花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
(季節の花、吹上浜、桜島、霧島など)

釣果上向く 吹上浜のキス釣り 2014/08/29 (鹿児島)

2014-08-31 18:43:03 | 吹上浜
この夏は予測されたエルニーニョは発生せず、7月は台風が続き猛暑、8月は各地で大水害、鹿児島では日照不足で普通作水稲の生育遅れが心配されています。

8月12日 吹上浜の恵比寿さん


吹上浜のキス釣りは7月中旬以降はさっぱりダメな状態でした。8月になっても回復せずに、なかばあきらめていましたが・・・・恵比寿さんありがとうございます・・・・24日頃から再び釣れ始めました。

25日 魚が釣れ始めたのを知る 畑で草刈作業に汗を流す

26日 未明の大雨で海が荒れて釣りに行かず

27日 海が少し濁っていて、わずかなうねりもあって 19匹

28日 波が静かになり、フグも釣れたが 71匹

29日 南西風で雨も降りましたが 72匹 (いずれも2時間から2時間半程度)

8月29日の釣果


8月29日 南西風で少し波も出て釣り人は他に3人だけ


8月29日 雷雨の後


型も良くなりキビナゴサイズは見かけず、殆どが2年ギスでした。例年の夏の終わりのようにスズキやチヌなどの稚魚も混じるようになりました。

海岸近くに大量のキスが寄っているようです。2日間で280匹釣ったという人もいました。針の数を5本程度にすれば、2時間で100匹程釣れそうです。

私は普段どおり3本針を使っています。大量に釣れても今度は魚を捌くのに相当な時間がかかります。数を稼ぐだけでは短時間で釣れ過ぎるのも面白くないという贅沢なことを考えてしまうのです。

気象条件が悪くて沖合いに留まっていたキスの群が産卵のため、一斉に海岸へ押し寄せたのでしょう。波打ち際から投げ網で取れるほどに魚が近づいているようです。

しかし、この状態がいつまでも続くことはありません。海が荒れると、きれいさっぱりいなくなります。3日続けての釣りに疲れて今日も休養です。ほどほどに釣れるくらいが丁度良いですね。
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カメラ散歩 日置市吹上浜 永吉川口 2014/08/29 (鹿児島)

2014-08-31 17:46:06 | 吹上浜
伊作太鼓踊りを見た帰りに永吉川口に立ち寄りました。久多島神社の白い鳥居が目に付き、今回初めて訪れました。

国道270号線沿いにある物産館「かめまる館」北隣の細道か、100mほど北側の道を海岸側へ進みます。かめまる館の南側には旧南薩鉄道の鉄橋跡や石橋も残っています。



海岸へ向う途中からの山側風景です。小さくて見えにくいですが下流側から順に、鉄橋跡、石橋(人道橋)、国道270号線の橋があります。かめまる館は画面左奥になります。

川口手前にある久多島神社 画面外左手に駐車場あり


神社由来


木造の社殿


階段から山手側を見る


案内看板の文字がかすれて、社殿は戸締りされていました。訪れる人はわずかなのでしょうが、カップ焼酎と貝殻に盛った海砂が奉納されていました。立派な仁王さんが残っていますが、ここでも廃仏毀釈で石像の腕や顔が壊されていて心が痛みます。

久多島は「くだしま」、あるいは「くたしま」と読むようですが、私たちは小さい頃から神域である島に敬意を込めて「ふたしまどん」と呼んでいます。

神社下の駐車場から川口方向を見る


神社下から川口近くの北岸は高い堤防がありません。高潮でゴミが漂着していました。画面右側の坂道は舗装されておらず、一般車両は進入禁止のようです。流水でくぼんだ箇所は車底がつかえる恐れがあります。海岸へ行く場合は、駐車場に車を置いて歩いたほうが無難です。

船着場と海岸への分岐点


ここまでは駐車場から歩いて5分程度です。左側は小さな船着場、右側は砂浜に通じています。海岸保全のため車の乗り入れは禁止されています。

川口北岸から山手側を見る


川口から北側の海岸線 長い砂浜が続く


海に帰った子亀の足跡


北側砂丘から川口南側を見る


かめまる館付近は直線坂道で、殆どの車が走り抜ける場所です。たまには海側へ足を伸ばして川口や砂浜をゆっくり散策されるのもお勧めです。
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2014 伊作太鼓踊り 日置市吹上町 2014/08/29 (鹿児島)

