ふかごろうキリスト教神学日記

キリスト教の神学について、ふかごろうが学んだことを記して行こうと思います。

キリスト教綱要第2篇、第17章

2011-07-08 20:18:12 | キリスト教綱要第2編
<2011年7月8日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要II」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
348~356頁

<第2篇、第17章>

今日ようやく第2篇が読み終わった。
ここまで来るのは長かった。
でも、まだ先は長い。

今日の箇所には、キリストの功績について書かれていました。

キリストが十字架の死により、罪ある人間の贖いをしました。
この功績により、人間は、神の恵みを受けることができるようになりました。

キリスト教綱要第2篇、第16章

2011-07-07 17:06:43 | キリスト教綱要第2編
<2011年6月16日~2011年7月7日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要II」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
319~347頁

<第2篇、第16章>

今日は、七夕ですね。
少々、時間が掛ったけど、やっと今日16章が読み終わった。

この章では、キリストの死と復活について書かれていました。

キリストの死は、本来、人が受けるべき刑罰を、キリストが身代わりになって受けたことを表しています。
そして、復活。
復活は、人が死んでも、それで終わりではないことを示しています。

キリスト教綱要第2篇、第15章

2011-06-15 22:38:23 | キリスト教綱要第2編
<2011年6月15日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要II」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
308~318頁

<第2篇、第15章>

今回の箇所には、イエス・キリストの職について書かれていました。
イエス・キリストは、3つの職があります。

預言者職、王職、祭司職です。

預言者職については、だいたい分かりますよね。
神様の言葉を取り次いだりするのですよね。

王職については、少しわかりずらいと思います。
イエス・キリストは、地上にいる人間の王様とは異なります。
このイエス・キリストの王職は、霊的なものなのです。
霊的と言う言葉を使うとその説明も必要になるかもしれません。
とりあえず、この世的な富や権力を握っている王様ではないと言うことです。
もちろん、富や権力もイエス・キリストの自由になりますが、そんなちっぽけな存在ではありません。
もっと崇高で力の強い王様なんです。

祭司職については、神と人との仲立ちをしてくれる役目を負っていると言うことです。
そして、普通の祭司と異なるのは、自分自身をいけにえとして捧げたと言うことです。
このことにより、神を信じ救われた人々の罪が赦されることになります。

キリスト教綱要第2篇、第14章

2011-06-14 18:33:42 | キリスト教綱要第2編
<2011年6月14日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要II」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
293~307頁

<第2篇、第14章>

様々な事情により中断していた、この綱要を読むこと。
約半年ぶりに復活させようと思います。
今日は、14章を一気に読みました。

この14章には、イエス・キリストの神性と人性について書かれていました。
イエス・キリストは、神ではなく、人である。
イエス・キリストは、神であり、人でない。
この両方の間違った考え方があるようです。
さらに、イエス・キリストは、神でもなく、人でもない。
と言う間違った考え方もあります。

これに対して、カルヴァンは、イエス・キリストは、神であり、なおかつ人でもある、と主張するのです!

キリスト教綱要第2篇、第13章

2010-12-09 22:03:18 | キリスト教綱要第2編
<2010年11月22日~2010年12月9日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要II」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
283~292頁

<第2篇、第13章>

今回の箇所には、キリストが実体のある肉体を持って産まれたと言うことが書かれていました。
いつの時代もそうなのかもしれないが、キリストには肉体が無かったと言う人達がいるみたいです。
普通の人と同じ肉体ではなく、幽霊のような体だったのではないか、と言われることもあったみたいです。