ふかごろうキリスト教神学日記

キリスト教の神学について、ふかごろうが学んだことを記して行こうと思います。

救いの継続

2008-04-28 23:03:01 | キリスト教神学第4巻
<2008年4月16日~2008年4月28日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第4巻、ミラード・J・エリクソン著」:145~164頁

<救いの継続>

今回の箇所では救いの継続について書かれていました。

救いというものは、一回義認された後に、聖化の過程を辿ります。
この聖化の過程が救いの継続と言うことです。
これは、義認の後に、起こるもので、一生涯続きます。
聖化が生きている間に終わるかどうかについては、キリスト教内で意見の違いがあるようです。
生きている間に聖化が終わり、完全なクリスチャンになると主張するグループと、生涯聖化の過程は終わらないとするグループがあるようです。

救いの始まり:客観的側面

2008-04-16 19:14:03 | キリスト教神学第4巻
<2008年4月8日~2008年4月15日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第4巻、ミラード・J・エリクソン著」:121~144頁

<救いの始まり:客観的側面>

救いの始まりの中の一つの現象として、キリストとの結合と言われるものがあります。
クリスチャンは、キリストと結合した状態になります。

でも、今私はあんまり実感が無いです。
昔、キリスト教に回心した時は、そのような実感があったのですが。
今は、病気の症状も落ち着いてきていて、そういう実感があまり無くなってきています。

でも、キリスト教に対する興味は、深まるばかりです。
神を知りたいと強く願っています

救いの始まり:主観的側面

2008-04-08 19:49:51 | キリスト教神学第4巻
<2008年3月30日~2008年4月7日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第4巻、ミラード・J・エリクソン著」:99~120頁

<救いの始まり:主観的側面>

今回の箇所は、救いの始まりについて書かれていました。

救いに関しては、人それぞれの体験があるようです。
一様に神秘的なことがあるとは限らないようです。

自分は、このように救われたと言っても、それが他人にも当てはめられるとは限りません。

難しいものです。

ボクの場合は、最初、不思議な体験をしました。
統合失調症を発病し、それに伴う不思議な体験を沢山しました。

このことにより、目に見える世界が全てでは無い。
良く分からないが、目に見えない世界があると思いました。
また、超自然的な、神のような存在があると感じました。

それから、少しずつキリスト教に触れて行き、信仰を持つようになりました。