花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
(季節の花、吹上浜、桜島、霧島など)

妙円寺詣りフェスタ2013(鹿児島県日置市) 2/2

2013-10-31 22:46:01 | 祭り・伝統行事
妙円寺詣りフェスタ2013での奉納芸能後半です。前半の徳重大バラ踊りなどはこちらです。

次は日置市東市来町田代(たしろ)地区の田代棒踊りです。棒踊りは各地に伝承されていて小中学校生徒が運動会などで披露することも多い踊りです。長い棒や鎌などを使うため踊り手の動きがそろわないと難しい踊りでもあります。





青年を中心に女性も参加しての見事な踊りでした。同級生も踊りの手伝いで参加していて、お互い顔を見合わせて驚くことでした。

次は関ケ原鉄砲隊の演武です。火縄銃の一斉射撃轟音には観客一同が度肝を抜かれました。





上は馬に乗って使う馬上銃です。小型ながらも迫力十分。撃った人も顔をしかめていますが・・・開運!なんでも鑑定団に時々出演している澤田平さんです。関ヶ原鉄砲隊を指導し、稲冨流の砲術家でもあります。関ヶ原合戦に縁の深い日置市には是非鉄砲隊をつくってほしいと熱心に訴えておられました。

次は日置市伊集院町に伝承されている鹿児島県指定無形文化財の大田(おおた)太鼓踊りです。鹿児島県ホームページの記事を引用します。
今からおよそ三百数十年前、島津の殿様から、報恩寺の坊さんに「農民達の慰安になる何か良い踊りはないか」と相談があり、その指導で生まれたと伝えられています。

 構成は太鼓(前)6人、鐘8人、入太鼓2人、太鼓(後)8人、総舞攻1人の計25人で、何れも男子です。この踊りは、城攻めの様子をかたどったものと言われ、「道行き」から始まって、最後の「総舞攻め(ソマンコ)」に至るまで、15段階に分かれています。城攻めの踊りというだけに、進退のあざやかさに特徴があります。

 服装は、シュロの色紙で飾った毛笠状のカブトをかぶって、太鼓を打ちます。又、長い細竹でつくった矢旗を背負っています。入太鼓打ちは、陣羽織、陣笠をつけます。

  大田太鼓踊由来記が昭和25年に作成されており、この中に踊りの型や順序、配列など詳しく書かれています。昭和39年6月5日に鹿児島県無形民俗文化財に指定されました。(引用終わり)





最初から最後までの踊りが休みなく通しで奉納されました。一般に太鼓踊りでは何種類もある踊りの一部だけが踊られます。このように全場面を一気に踊る太鼓踊りは珍しくて私の知る範囲では最も運動量の多いものと思われます。

太鼓打ちは長い刀を腰に差し、激しい動きに対応するためか上体は半袖、膝も現す衣装です。鉦打ちの激しさに撞木が折れて何度も取り替えるほどでした。加治木太鼓踊り蒲生太鼓踊りと同様にまさに戦の踊りでした。

加治木と蒲生では顔に化粧をしてヒゲを付け、鉦は手に握らず太い紐でぶら下げて打つのでさらに甲高く鳴り響き衣装にも派手さが目立ちます。


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妙円寺詣りフェスタ2013(鹿児島県日置市) 1/2

2013-10-31 21:44:48 | 祭り・伝統行事
第63回の妙円寺(みょうえんじ)詣りフェスタ2013が10月26日と27日に日置市伊集院町徳重(とくしげ)神社境内を中心に開催されました。

妙円寺詣りについては鹿児島県観光サイトの紹介記事を引用します。
鹿児島三大行事の一つ「妙円寺詣り」は、関ヶ原合戦で島津勢が敵中突破した苦難を偲んで、鹿児島市から伊集院町の徳重神社(島津義弘公の菩提寺・妙円寺の跡)まで約20キロメートルを歩きます。伊集院の中心街では、鎧と甲冑に身を固めた武者行列など多彩なイベントや催しがあります。また、今年は岐阜県関ケ原町との兄弟都市盟約50周年記念として、関ヶ原鉄砲隊による演武も披露されます。(引用終わり)

このブログでは10月26日午後に徳重神社境内で奉納された伝統芸能などを掲載します。13時半から奉納されたのは徳重大バラ太鼓踊り(鹿児島県指定無形文化財)です。





直径1.5m、重さ30kgほどの太鼓を体全体で支え、左右に揺らしながら叩きます。大バラ(うばら)とは、大きなザルを意味し、祁答院町の川東バラ踊りでは竹篭のバラに紙を幾重にも張って太鼓のようにして使います。徳重では牛2頭の皮を張った太鼓で、腹に響く重低音がします。

