ふかごろうキリスト教神学日記

キリスト教の神学について、ふかごろうが学んだことを記して行こうと思います。

救いの手段と範囲

2008-05-29 21:46:19 | キリスト教神学第4巻
<2008年5月18日~2008年5月29日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第4巻、ミラード・J・エリクソン著」:187~208頁

<救いの手段と範囲>

救いの手段については、色々な説があるそうです。
ここでは、3つの手段について書かれていました。

一つ目は、解放の神学

二つ目は、サクラメンタリズム

三つ目は、福音主義的な救いの手段

解放の神学に関しては、その救いと言うのが、社会的な弱者救済的側面が強いようです。

サクラメンタリズムに関しては、サクラメントにより救われるとするもののようです。
サクラメントと言うのは、キリスト教の儀式のことを指します。
このサクラメンタリズムは、カトリックが採用している教理のようです。

福音主義的な救いと言うのは、信仰のみにより救われると言うものです。

あと、救いの範囲について。

救いの範囲については、2種類の考え方があるようです。

一つは、万人救済主義

もう一つは、普通の救済

万人救済主義は、全ての人が救われるとするもの。

もう一つの普通の救済は、神により選ばれた一部の人のみ救われるとするもの。

救いの完成

2008-05-18 15:39:17 | キリスト教神学第4巻
<2008年5月17日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第4巻、ミラード・J・エリクソン著」:165~186頁

<救いの完成>

最近、別の神学書を読んでいたため、このブログの更新が滞ってしまいました。
でも、また復活です。

今回読んだ箇所には、救いの完成について書かれていました。

救いの完成とは、栄化を示しています。
それは、死んだ後、もしくは、終末の時に、復活し新しい体などを貰えることを指しています。
そして、今生きている生涯では分からなかったことなどが分かるようになったり、さまざまな特典(?)があります。

あと、堅持についても書かれていました。
堅持と言うのは、救われた人がキリスト教から離れずに、一生を過ごすことを示しています。
この堅持については、2つの解釈があります。
一つは、救われた人は絶対に一生救いからは外されることは無いと言うものです。
これは、カルヴァン主義です。

もう一つは、救われた人でも、救いから外されることがあると言うものです。
これは、アルミニウス主義と呼ばれています。