花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
(季節の花、吹上浜、桜島、霧島など)

南さつま市 竹田神社の夏祭り 2024/07/23(鹿児島)

2024-07-24 15:01:10 | 祭り・伝統行事
7月23日(火)日置で野菜園管理の後、南さつま市加世田に向かいました。

11時8分 竹田神社境内 以下の画像は7月23日に撮影


日置での藪払いに手間取り予定より30分以上も遅れて現地着。すでに士(さむらい)踊りの人たちが鳥居下で待機中でした。

7月23日も危険な暑さが続き、各地の最高気温は鹿児島35.0度、東市来34.0度、加世田35.9度。

予定を少し早め11時15分に踊りが始まる


竹田神社について、鹿児島県神社庁のページから引用して紹介します。

御祭神
日新偉霊彦命(ヒワカクシタマヒコノミコト)島津忠良公(日新公:じっしんこう)の神霊
神事・芸能
七月二十三日(夏祭)~加世田士踊(県無形文化財) 日新公(島津忠良、島津義弘の祖父)が、御出陣御勢揃の節、仰付けられたものである。

戦国争乱の世のこと、合図の手拍子をもって忍びのもの(敵の間者)を発見するための踊りといわれている。

大守貴久公(島津忠良の息子)が、ほぼ領内の兵乱を平定して、加世田へ初めて入部された時、加世田諸士は万瀬川までお出迎え申し上げた。

一同お供申し上げ御屋形へお着きの時、日新公の思召しにより凱旋のお祝として士踊を催されたことが史書に残っている。

貴久公御逝去後は、忌日六月二十三日(今は七月二十三日)に祭祀として士踊をすることに定められた。(引用終わり)

観客も暑さで大変


真夏の祭りで観客も大変ですが、大半は踊り参加者の家族のようで、暑さに負けず熱心なカメラマンと取材関係者の姿もありました。

動画も少しだけ記録したいので三脚を担いで、社殿側の小高い場所で撮影開始。

日置で唐芋の植替えなどで大汗を流し、シャツもズボンも濡れたまま・・・元気なうちにもう一度この祭りを見たい一心でやって来ました。

ゆっくりした動き 二才(にせ)踊り


鉦太鼓、幟端を背負った太鼓踊りなどに比べると動きが極めて遅く、一般的な踊りとはかなり違っていて撮影は困難。

低い位置から写すと良い感じもしますが、強烈な真夏の日差しの下では顔の表情が出にくいようでした。

子供たちの稚児踊り 三脚利用でスローシャッター


こちらは子供たちの稚児踊り、小学から中学生中心のようで息の合った動きでした。

1/20秒での撮影ですが子供たちは大人よりも少し動きが早く、面白い感じに写っています。

さらに遅いシャッター速度では、レンズ操作が悪く画像がズームでぶれたものもありました。

踊りの最後はそろって拝礼


社殿に向かって横に整列して拝礼する場面です。

神前を人が横切らないように社殿、拝殿前にはロープが張られていました。

一般的に奉納踊りの最中に社殿前を人が横切ることは不敬でありますが、明確に対策されている例は他では見たことがありません。

夜に飾られる提灯


夏祭りの中心は士踊りですが、その前には神事の後に浦安の舞が奉納されます。

弓道、剣道大会や子供たちの相撲大会もあり、神社前の水路では水車カラクリが展示されています。

島津日新公いろは歌 ・・・代表的な歌 いにしへの道を聞きても唱へても わが行ひにせずばかひなし

昔の立派な教えを聞いたり口で唱えたりしても、実行しなければ何の役にも立たない・・・身に染みる言葉です

今年の水カラクリ 


今年の展示は・・・肝付・伊地知 反逆 鹿児島を襲う
白尾国柱編纂「倭文麻環」から (しらおくにはしらへんさん しずのおだまき)

強い日差しが隠れる頃には趣が良さそう


水車の動きでカラクリがゆっくり回るもので、舟に乗った武者たちが鹿児島に攻め込む場面のようです。

12時11分 お昼時 お客さんは殆どいない


この暑さでは人出も少なく、商売になるのは夕方からでしょうか。

出店を見ると幼い頃がよみがえり実に懐かしいものです。もらったお小遣いを手にあちこち店を回るものでした。

危険な暑さの中でも車のありがたさで祭りにたどり着き、かねてなじみの写真仲間としばし談笑。

汗まみれの見苦しい恰好ながらも、士踊りを撮影することができてありがたいことでした。
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上市来の伊勢神社 棒踊り 2024/05/03(鹿児島)