2014-08-31 16:19:55 | 祭り・伝統行事
毎年8月28日と29日に日置市吹上町内各地で踊られています。29日朝、大汝牟遅(おおなむち)神社での奉納風景です。



伊作(いざく)太鼓踊りについて、鹿児島県のホームページから引用して紹介します。

伊作太鼓踊の由来にはいくつかの説がありますが、「応永13(1406)年、伊作島津氏4代当主久義が、田布施郷の二階堂氏を降伏させた様子をヒントに考案された、戦勝の踊りである。」と伝えられています。

唄方数人(踊りの師匠が当たる)、中打4人(内2人は鉦、2人は小太鼓)、平打20~24人で行います。中打の鉦2人は、稚児姿に赤白の襷を左肩から右下にかけ、腰に小刀を差します。小太鼓の2人は美麗な少女姿に襷をかけ、中打は全員花笠を冠ります。平打は白装束に草鞋履きで、胸に太鼓をつけ、背にホロ(薩摩鶏の羽)を背負います。ホロの真中には軍配を形どった2メートルほどのヤバタ(竹を籠目に編んで軍配型したもの)を、両側にはなぎなたを挿します。

踊りの内容は10種位に大別され、更に各踊りは、おどり、かもい(間舞)よせの形で組立てられ、極めて多彩です。中打は踊りに変化があり、優美であるのに対し、平打は大きなヤバタを地面につくくらいにゆすりながら、勇壮に踊ります。それぞれが洗練されており、その対照の妙は実に見事なものです。
昭和41年3月11日県の有形民俗文化財に指定にされました。(引用終わり)

鹿児島県内には様々な形で太鼓踊りが伝承されていますが、2日間続けて踊るのは「伊作太鼓踊り」だけです。吹上町内の6地区が輪番で踊り、今年は湯之浦地区保存会が受持ちました。

8時25分 既に踊りが始まっていました


社殿前の様子


御祝儀の披露


昨年は8時40分頃に訪れたところ、既に奉納を終えて一行は移動した後でした。今年も8時22分頃には鉦の音で踊りが始まっていました。

28日10時頃に奉納される南方神社は木立に囲まれ、晴天時は明暗差が強くなります。ここは早朝の踊りですが、境内が広くて明るいので撮影に向いているように思います。なお、踊り一行の巡回先や順番は年によって違いがありますのでご注意ください。

貝殻に海砂を盛って奉納する慣わしがあります


踊りの合間に日置市長さんの激励挨拶


最後の踊りが始まりました


社殿を後にする


左右に体を揺すりながら太鼓を打つ


衣装が美しい中打の少年


平打(太鼓打ち)はトラック2台で移動


見送りの人たち


静けさの戻った境内


8時47分、一行は次の会場へ移動して行きました。早朝から夕方まで、2日間に町内40箇所ほどで踊ります。29日は15時頃から雨になり、大変ご苦労されたことと思います。今年も勇壮な踊りを見せて頂きありがとうございました。
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2014 羽島太鼓踊り いちき串木野市 2014/08/24 (鹿児島)

2014-08-24 18:55:51 | 祭り・伝統行事
インターネットで情報を得て、8月24日、いちき串木野市羽島の南方神社を初めて訪れました。
10時から神事が始まり、10時半頃から踊りが奉納されました。

9時半 県道沿いの鳥居近く


昔ながらの狭い参道を上がる


境内の階段


初めてのことで人づてに場所など聞いて車を走らせました。幟や案内表示にしたがって狭い道を上がり車を止めて神社らしき方向に歩くと、下の方から鉦・太鼓が聞こえてきました。音がする方に進むと昔ながらの狭い坂道がありました。

鳥居近くで踊ってから参道を上がり、境内広場に入って踊りが始まるのかと思っていると一行は休憩に入りました。初めてのところは、どのような場所か、祭りの様子はどうか、光線の具合はどうかなど、まずは勉強と思って行くことにしています。

10時前、多くの人が社殿に上がり神事が30分近くもありました。その後、社殿から下りた2人が注連縄のようなものを木の上に投げました。これは何かの祈願なのでしょうか。次回は事前に聞いてみようと思います。





