5月3日(水)憲法記念日、吉田を経て姶良市蒲生町の漆地区へ向かいました。
12時6分 姶良市蒲生町の米丸(よねまる) 以下の画像は5月3日に撮影
画面奥(東側)を別府川の支流、後郷川(うしろごうがわ)が流れています。
ここは直径約1kmの円形盆地で今は整然とした水田地帯ですが、8000年前のマグマ水蒸気爆発で形成された火口跡(マール)です。
2003年(平成15年)、約3km東にある住吉池マールとともにランクCの活火山に指定されました。一万年以内に噴火しているので、いつ噴火してもおかしくない火山とのことですが、全く実感がわきません。
漆(うるし)の広木の滝 落差2m 滝と言えなくもない
漆への県道463号浦蒲生線は川と崖に挟まれ離合困難な区間が続き、通るたびに緊張します。連休のためか普段は殆ど見かけない対向車や後続車がありました。
道路から10m下まで行くと滝が見えますが、川までは岩や木の根、竹などが絡み合って足場が悪く、遠目に眺めて瀬音を聞く程度が良さそうです。
黄菖蒲でしょうか 民家跡に残ったものらしい
漆の集落北側で県道391号下手山田帖佐線へ右折、少し進むと黄色い花が目に入りました。自生するようなものには見えず、車を止めて撮影。
県道ではありますが狭く、日差しも届かないような山間部で落石注意個所も多く、いわば険道。車を見かけたのはツツジ撮影で停車中に2台だけでした。
13時29分 姶良市木津志(きづし)地区 天気は少しずつ下り坂か
昼を過ぎて薄雲が現れ飛行機雲が目立ち始めましたが、写真的にはきれいな新緑風景でした。
木津志の田の神様
久しぶりに訪れました。白いツツジが咲き、北側の城野神社境内にもわずかにツツジが残っていました。
蹲踞の姿勢で少し上を見つめるユウモラスな、親しみを感じる田の神様です。
城野神社(じょうのじんじゃ)
昔からの小さな村社(そんしゃ、むらやしろ)で、御祭神は源為朝の浄之御前(ミナモトノタメトモノキヨノゴゼン)。
創建年代は不詳で、慶長十七年(1612)に島津義弘公が再建し、現在の社殿は文久三年(1863)に改築されたものです。
訪れる人は少ない感じですが、境内には桜やご神木のような大木近くに祠があり、写真的には興味深い場所です。
ツタが覆う廃屋
山間部の狭い水田地帯に沿って民家が点在しています。かつては集落の中心部であったようなところに残る廃屋です。
近くには樹齢50年ほどと思えるイチョウ数本や、自生とは思えない背の高い木も見かけました。
木津志堂崎の田の神様
田の神様は鹿児島県内各地の水田地帯に今も残っていますが、耕地整理や休耕に伴い移転、草に隠れたものなども多いことでしょう。
堂崎の田の神様は珍しいことに農家(Kさん)の庭先にあります。家人のお話によると最初からずっと動いていないそうです。
先ほどの田の神様と形が似ていて、背中に年号など刻まれていますが草に隠れてよく判りませんでした。
小さな田の神様
両手に入る大きさで、かつては農家持ち回りで祀っていたものですが、過疎化が進み今はここで預かっておられるとのこと。
お仕事の手を止めて、あれこれ話を聞かせていただきありがとうございました。
14時39分 後郷川の堰
木津志からの帰りは小さなトンネルを抜けた先を右折して川沿いに下りました。姶良市山田方面に向かっているように感じましたが、ほどなく漆に向かう道に合流しました。
道路左手には堰があり下流部には子供たちの水遊びに恰好な場所がありました。現在は水難事故を懸念して立ち入り禁止個所も多いのですが、水辺のキャンプなどもできそうな場所でした。
山手から農作業に向かうような大型農機が走ってきました。田起こし時期であちこちと忙しく動き回っている感じでした。
近くの方の話では大雨時には川の水が道路まであふれだし、道路でアユが獲れることもあるとか。想像もつかない水量ですが、流域が広いためでしょう。木津志では水路の災害復旧工事が続いていました。
北側の分水嶺を越えると薩摩川内市祁答院地区で、地図を広げないと位置感覚が判らないほどの山深さです。
今日は天気に恵まれ、近場から姶良市の山間部まで広く巡りました。道の狭さは仕方ありませんが、季節の移ろいを写し止めたいような場所でした。
