ふかごろうキリスト教神学日記

キリスト教の神学について、ふかごろうが学んだことを記して行こうと思います。

人間の本性と罪と恩恵の教理

2007-02-23 04:35:54 | キリスト教神学入門
<2月22日に読んだ箇所>
「キリスト教神学入門、A・E・マクグラス著」:600~648頁

<人間の本性と罪と恩恵の教理>

今日読んだ箇所は、人間の本性と罪と恩恵の教理と題されています。

人間は、生まれながらに罪人である。

これは聖書が示していることだと思います。

その人間を神は恩恵により義としてくださいます。
義と言うのは、神様のお目にかなった状態になることです。

ここで、2種類の見方が発生します。
人間は、自分の行いによって義とされるのか、それとも神の一方的な恩恵により義とされるのか。
伝統的キリスト教の解釈によれば、神の一方的な恩恵により義とされるとなるようです。

今日の箇所には、予定と言う教理も説明されていました。
予定とは、他の本によると聖定の一部分のことだろうと思います。

聖定とは、神は、人間に起こることを全て決めていらっしゃること。
でも、人間には自由もあります。
これは、一見矛盾するように思えます。
この教理も謎を残しているように思えます。

救いの教理

2007-02-21 01:50:25 | キリスト教神学入門
<2月19日~2月21日に読んだ箇所>
「キリスト教神学入門、A・E・マクグラス著」:555~599頁

<キリストにおける救いの教理>

イエス・キリストはどのようにして人を救ったか?

イエス・キリストがご自身を生贄として捧げることにより、人類の罪を背負って亡くなった。

誰が救われるのか?

全ての人が救われると主張する者もいる。
一部の人だけが救われるとする者もいる。

信仰と歴史

2007-02-18 01:27:32 | キリスト教神学入門
<2月9日~2月18日に読んだ箇所>
「キリスト教神学入門、A・E・マクグラス著」:521~554頁

<信仰と歴史>

今回読んだところには、信仰と歴史に関する諸問題について書かれていました。

啓蒙主義が盛んなころ、イエス・キリストが復活したと言う超自然的な奇跡は起こらなかったのでは、と言う考えが起こりました。
キリストの復活と言うのは、神話的なもので、実際の歴史は異なるという考え方が起こりました。
そのころ、そのような史的イエスを探求する動きも現れました。

ところが、啓蒙主義が終わると、このような動きは、収束して行ったようです。
人間の理性の限界。
歴史の普遍性の限界。
これらの限界があることが分かってきたので、そのような動きは収束したと思われます。

今では、より古典的な解釈、つまりイエス・キリストは復活した、と言う考え方が一般的になったようです。

キリスト論

2007-02-09 19:07:34 | キリスト教神学入門
<1月13日~2月8日に読んだ箇所>
「キリスト教神学入門、A・E・マクグラス著」:472~520頁

<キリスト論>

今回の箇所は、キリスト論と呼ばれる箇所でした。
この本では、キリストの人格の教理と記されています。

キリストをどのように見るか。

大きく分けると2つの行き方があるように思えます。
キリストには、神性と人性と言う2つの性質があります。
イエス・キリストの神性の部分だけ見る見方、これは古くはグノーシスと呼ばれる異端に繋がる見方だと思います。
代わりに、キリストの人性の部分だけ強調する見方。
これも不十分に思えます。
キリストは、神であり人でもあると、神性と人性を両方認めるのが伝統的なキリストの見方のようです。