右上にわずかに見える旗竿は長さが25mほどもあり、これを背負って太鼓を打ちます。太鼓にしても背負う旗竿にしても県内で最大級です。敵を威嚇し、味方を鼓舞したものと言われています。

次は日置市日吉町日置に伝承されている八幡(はちまん)太鼓踊りです。





山鳥の羽と鮮やかな花飾りの矢旗を背負い、軽快な動きで踊ります。バチを持つ手と足をゆっくりと動かしながら太鼓を打つ優雅な所作が独特です。毎年8月28日に近い日曜日に、お田植え祭りの「せっぺとべ」で知られる日吉町日置の八幡神社などに奉納しているそうです。知人や同級生と久しぶりに再会できました。

次はおなじみの日月の大きな軍配形の唐団扇(とううちわ)が特徴の伊作(いざく)太鼓踊りです。鹿児島県の無形民俗文化財に指定されています。





日置市吹上町の伊作地区に6箇所の保存会があり交代で踊っています。今年は田尻地区保存会の奉納でした。青年を中心に力強いきびきびした踊りで、列を作り太鼓を打ち鳴らす退出時の勇壮さは特に人気が有ります。以下の奉納行事は、「2/2」に続きます。
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準絶滅危惧種 吊舟草(鹿児島県)

2013-10-23 16:19:44 | 
鹿児島県では準絶滅危惧種に指定されています。花器の釣船に似ていることから釣船草とも呼ばれます。山間部の日陰に近い湿地に群生していますので普段余り目にしない野草です。撮影は10月9日と12日です。





花の形が特徴的です。正面から見るとキンギョソウのような唇形で、側面からは小舟のような細長い三角形です。後ろのほうは小さく丸まっています。花色は赤紫ですが、まれに白い花もあるようです。

花には蜜が多いのでしょう、蜂がよく飛んできます。蝶も見かけました。花の入り口には棘状の小さな突起があり蜂の体を支えているようにも見えます。











見るほどに興味深い野草ですが、絶滅危惧種に指定されることで希少価値を得ようとする動きもあるようです。世界○○に登録とか○○記録に認定などと同様に販売、観光などの金目当てに利用しようとする最近の傾向は嘆かわしいものです。
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日本発祥の地 笠狭宮跡を訪ねて(鹿児島県南さつま市)

2013-10-23 15:23:22 | 日記
笠狭宮跡は薩摩半島南部の南さつま市中心部から3kmほど東側の舞敷野(もしきの)地区にあります。案内標識に従って幹線道路を南側に300mほど入った場所です。日本発祥の地と記載した案内板末尾には紀元2634年と書かれていて日本書紀などの神話時代を思い起こさせます。



道路から階段を上がると桜が植えられた広場があり、もう一度階段を上がった場所も同様に桜並木の広場です。

中央奥に「笠狭宮跡」と刻まれた石碑が立っています。高千穂に降臨された天孫ニニギノミコトの居所跡とされています。笠狭は笠沙とも表記され、南さつま市笠沙地区にも笠沙宮跡(宮ノ山遺跡)があります。





石碑近くにも詳細な説明がありました。笠狭宮跡の石碑自体は高さ3m程度の長方形で地味なものです。裏面に刻まれた文字は小さくて読みにくいものでした。





殆ど訪れる人もないようですがわずかにお供え物や賽銭がありました。パワースポットとして紹介しているウェブページもありますので、たまに訪れる人があるのでしょう。神社のようなものを想像していましたが、石碑があるだけで少し期待はずれでした。



石碑の背後は上り斜面が続き杉や広葉樹が茂って厳かな雰囲気です。そんな場所が好きな人には興味深いかもしれません。

下の広場に古いトイレがあるだけで観光地でもなく単なる歴史遺跡程度の趣です。通りがかった近所の人の話では昔は多くの家が建っていたそうです。







朽ちた案内板にはこの辺りが祭祀場であったと書かれています。山の上には貯水設備がありましたが最近は使われていないようでした。

戦前に付近の学校生徒も勤労動員で建設に携わったという話を聞きました。時代の変遷とともに半ば忘れられ一帯は自然に戻りつつあります。

ここを訪れて唯一の収穫は桜並木です。若木であり春先には桜がきれいでしょう。花の時期に再び訪れたいと思います。
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2013 川辺町中山田太鼓踊り(鹿児島県南九州市)

2013-10-23 13:14:25 | 祭り・伝統行事
毎年10月19日に南九州市川辺町勝目地区の竹屋神社に奉納される太鼓踊りです。今年は中山田保存会が奉納しました。