踊り手が入場


ようやく踊りが始まると思ったら、踊り手は折りたたみ椅子に腰掛けて、市長さんや議員さんの挨拶。その後踊り手が一人ずつ紹介され、社会人と高校生男女が半々で、一人は小学生でした。



羽島太鼓踊りについて、いちき串木野市のホームページから引用して紹介します。

羽島南方神社に奉納する踊り。山田楽といって東郷の山田楽を取り入れたという伝承を持っています。太鼓16名、鐘4名の合計20名の中高生で踊られます。

太鼓打ちの服装は、白の半天に黒の兵児帯を締め、白のパッチに黒脚半・地下足袋で、頭には円錐系の笠に色紙をつけ、竿旗にも色紙を長くつけます。鉦は女役なので、白地に黒襟、色袖で色帯を締め、パッチ・黒脚半・白足袋、頭には花笠をかぶり踊ります。

楽の種類は、20種類ありそのうち16種類が踊られます。「門かがり(キザウチ)」「コンキャン」「コゴラン」「カタセキ」「ヌケ」「タンキャン」などの名称がついています。50分ほど踊られます。(引用終わり)









心配されていた雨が降り出した


11時47分 本降り


10時過ぎから雷の音がしていましたが、11時過ぎには一段と暗くなりました。車内から三脚を持ってこなかったのを悔やみましたが、まさに後の祭り。石塔や旗竿にカメラを押し当てて撮影しましたがカメラブレが多くて今ひとつでした。

ストロボ使用の撮影は光が強すぎる感じで、こちらもぱっとしません。11時50分頃には本降りになって、予定されていた園児のマーチングバンドも中止のようでした?

傘を差しても風にあおられて服もカメラもびしょ濡れで車まで戻りました。関係者の皆さんは昼食前の大雨で大変だったことでしょう。

最初に聞いたところでは、神社で昼食後にもう一度踊り、浜に下りるとのことでした。照葉樹に囲まれた趣のある神社での珍しい太鼓踊り、来年も訪れてみたいものです。
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2014 川上踊り いちき串木野市川上 長田神社 2014/08/24 (鹿児島)

2014-08-24 17:37:35 | 祭り・伝統行事
毎年8月下旬の日曜日に、いちき串木野市川上地区で踊られています。地区の小中学生から高校生までの男女が参加して、8時から長田神社に奉納されました。







加治木、蒲生の太鼓踊りが侍の踊りとすれば、こちらは五穀豊穣を祈る農民の踊りです。鉦叩きは主に中学生女子が受け持ち、振袖が揺れる様は華麗です。太鼓はリズミカルで軽やかな動きです。







雨は降りませんでしたが木立に囲まれた境内は蒸し暑く、踊り手の家族がずっと団扇で扇いでいました。長田神社の後は、近くの神社にも奉納され川上小学校でも踊られます。記念写真撮影がありましたので一緒に撮影させていただきました。



次の神社に移動 背後の杉山に長田神社があります


この日は昼ごろに強い雨が降り始めました。この辺りも降ったのではないでしょうか。天候の悪い中、大変お疲れさまでした。ありがとうございました。昨年の川上踊りの様子はこちらからご覧ください。
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2014 蒲生太鼓踊り 姶良市蒲生町 2014/08/21 (鹿児島)

2014-08-21 18:39:19 | 祭り・伝統行事
毎年8月21日に姶良市蒲生町の蒲生八幡神社に奉納されています。今年も姶良市内の4団体が踊り、奉納順は「下久徳」、「春花」、「川東」、「北」でした。

商店街を進む「道太鼓」


蒲生太鼓踊りについて鹿児島県ホームページから引用して紹介します。

蒲生太鼓踊りは,約400年もの歴史をもつ郷土伝統芸能で,島津義弘公の手によって広められたものです。その勇壮さから,征韓の凱旋踊りとして,或いは流行病を鎮める効験があるとして,県内各地に伝承されています。

姶良市内の加治木町や姶良町に伝承されているものと同じ由来をもち,基本的な仕様も同じですが,地域の独自性を表現するためか,踊り方や唄に若干の相違がみられます。

 現在,姶良市蒲生町では下久徳・川東・北の3地区において太鼓踊り保存会が設けられ,地域住民が一体となってその継承活動に努めています。昨今では,幼児や小学生・中学生・高校生も踊り子として参加しており,将来的に後継者となるべく人材も育ってきています。

