ふかごろうキリスト教神学日記

キリスト教の神学について、ふかごろうが学んだことを記して行こうと思います。

救いに先立つもの:予定

2008-03-29 21:12:26 | キリスト教神学第4巻
<2008年3月21日~2008年3月29日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第4巻、ミラード・J・エリクソン著」:74~98頁

<救いに先立つもの:予定>

今回の箇所には予定について書かれていました。

カルヴァン主義とか、アルミニウス主義とか。

私は、人間の側から見ると、自由に行動したり考えたりしているけど、実際は、人間の生まれる前から、その人はどう行動したり考えたりするかは、全て決まっていると思います。

こういう考え方は、カルヴァン主義の範疇だそうです。

救いの諸概念

2008-03-20 22:26:40 | キリスト教神学第4巻
<2008年3月15日~2008年3月20日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第4巻、ミラード・J・エリクソン著」:51~73頁

<救いの諸概念>

救いに関しての様々な概念が語られていました。
例えば救いの範疇について。
救いは全ての人に及ぶのか、それとも、クリスチャンのみに及ぶのか。

聖霊のみわざ

2008-03-15 19:21:58 | キリスト教神学第4巻
<2008年3月6日~2008年3月14日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第4巻、ミラード・J・エリクソン著」:28~50頁

<聖霊のみわざ>

聖霊のみわざと聞いて私が第一に思い浮かべるのは、異言です。
ペンテコステ派などは、聖霊のみわざとして異言を重視するようですね。
私は、異言は話せませんし、私の通っている教会の教派はペンテコステ派じゃないので、あんまり関係の無いことだと思っています。

異言の他に聖霊のみわざとして、預言とか、奉仕とかあるみたいですね。
私は預言も出来ません。
ちなみに、ここで言う預言とは、未来を予知する予言とは少し異なると言うことに触れておきましょう。
預言と予言。
預言と言うのは、神様の言葉を預かると言う意味です。
なので、未来を予知することも含めて、神様の言葉を広く取り次ぐことを指します。
予言の方は、単に未来を予知することですね。

聖霊の人格

2008-03-05 20:11:38 | キリスト教神学第4巻
<2008年3月5日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第4巻、ミラード・J・エリクソン著」:1~27頁

<聖霊の人格>

さて、今日から、キリスト教神学の第4巻に突入です。
いや~、ここまで来るの、長かったです。
なんか、旅行をしている気分になりました。
神学の荒野を旅するふかごろうです。

で、今日の箇所の解説ですね。

今日の箇所では、聖霊に人格があることなどが述べられていました。
聖霊と言うのは、神のパワーのようなそういう非人格的な存在ではなく、悲しんだり喜んだりする人格を持っているとのことです。

そして、三位一体の一つの位格であります。
三位一体とは、父(父なる神)、子(イエス・キリスト)、聖霊のことを表しています。

あと、聖霊を論じる時に、ペンテコステ派やカリスマ派の話も出てきました。
1900年代に、聖霊によるリバイバルが起こったようです。
この聖霊によるリバイバルによって、起こったのがペンテコステ派やカリスマ派、もしくは、聖霊派と呼ばれる教派です。

贖罪の範囲

2008-03-04 22:49:46 | キリスト教神学第3巻
<2008年3月2日~2008年3月4日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第3巻、ミラード・J・エリクソン著」:434~455頁

<贖罪の範囲>

この章では、贖罪の範囲について書かれていました。

贖罪の範囲には、2種類の解釈があるようです。

一つは、贖罪は、クリスチャンにのみ当てはめられるとするもの。

もう一つは、贖罪は、全人類に当てはめられるとするもの。

この2種類の贖罪について書かれていました。

この2種類の贖罪については、それぞれ聖書の記述から推測できるのですが、どちらが正しいとは一概に言えないようです。