2024-05-04 17:20:47 | 祭り・伝統行事
5月3日(金)憲法記念日、日置市東市来町養母の伊勢神社に出かけました。

8時52分 伊勢神社神事 以下の画像は5月3日に撮影


伊勢神社奉納の棒踊りは妙円寺詣りで一度見たことがあり、今回は日置市のインスタグラムで情報を知りました。

かつては東市来町上市来地域の7集落が棒踊りを奉納していたそうです。今年は北山集落の参加はなく、荻、田代、梅木の3団体でした。

上市来中学校は1947年(昭和22)5月2日創立、2023年(平成5)3月に閉校されています。

旧東市来町は江口浜やJR湯之元駅周辺が殆どで、上市来は旧市来町内のような気がしていました。

実際に足を運んでみると、鹿児島市郡山地区に隣接してかなり広かったことが実感できました。

旧東市来町は面積が70.90km2、旧市来町は31.56km2、私の出身地である旧日吉町は29.25km2でした。

国会議員さんなどの挨拶


来年までには選挙がある地元選出の国会議員2名(小里、野間氏)、日置市長永山由高さんなどの顔ぶれでした。

市長さん自身も近いうちに棒踊り参加の予定で練習中だが、40歳にもなると覚えるのが大変と話をされました。

境内に集まった人たち


衆議院の野間議員自ら「挨拶は短く幸せは長く」の短い言葉もあり、予定通り奉納踊りが始まりました。

今日は祭り撮影で一緒になることの多い同年代の写友が4人ほど、お互いの健康に感謝することでした。

9時4分 南側にある鳥居前


伊勢神社の所在地は日置市東市来町養母12949、通称「オイセサア」、旧社格は村社です。

踊り手には小学生と思われる子供たちの参加もあり、頼もしいことでした。

幼子のペースに合わせて 動きを確実にリード


今日も数回短めに動画を記録しました。踊りの動きだけでなく、歌声や棒が当たる軽やかな音が小気味良く耳によみがえります。

動画記録機能のある一眼レフカメラをお持ちの方は、動画記録も試してみてください。おススメです。

9時7分 日差しが強くなり撮影条件が悪くなった


東側に高い杉木立があり境内は明暗差が大きく、日差しが出ると撮影が困難でした。

全体的な踊りの撮影はあきらめて、観客の様子や子供たちを中心に写しました。

9時17分 棒で地面を突きながらペースを合わせて境内に入る


西側隣にはお寺がある


伊勢神社境内で踊った一行は隣のお寺側に進んで行き、しばらくすると再び棒の当たる音がしてきました。

9時24分 お寺境内でも棒踊りが披露された


浄土真宗本願寺派(西本願寺)の養信寺境内でも棒踊りが始まり驚きました。

祭りや踊りなどは一か所だけでなく、踊る場所を変えてあちこちで披露されることが多いものです。

お寺には納骨堂があり、ここに眠る御先祖にも棒踊りの響きが伝わったことでしょう。

休憩時間に水分補給 よく頑張ったね


もう一踊り 写している側も元気をもらう


9時31分 お寺の鐘撞堂 伊勢神社は画面外右側


撮影で神社とお寺を何度か行き来しましたが、伊勢神社→お寺→伊勢神社2回目の順で3回踊られたようです。

所用のため10時頃に撮影を切り上げたので、その後の踊り一行の動きは判りません。

9時33分 息の合った踊り


10時6分 県道の橋上から 大里川上流部の荻前田橋


荻前田橋は2連アーチの石橋で日置市指定文化財です。

雨に降られることなく伝統の棒踊りを楽しむことができました。

祭り関係者の皆様、地元の方々、楽しいひと時をありがとうございました。豊作になりますように。
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カメラが取り囲む 次郎次郎踊り 2024/03/03(鹿児島)

