ふかごろうキリスト教神学日記

キリスト教の神学について、ふかごろうが学んだことを記して行こうと思います。

キリスト教綱要第3篇、第1章

2011-07-10 21:31:34 | キリスト教綱要第3篇
<2011年7月9日~2011年7月10日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要III/1」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
1~19頁

<第3篇、第1章>

この綱要を読んで2年ほど経ちますが、ようやく第3篇に入りました。
この間、結婚したり子供が出来たりして、自分の時間を持つことが困難になりました。
でも、それは苦に感じないです。
妻や子供との時間は、楽しい。
ただ、綱要を読むのにあてる時間は、大幅に減りました。
そんな中でも、少しずつ読み進めています。

さて、今回の箇所には、御霊(みたま)について書かれていました。
御霊とは、聖霊のことです。
この御霊により、我々クリスチャンは、キリストを証したり、また、キリスト教の言わんとすることを理解したりするのです。
この御霊を受けてないと、聖書を読んでも、ピンとこないかもしれません。

キリスト教綱要第2篇、第17章

2011-07-08 20:18:12 | キリスト教綱要第2編
<2011年7月8日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要II」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
348~356頁

<第2篇、第17章>

今日ようやく第2篇が読み終わった。
ここまで来るのは長かった。
でも、まだ先は長い。

今日の箇所には、キリストの功績について書かれていました。

キリストが十字架の死により、罪ある人間の贖いをしました。
この功績により、人間は、神の恵みを受けることができるようになりました。

キリスト教綱要第2篇、第16章

2011-07-07 17:06:43 | キリスト教綱要第2編
<2011年6月16日~2011年7月7日に読んだ箇所>
「キリスト教綱要II」
カルヴァン著
渡辺信夫訳
319~347頁

<第2篇、第16章>

今日は、七夕ですね。
少々、時間が掛ったけど、やっと今日16章が読み終わった。

この章では、キリストの死と復活について書かれていました。

キリストの死は、本来、人が受けるべき刑罰を、キリストが身代わりになって受けたことを表しています。
そして、復活。
復活は、人が死んでも、それで終わりではないことを示しています。