詳細について鹿児島県のホームページを引用します。
勝目地区の太鼓踊りは,上山田・中山田・下山田(西・東)の3地区4団体で構成されています。4年に1度交代で,竹屋神社の豊祭(ホゼマツイ)に奉納されるため,「ホゼオドイ」とも言われます。勝目地区の太鼓踊りは,慶長年間の朝鮮出兵に従軍した際に,それぞれ「出陣」(上山田),「凱旋」(中山田),「帰陣」(下山田2団体)の様子を踊ったと伝えられています。

 「中入り」(鉦と小太鼓)という花笠と振袖を着用した4人を中心に,脇太鼓(ワッデコ)が囲むようにして踊られます。脇太鼓は,浴衣に博多帯,サラシの鉢巻で,上山田と下山田では背中に武具(ナギナタ)を背負います。中山田は,凱旋の踊りのため,武具を背負っていません。また,下山田の武具は激戦のため刃こぼれした様子を表現しています。踊りの隊形も4団体とも若干異なっていますが,3集落で1組の踊りとなっています。
 現在上山田太鼓踊りが県指定文化財に,他の3団体は町指定文化財に指定されています。(引用終わり)



4団体の中では上山田地区の「出陣」の踊りが一番動きが激しくて勇壮な感じです。中山田地区も上山田地区と同様にワラを振りながら踊るワラフリが踊り子を先導します。



腰をかがめた低い姿勢で踊りますので体にはかなり負担がありそうです。踊り子は全て男性で、少年から壮年まで集落を挙げての奉納でしょう。中入りはきれいな着物姿の少年たちです。



奉納を終えて境内を後にする様子です。中入りの後ろには脇太鼓が続きます。



8時過ぎからの奉納は30分ほどで終わり、一行はトラック4台に分乗して次の会場へ向っていきました。





今年は土曜日の開催で例年よりも観客が多く賑わいました。薄曇で撮影には好条件でした。このあと夕方まで地区内を巡回して踊りが披露されます。
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2013 川東バラ踊り(薩摩川内市祁答院町)

2013-10-13 14:50:56 | 祭り・伝統行事
10月12日に鹿児島県薩摩川内市祁答院町下手地区の南方神社例祭に奉納されました。毎年の奉納ではありません。今年はバラ打ちの人は前回より少な目の7名での奉納でした。

バラとは主に農家で使われていた直径80cmほどの竹のザルを腹合わせにして上から何重にも紙を張ったものです。太鼓踊りに比べると鹿児島県内では数少ない踊りです。太鼓のような大きな音ではなく、ベシ、バシというような音が出ます。踊り全体をリードするのは鉦叩きです。





侍姿の鉦打ちに先導されて境内に入りバラを薄い板で叩きながら背中の飾りを前後に打ち振り、時には走り飛び跳ねる踊りです。相撲の懸賞みたいだと評した人もいますが、バラには古くからの言い伝えや川柳、標語などが書かれています。



次は「びな巻き」と言われる状態です。びなは巻貝のことで、敵を取り巻いて攻めた様子を現すとも言われています。踊りの起源は島津義弘公の朝鮮出兵であり、太鼓踊りと同様な動きをします。



鉦打ちの掛声でバラ打ちはいっせいに左回りに境内を何周も飛び跳ねます。バラ踊り一番の見せ場ですが息が上がります。息を整えてからは背中の飾りを前後に打ち振ります。矢旗につけた籠から小さな紙ふぶきが舞い散りきれいです。

  



最後は皆で記念撮影です。今年は川内原発の防災訓練と日程が重なったので参加者が少なかったのかもしれません。忙しい中皆さんお疲れ様でした。ありがとうございました。

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2013 馬頃尾太鼓踊り(薩摩川内市祁答院町)

2013-10-13 14:18:34 | 祭り・伝統行事
馬頃尾(まころべ)太鼓踊りは毎年10月12日に薩摩川内市祁答院町下手地区の南方神社例祭で奉納されています。

10月8日には同様の上手太鼓踊りが上手地区の「とよひるめ」神社例祭で奉納されています。

馬頃尾公民館前の物産館「ロード51」を出発した一行は南方神社まで歩いて10時前に到着しました。鳥居前での門楽(もんがく)の様子です。到着の挨拶のようなごく短い踊りでした。



太鼓打ちが背負う4mほどもある矢旗です。神事が終わるまで一旦外して休憩です。休憩中に幼子と記念撮影をする姿もありました。日差しが強かったので半分日陰での撮影です。





