに対し、人を救うか、救わないかは神様の意志によるのである。
その意志は、人間には分からないのである。
なぜそうなるのか、分からないのに、不公平だと断定するのは、人間のおごりではないか。

神様が人を救うか救わないか、その理由は、ちゃんと存在するのかもしれない。
ただ、それは人には分からない。
コメント

キリスト教綱要第3篇、第21~22章

2017-04-07 01:10:41 | お知らせ
<2017年2月23日~2017年4月7日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要 改訳版 第3篇」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
425~455頁

<第3篇、第21~22章>

今回の箇所では、予定について書かれていました。
カルヴァン神学の核となる部分ですね。
カルヴァン主義と呼ばれるものは、この箇所の内容から来ていると思います。

人が救われるかどうかは、生まれる前に決まっているとカルヴァンは主張します。
僕もそう思っています。
そもそも、神様は、我々の時間軸とは別の時間軸の中にいると思われます。
なので、神様とって、過去も現在も未来もないような気がします。

ここで、注意しなくてはならないのは、救いが生まれる前から決まっているからと言って、
伝道しなくても良いとはならないと言うことです。

神様の計画があり、すべては決められているとしても、人にはそれが分かりません。
その中でも、人は、伝道すべきです。
コメント