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花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
(季節の花、吹上浜、桜島、霧島など)

午後はさらに暑い 伊作太鼓踊り 2025/08/28(鹿児島)

2025-08-29 17:06:38 | 祭り・伝統行事
8月28日(木)伊作太鼓踊りを2か所撮影後は日置へ帰りました。

野菜園横のランタナ(刈込後) 以下の画像は8月28日に撮影


道沿いのランタナが茂って道路側にせり出していてビックリ。放置することもできず、素手で小さな剪定鋏を握って刈り込みました。

冬の寒さにはとても弱い南方系植物ですが、高温と乾燥には全く影響されず、少々の剪定など全くの一時しのぎです。

切った枝先を集めて片付ける頃には汗が噴き出し、ぽたぽたと流れ落ちました。

手前のナスだけが生き残る


アバシゴーヤの新しい苗を植えたものの、雨不足と酷暑で完全に枯れていました。

ナスもどうにか生き残る程度で、負担を減らすため枝先の実をすべて切り落として捨てました。

唐芋(サツマイモ)も獣害を受け、その後植え替えたものは雨不足ですべて枯れて今年は全滅でした。こんなことは初めてで残念ですが、自然の雨に頼るだけで水掛しなかったことが原因であり自業自得です。

13時3分 夏雲が湧く吹上浜日置海岸


浜の様子は台風12号の影響は見られず、普段より河川ゴミが少し多い程度でした。高波もなかったようで砂山の新たな浸食は見られませんでした。

見回すとあちこちに夏雲が湧いています。予想外の作業に手間取り昼食は摂れないまま、午後の伊作太鼓踊りに向かいました。

13時39分 大汝牟遅神社 (おおなむちじんじゃ)


13時半の予定が少し遅れて踊子が到着しました。最初の場面から撮影できて幸いでした。

境内での踊り


かつては日程二日目の一番が大汝牟遅神社でした。8時頃からの奉納でひどい眩しさはなく、撮影には好都合だった気がします。

矢旗の大きな影が面白かった


すでに午後の日射しですが眩しさは変わらず、矢旗の動きが面白く見えたので社殿の東側から撮影しました。

勇壮な動き


若者たちの力強い踊りが美しく、瞬く間に数曲の踊りが終わりました。

14時4分 特に人気がある引きの場面


2つの列をなして勢い良く太鼓を打ち鳴らして退出する場面で、カメラマンが多く集まります。

14時6分 これまでと様子が違った


太鼓を力強く打ち鳴らして南側の鳥居に向けて退出する場面ですが、途中に群がった見物人とカメラマンが勢いを止める形で踊りはしりすぼみとなりました。

次の会場への移動もあるため、少し早めに踊りを切り上げた形で残念でした。暑い中を力強い踊りを見せて頂きありがとうございました。

珍しい赤貝と浜砂の奉納


地元でオトッゲと呼ぶ赤貝に吹上浜の砂を盛って奉納されたものです。この風習は他では見られない、吹上地方独自のものです。

14時18分 千本楠 神社参道の東側にある


楠の巨木が自然のままに残された小さな森です。本数は少ないですが、CMやドラマ撮影で知られる面白い場所です。

14時37分 ようやく休憩昼食


この後も19時過ぎまで踊り一行は吹上地域内を巡りますが、追いかけて行く元気はなく3か所の撮影で切り上げました。

午前中撮影した多宝寺跡に通じる道を走ると、途中で大きな木陰と広い場所があり昼食。南東方向を見ると金峰山(636m)の姿がありました。

車で走っていると気付くことのない、まさに一期一会の風景でした。

帰りは伊作峠を越えて高速道路に入ると雨が降り出し、鹿児島市小野町付近では前方が見えにくいほどの激しさでした。

短いトンネルを抜けると雨は全く降っておらず、帰宅すると車体の水滴がわずかに残る程度。汗まみれになりましたが、今年も伊作太鼓踊りの撮影ができて幸いでした。ご一緒したカメラマンの皆さん、お疲れ様でした。
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伊作太鼓踊り 和田保存会 2025/08/28(鹿児島)

2025-08-29 14:26:41 | 祭り・伝統行事
8月28日(木)日置市吹上町の伊作太鼓踊りに出かけました。

9時17分 南方神社での奉納 以下の画像は8月28日に撮影


駐車に手間取り、境内に着くと神事が終わって踊りが始まっていました。今日は8時から19時過ぎまで、吹上地域内の19か所を回ります。かつての2日連続日程と同様に、強行日程です。

伊作太鼓踊りについて、日置市のイベントカレンダー記事を引用して紹介します。

伊作太鼓踊は、日置市吹上町に伝わる民俗芸能で、県の無形民俗文化財に指定されています。6地区の保存会が毎年交代で担当し、8月28日に南方神社の大祭に奉納し、その後吹上地域内で披露します。