2024-03-05 16:34:56 | 祭り・伝統行事
3月3日(日)13時半過ぎ、川内川河口から水引町の射勝神社へと急ぎました。

14時4分 射勝(いすぐる)神社 すでに祭りが始まっていた


すでに駐車場は満車で近くの道沿いにも車が一杯。離れた場所から神社への裏道を300mほど歩いてどうにか到着。

参道から鳥居側を望遠レンズで写していた人に聞くと、境内はカメラマンで一杯とのこと。すでに神事が行われているようです。

14時29分 木の枝で害虫を追い払う子供たち


次郎次郎踊りでは観客は田圃に現れる害虫とみなされ、この後も火のついた丸太(トッゴロ)に追われることになります。

14時30分 伝統の無言農耕劇 テチョ(丁長)が登場 


珍しい無言劇で登場する役者は誰も言葉を発しません。観客は田圃の害虫とみなされているので、火のついた丸太が足元に近づくこともしばしば。

祭りの中でのケガには一切責任を負わないので、観客は後ろに避けてケガをしないよう再三注意が呼びかけられました。

田んぼを耕す様子


キセルたばこで休憩


トッゴロで害虫を追い払う


すぐ足元に火が近づくので油断がなりません。後ろに1~2歩避けた方が無難です。

14時38分 ここの牛も暴れ牛


牛の演者は前後2人、気性が荒く手綱さばきも大変。観客は避けるか逃げるだけ。

14時42分 暴れん坊の息子たちも現れた


動きがさらに激しく、火のついた丸太を投げる場面もあり、幼子が怖がって泣き叫んでいました。

カメラマンも追い払われる


今年は多くのカメラマンが集中していて、まるで撮影会のようで驚きました。

各地の写真クラブの人たちが集まったようで、顔見知りの人も多かったですが軽く手を挙げて挨拶する程度。

ぼんやりしていると、どこから火のついた丸太や暴れ牛が寄って来るか判りません。

14時49分 場面は変わりヨメジョ(お嫁さん)登場 抱き合う二人


めでたし 赤ん坊が生まれました


14時50分 落花生を撒いて祭りはお開き


14時56分 インタビューを受ける親子


動画記録の人が数人いて、観客へのインタビューをする方もありました。

今日は鹿児島マラソン、鹿児島神宮の初午祭もありテレビ取材は見かけませんでした。

射勝神社から300mほど上流部


車に戻る途中で風化が進んだ「草道上の田の神様」の案内板が目に付きました。

祭りから戻る近所の方に縦長の自然石で竹林横だと教えてもらい、上流部へ歩いて探し回るも見つからず残念。

それらしき場所では小川沿いに休耕地と数軒の民家がありました。画面外左手の石積み土手が残る水田跡には、イノシシらしき多くの足跡が付いていました。

草道中の田の神様


こちらは国道3号近く、グーグルマップに表示のある田の神様です。

朝から3か所の神社を回り、川内川河口まで動き回って疲れました。今日は1500枚ほど撮影、まさにお腹一杯に撮影を楽しめて何よりでした。

祭り関係者の皆様には今年もありがとうございました。大きな災害なく豊作となりますよう、お祈りします。

2014年の次郎次郎踊りのブログには詳しい内容を掲載しています。こちらからご覧ください。
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高江の南方神社 太郎太郎踊り 2024/03/03(鹿児島)

2024-03-04 15:15:39 | 祭り・伝統行事
3月3日(日)薩摩川内市の伝統行事、高江太郎太郎踊りに出かけました。

9時52分 薩摩川内市高江町の南方神社 以下の画像は3月3日に撮影


神事は10時から、すでに鳥居近くの駐車場は満車で150mほど東側に車を止めました。

10時15分 神事の間もずっと整列


コロナ禍の期間も規模を縮小して祭りを継続されたとのこと。この日も神事が30分以上も続き、裸足と簡単な着物では寒かったことでしょう。

3月3日の最低気温は川内でマイナス0.8度、鹿児島でも2.1度、自宅を含めて山間部は霜が降りていました。

10時38分 踊り(農耕劇)が始まった 右は牛役


左手でカメラを構える方は長年踊りの主役として活躍されていました。この時間帯になるとカメラマン、観客がだいぶ増えていました。

10時41分 左から祖父、父、息子役


鍬に見立てた太い木の枝を担いで、足元は裸足のまま。煙を上げる丸太が使われます。

太郎は怠け者で一向に田植え準備が進まず、祖父、父から牛を連れて来て作業を進めるよう促されます。

怠け者の太郎 右に小さく見えるのは父親(テチョ)


地元の峰山小学校5・6年生が孫役として祭りに参加しています。

太郎役・おじいさん役・牛役の地域の方々と絡みながらの農耕劇です。

鍬の形をした木をもち,「太郎太郎,はよ牛をひてけ。(早く牛を連れて来い)太郎太郎,はよ牛をひてけ。」と言いながら田を耕します。

いたずらをする子供 木の枝を絡ませる 観客の笑いを誘う


酒飲みが始まった 左は父親(テチョ) 右は太郎


牛は連れてこず、2人は酒盛りを始めました。

牛を曳いて田んぼを起こすが


暴れ牛は逃げ出した


生まれた子供(手に持つ丸い石) 左はおじいさん役(オンジョ)


丸い石を大切に撫でさすりながら、地元名所を読み込んだ歌が歌われました。

11時12分 神主さんがモミを撒く


お疲れ様でした


踊りの流れなど、うまく説明できずにすみません。2014年の太郎太郎踊りブログには詳細を載せています。こちらからご覧ください。

午後は同じ薩摩川内市内の射勝(いすぐる)神社での次郎次郎踊りに立ち寄りました。
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寒い夕方 花野町内会の鬼火焚き 2024/01/07(鹿児島)

