ふかごろうキリスト教神学日記

キリスト教の神学について、ふかごろうが学んだことを記して行こうと思います。

贖罪の範囲

2008-03-04 22:49:46 | キリスト教神学第3巻
<2008年3月2日~2008年3月4日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第3巻、ミラード・J・エリクソン著」:434~455頁

<贖罪の範囲>

この章では、贖罪の範囲について書かれていました。

贖罪の範囲には、2種類の解釈があるようです。

一つは、贖罪は、クリスチャンにのみ当てはめられるとするもの。

もう一つは、贖罪は、全人類に当てはめられるとするもの。

この2種類の贖罪について書かれていました。

この2種類の贖罪については、それぞれ聖書の記述から推測できるのですが、どちらが正しいとは一概に言えないようです。

贖罪の中心テーマ

2008-03-01 20:17:50 | キリスト教神学第3巻
<2008年2月27日~2008年3月1日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第3巻、ミラード・J・エリクソン著」:406~433頁

<贖罪の中心テーマ>

代償的贖罪と言うのが、贖罪の中心的なテーマのようです。
代償的贖罪と言うのは、イエス・キリストが人類の罪による刑罰を一身に背負い、その刑罰を受けたことを指します。
イエス・キリストの尊い死により我々クリスチャンの罪は許されたのです。

贖罪の諸説

2008-02-26 21:08:07 | キリスト教神学第3巻
<2008年2月14日~2008年2月26日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第3巻、ミラード・J・エリクソン著」:382~405頁

<贖罪の諸説>

今回の箇所は、イエス・キリストによる贖罪について書かれていました。
イエス・キリストが我々の罪の代価としてその命を捧げたことに関して、色々な論点から書かれていました。

たとえば、罪の代価を誰に払ったのか。
サタンに払ったとか。

キリストのみわざへの序論

2008-02-13 21:14:50 | キリスト教神学第3巻
<2008年2月4日~2008年2月13日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第3巻、ミラード・J・エリクソン著」:357~381頁

<キリストのみわざへの序論>

キリストのみわざに関して、今回読んだ箇所には、ハデス降下が語られていました。
ハデス降下以外にも色々書かれていましたが、私は、ハデス降下に注目しました。
ハデス降下と言うのは、イエス・キリストが十字架で死んだ後、よみがえられるまでの間にハデスに降りたと言うのです。
そういえば、使徒信条にも「よみにくだり」と言う文言があります。

ある人は、人が死んだ後、セカンドチャンスとして救われることもあるとしています。
人が死んだ後にハデスに降りたイエス・キリストに出会い救われることもあるとのこと。

果たしてこれはどうゆうことなんでしょうね?

処女降誕

2008-02-03 23:27:32 | キリスト教神学第3巻
<1月16日~2月3日に読んだ箇所>
「キリスト教神学第3巻、ミラード・J・エリクソン著」:334~356頁

<処女降誕>

今日の箇所には、イエス・キリストが処女によって生まれたことについて書かれていました。
処女降誕に関しては、その奇跡を信じるか信じないかによって人が分けられると思います。
処女から生まれたので、罪の性質が無いと言う人々もいるようですが、これは、特に根拠の無いことのようです。