 明治初年来,蒲生では旧暦7月21日(現8月21日)に,蒲生八幡神社へ太鼓踊りが奉納され,同時に3地区保存会合同による一般公開も行われています。
 町内にある3つの太鼓踊りは,平成16年(2004)7月20日,蒲生町指定無形民俗文化財に指定されています。(引用終わり)

現在は旧姶良町の「春花」(はるけ)保存会も参加して、4団体の踊りが奉納されています。9時から開催式、9時15分の花火を合図に「道太鼓」で商店街を踊りながら蒲生八幡神社に向います。

可愛い踊り子さん


女性も多数参加しています


元気な若者たち


「道太鼓」 出発前


太鼓打ち


商店街前の「道太鼓」の太鼓打ちは2列縦隊で進みます。センターラインや横断歩道表示、さらには電柱や電線が入り込み背景がスッキリしないのがやや難点です。

神社参道を進む鉦叩き


同じく太鼓打ち


冷たいお絞りでリフレッシュ


階段前での踊り


昨年は記録的な日照り続きでしたが、今年は7月中旬以降は梅雨が戻ったような空模様です。この日は降らずにすみましたが、蒸し暑い一日でした。

神社境内では木陰を中心に観客が多く集まり、21日が出校日に当たる小学生たちも見学に訪れていました。

右奥は日本一の「大楠」


小学生も見学


激しく打ち鳴らされる鉦


蒲生太鼓踊りは加治木太鼓踊りとほとんど同じですが、蒲生の方が鉦叩きの人数が多くなっています。特に最後に奉納した「北保存会」の鉦の音は強烈で耳に残りました。今年も勇壮な踊りを見せて頂きありがとうございました。

例年8月の最終日曜日には各地で太鼓踊りがありますが、今年は31日です。そのため前週の24日に開催するところも多いようです。天候を見ながら情報を集めて撮影に行こうと思っています。

昨年の蒲生太鼓踊りのブログはこちらです。
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2014 加治木太鼓踊り 姶良市加治木町 春日神社 2014/08/16 (鹿児島)

2014-08-17 18:48:43 | 祭り・伝統行事
毎年8月16日に加治木町で開催される島津義弘公ゆかりの伝統行事です。町内の西別府(にしべっぷ)、木田(きだ)、反土(たんど)、小山田(こやまだ)の4団体が伝承しています。朝一番には精矛(くわしほこ)神社と春日神社にそれぞれ2団体が踊りを奉納します。

西別府保存会の太鼓踊り 春日神社


由来などについて鹿児島県ホームページから以下のとおり引用します。

江戸で駿河の念仏踊りが練り歩いたところ,大流行していた疫病が下火になったという話を島津義弘公が聞き,文禄・慶長の凱旋祝いに家臣に習得させ,薩摩に持ち帰ったといわれています。

太鼓踊りの先頭に立つのは「ホタ振り」といい,太鼓と鉦に合うようにホタや扇を振り,踊りの指揮を取るように踊ります。その後ろには「鉦打ち」が4人続き,歌に合わせて鉦を打ちます。「太鼓打ち」は,道太鼓(行進)の時は2列縦隊で,庭踊りの時は円形になり左まわりにまわって,足をはねて賑やかに踊ります。

 太鼓踊りに付随した踊りで吉左右(きそ)踊りがあります。西別府地区だけに伝わるこの踊りは,もともと豊作を祈願する棒踊りが変化したもので,2列に並ぶ踊り手は,朝鮮軍と島津軍に分かれ,戦の様子を演じます。また,白・赤の化粧をした二人のドラ打ちは,血なま臭い戦場でユーモラスな動きを加え,笑いを誘う狐役です。

 太鼓踊りは,昔は雨乞いの時も踊ったといい,疫病や災厄をもたらす悪霊や御霊を鎮めて,勇壮・豪華な踊りや華やかな行列で送り出そうとするもので,農村生活に密着した野趣にあふれた群舞です。
 吉左右踊・太鼓踊は,昭和36(1961)年8月16日に,鹿児島県無形民俗文化財に指定されています。(引用終わり)