2024-01-08 16:55:38 | 祭り・伝統行事
1月7日(日)鹿児島の正月の伝統行事、鬼火焚きが行われました。

17時31分 花野(けの)町内会鬼火焚き 以下の画像は1月7日に撮影


自宅から歩いて500mほど、風が強く寒いものの西側に山があり風は気になりませんでした。

日の入りは17時29分、雲の多い日で普段より早く暗くなってきました。

準備が一段落、ドラム缶の火に当たりながら時間待ちの場面です。

今年はぜんざいや焼酎のふるまいなどはありませんでした。

17時49分 西側から東側を写す かなり明るく写っている


山間の川沿いに広がる水田に鬼火焚きの櫓(やぐら)が組まれています。

東側はシラス崖で、その下を幅数メートルの花野川が流れています。

7日の鹿児島は最低気温が5.0度、最高気温は13.0度で平年並みでしたが、最大風速は12.4mで寒く感じました。

17時50分 実際はすでに薄暗い


カメラの性能が向上し高感度撮影が一般的になり、見た目よりも明るく写り夕暮れの感じが判りにくいほどです。

6才くらいの女の子2人が、スマホで写し楽しんでいる様子にはビックリ。

撮影に来られた方と写真談義をするうちに、人が集まり始めていました。

18時5分 空の明るさが少し残る 東側から西側を撮影


水田地帯西側の小高い位置に道路があり、画面外左手は花野団地です。団地入口近くに花野小学校があります。

完全に暗くなる前に周囲を回り足元が危なくないか、背景はどのような状態か写り具合を探りました。

平坦な田圃のようですが、足元には水路があり畦道にかなりの段差もありました。

櫓が燃え上がると炎に気を取られて足元に注意が向かず、思いがけないケガをする恐れがあります。

18時13分 若い人も集まり点火準備


投光器が3台ほどあり櫓を照らし出す中で、人が集まり点火場所の確認などが始まりました。

18時28分 間もなく点火


点火には7才の子供と保護者などが参加したようです。竹の棒先端に付けた布に灯油を含ませていました。

18時29分 一気に燃え上がる


よく乾燥していてギッシリ詰め込まれていないようで、すぐに炎は櫓の上に駆け上がり歓声が湧きました。

写した画像を確認しながらマニュアルで感度、シャッター速度、絞りなど調整しながら撮影。

絵になる場面は炎が櫓の上に駆け上がるところ、炎の形、観客との組み合わせでしょうか。

燃え始めで炎の勢いがあるときは観客が多く、暗い中で三脚の移動は危険なため炎が落ち着くまでは手持ち撮影。

その後は似たような場面が続き、人が少なくなるので周囲の安全性を確かめて三脚を利用しました。

西側から写す


暗い中でも家族連れを中心に大勢の人が集まり、大きな炎と竹がはじける音には興奮させられます。

鬼火焚きは青少年主体の伝統行事でしたが、現在は高齢者中心の地域行事として県内各地に残っています。

舞い上がる火の粉


大きな炎に気を取られてあまり気付きませんが、燃える竹がはじけて大量の火の粉が飛びます。

風向きを考えて、服や帽子など焦がさないよう注意が必要です。

18時46分 竹や古い木の柱などを投げ入れる


田圃の脇に置かれていた、稲の掛け干し作業に使われていたような古い資材も炎に投げ込まれていました。

関係者の方々には火の始末まで大変だったと思いますが、鬼火焚きの撮影ができて感謝、感謝です。

正月早々に能登半島で大震災、翌日は飛行機事故、国会では裏金問題。

この先どうなるのか気がかりですが、良い一年でありますようにと願いながら家路に就きました。
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2023妙円寺詣り 奉納行事 2023/10/21(鹿児島)

2023-10-25 21:45:24 | 祭り・伝統行事
10月21日(土)、第73回の妙円寺詣りに郷土芸能などが奉納されました。

徳重神社 妙円寺詣りの歌(歌詞の一部) 以下の画像は10月21日に撮影


天下分け目の関ケ原の戦い(1600年)に由来する妙円寺詣りについて、鹿児島県観光サイトから引用して紹介します。

鹿児島市内から日置市伊集院町までの約20kmの道のりを歩いて参拝する伝統行事です。(10月の第4日曜日とその前日に開催)

17時27分 鹿児島学舎連合会の参拝 カメラ目線は外人さん?


敵中突破後苦闘の末、帰還を果たした島津義弘公をしのび、泰平の世に士気を鼓舞し、心身の鍛錬をするため、鹿児島城下の武士たち(庶民は明治以降)は関ヶ原の合戦前夜の9月14日(旧暦)、往復40キロの道のりを鎧・兜に身を固め、夜を徹して義弘公の菩提寺である妙円寺に参拝し始めました。

廃仏毀釈で徳重神社に変わってからも参詣は続きました。やがて、鹿児島3大行事として受け継がれますが、県民性の欠点である忍耐性や持続性の不足を補うものとして大きな意義があります。現在は郷土芸能の奉納や武道大会、家族連れで賑わうウォークラリーなど、5万人を越す人出でにぎわいます。(引用終わり)

13時46分 大田太鼓踊り(鹿児島県指定無形文化財)


21日午後は徳重神社境内で郷土芸能などが奉納されました。最初は地元伊集院町の大田太鼓踊りです。

鹿児島県内各地に伝わる太鼓踊りの一種ですが、城攻めの様子を「道行き」から始まって、最後の「総舞攻め(ソマンコ)」に至るまで、15段階に分かれて演じます。

吉利北区太鼓踊り


日置市日吉町吉利地区に伝わる太鼓踊りです。踊りの最後の方は伊作太鼓踊りと動きが似ていました。

伊作太鼓踊り(鹿児島県指定無形文化財) 入来保存会


大きな矢旗が特徴の太鼓踊りです。毎年8月28日と29日に日置市吹上町内で踊られます。

徳重大バラ太鼓踊り(鹿児島県指定無形文化財)


