<2月22日に読んだ箇所>
「キリスト教神学入門、A・E・マクグラス著」:600~648頁
<人間の本性と罪と恩恵の教理>
今日読んだ箇所は、人間の本性と罪と恩恵の教理と題されています。
人間は、生まれながらに罪人である。
これは聖書が示していることだと思います。
その人間を神は恩恵により義としてくださいます。
義と言うのは、神様のお目にかなった状態になることです。
ここで、2種類の見方が発生します。
人間は、自分の行いによって義とされるのか、それとも神の一方的な恩恵により義とされるのか。
伝統的キリスト教の解釈によれば、神の一方的な恩恵により義とされるとなるようです。
今日の箇所には、予定と言う教理も説明されていました。
予定とは、他の本によると聖定の一部分のことだろうと思います。
聖定とは、神は、人間に起こることを全て決めていらっしゃること。
でも、人間には自由もあります。
これは、一見矛盾するように思えます。
この教理も謎を残しているように思えます。
「キリスト教神学入門、A・E・マクグラス著」:600~648頁
<人間の本性と罪と恩恵の教理>
今日読んだ箇所は、人間の本性と罪と恩恵の教理と題されています。
人間は、生まれながらに罪人である。
これは聖書が示していることだと思います。
その人間を神は恩恵により義としてくださいます。
義と言うのは、神様のお目にかなった状態になることです。
ここで、2種類の見方が発生します。
人間は、自分の行いによって義とされるのか、それとも神の一方的な恩恵により義とされるのか。
伝統的キリスト教の解釈によれば、神の一方的な恩恵により義とされるとなるようです。
今日の箇所には、予定と言う教理も説明されていました。
予定とは、他の本によると聖定の一部分のことだろうと思います。
聖定とは、神は、人間に起こることを全て決めていらっしゃること。
でも、人間には自由もあります。
これは、一見矛盾するように思えます。
この教理も謎を残しているように思えます。