踊りは、「平打ち(20人程)」と「中打ち(4人)」と「唄い手(数人)」で構成されます。「平打ち」は、白装束に草履を履き、竹を編んだ約2メートルの矢旗を高く掲げ、薩摩鶏の羽を背負い、胸に太鼓をつけて勇壮活発に踊ります。

その総重量は約20キロと非常に重く、家族や地域住民が団扇で仰いだり水を渡したりと、一体となって踊りを支えます。平打ちの輪の中で踊る「中打ち」は、小中学生が担当し、2名が稚児姿、2名が女装姿となり、美しい花笠をかぶり華やかで可愛らしい姿で、かねや小太鼓を鳴らします。

階段上の社殿側からの踊り風景


踊りの由来は諸説ありますが、応永13(1406)年に、伊作島津氏4代当主の久義が田布施郷の二階堂氏を降伏させた際に考案された「戦勝の踊り」と伝えられています。

南方神社への奉納は、天文7(1538)年に、島津忠良が加世田別府城を攻略したときに、諏訪神社(現在の南方神社)に奉納するようになったと伝えられています。南方神社には、奉納を行うための広場があり、神事が行われた後、奉納踊りが始まります。

踊りが始まると、平打ちの太鼓、中打ちのかねが鳴り響き、平打ちは矢旗を地面に着くほど振り、太鼓を演奏しながら踊ります。(引用終わり)

木洩れ日は美しいが 明暗差がきつい


曇りの日が写しやすいところですが、朝から強い真夏の日射しが照り付けています。県内各地に伝承されている太鼓踊りのなかでも人気があり、シニア層のカメラマンが多く集まります。

報道関係の取材もあり撮影に熱中するうちには、画角内に写り込んで邪魔し合う様子もありますが、年に一度のことでお互いさまでやむなしです。

9時40分 鳥居の前で「中打ち」


2名が稚児姿(かね)、2名が女装姿(小太鼓)で今年も人気でした。

ちょっとした撮影会


多くのカメラマンが取り囲み、ごく短時間でしたが撮影会のようになっていました。

次の会場へ移動


途中にある花がきれいな野菜園では後ろの方に大きなススキがあり、季節の移り変わりを感じました。

10時3分 多宝寺跡(伊作島津家菩提寺)


早速踊りが始まり、今年は南側の木陰から数カット撮影しました。

木の枝が邪魔していた


8月21日に急に発生、日置市に上陸した台風12号の影響でしょうか。木陰ではぬかるみもあって、場所を移らずにごく短い動画も記録しました。

10時12分 踊りは10分ほどで終わり


2日間日程での踊りに慣れているため、早々と終わってしまった感じです。コロナ禍を経験して、毎年の酷暑もあり踊りの開催時期変更が検討されたこともあるようです。

10時15分 次の会場に向かう


トラック2台とマイクロバスに分乗し踊りの一行は次の会場に向かいました。随行家族はそれぞれの車で、先回りしているようでした。

暑い中での同行撮影はきついので、一旦は日置の実家に戻り、午後に出直すことにしました。
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雨男になった 入来太鼓踊り 2025/0824(鹿児島)

2025-08-25 20:03:05 | 祭り・伝統行事
8月24日(日)雨の中を市来川上から、薩摩川内市の入来へ向かいました。

10時35分 薩摩川内市の入来麓交流館前広場


冠嶽神社前の道を市比野温泉側に向かうと、いつの間にか雨は止みました。

ここでの太鼓踊りは10時からの予定でしたが、まだ続いており後半部を撮影できました。

下手一本矢旗太鼓踊り 長い矢旗と頭の赤い被り物が特徴




次第に雲が増えてきた


あちこちでご一緒するカメラマンさん


こちらでお会いしたのはNさんとHさん。川上から雨の中を駆け付けたと話すと、雨男なんじゃないのと言われて苦笑。

二つの太鼓踊りはこの先も入来地区内を回るとのこと、彼らは先回りしたのかいなくなりました。

巡回先などが判っていない私はこの場で撮影を継続。欲張って川上に続く2か所目撮影でやむなしです。

10時46分 朝陽太鼓踊り朝穂会の踊りが始まる


背後の建物は薩摩川内市の入来支所です。入来麓地区について鹿児島県観光サイトから引用紹介します。

入来のほぼ中央部に位置する麓地区は、四隣に威を振った薩摩藩随一の堅城(山城)である清色城を中心に川原石を使った玉石垣による整然とした区画割、武家屋敷門(茅葺門)、大手門前の濠や広馬場、下門口を備えたお仮屋跡など多くの史跡・文化財が残っています。

近世になって整備された街路と地割が旧態をとどめ、屋敷割りもよく残っていて歴史的価値が高いとされています。

入来麓は薩摩藩麓の一つで中世の名残を残す町並みとしてよく保存されていることから、2003年12月に鹿児島県では知覧武家屋敷群、出水麓武家屋敷群に次いで国(文化庁)の重要伝統的建造物群保存地区(武家町)に選定されました。(引用終わり)