地元伊集院町の太鼓踊りです。直径1.5mほどもある大きな太鼓(大バラ=うばら)を、背中を反り返らせて打ち鳴らします。

20mほどもある巨大な矢旗を背負う 


太い竹竿には旗がなびき、数人がかかりで周囲を支えられながら太鼓を打ちます。

太い竹竿が倒れないよう、矢旗の先に括り付けた数本の長いロープで動きを調整しながら慎重に進みます。

16時8分 大きな太鼓 倒れると自分では起き上がれないほど


天気が良すぎて明暗差が強烈で撮影には最悪な光でした。この時間帯にはだいぶ日が傾いています。

16時23分 薬丸野太刀自顕流の演武


少年から壮年まで、一撃必殺の強烈な勢いを感じる演武が奉納されました。

力強い解説


毎回力強い解説をしてくださる方です。コロナ禍での奉納中断もありましたが、今年もお元気で何よりです。

鉄砲隊の演武


地元の日置鉄砲隊と、岐阜県から関ケ原鉄砲隊も参加しました。

17時18分 轟音と白煙


火薬を使うため、太鼓踊りなどがあった範囲は立入禁止区域となりました。空砲ではありますが、火縄銃が発射されるたびに轟音が響き渡りました。

今日は6時半に川辺町へ出発、中山田太鼓踊りを撮影しました。その後は南さつま市に向かい、途中で笠沙の宮跡、内山田の瀬戸(狭い崖沿いの道)、金峰地区ではコスモスを楽しみました。

日置では大根の様子を見ました。まだ伸びが悪いので間引きは次回以降として、大根に土寄せをして水を掛けておきました。

午後は徳重神社で伝統芸能などの奉納を撮影、朝から夜まで充実した一日でした。元気で各地を回ることができてありがたいことです。
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2023 川辺町の中山田太鼓踊り 2023/10/21(鹿児島) 

2023-10-23 16:17:54 | 祭り・伝統行事
10月21日(土)肌寒い朝、南九州市川辺町の勝目地区に伝わる太鼓踊りです。

7時49分 竹屋神社 参道での踊り


勝目地区の太鼓踊りは上山田・中山田・下山田の3地区4団体で構成されています。4年に1度交代で,竹屋神社の豊祭(ホゼマツイ)に奉納されるため,「ホゼオドイ」とも言われます。

今年は中山田地区の奉納で、7時40分過ぎから鳥居前の農道で踊りが始まりました。技能実習生として働くインドネシアの青年二人も参加しています。

北西の風で雲が多く肌寒い朝


一般的な祭りよりも開始時刻が早く、夜までかけて川辺町内各地で踊ります。

20日の雨を境に寒気が流れ込みました。21日の最低気温は平年より5度ほど低く、加世田9.6度、鹿児島12.7度、東市来9.0度でした。

美しい着物姿の「中入り」4人


中入りは鉦、小太鼓を手に、花笠と振袖で女装した少年たちです。

7時59分 境内に踊り子が入って来た


踊り子が多く踊りの輪が境内一杯に広がり、後ろに下がる余地もなく私のレンズでは全体の様子をうまく捉えることはできず残念。

境内東側の一部に駐車場が新設され、新車お祓いにも便利だと喜ぶ声が聞かれました。

脇太鼓(ワッデコ)40人ほど


太鼓のバチは木製ではなくワラを加工した太い縄のようなものです。凱旋の様子を表す踊りで、踊り子の背中に武具はありません。

昨年の踊り 上山田太鼓踊り(出陣の様子)


出陣の様子を表すもので、踊り子は武具を背負って大きな動きで踊っています。

ワラを手にして踊る ワラ振り5人


藁の束を両手に持って踊ります。鹿児島県内各地に太鼓踊りが伝承されていますが、ワラを振りながら踊る姿は珍しいものです。

途中で新しいワラに取替


少し腰を落とした姿勢で踊り続けるので、かなり大変だろうと思います。

踊りは終盤へ


踊りは10種類ほどありますが、それぞれは2分以内程度です。

今年はカメラマンが少なめでしたが、雲が多くて境内が薄暗く踊りの前半は写しにくい状態でした。

小間切れではありますが、記録した動画を再生すると鉦と太鼓の音が心地良く、楽しい思い出が増えて感謝、感謝です。

踊りを終えて おにぎり食べませんか


次の会場に向かう前に、おにぎりが配られました。境内を箒で掃除する女性の姿もありました。

8時59分 次の会場へトラック3台に分乗して移動


だいぶ空が明るくなってきました。今年も元気一杯の踊りを見せて頂きありがとうございました。

昨年の上山田太鼓踊りはこちらからご覧ください。
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さつま町 大石神社の金吾様踊り 2023/10/01(鹿児島)