矢旗は太くて高く、御幣のような細い紙束も下げてあり動き回ると揺れて目立ちます。その分だけ踊り子さんは大変だと思います。





奉納後は境内の階段で記念撮影。3連休初日の土曜日でもありカメラマンが十数名はいたようです。境内では2回踊って、その後は周辺の保育園や市役所支所などで踊り最後は公民館に戻るようです。

雲ひとつない秋空で乾燥していましたが気温は30度近くまで上がりました。皆さんお疲れ様でした。毎年息の合った勇壮な踊りを見せていただきありがとうございました。
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芙蓉の花盛り(鹿児島)

2013-10-06 15:15:36 | 
日中はまだ残暑が続き、鹿児島市街地には桜島の火山灰が時々やって来ます。それでも季節は進んで種子島・屋久島などの海岸に多く自生する先島芙蓉(サキシマフヨウ)が見頃です。

ずっと以前に挿し木で増やしたものが3本あります。吹上浜に近い実家の庭先に8月上旬に咲き始めました。鹿児島県本土では自生例は少ないと思います。



芙蓉は槿(ムクゲ)とともに代表的なアオイ科の花です。アオイ科で芙蓉と類似した花といえばハイビスカス、ムクゲ、ハマボウがありオクラも同じ仲間です。いずれも朝咲いて夕方には散る一日花。美しさと儚さを併せ持ち、控えめながらも次々に花を咲かせるたくましさもあります。









同じ芙蓉でもアメリカ芙蓉は花が二回りほども大きく、色も鮮やかで派手な印象があります。



次は酔芙蓉(スイフヨウ)。朝方咲いた花は白いのですが時間が過ぎると次第に赤みを帯び。まるで酒に酔ったみたいです。八重咲きではさらにその印象が強いようです。



サキシマフヨウでも同じように夕方には少し赤みを帯びるようです。曇り空の翌朝に前日の花がしぼまずに残っていることがあります。



サキジマフヨウは9月から10月が花の見頃です。木の成長は早くて株元から枝を全て剪定しても翌年には3mほどまで枝を伸ばします。







次は道沿いで見かけた芙蓉です。サキシマフヨウではなくて一般的な芙蓉ですが花の色形が少しずつ違っています。









沖縄には台風23号に続いて再び台風24号が近づいています。台風は九州にも影響を及ぼし、通過後は大陸から一気に秋風を運んできそうです。
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2013 花尾神社秋の大祭 太鼓踊り(鹿児島市)

2013-10-01 11:50:02 | 祭り・伝統行事
毎年秋分の日に行われている鹿児島市郡山地区の花尾神社秋季大祭に太鼓踊りなどの伝統芸能が奉納されました。地元花尾太鼓踊保存会は午前中と午後に、西上太鼓踊保存会は午後に奉納しました。

今年は残暑が長引き日中は気温が30度を超えて汗ばむほどの強い日射しです。彼岸花に縁取られた稲田は色づき始めています。



10時前には着きましたが境内の露店は準備万端整っていました。
神事の後、11時過ぎから太鼓踊り、獅子舞、疱瘡踊りなどの伝統芸能が奉納されました。



郡山町は平成16年に鹿児島市と合併しましたが、地区内人口は減少傾向なのか年々祭りに訪れる人が少なくなっている気がします。鳥居前に整列した花尾太鼓踊りの一行が広場に進んでいきます。





ここは杉木立に囲まれて広場の半分は日射しがさえぎられるので晴天では明暗差が大きくて撮影しにくいところです。



地元の花尾小学校の生徒も参加し、鉦叩きの人数が多くなっています。鉦の方が太鼓よりも動きも音も大きくて目立っています。

太鼓打ちは長い矢旗を背負い先端の飾りが濃い緑の背景に映えてきれいです。踊りとしては戦の踊りのようであり、加治木や蒲生の太鼓踊りに近いものがあります。



境内の露店は農具、包丁などの金物店、野菜苗の店、氷や綿菓子、たこ焼きなど様々。子供たちに一番人気があったのは景品を多数そろえた、1回300円のスーパーボールすくいのようでした。はるか昔を思い出して懐かしいものがありました。

午後は西上太鼓踊りが奉納されました。花尾太鼓踊りと殆ど同じですが太鼓打ちの矢旗が少し短い分だけ動きが軽快に感じられました。







太鼓踊りの左手を進む一行は「蟻の花尾詣で」、鹿児島市鶴丸城跡から約17kmを歩いての参拝です。神社近くからは古式装束の行列も合流し、丹後の局に扮した女性をれんだいで担ぎ到着しました。

この日はほとんど雲がなく一日中日射しが強くて連日の祭り撮影に疲れて、午後の花尾太鼓踊りを待たずに神社を後にしました。
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花浄土/鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。