踊りは加治木や蒲生の太鼓踊りに近く、幼児も鉦叩きに参加してにぎやかでした。

東の空 怪しい雲行き




観客席にはテントが張られ大きな送風機もあり、暑さ対策がされていました。

11時 踊りが終わった 頑張ったね ご苦労様


この後に雨が降り始めました。冗談のように言われたとおりになってしまいました。

11時9分 近くの源正寺に貼られていた日程表


雨に濡れながらお寺に立ち寄ってみました。本堂では法事が行われているようで、11時からのお寺での踊りは中止でした。

この先の踊りの場所が判らず、雨の中を無理に探し回ることはやめて帰途に就きました。

間もなく雨は止んで入来峠から鹿児島市までは晴れ間も見えていました。

12時12分 自宅庭先 ノウゼンカズラ


雨上がりでノウゼンカズラの花についた水滴がきらめいていました。各地の雨は狭い範囲の短時間なもので、雨男も一時的な笑い話でした。

先日のような大雨ではなく、川上と入来の太鼓踊りを撮影できて幸いでした。

入来では予想通り、先に元村の諏訪神社での奉納踊りがあることが判りました。来年も川上の踊りと日程が重なるとしたら、入来の太鼓踊りを先に撮影したいものです。
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夏の朝 市来の川上踊 2025/08/24(鹿児島)

2025-08-25 15:50:41 | 祭り・伝統行事
8月24日(日)今年も、いちき串木野市の川上踊撮影に出かけました。

8時17分 長田(おさだ)神社 以下の画像は8月24日撮影


地元消防団の誘導で県道片側に車を止め、水田の中を歩くこと数分、8時開始の踊りはかなり進んでいました。

ごく小さな村社


神社境内は高い木立に囲まれているため薄暗く、日射しの強い日は明暗差が激しくて撮影しにくい面もあります。

踊り手の家族が団扇で風を送る


今年は三脚を利用したので低速度シャッターでも撮影できましたが、やはり踊子の動きがぶれすぎて今一つでした。

ごく短い動画撮影には効果的でした。鉦と太鼓、踊り子の掛け声など短時間でも良い思い出になります。

若者が中心の踊り


400年の伝統があり、戦時中に途絶えていたものを昭和39年に復活、地域で大切に守り継がれてきました。

毎年8月下旬の日曜日にいちき串木野市の川上地区内にある長田神社、諏訪神社、葛城神社そして川上小学校の順に踊られています。

23番までの楽譜を踊る




短いものでは1~2分程度ですが、踊りは変化に富んでおり鉦と太鼓を打ち鳴らしながら勇壮華麗なものです。

8時42分 踊りが終わった ご家族の方もご苦労様です 次の会場へ移動




今日のカメラマンは10名ほどで、写友会の指導に長年携わっておられるHさん、同級生のT君と一緒になりました。

良い機会なので次の諏訪神社にも行くことにしました。20年ほど前に一度行っただけで記憶が薄いものでしたが、祭りの幟旗に従ってたどり着きました。

諏訪神社近くに咲いていたカノコユリ


最近ではちょっと前のことでも記憶力が弱くなりました。電灯を消したか、水道をきっちり止めたかなど母が気にしていたことを思い出します。

ぼんやりと思いだした


帰宅後グーグルマップで周辺の位置関係を調べると、諏訪神社から山を挟んで南東方向に岩屋観音があり、その東側には市来観音ケ池市民の森が広がっていました。

諏訪神社 階段道の参道


せっかくなので車が通れる脇道ではなく階段を上がりましたが、途中で息が切れて一休みしました。

9時16分 紙の灯篭 踊りの準備中


社殿前から踊り風景


ここは二つの鳥居が並ぶ珍しい神社です。鹿児島県内に12か所ほどあるようです。

境内は長田神社よりも広い


ここは境内が広めで踊りが一段と見映えがします。社殿側は2mほど高くなっていて撮影には好都合です。

9時41分 いつの間にか日射しが消えていた


雨が降らずに幸いと思っていましたが、急に日射しがなくなりやがて降り出しました。

今日は入来でも太鼓踊りがあるため、中途半端になってしまいましたが雨に濡れながら車に戻りました。

大降りではなかったものの、踊り一行の方々も苦労されたかもしれません。今年も元気な踊りを見せて頂きありがとうございました。
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今年の太鼓踊り 加治木は中止 2025/08/13(鹿児島)

2025-08-13 16:28:14 | 祭り・伝統行事
鹿児島の伝統行事である太鼓踊りについて、8月の開催予定日などをネットで調べてみました。

主催者や地元自治体などの情報です。(詳細についてはそれぞれの団体に確認してください)

1 加治木太鼓踊り 姶良市加治木町 姶良市観光協会公式サイト
  例年お盆明けの8月16日に姶良市加治木町内で開催されますが、今年は中止が決定、延期開催もないとのこと。