8時18分 春日神社境内に上がる西別府保存会


西別府保存会の吉左右踊り 道案内の白狐 右手は島津軍、左手は朝鮮軍


同じく赤狐


短い歌の後、号令を掛けて刀を打ち合うしぐさをする


棒踊りの一種です


吉左右踊りは太鼓踊りに先がけて踊られます。朝鮮出兵の折、道案内をしたといわれる赤と白の狐が登場します。隊列の間を鉦と古鍋を叩きながら、踊り手の顔を眺め回すようにユーモラスに動き回ります。

10分ほどで吉左右踊りは終わって、西別府保存会の太鼓踊りが始まりました。







鹿児島県内各地に太鼓踊りが継承されていますが。加治木の太鼓踊りは蒲生町と同様に勇壮な踊りです。太鼓打ちは顔は白く化粧して口ひげをつけ、腰に長い刀を差しています。鉦打ちの衣装も派手で、脚を高く跳ね上げて激しく鉦を叩きます。

西別府保存会の奉納が終わると同時に木田保存会の鉦が打ち鳴らされ、切れ目なく踊りが始まりました。

8時37分 木田保存会の太鼓踊り


おそらく最年少の踊り手


鉦打ちと太鼓打ち


先導役のホタ振り 後継者育成のため2人で踊っているようです


8時51分 奉納を終えて


仮屋馬場に向う木田保存会


この後は仮屋馬場、諏訪神社前で踊り、小学校で昼食休憩します。午後は商店街の鴨田通りと菅原神社で踊られます。雲の広がる蒸し暑い日でしたが雨は降らずにすみました。

伝統行事の継承はどこでも大きな課題ですが、近年は小中学生男女も参加して祭りが継承され頼もしいことです。真夏の行事で皆様大変お疲れさまでした。勇壮な踊りに元気をもらいました。ありがとうございました。
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お盆の精進落とし行事 「はんぎり出し」 2014/08/16 (鹿児島県霧島市)

2014-08-16 17:49:25 | 祭り・伝統行事
8月16日、お盆明けの伝統行事「はんぎり出し」が霧島市国分広瀬の干拓池で開催されました。

7台ほどが出漁


行事の説明について霧島市のホームページから引用します。

 江戸末期の新田干拓の時に作られた潮だまりの管理をするためにおかれた水守は、給料のかわりにこの潮だまりの漁業権を与えられました。
  彼らが日をきめて許可証を出し、エッナ(ボラの子)を取ったのがその起源です。

 「ハンギリ」とは馬の飼料桶のことで、「半切り」という底の浅い桶を使用したことからハンギリ出しといいます。
 毎年盆明けの8月16日の精進落としの行事として広瀬地区で行われ、取れたエッナはその場で酢味噌を付けて食べられます。(引用終わり)

丸い桶が「はんぎり」 孟宗竹2本と5枚の板で組まれた筏


9時55分 花火を合図に漁が始まった


カメラマンも多かった


曇り空で日射しはなく蒸し暑い


最近ではボラの子を投げ網で取る人は少なくなりました。海岸近くの川岸や小さな橋の上から投げ網を打ちますが、このように筏の上からの投網は珍しいものです。

今年はボラの子は殆ど取れず、チヌやスズキの幼魚、コノシロなどが入っていました。取れたての魚は早速刺身に捌いて宴席に配られました。11時過ぎには地元中学校の同窓会や投網愛好家の宴会が始まっていました。

近年撮影の人が多くなり、30名ほどのカメラマンが訪れていました。テレビ局の取材も数社ありました。あいにくの曇り空で投網が夏の日射しにきらめく風景は見られませんでした。







10時40分頃には大半の筏が岸に戻り、取れたての魚を捌いていました。調理用に霧島市役所から給水車1台が配車され、地元霧島市の「関平(せきひら)鉱泉」の試飲宣伝コーナーが人気でした。

小村新田干拓記念碑


手馴れた包丁捌き


この日は水深浅め


松の木陰と干拓池


今年は例年になく台風の影響が長引き、台風通過後も湿った気流の影響で真夏らしい青空が全く見られません。お盆が過ぎて子供たちの夏休みも残り少なくなりました。宿題も気になる時期ですが、もう一度真夏らしい天候が戻ってくれたらと願うことでした。
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2014 伊作田踊り 日置市東市来町 2014/08/15 (鹿児島)

