5月22日(木)雨上がり、日置市東市来町の遠見番山に立ち寄りました。
9時49分 遠見番山 ひお吉号の停留所

「ひお吉号」は、停留所と停留所の間を乗り合いで送迎するサービスです。
日置市の7エリアを、エリアごとの決められた曜日に、専用車両が運行します。ここは月、水、金、日に運行される東市来北部エリアです。
遠見番山森づくり(眺望改善)

昨年は周辺地権者の協力も得て見晴らしが良くなるよう、竹や木などを伐採し、椅子と展望柵の整備が行われました。
山頂に向かう階段道

駐車場から山頂部の展望の良いポイントまでは歩いて5分程度。雨上がりのため足元に注意して階段道を登りました。
9時52分 西側から天候は回復

見晴らしの良い場所で江戸時代には不審船の監視所だったところです。右手から中ほどにかけては江口港です。
江口川の左手は江口浜海浜公園です。江口蓬莱館は画面の左端ですが、木に隠れて見えません。
長く続く吹上浜 画面奥は南さつま市の北西部 野間半島

大きく湾曲した吹上浜の右側には、雲が巻き付いた野間岳がボンヤリと見えています。
野間岳の右側海上にある久多島(ふたしま)は、海上の霧で殆ど見えていません。
吹上浜北部の様子

画面手前で少し海に突き出した黒い部分は神之川の川口護岸です。画面中央部の少し上には大川の川口護岸がありますが、霞んでいてよく判りません。
江口川と江口の街並み

中学1年の頃だったか、土曜日午後に吹上浜の北側を目指して江口川を越える地点まで往復で15kmほど歩いたことがあります。
元気一杯の頃でどこまで歩いて行けるのか、吹上浜の北側はどんなところなのか興味本位での行動でした。
神之川では一番下流の橋を渡り、さらに北側を目指しました。江口の港を過ぎた先は岩場で、そこで砂浜は終わっていました。
今度は帰りが大変、夕暮れの砂浜を歩き続けて19時過ぎに帰宅。何も告げずに出かけたもので大変な怒られようでした。
古い古い思い出です。一緒に歩いた同級生は20年ほど前、海の事故で亡くなりました。
江口川沿いの水田地帯

6月の田植えを前に水田が耕され、水を張ったところも多くなってきました。
さらに東に目を転じると

西回りの高速道路が一部見えています。
南側が少しだけ見える桜島

山頂部を東に進むと桜島が良く見える地点があるようですが、今日は途中までしか行きませんでした。
江戸時代に不審船を見かけると、数か所をのろしで伝達して鹿児島城下に通報していたようです。
見晴らしの良い日に再訪したいものです。昨年5月24日にこの地を訪れた時のブログは、こちらからご覧ください。
9時49分 遠見番山 ひお吉号の停留所

「ひお吉号」は、停留所と停留所の間を乗り合いで送迎するサービスです。
日置市の7エリアを、エリアごとの決められた曜日に、専用車両が運行します。ここは月、水、金、日に運行される東市来北部エリアです。
遠見番山森づくり(眺望改善)

昨年は周辺地権者の協力も得て見晴らしが良くなるよう、竹や木などを伐採し、椅子と展望柵の整備が行われました。
山頂に向かう階段道

駐車場から山頂部の展望の良いポイントまでは歩いて5分程度。雨上がりのため足元に注意して階段道を登りました。
9時52分 西側から天候は回復

見晴らしの良い場所で江戸時代には不審船の監視所だったところです。右手から中ほどにかけては江口港です。
江口川の左手は江口浜海浜公園です。江口蓬莱館は画面の左端ですが、木に隠れて見えません。
長く続く吹上浜 画面奥は南さつま市の北西部 野間半島

大きく湾曲した吹上浜の右側には、雲が巻き付いた野間岳がボンヤリと見えています。
野間岳の右側海上にある久多島(ふたしま)は、海上の霧で殆ど見えていません。
吹上浜北部の様子

画面手前で少し海に突き出した黒い部分は神之川の川口護岸です。画面中央部の少し上には大川の川口護岸がありますが、霞んでいてよく判りません。
江口川と江口の街並み

中学1年の頃だったか、土曜日午後に吹上浜の北側を目指して江口川を越える地点まで往復で15kmほど歩いたことがあります。
元気一杯の頃でどこまで歩いて行けるのか、吹上浜の北側はどんなところなのか興味本位での行動でした。
神之川では一番下流の橋を渡り、さらに北側を目指しました。江口の港を過ぎた先は岩場で、そこで砂浜は終わっていました。
今度は帰りが大変、夕暮れの砂浜を歩き続けて19時過ぎに帰宅。何も告げずに出かけたもので大変な怒られようでした。
古い古い思い出です。一緒に歩いた同級生は20年ほど前、海の事故で亡くなりました。
江口川沿いの水田地帯

6月の田植えを前に水田が耕され、水を張ったところも多くなってきました。
さらに東に目を転じると

西回りの高速道路が一部見えています。
南側が少しだけ見える桜島

山頂部を東に進むと桜島が良く見える地点があるようですが、今日は途中までしか行きませんでした。
江戸時代に不審船を見かけると、数か所をのろしで伝達して鹿児島城下に通報していたようです。
見晴らしの良い日に再訪したいものです。昨年5月24日にこの地を訪れた時のブログは、こちらからご覧ください。