2024年 春日神社に奉納


2 蒲生太鼓踊り 姶良市蒲生町 姶良市ホームページ
  これまでは8月21日開催でしたが、今年から10月第一土曜日に変更

  10月4日(土)午前9時から辻通りで開会式

  蒲生の北・下久徳・川東、姶良の春花の4地区の保存会が太鼓踊りを披露
  辻通りでは春花地区の一丁太鼓、4地区の道太鼓を披露
  道太鼓終了後は蒲生八幡神社で庭踊りを披露
 
  駐車場は大楠運動公園球技場・蒲生公民館
  (蒲生支所駐車場は駐車できません。) 

2024年 辻通り


3 川上踊 かごしま県公式ホームページ
 百数十年前、五穀豊穣と平和を祈念して創始されたと伝わる踊り。鐘4人、太鼓14人の踊り子がそれぞれを奏でながら跳び回わります。

 8月24日(日曜日)8時00分 いちき串木野市川上地域
  (1)長田神社 (2)諏訪神社 (3)葛城神社 (4)川上小学校

2024年 長田神社


4 羽島太鼓踊り(南方神社太鼓踊り) かごしま県公式ホームページ  
 太鼓16人、鉦4人の踊り子が軽快な調べとともに踊り、現薩摩川内市東郷町の山田楽を取り入れたものと言われ、「楽」と「山田楽」が存在します。

 8月24日(日曜日)10時00分 いちき串木野市羽島地域
  (1)集荷所 (2)南方神社 (3)悟入寺(4)浜のお寺の公園 (5)羽島小校庭

2024年 羽島南方神社


5 入来太鼓踊り サウンド川内ページ
  第10回 入来楽市「太鼓踊りを応援しよう!」
  期日 8月24日(日)10時開催
  場所 薩摩川内市入来町 入来麓交流館前広場
  ①副田楽下手一本矢幡太鼓踊り ②朝陽太鼓踊り 

2017年 元村鉦踊り 入来町の諏訪神社


6 伊作太鼓踊り 日置市ホームページ
  伊作太鼓踊は、県の無形民俗文化財に指定されている日置市吹上町に伝わる民俗芸能です。
  6地区の保存会が毎年交代で担当し、令和7年度は和田保存会が南方神社の大祭に奉納し、その後吹上地域内で披露します。

  日時:8月28日(木曜日) 行程 場所:日置市吹上町一円
  1 ふもと公民館 午前8時10分
  2 南方神社 午前9時
  3 多宝寺跡(伊作島津家菩提寺) 午前10時
  4 西酒造工場敷地 午前10時30分
  5 そば茶屋吹上庵吹上店駐車場 午前11時
  6 東本町公民館 午前11時30分
  7 日置市役所吹上支所 正午 
  8  大汝牟遅神社 午後1時30分
  9  野首地区公民館 午後2時
  10  中田尻公民館 午後2時30分
  11  花熟里公民館 午後3時
  12  馬場病院駐車場 午後3時30分
13 吹上学園駐車場 午後4時
 14 新湯温泉駐車場 午後4時30分
 15 JAさつま日置吹上支所駐車場 午後5時
 16 入来公民館 午後5時30分
 17 馬場商店前(上中之里) 午後6時
 18 つばめ機動建設跡地(窪田) 午後6時30分
 19 和田小学校 午後7時

    注:予定時刻は多少前後することや予告なしに変更することがありますのでご了承ください。

  8月28日と29日の2日開催でしたが、最近1日に短縮されたようです。

2024年は台風で日程延期 9月21日開催


過疎高齢化で伝統行事の継承は大変厳しい状況ですが、今年も多くの太鼓踊りが予定されています。

昨年同様に暑く長い夏ですが、身近なところの踊りをご覧になりませんか。

8月24日(日)はいちき串木野市の川上地域、羽島地域、薩摩川内市の入来地域で太鼓踊りが予定されています。詳細は主催者などに確認をお願いします。      
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今年も暑い 竹田神社の夏祭り 2025/07/23(鹿児島)