2014-08-15 17:58:32 | 祭り・伝統行事
3年に一度開催されています。雲が垂れ込めて蒸し暑い朝でしたが、どうにか午前中は天気がもちました。

午前中一番目の踊り 集落内の地蔵さん前広場


伊作田踊りについて鹿児島県のホームページから以下のとおり引用します。

 江戸時代に始まったと伝えられていて、伊作田兵部道材公の慰霊、農家の五穀豊穣と漁師の大漁祈願、更に集落の親和のために、3年毎に踊り継がれています。道材公は伊作田を領有した南北朝時代の武将で、北朝方に破れ非業の死を遂げたとされています。

  庄屋どんと称する指揮者2人、鉦5人、小太鼓2人、大太鼓12人、なぎなた15人、鉄砲25人くらいで構成されています。
 初めは勇壮、華麗で、終わりになると一種の哀調が流れ、歌と鉦と小太鼓、大太鼓が優雅に調和して集団美を形成します。踊りは、鉦や太鼓を打ちながら、足を横にやったり後退したりする単調な動作の連続です。これは、道材公の供養のための念仏踊りと考えられています。
 
 鉦5人のうち3人は男装、2人は女装で木口笠着用、小太鼓2人は女装で花笠を被ります。なぎなた15人は少年で浴衣を着用し、大太鼓12人は白の上下服に黒タビです。
 歌は、哀別離苦の至情がこもり、哀調切々たるものがあります。その動作は、拝礼するしぐさを繰り返し、道材の出陣、敵の計略、敗走の様子、農作業の有様などを取り入れています。

 昭和60年7月19日旧東市来町指定、平成17年5月1日日置市誕生により、市指定無形民俗文化財となりました。(引用終わり)

黒い紋付の人が庄屋どん


道材公の墓所に向う


墓所手前の広場での踊り


なぎなた 地元小学4~6年生


3箇所目の鶴城寺での踊り


太鼓打ち


倒れこむ太鼓打ち


一般的な太鼓踊りとは少し趣が異なり、なぎなた、猟師などが参加するところは隣接市の「市来七夕踊り」を感じさせます。太鼓は大きめな藁製の棒で左右交互に叩きます。ゆったりしたリズムの、ゴン・ゴンという感じの響きで哀調を帯びています。

ピストルの音に併せて太鼓打ちが一人倒れこむのも特徴的です。最初はびっくりします。戦いの様子を表しているのでしょうか。市来七夕踊りで猟師が鉄砲を撃つのと似ています。

午前中最後の若宮神社前 休憩で水分補給


境内での踊り


社殿側から


神社前の水田畦道での踊り


午前中の踊りが終わったのは12時過ぎでした。午後は14時から18時半まで、6箇所で踊るそうです。蒸し暑い中、関係者の皆様には大変お疲れさまでした。豊かな自然の中、存分に踊りを楽しませて頂きありがとうございました。

前回と同様であれば、「伊作田踊り」は10月下旬の「妙円寺詣りフェスタ」で日置市伊集院町の徳重神社にも奉納されると思われます。
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2014 城上太鼓踊り 薩摩川内市 児美神社・吉川小学校 2014/08/10 (鹿児島)

2014-08-14 16:19:01 | 祭り・伝統行事
台風の影響が残る8月10日、11時過ぎから城上(じょうかみ)太鼓踊りが薩摩川内市城上町の児美(こみ)神社に奉納されました。

広域農道から田んぼ道を200mほど入った静かな村社です。境内は明るく周囲には電線も電柱もなく、背景は林に囲まれた撮影条件の良い場所です。

着いたときには踊りが始まっていました


城上保存会の方々














ここでの撮影は昨年に続いて2回目ですが、雲が日差しをさえぎり踊り子にも観客にも優しい天候でした。小中学生から高校生、成人まで男女が参加して息の合った踊りでした。

動きが華麗で爽やかさ一杯の踊りでした。このような恵まれた撮影背景は少ないものです。この日はいちき串木野市の伝統芸能「市来の七夕踊り」も開催されたので、ここのカメラマンは10名程度と少なめでした。

11時40分頃に奉納が終わり、北側の吉川(きちかわ)小学校に移動して12時25分頃から踊りが披露されました。吉川小学校のホームページを見ると26年度で閉校になるようです。

吉川小学校 きれいな花壇






踊りを終えて記念撮影
 
皆さんお疲れ様でした。今年もすばらしい踊りを見せて頂きありがとうございました。
昨年の城上太鼓踊りはこちらからご覧ください。
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花浄土/鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。