ふかごろうキリスト教神学日記

キリスト教の神学について、ふかごろうが学んだことを記して行こうと思います。

悪と神の世界

2007-09-30 20:31:55 | キリスト教神学第2巻
<9月24日~9月30日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第2巻、ミラード・J・エリクソン著」:186~212頁

<悪と神の世界>

今回の箇所はなぜこの世に悪があるのでしょうか。
神は善なるお方なのに、なぜ悪を放置されているのでしょうか。
こういった問題について書かれていました。

この問題のいくつかの解決方が示されていますが、
どれも一長一短なような気がします。

人の魂と言うのは、永遠に存在すると言う仮定に基づけば、悪というのも、別の捕らえ方ができるのではないかと思います。
例え、その人生が不幸であっても、悪に遭遇し死んだとしても、それで終わりでは無ければ、不公平ではなくなるのではないか、と思います。

摂理

2007-09-23 22:10:06 | キリスト教神学第2巻
<9月16日~9月23日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第2巻、ミラード・J・エリクソン著」:156~185頁

<摂理>

今回の箇所は摂理について書かれていました。

前回の「創造」は神が最初に行ったことであるのに対して、「摂理」は、創造された世界を維持したり、人間の行動に関わってきたりする神の働きのことです。
人間の目には、物事が上手く行ったり行かなかったりしますが、そういうのも摂理なんです。

創造

2007-09-15 22:24:49 | キリスト教神学第2巻
<9月8日~9月15日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第2巻、ミラード・J・エリクソン著」:131~155頁

<創造>

今日の箇所には、神がこの世界を作った(創造した)点について書かれていました。
私は、この世界は、無から創造されたと思っていましたが、この本の著者(エリクソン氏)も無からの創造を述べていました。
著者は、進化論については、種を超える進化は無かったのでは、との推論をしています。
種の中の小進化については、認めているようです。
創造されてからの日数については、ヘブル語のヨームと言う言葉を日では無く期間とみなし、創造の6日間をもっと実際は長かったのでは、との推論も載っていました。

神の計画

2007-09-07 21:53:36 | キリスト教神学第2巻
<8月29日~9月7日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第2巻、ミラード・J・エリクソン著」:105~130頁

<神の計画>

今日の箇所では、神の計画について書かれていました。

神の計画とは、神は人間の行動や歴史を支配しており、神の計画の通りに物事が進んで行くということを表しています。
ここで、疑問になるのが、人の自由についてだろうと思います。
神の計画と人の自由とは両立する概念なのでしょうか。
人は、自由に物事を考え行動しているつもりになっているが、実は、その考え自体が神に支配されています。
そうだとしたら、人の自由とはなんなのでしょうか。

神の計画と人の自由とは、今、生きている我々にとって、理解の難しいことだと思います。