2025-07-24 14:48:42 | 祭り・伝統行事
<はてなブログへの引越>

ブログ引越作業が終わったようで、gooブログを利用し始めた2013年からの記事と画像の殆どが、はてなブログに引き継がれました。

はてなブログ「花浄土鹿児島」はこちらからご覧ください。なお、当分の間は新しいブログに慣れるために、gooブログとはてなブログに同じ記事を投稿します。

季節の花巡りが主体となっていますが、今後とも花浄土鹿児島ブログをよろしくお願いいたします。

7月23日(水)南さつま市加世田の、竹田神社夏祭りに出かけました。

10時36分 社殿では神事が続いていた 以下の画像は7月23日に撮影


毎年7月23日開催と気付き、前日の農業センターに続く撮影です。朝方は日置に立ち寄り、ナスに水遣りなどしました。

10時40分 神前の舞を終えて記念撮影


周囲に人が多く内部は薄暗くて、舞の様子は写せませんでした。舞を終えて木陰での記念撮影の際、お願いして撮影させてもらいました。

境内に飾られた灯篭


竹田(たけだ)神社の祭神は島津氏中興の祖、島津忠良公です。号は日新斎(じっしんさい)。日新公(じっしんこう)としても知られています。

明応元年(1493年)~ 永禄11年(1568年)を生きた薩摩の戦国大名。島津氏の分家・伊作島津家の出身(伊作は現在の日置市吹上町)です。

元々は祭神の菩提寺である日新寺がこの地に建っていましたが、明治2年(1869年)12月に廃仏毀釈により廃寺となり、代わりに竹田神社が創祀されました。

大きな枝を伸ばす楠


国道側に覆いかぶさっていた大枝は、安全対策のため伐採されていました。

10時55分 神社向かいの用水路に設置された水車からくり


水車の動きでゆっくりと人形が回る、「日新公と戦国島津の英雄たち」です。

11時2分 出店の設置が始まる


出店を見ると幼い頃を思い出します。小遣いをもらって駄菓子を買い、くじ引きでは期待の一等賞はなかなか当たらず。

真夏でもあり、売り上げが伸びるのは午後から夕方なのでしょう。

11時33分 士(さむらい)踊りが始まった


士踊りは二部に分かれていて、最初11時半前に稚児踊りが境内に姿を現しすぐに退場、その後は二才(にせ・青年)踊りです。踊りの振り付けや歌詞は厳しく、ゆっくりした動きの中で、紛れ込んだ間者(スパイ)がいないか確かめる踊りと言われています。

神社の森と青空が美しい


ゆっくりとした踊りで撮影はどうしても全体の動きを写す形になりました。望遠レンズを使って踊り手の表情を細かく狙っても面白そうですが、真夏の強烈な太陽が殆ど真上にあり顔の表情などは写しにくそうです。

スローシャッターで写したが


三脚を使って部分的にはスローシャッターでも写しましたが、広角風景では効果的ではなく、次回は望遠レンズで試したいものです。

11時54分 こちらは稚児踊り


20分ほどの二才踊りの後、11時50分頃から10分ほどの稚児踊り。子どもたちが手に持った太鼓を打ちながら、主に丸い輪を描きながら踊ります。こちらは動きが少し早く、丸く輪を描く場面を多く写しました。

今日も写真仲間に声を掛け合い、近況など語り合えてうれしいことでした。地元のMBCテレビ以外にも、祭り番組制作スタッフを多く見かけました。

故郷の真夏の祭り


多くの子供たちが参加しており、木陰から家族が見守っていました。大切な故郷の思い出としていつまでも心に残ることでしょう。

一時的に雲が広がる程度で真夏の日射しは強烈でした。祭り関係者の皆様、お疲れ様でした。今年もありがとうございました。

12時11分 島津日新公のいろは歌


島津日新公が残された歌が石に刻まれ、林の中の道沿いに並んでいます。

最初の「い」の歌は多くの人が耳にしたことがあると思います。

いにしへの 道を聞きても唱へても わが行ひにせずば かひなし

(大意)昔からの立派な教えをいくら聞いても、またどれだけ口先で唱えても、自分で実行しなければ何の役にも立たない。

まさにその通りで、自らを振り返ると恥ずかしい気持ちになります。来年も夏祭りを楽しめるよう健康第一で、日々を大切に過ごしたいものです。
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スグロドン祭り 次郎次郎踊り 2025/03/02(鹿児島)