2023-10-02 18:58:08 | 祭り・伝統行事
10月1日(日)久しぶりの通常開催、伝統の踊りを皆で楽しみました。

9時13分 大石(おおいし)神社 以下の画像は10月1日に撮影


さつま町中津川地区に伝わる金吾様踊り(きんごさあおどい)は、織田・豊臣の時代にこの地域を治めていた祁答院島津家初代「金吾左衛門尉歳久」を祀る「大石神社」秋季大祭に奉納される踊り(踊りの総称)です。

『大石神社』は武の神・安産の神・稲作の神として崇敬されています。(さつま町観光サイト)

9時18分 社殿側から見た鳥居方向 両側は落葉した桜木


朝から一時小雨が降り、予定を1時間遅らせて祭りが始まりました。画面左手のテント内では、プログラム配布、寄付の受付などをしていました。

以下の踊りの由来などの説明は、もらったパンフレットを参考に書いたものです。

10時1分 踊り団体ごとに参拝


雨は止んで祭りが始まりました。幼児から高齢者まで多くの人が参加して、地区を挙げての様々な踊りが、午前と午後の2回奉納されます。

昔ながらの村祭りや秋祭りの雰囲気が今も残る、鹿児島県内では貴重な祭りの一つです。

偶然話しかけた祭りの人は、私が若い頃お世話になった地元のYさんをご存じでした。優しくも厳しい方でしたが、一昨年ごろ100歳前後で亡くなられたとのこと。

10時26分 観客席に敷かれた茣蓙


雨が止んだのを見計らい長い茣蓙が敷かれました。これまでに何度か見た中でも観客は多めでした。

10月2日付の地元紙南日本新聞記事には祭りの見物客約1400名とありました。

10時9分 祭り開会の挨拶 


通常開催ができて何よりもうれしい・・・感激のあまり・・・最初に泣かせてくださいと、関係者への深い感謝を込めた挨拶がありました。

すぐ横には大勢のカメラマンが陣取り、入り込む隙もなく三脚利用はあきらめました。

10時17分 稚児行列と稚児舞


幼子を抱いて、もう一人の子を見守るお父さんの姿もありました。

10時32分 棒打ち舞


戦国時代から踊られていたと伝わる、大念仏行列の一つ。祭りの地を清める舞と言われ、神楽系統の棒技とみなされています。

10時43分 地割舞(じわりまい) 笛と太鼓に合わせて厳かに踊る


こちらも大念仏行列の一つ。由来には諸説あり、領地を決める地割り説と、祭神をお招きする地を清めるための舞とあります。

重い武具を身につけて飛び跳ねる舞もあり、12分ほどの踊りにはかなりの体力が必要でしょう。

11時 俵踊り(中津川小学校 3~6年生が中心)


昔は社寺の落成式や祭りなど当日の催し物に相撲が企画されました。勧進相撲と呼ばれるもので、この催しに寄進された金品や米俵などを、土俵に積み上げて観衆に披露した様子を踊ったものと伝わっています。

踊りを見つめる保育園児


今日もカメラマンに声をかけられ、お名前を伺ったものの私の記憶が戻らず失礼してしまいました。

幼いころの記憶は長く心に残ります。三つ子の魂百までとも言われますが、今日の祭りは故郷の大切な思い出の一つになることでしょう。

11時27分 六尺棒踊り(北方町 清友会)


撃剣浅山流からあみだされたもので、藩主が一般の士気を鼓舞し、いざというときに備え、棒術を踊りに仕込んで農民の子に躍らせ、鍛錬したものという説もあります。

再び小雨が降り出し、傘を差す人も出たので木陰に移動。カメラが濡れない撮影ポイントを探しました。

11時39分 鷹刺し踊り(弓之尾 恵友会)


領主の狩猟は武士の武術の修練と領民の動向視察の目的をもって、農民を勢子に駆り立てて奉公させた。

この鷹狩りの様子を踊りにしこみ、お祭りや殿様の領内回りなどの時、武運長久と領内安穏、領民の安全を祈って踊るようになったと言われています。

11時43分 ハンヤ節を踊る


賑やかな三味線と鐘、太鼓(五つ太鼓)に合わせて、心地良い手踊りが披露されました。身振り手振りがきれいにそろい、毎月練習しているかと思うほどの素晴らしさでした。

12時35分 兵児踊り(尾原 友励会)


