ふかごろうキリスト教神学日記

キリスト教の神学について、ふかごろうが学んだことを記して行こうと思います。

キリスト教綱要第2篇、第2章

2010-04-23 16:18:52 | キリスト教綱要第2編
<2010年4月10日~2010年4月23日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要II」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
30~67頁

<第2篇、第2章>

いや~お久しぶりです。
4月20日に、一日で、このブログ、890回の閲覧数がありました。
なぜだ。
なぜこんなに急に増えた。
田代砲でも撃ち込まれたか。

今回の箇所は難解であんまり良く分かりませんでした。

章のタイトルを引用してみようと思います。

「人間は いまや 自由意志を奪われ 悲惨な奴隷の位置に置かれている.」

人間の自由意志ってなんなのだろうね。
皆、自由意志ってあると思っているよね。
でも、サタン(悪魔)にあやつられているのかもね。
そういう意味で、自由意志って無いのかもしれません。

キリスト教綱要第2篇、第1章

2010-04-10 23:06:38 | キリスト教綱要第2編
<2010年4月9日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要II」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
1~29頁

<第2篇、第1章>

皆さん、こんばんは。
今日から、第2篇に突入します。

今回の箇所には、原罪について書かれていました。
人類は、生まれつき罪を持っている存在であると書かれていました。
それは一種の呪いのようなもので、全ての人類がその罪の性質を持っているとのこと。

キリスト教綱要第1篇、第18章

2010-04-08 22:28:25 | キリスト教綱要第1編
<2010年4月7日~2010年4月8日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要I」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
264~274頁

<第1篇、第18章>

どうも、皆さんこんにちは。
今日で、第1篇は終了です。
残り、後、3篇あります。
分量的には、全体の6分の1ほど読み終わりました。
まだ、先は長いです。
僕が読んでいるこのキリスト教綱要は、渡辺信夫さんの翻訳で、初版が1962年の本です。
僕が生まれる10年以上前の本なのです。
もう、48年も前の本です。
なので、訳語が古いし読みにくいです。
でも、読んでいるうちにだんだん慣れてきて、だんだん面白くなってきました。

さて、神様が全てのできごとの原因なら、悪いことを起こすのも神様と言うことになります。
その場合、神様に罪があると言うことにならないだろうか。
と言うことに対する反論が今回の箇所に納めてありました。

結果が悪くとも、その結果に至るプロセスが善であるか悪であるかによって、罪があるかないか決まってくるようです。
また、人間の目から見て悪い結果でも、神様の目から見ると良い結果である場合もあるでしょう。

今回の箇所は、かなり難しい箇所だと感じました。
また、後日、この部分を読み返し、理解を深めようと思っています。

キリスト教綱要第1篇、第17章

2010-04-06 17:44:15 | キリスト教綱要第1編
<2010年4月5日~2010年4月6日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要I」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
244~263頁

<第1篇、第17章>

最近、個人的な時間が少し持てるようになってきたので、この本をまた読むようになりました。
今回の箇所には、摂理について書かれていました。
なかなか面白かったです。
摂理については、僕が元々興味を持っていたので、面白く感じたのでしょう。

神様には、元々計画があって、その通りに世界を動かしているのです。
たとえ、悪いことが起こっても、それも神様の手の内にあります。
神様の許可なくては、そのようなことは起こりません。

なので、もし自分に悪いことが起こっても、それが何の意味があるのか、良く考えなくてはならないと思います。
謙虚に生きなくては。

キリスト教綱要第1篇、第16章

2010-04-04 18:13:38 | キリスト教綱要第1編
<2010年3月30日~2010年4月4日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要I」
カルヴァン著
渡辺信夫訳

229~243頁

<第1篇、第16章>

どうも、皆さんこんにちは。
ふかごろうです。
最近、この本読むの再開しました。
今回の箇所の感想などを書きますね。

今回の箇所は面白かったです。
人生において、偶然は無く、必然しかない。
ただ、運命と言うのもおかしい。
運命と言うと、機械的にその人の人生が決まっているとなるけど。
人生には神様の介在があるのね。
摂理と言うのだけど。

あんまりまとまりの無い文章になったけど。
ま、とりあえずこんな感じに読み解きました。