2025-03-05 16:30:57 | 祭り・伝統行事
3月2日(日)午前の太郎太郎踊りに続き、午後は次郎次郎踊りです。

13時53分 射勝神社 薩摩川内市水引町 以下の画像は3月2日に撮影


気になっていた雨は降らず、予定通り神事が始まろうとしていました。神社周辺道路の駐車車両は昨年より少なめでした。

射勝神社(いすぐるじんじゃ)は地元ではスグロドン(射勝殿)と呼ばれ親しまれています。毎年3月初旬に奉納される農耕田園劇が次郎次郎踊りです。

14時12分 神社の裏手では太い薪が燃やされていた


午前中の太郎太郎踊りと同様の踊りですが、演者は手拭いで顔を隠したままの無言劇のため誰が演じているのか判りません。

田打ちでは祭りの見物人を虫に見立て、火のついた太い丸太(トッゴロ)の煙で追い払い、後半にはコッテ牛(雄牛)も登場して暴れ回る荒っぽい祭りです。

演者の動きに気を配らないと、撮影に熱中しているカメラマンのすぐ近くに迫ってくることもあります。

14時14分 境内での神事


カメラマンが多く集まり演者が動きにくいとのことで、今年は西側の長椅子席は使われませんでした。

14時30分 虫を追い払う子供たち


踊りの始まりに子供たちが木の枝を振って虫を追い払う仕草をします。

14時34分 テチョ(丁長)が登場


煙の出るトッゴロを担いで丁長が現れました。田圃への水の取り入れなどした後、キセルたばこで一服します。

トッゴロで虫を追い払う


トッゴロを地面にこすりつけて虫を追い払う仕草をします。煙の出が悪く、この後煙がよく出る新しい丸太と交換されました。

14時43分 息子たちが操る牛が登場


前後に人が入った大きな牛が現れ、息子たちとともに田んぼを耕します。無言のまま観客にも接近して暴れ回ります。

14時48分 見物人を虫と見立てて追い払う仕草


息子たちは丁長よりも元気のある乱暴者、あちらこちらで観客、カメラマンが火と煙から身を避けています。

子供たちは鳥居の辺りまで追われたようで可愛い悲鳴が聞こえました。

14時51分 お嫁さん登場 この後子供が生まれる


田打ち作業が終わるとお嫁さんが現れ、抱き合うとほどなく子どもが生まれます。この場面は午前中の太郎太郎踊りと同様です。

14時52分 落花生が撒かれて祭りはお開きに


子供が生まれてお祝いに落花生が撒かれ、観客が拾い集めていました。写すのに夢中で、今年は落花生を拾えませんでした。

草道郷土芸能保存会の皆様には、今年も元気の出る次郎次郎踊りを見せて頂きありがとうございました。

今日は薩摩川内市の久見崎諏訪神社でも、久見崎次郎次郎踊りが奉納されました。今回は久見崎に行く予定でしたが、阿久根市大川地区の梅巡りで遅くなり行けませんでした。

巫女さんの神舞が奉納された2014年の次郎次郎踊りについては、こちらからご覧ください。
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暖かい日 高江太郎太郎踊り 2025/03/02(鹿児島)

2025-03-03 18:20:16 | 祭り・伝統行事
3月2日(日)薩摩川内市高江町の南方神社で踊りが奉納されました。

9時43分 白梅が花盛り 野菜園の春耕作業


神社近くのお宅でお願いして白梅と共に撮影しました。駐車場所は昨年と同じですが、すぐ近くにはイノシシ罠の鉄籠が置かれていました。

面白そうに見えたが今一つ


緩やかな参道の坂道を上がり観客が境内に入る場面ですが、カメラモニターで見たほどではありませんでした。

9時53分 出演者紹介 牛役の若者が人気


10時前から神事が始まり30分ほども続きました。その間にも参加者は社殿前で整列して待つので大変なことです。

以前は裸足だったようですが、足元は薄い地下足袋や運動靴でした。

社殿裏 祭りで使う太い薪の準備が進む


神事が終わるまで声を立てる人は殆どおらず、観客も皆一様にじっと待っていました。

手持無沙汰もあり、裏手に行き火を燃やす人たちと世間話をしました。1970年(昭和45)当時大阪で工事技師として働き、日給が3500円だったとのこと。

西鹿児島~大阪の国鉄運賃が3000円だったような記憶があります。新幹線が岡山まで伸びたのは1972年。多くの幹線では、まだブルートレインなどの特急が花形でした。

当時は高度経済成長期で社会全体が活況を呈し、千里丘陵での大阪万博には6400万人もの観客が集まり、大人の入場料が800円、平均月収は5万円。自然と三波春夫さんの歌「 世界の国からこんにちは」の一節が口に出ました。

今年の万博はどうでしょうか。目がいくつもある気味の悪いキャラクターがまるで裏目に出たように、前評判はさっぱりです。

大きな赤字を出して後始末の押し付け合いになりそうで、全く関心もありません。50年以上を経て、もう一度あの感激を味わいたいと期待していただけに残念です。

可愛い取材者姉妹 


お母さんと一緒のようで、お姉さんは小さな手帳を持ちメモを取り、妹さんはスマホを手にしていました。

10時39分 神主さんの掛け声で一斉に田を耕す


太い木の枝で作られた鍬で田打ちの様子を演じます。

子供たちも踊りに参加


担いだ鍬に木の枝をひっかけようとしますが、思うように動かせない場面です。

休憩で焼酎を飲み始めた


地元名産の焼酎のようでした。何杯も飲んでいたので寒い日には楽しそうです。今日は特に気温が高く最高気温は川内で24.5度、鹿児島で23.9度でしたが、幸い雨は降らずにすみました。

暴れ牛に手こずる


元気な牛は境内を走り回り、思い通りに農作業をしてくれません、ついには観客の輪を突き破るようにして神社の外へ逃げてしまいました。

牛に驚いて境内に戻る子供たち


逃げた牛を追って子供たちが階段の方へ走って行きましたが、牛に追われて境内へ逃げ戻ってきました。

子供たちの楽しそうな様子が可愛いものでした、今日の出来事は幼いころの大切な思い出になることでしょう。

田園劇は終盤


神主さんがお祓いをした後、子どもが生まれる場面があり、地元の風景を歌います。

今年も多くのカメラマンが集まり、取材の動画記録だけでなく多くの方がスマホを向けていることもあり、思い通りの撮影は殆どできませんでした。

私も周りの方の邪魔になっていたと思いますが、一緒に祭りを楽しめたことだけで十分ありがたいことです。

裸足で演じていた2014年の太郎太郎踊りについては、こちらからご覧ください。

米が撒かれた


豊作と皆の健康を願いながら神主さんが大きな声で何度も米を撒き、祭りは終わりました。

例年よりもずっと気温が高く、心配された雨が降らず何よりでした。保存会の皆様方には、今年も祭りを見せて頂きありがとうございました。良い一年でありますようにと願いながら、写友と共に神社を後にしました。
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花野町内会 鬼火焚き 2025/01/12(鹿児島)