12時6分 姶良市蒲生町の米丸(よねまる) 以下の画像は5月3日に撮影
画面奥(東側)を別府川の支流、後郷川(うしろごうがわ)が流れています。
ここは直径約1kmの円形盆地で今は整然とした水田地帯ですが、8000年前のマグマ水蒸気爆発で形成された火口跡(マール)です。
2003年(平成15年)、約3km東にある住吉池マールとともにランクCの活火山に指定されました。一万年以内に噴火しているので、いつ噴火してもおかしくない火山とのことですが、全く実感がわきません。
漆(うるし)の広木の滝 落差2m 滝と言えなくもない
漆への県道463号浦蒲生線は川と崖に挟まれ離合困難な区間が続き、通るたびに緊張します。連休のためか普段は殆ど見かけない対向車や後続車がありました。
道路から10m下まで行くと滝が見えますが、川までは岩や木の根、竹などが絡み合って足場が悪く、遠目に眺めて瀬音を聞く程度が良さそうです。
黄菖蒲でしょうか 民家跡に残ったものらしい
漆の集落北側で県道391号下手山田帖佐線へ右折、少し進むと黄色い花が目に入りました。自生するようなものには見えず、車を止めて撮影。
県道ではありますが狭く、日差しも届かないような山間部で落石注意個所も多く、いわば険道。車を見かけたのはツツジ撮影で停車中に2台だけでした。
13時29分 姶良市木津志(きづし)地区 天気は少しずつ下り坂か
昼を過ぎて薄雲が現れ飛行機雲が目立ち始めましたが、写真的にはきれいな新緑風景でした。
木津志の田の神様
久しぶりに訪れました。白いツツジが咲き、北側の城野神社境内にもわずかにツツジが残っていました。
蹲踞の姿勢で少し上を見つめるユウモラスな、親しみを感じる田の神様です。
城野神社(じょうのじんじゃ)
昔からの小さな村社(そんしゃ、むらやしろ)で、御祭神は源為朝の浄之御前(ミナモトノタメトモノキヨノゴゼン)。
創建年代は不詳で、慶長十七年(1612)に島津義弘公が再建し、現在の社殿は文久三年(1863)に改築されたものです。
訪れる人は少ない感じですが、境内には桜やご神木のような大木近くに祠があり、写真的には興味深い場所です。
ツタが覆う廃屋
山間部の狭い水田地帯に沿って民家が点在しています。かつては集落の中心部であったようなところに残る廃屋です。
近くには樹齢50年ほどと思えるイチョウ数本や、自生とは思えない背の高い木も見かけました。
木津志堂崎の田の神様
田の神様は鹿児島県内各地の水田地帯に今も残っていますが、耕地整理や休耕に伴い移転、草に隠れたものなども多いことでしょう。
堂崎の田の神様は珍しいことに農家(Kさん)の庭先にあります。家人のお話によると最初からずっと動いていないそうです。
先ほどの田の神様と形が似ていて、背中に年号など刻まれていますが草に隠れてよく判りませんでした。
小さな田の神様
両手に入る大きさで、かつては農家持ち回りで祀っていたものですが、過疎化が進み今はここで預かっておられるとのこと。
お仕事の手を止めて、あれこれ話を聞かせていただきありがとうございました。
14時39分 後郷川の堰
木津志からの帰りは小さなトンネルを抜けた先を右折して川沿いに下りました。姶良市山田方面に向かっているように感じましたが、ほどなく漆に向かう道に合流しました。
道路左手には堰があり下流部には子供たちの水遊びに恰好な場所がありました。現在は水難事故を懸念して立ち入り禁止個所も多いのですが、水辺のキャンプなどもできそうな場所でした。
山手から農作業に向かうような大型農機が走ってきました。田起こし時期であちこちと忙しく動き回っている感じでした。
近くの方の話では大雨時には川の水が道路まであふれだし、道路でアユが獲れることもあるとか。想像もつかない水量ですが、流域が広いためでしょう。木津志では水路の災害復旧工事が続いていました。
北側の分水嶺を越えると薩摩川内市祁答院地区で、地図を広げないと位置感覚が判らないほどの山深さです。
今日は天気に恵まれ、近場から姶良市の山間部まで広く巡りました。道の狭さは仕方ありませんが、季節の移ろいを写し止めたいような場所でした。
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