参勤交代の島津の殿様について薩摩から江戸間の長い行程を、苦労しながら往復した兵児たちが、士気を鼓舞し楽しい旅にしようと、夜の酒宴で踊ったものと言われています。

元気な若者たちですが、太鼓のリズムに合わせて力一杯に飛び跳ねる踊りは大変疲れることでしょう。観客席からはもっと高く飛べよと声援が上がりました。

時吉金山踊(時吉地区金山踊保存会) 今回さつま町時吉地区から特別参加


時吉地区を流れる穴川沿いに上流部の永野までの険しい道のりの金脈を探す様を表現した踊りと伝えられています。

右手の錫杖は、魔除け・獣おどし、左手の山刀は険しい道中の道開きのためのものと言われています。

参加者の旗竿持ちは昔お世話になったSさんでした。若々しく元気な姿に再会できて感謝、感謝。お互いここで再会するとはビックリ。

12時50分 午前の部が終了 抽選会発表


焼酎と米でしょうか、地元特産品が当たる抽選会の結果発表です。棒踊りの年長の踊り手さんが当選、会場が大いに湧きました。

祭りはこの後も午前と大体同じ内容の踊りが、もう一度奉納されます。朝から動いて疲れてしまい、ここで神社を後にしました。

雨が上がり、神社境内で通常開催されて幸いでした。関係者の皆様には大変お疲れ様でした。ありがとうございました。

三脚は使えませんでしたが、あちこち場所を変えて撮影。手持ちで多くの動画を記録。賑やかな太鼓や観客の拍手など祭りの雰囲気を何度でも楽しめます。
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花尾神社大祭 子供たちが活躍 2023/09/23(鹿児島)

2023-09-24 21:01:18 | 祭り・伝統行事
9月23日(土)秋分の日、秋の大祭は4年ぶりの通常開催となりました。

11時24分 花尾神社は右手の林の中 以下の画像は9月23日に撮影


秋分の日に花尾の太鼓祭り、大平の獅子舞、岩戸の疱瘡踊り、西上の太鼓踊りの民俗芸能と時代行列「蟻の花尾詣で」が奉納されています。

2020年と21年はコロナ禍で踊りなどの奉納は中止、昨年は規模を縮小して再開、今年は通常開催でしたが、岩戸の疱瘡踊りはありませんでした。

花尾の太鼓踊り


神社境内に着いた直後に太鼓踊りが始まりました。同級生T君の隣にいた動画撮影の方に、こころよく場所を譲ってもらいました。

昨年とは様変わりでカメラマンの多さに驚かされる中、すぐに撮影できて感謝、感謝でした。

日差しが出て明暗差が強くなった


境内は高い杉木立に囲まれているため、日差しが出ると明暗差がひどくて撮影は難しいものです。

かぶり物で陰になった顔の表情は殆ど写らず、一部を動画記録した後は撮影をやめて踊りを楽しみました。

11時半からの花尾太鼓踊りは途中に水分補給の小休止を挟んで、48分間にも及ぶ長いものでした。

大平の獅子舞


花尾小学校の子供たちを中心とした元気な踊りに大きな拍手が送られました。

棒踊り


この日のために練習を頑張って来た子供たちを、遠くから見守る親御さんたちの姿がありました。

小さな獅子たち


獅子の大きな面をかぶって楽に合わせて境内を一回りしました。子供たちには良い思い出になったことでしょう。

蟻の花尾詣で


鹿児島市中心部の鶴丸城跡から17.5kmを歩いて参詣した一行のインタビューがありました。

いつものベテラン司会者が今年も祭りをうまく進行し、祭りの内容などを判りやすく説明してくださいました。

撮影に熱中して太鼓踊り入場列の先頭を塞いで群がるカメラマンを、手慣れた話しぶりでやんわりと誘導されていました。

人の振り見て我が振り直せとは、まさにこのことです。撮影では自己本位にならず、観客などの多い場所では周囲への気配りが大切です。

西上(にしかみ)太鼓踊り 間もなく入場


木間から差し込む光が印象的でした。いつの間にかカメラマンが集まっていました。

出店もあった 懐かしくも嫌な思い出


幼い頃の祭りの日を思い出す光景です。普段よりも多くもらったお小遣いを手に、あちこち出店を巡りました。

新聞紙大の厚紙の下半分ほどに20個ほどの甘納豆の袋が貼り付けられたくじ引きセット。上の方に飾り付けてあるのは子供の目を引く景品が数点。

5円か10円で甘納豆一袋、ハズレが多く何度も買うのに良い景品に当たらず・・・全部の袋が売れても良い景品の一部はまだ残っていました。

最初から当たり券は一部しか入っておらず、目を引く景品は単なる子供だましでした。買い続けると当たると思ったのに、世の中にはインチキがあるんだと知りました。

人の一生を思えば普段の暮らしの中にも同じような事柄が潜んでいたり、気付かずにうまく騙され続けて生きているのかもしれません。

社殿側を写す 西上太鼓踊り


逆方向からの祭り風景も杉木立に囲まれてきれいでした。朝からの彼岸花巡りと昼食抜きの空腹で疲れて、祭り半ばの13時半頃に撮影を切り上げました。

今日の祭りは昼時を過ぎてもずっと続き、車に戻ると前後に連なっていた車は数台残るだけでした。今年も元気で花尾神社の大祭を撮影できてありがたいことでした。関係者の皆様には大変お疲れ様でした。
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入来保存会 伊作太鼓踊り 2023/08/28(鹿児島)