2025-01-14 20:39:58 | 祭り・伝統行事
1月12日(日)昼間の小雨が上がり、夕方には鬼火焚きがありました。

1月7日の様子 鹿児島市岡之原町 花野地区の水田


昭和の頃の鬼火焚きは子供たちが中心になって孟宗竹で櫓を組み、正月明けの門松などの飾りも一緒に焼いて、一年の健康や豊作などを願う行事でした。

現在は地域の団体が主体となり、多くの人が集まる大掛かりな櫓も見かけます。夜間開催が主ですが、かつては昼間や朝方開催の所もありました。

壮年~高齢者主体で準備を行い、鬼火焚き当日に地域住民が参加する形が多いようです。

7日開催が多いので出かけましたが、案内板には12日(日)18時半点火とありました。

7日 門松が持ち込まれていた


7日夕方には田んぼの櫓に、近所の人たちが門松や正月飾りが持ち込んでいました。

12日18時3分 今夜が本番 以下の画像は12日に撮影


日没は17時34分、車に積まれた発電機で灯りが付けられています。まだ人は少なく関係者が準備をすませて時間待ちの状態でした。

道路から田んぼに下りる坂道には、竹の小さな灯篭が並んでいました。

田圃で、ぜんざいが振舞われたころもありましたが、コロナ禍以降は取り止めになったようです。

18時23分 暗くなって月が目立つ


今日は旧暦の12月13日、月齢は12.2、満月は14日です。見た目には真ん丸で雨上がりの空にスッキリと目に付きました。

昼間に小雨が降ったこともあり、今年は人の集まりが少し遅いようでした。

18時30分 すぐに火は櫓の上に


予定通りの点火でしたが、1分もかからず櫓の上にまで火が駈け上りました。例年櫓が組まれるのは12月下旬で、その後雨が少なかったのでよく乾燥していたようです。

18時32分 火の勢いが一番強い時間帯


風が弱く火柱は真上に伸び、竹がはじける音が響き渡りました。火の粉が風に流されることもなく見事でした。

何度か鬼火焚きを見ていますが、よく乾燥しているとごく短時間で炎の状態は最高潮に達するため、撮影ポイントを変えたい場合は素早い移動が肝心です。

観客の塊の中にいると移動が難しいので、あらかじめ移動経路や足元を確かめておくと安心です。

今回は撮影時のカメラブレを最小化するため、三脚を使い足元はゴム長靴にしました。水田は軽く耕されていて足がめり込んだので、ゴム長靴が正解でした。

18時34分 火の粉は少なくなったが火の勢いは良い


笹や木の葉などが燃え尽きたのか火の粉が少なくなりました。炎は勢いの良い状態が続いていますが、勢いのある炎の表情変化が、見た目ほどには写っていません。

夜なのでカメラの感度を上げてもシャッター速度が早くできず、あれこれ設定ダイヤルを回しながら写すうちにはピンボケ画像も多く、炎の色もまちまちになっていました。

撮影直後の画像を見ながら、シャッター速度、感度、絞り、明るさの調整などするのですが・・・火の勢いが良いうちに一枚でも多く写すために、各種設定の良し悪しを考えることよりも・・・とにかくシャッターを押すことを優先しました。

18時38分 火の勢いが安定してきた


この時間帯が一番観客も多く、火の勢いも良いようでした。次々に変化する炎の表情を捉えるべく何枚も写しましたが、どれも似たようなもので今一つでした。

18時41分 道路側の高い位置から撮影


火の勢いが落ち着いてきて周囲に積まれていた枯木や、正月飾りなどを投げ入れる様子が見えました。

18時43分 いつの間にか観客が少なくなった


周囲の燃え残りを中に移して少しずつ片付けていく段階です。一部では竹の先に餅をつけて焼くような様子もありました。

点火から13分、まだ周囲には準備された竹や枯枝、藁の束が残っていました。
少しずつ炎の勢いが弱まりますが、安全にすべて燃やして片付が終わるまでには相当な時間がかかりそうです。

毎年素晴らしい伝統行事を見せてくださる花野町内会の方々には感謝、感謝です。インフルエンザに気をつけて、今年も元気で過ごしましょう。
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選挙前日 妙円寺詣り行事 2024/10/26(鹿児島)

2024-10-29 17:16:27 | 祭り・伝統行事
10月26日(土)日置市伊集院町で妙円寺詣りの行事がありました。

13時41分 今日はカーボン三脚を利用 以下の画像は10月26日に撮影


今日は日置市伊集院文化館に車を止め、行事開催地の徳重神社まで900mほどを歩きます。

9月の伊作太鼓踊りで三脚を担いだ後の肩こりが気になり、殆ど未使用のカーボン三脚を思い出して引っ張り出しました。

普段使うアルミ製と違って格段に軽く、安定性や強度は若干気になりますが、カメラ位置の調整がしやすく便利でした。

母校前から神社方向へ歩く 有馬中将の墓地石碑


伊集院高校の正門近くに鹿児島交通のバス車庫があり、徳重神社方向へは昔からの道が残っています。

道沿いのお寺跡地は墓地になっており、昭和19年に「特攻の魁」となり散華した有馬中将の墓があります。

14時ちょうど徳重神社 大田太鼓踊りが終わった


行事日程が判らないまま神社に近づくと鉦と太鼓の音が響てきました。先着カメラマンさんの話では例年よりも少し早めに行事がスタートしていました。

明日27日の衆議院選挙投票日が影響しているのか、徳重太鼓踊りは先に終了し、大田太鼓踊りが今終わったところでした。

14時7分 妙円寺詣りの歌 暗唱披露 関ケ原の戦いの様子などを歌う


高校の頃まで何度も口にした歌で、二十二番まであり 一番の歌詞は

明くれど閉ざす雲暗く 薄(すすき)かるかやそよがせて 嵐はさっと吹き渡り 万馬いななく声高し

妙円寺詣りについて鹿児島県観光サイトから引用して紹介します。

鹿児島市内から日置市伊集院町までの約20kmの道のりを歩いて参拝する伝統行事。敵中突破後苦闘の末、帰還を果たした島津義弘公をしのび、泰平の世に士気を鼓舞し、心身の鍛錬をするため、鹿児島城下の武士たち(庶民は明治以降)は関ヶ原の合戦前夜の9月14日(旧暦)、往復40キロの道のりを鎧・兜に身を固め、夜を徹して義弘公の菩提寺である妙円寺に参拝し始めました。

明治初期の廃仏毀釈で徳重神社に変わってからも参詣は続きました。やがて、鹿児島3大行事として受け継がれますが、県民性の欠点である忍耐姓や持続性の不足を補うものとして大きな意義があります。現在は郷土芸能の奉納や武道大会、家族連れで賑わうウォークリーなど、5万人を越す人出でにぎわいます。(引用終わり)

14時25分 錬心舘空手の演武


大きなテントが設営された観客席を正面とした演武


これまでは社殿側を正面として伝統芸能や演武が披露されていたと思いますが、今回は団体ごとの判断に従ったようです。

14時44分 ビクトリア街(スポーツジム)前での伊作太鼓踊り


伊集院駅の北隣にあるスポーツジム前でも太鼓踊りが披露されていました。

14時58分 薩摩日置鉄炮隊の演武


安全対策のため周辺への立ち入りを規制したうえで、火縄銃発射などの演武が行われました。

轟音と煙


火縄銃発射前の緊張感や轟音に驚く観客の声など動画で記録できました。

立ち入り規制範囲が広いので、火縄銃発射の詳細を写すには望遠レンズが必要です。

15時30分 伊作太鼓踊り(中之里保存会)


今年は地元伊作地区での踊りが、台風の影響で日程が何度も変更されてご苦労の多かったことと思います。今日も元気一杯の踊りが披露されました。

踊りを終えて退出の場面


着物姿の少年たちの笑顔が微笑ましく感じられました。良い思い出になったことでしょう。

15時54分 薬丸野太刀自顕流の演武


16時22分 最後の方では体験会もあった


勢いよく木刀を振り下ろすと大きな音が響き、親子連れの子供たちを中心に体験者の笑顔が見られました。

昨年の妙円寺詣りのブログはこちらからご覧ください。

16時47分 日置市役所前 伊作峠トンネル建設推進運動


普段利用しないのであまり意識しませんが、鹿児島市谷山地区と日置市吹上町を結ぶ県道22号谷山伊作線は、山間部を走るカーブの多い峠越えの道です。

利用時間短縮と安全性向上のため、トンネル建設推進運動が長年続いています。伊作と言えば吹上町でしたので、伊集院になぜこの旗があるのと思ってしまいました。

平成の大合併前の日置郡内には郡山、松元、伊集院、東市来、市来、日吉、吹上、金峰の8町がありました。

大きく4つに分かれて合併が進み、松元町と郡山町は隣接する鹿児島市が広域化する形で2004年11月に合併し、鹿児島市の一部となりました。

伊集院町を中心に西側の東市来町、南側の日吉町と吹上町は広域合併して2005(平成17)年5月に日置市が誕生。

市来町は西側に隣接する串木野市と合併し、2005年10月にいちき串木野市が誕生。日置郡南部の金峰町は2005年11月に隣接する加世田市と合併し、南さつま市の一部となりました。

月日の過ぎるのは早いものですが、私の頭の中にはまだ吹上町が残っていました。2日続けての祭り撮影でしたが、雨に降られることなく楽しめて幸いでした。
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花浄土/鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。