2023-08-29 17:48:42 | 祭り・伝統行事
8月28日(月)今年も日置市吹上町内で伊作太鼓踊りが披露されました。

8月28日 NHK7時のニュース項目


年ごとの社会情勢など記憶をたどるため、ニュース項目を引用しました。

テレビからパソコンやスマホなどへの情報配信が増加し、近いうちにテレビと同様の受信料負担が検討されそうです。

9時14分 すでに一行は南方神社参道に集合 今年は手指消毒液だけ


9時過ぎに着いて、先に参道南側奥の海蔵院跡に立ち寄ると狭いながらも落ち着いた場所でした。

2020年と2021年はコロナ禍で太鼓踊りが中止、昨年は1日だけに規模を縮小しての開催でした。

昨年は参道で検温が実施され、手指消毒、マスク着用が求められていました。

9時18分 南方神社参道 矢旗を揺らしながら進む「平打ち」


吹上町内の6保存会が継承し、交代で毎年8月28日と29日に踊っています。

28日に南方神社に奉納後29日にかけて吹上町内の30か所ほどで踊られます。太鼓と矢旗の重さは約20キロ、暑い時期に2日連続で早朝から夕方までの踊りは大変なことです。

きれいな衣装が目立つ「中打ち」の少年たち


伊作太鼓踊りについて鹿児島県のページから一部を引用して紹介します。

500年の伝統「伊作太鼓踊り」
日置市吹上町に伝わる民俗芸能で,県の無形民俗文化財に指定されています。

伊作太鼓踊りの由来にはいくつかの説がありますが,一説には,応永13(1406)年,伊作島津氏4代当主の久義が,田布施郷の二階堂氏を降伏させた際に考案された,戦勝の踊りと伝えられています。

踊りは,唄い手数人と,中打ち4人,平打ち20~24名で行います。
矢旗を背負って勇壮に踊るのが「平打ち」で,白装束に草履を履き,竹を編んだ2メートルほどの矢旗を高く掲げ,薩摩鶏の羽を背負い,胸に太鼓をつけて勇壮に踊ります。

平打ちの輪の中で踊るのが,「中打ち」で,2名が稚児姿,2名が女装姿。美しい花笠をかぶり,華やかで可愛らしい姿で,かねや小太鼓を鳴らします。この中打ちは小中学生だそうです。(引用終わり)

昨年より観客はやや少なめ


大きな矢旗を揺らして踊る勇壮さが人気で、例年多くのカメラマンが集まります。種子島のロケット打ち上げ予定時刻と重なったためか、テレビ取材は1社だけのようでした。

神事関係者、踊り一行に付き添う家族が大半でカメラマン以外の一般観客は少数のようでした。

境内での踊り


南方神社では全ての踊りが奉納されますが、それ以外では一部が踊られるだけで、平打ちの太鼓も半分の人数で踊ることが多いようです。

場所的制約もあり踊り子の体調保持の上からもやむを得ないことです。

鳥居側からの奉納風景


踊りの最終盤では太鼓の「平打ち」が円形から2列に並びなおし、力一杯に太鼓を打ち鳴らし境内から退出する「引き太鼓」は特に勇壮です。



踊りは最高潮に達し、鳥居前にカメラマンが殺到します。猫に鰹節のような状態で、思い通りの撮影が難しいのは致し方ないところ。

9時49分 社殿側からの風景


多くのカメラマンが陣取る場所で、階段から踊りを俯瞰で見られるため人気のようです。

撮影の都合だけで言えば南方神社での奉納風景が一番写しやすく、奉納踊りには力がこもっていて見ごたえがあります。

2日目朝方の大汝牟遅神社(おおなむち)神社境内の踊りも広い場所で背景が良くて好きです。

それ以外の場所に付いて回る「追っかけ」は、踊り関係者の移動や駐車に邪魔にならないよう配慮が必要です。

強い日差しが一時的に雲に隠れた


南方神社の境内は大きな木立に囲まれて真夏の日差しが差し込むので明暗差が大きく、写しにくいのがやや難点です。

今年も動画を数回記録しましたが、一眼レフカメラでの動画撮影に気付く人は少なく、人が映り込みますが気に掛けないことにしています。

10時15分 麓公民館横で休憩


南方神社から参道を歩いて、木陰の続く坂道を下った所で休憩です。今年もあちこちの門口に日の丸が掲揚されていました。

近くには地元ラジオ局MBCの中継車が止まっていました。一行は次の会場である多宝寺跡までは車に分乗して移動します。

10時50分 多宝寺跡での踊り


暑さのため殆どのカメラマンは木陰から撮影していました。「引き太鼓」では数名が目の前に集まってきました。



11時7分 次の場所へ移動


平打ちの若者たちは2台の大型車荷台に乗って次の会場へ移動して行きました。

わずか2か所の撮影で汗まみれで疲れ切ってしまいました。

今朝6時集合の踊り一行は夕方まで踊り、明日も6時半集合で17時頃まで30か所ほどの踊り日程が組まれています。

暑い中、大変お疲れ様でした。今年も元気な太鼓踊りを見せて頂きありがとうございました。

この後は日置市役所吹上支所で開催中の、鹿児島フォトサロンさんの写真展を鑑賞して日置の実家に向かいました。
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花浄土/鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。