花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
(季節の花、吹上浜、桜島、霧島など)

かごしま吉野公園の春 2014/01/29 (鹿児島市)

2014-01-30 11:56:09 | 
鹿児島では先週末の25日から気温が上がって春めいてきました。鹿児島市北部高台にある県立吉野公園では水仙が香り梅が咲き始めています。

公園入口の花時計 背景は桜島 水仙が咲く「なごみ園」は右奥


左にいるのは鹿児島のPRキャラクター「ぐりぶー」です。
鹿児島の緑(グリーン)と黒豚(ぶー)、太い眉は西郷どんのイメージです。

椿の花が増えてきました


季節の花は山茶花から椿へ


落葉と山茶花の花びら


桜島方向に噴水を過ぎて5分ほど歩くと「なごみ園」から水仙の甘い香りが漂ってきます。この日は南よりの風で日射しも暖かく、カメラマンや散策の人が訪れていました。

斜面に咲きそろった水仙


河津桜は蕾がふくらみ開花目前


咲き始めた白梅


早咲きの紅梅


やぶ椿


顔をのぞかせるフキノトウ


河津桜が開花するとメジロやヒヨドリなどがやって来て、なごみ園はいっそう賑やかです。マスコミで取り上げられると人出も増えてきます。何度か訪れて春景色をお届けしたいと思います。
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つるバラの種まき 2014/01/27 (鹿児島)

2014-01-28 17:54:47 | 
先週末から急に春めいてきたので、実家の庭先でつるバラの種まきをしました。



ローズヒップと呼ばれるバラの果実です。品種名はバレリーナだと思います。小さな果実は熟した感じで、爪先で割ると小さい種が見えます。大き目の果実では6個ほど、小さいものは種の数は1,2個ですが、大きさは倍ほどありました。それでも数ミリ程度で苗床の土粒よりも小さいほどです。剪定ハサミの大きさと比べると心細いほどの小さい種です。これが発芽してくれるでしょうか?

果実の皮は少し柔らかくなっていました


数本だけでも発芽してほしいなあ


予備の果実を少し残しました


バレリーナの花は秋にも咲く可憐なものです。管理が悪くあまり成長していませんが、他の草花もあるので庭先のバランスはほど良い感じです。



昨シーズンは同様に、つるバラのサラバンドを種まきしました。こちらは花も種も少し大きめです。晩秋のローズヒップが落下する前に収穫、ビニル袋に入れて冷蔵庫に保管しました。果実は1cmほどありました。2月に取り出した種を水に浸し、特に充実したものだけを選んで苗床にまきました。8割程度が発芽したようです。

砂地と畑の脇に直接まいたものは発芽率1割程度でした。そのうち5本ほどは双葉から新芽が伸びましたが、様子見で自然に任せておいたところ乾燥と雑草に負けて全滅しました。
下の画像はすべてサラバンドです。

冷蔵庫内で傷んだものが3割ほどあり捨てました


発芽し始めたところ


発芽したのは4月になってからでした。忘れた頃に発芽するというネット情報どおりでした。残りも2週間ほどで順調に発芽し、成長が続いた7割ほどを小さなビニルポットに移植しました。残り3割は新葉が伸びず枯れました。

5月上旬の様子


この段階では29個あります。その後は真夏の強烈な日射しでの葉の傷みと水切れ、バッタなどの虫食い、過度の農薬散布などで枯らしてしまいました。野菜用の病害虫防除薬剤を近くからスプレーしたのが逆効果だったようです。少々の虫食いは放置しておけば新芽が出て回復したのでしょうが可哀相なことをしました。

肥料不足もあったかも知れません。日射しが厳しくなるまでに成長促進しておけば耐性も付いただろうと思います。魚釣りにかまけて真夏をうまく管理できず、最終的に生き残ったのは8本程度でした。

昨年の夏は厳しい日照り続きでした。暑さが和らいだ11月、成長の良かった2本はお隣にもらわれて行きました。そのほかは畑や道路脇に移植しました。冬の寒さに耐えています。

しっかりと根付いているようです


満開のサラバンド 5月上旬


昨年の反省から今年は早めに移植して日射しに当て、水不足を解消するため地植えで農薬を使わず育てようと思っています。昨年よりも大幅な手抜き作業ですが、まずは発芽してくれるかどうか春が楽しみです。


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吹上浜に春の兆し 2014/01/23 (鹿児島県)

2014-01-25 11:29:26 | 吹上浜
今は寒さが厳しい二十四節気の大寒です。北西の季節風がやんで日射しがあふれる吹上浜に春の兆しを感じました。

サゴシ漁から戻る漁船 画面奥は久多島(ふたしま)


野間岳方面はかすんでいますが日射し一杯


砂浜の貝殻 この時期は漂着物が少ない


ゆるやかな曲線を描く砂地


波打ち際にはルアーを投げる人がいました。浜が穏やかな日には運動代わりに来ているそうです。まだ魚はいないようでした。のんびりと羽を休めるカモメのほか沖合いには水鳥が群れる様子も見えました。





海岸近くでは梅が咲き始めました




椿も次々に開花しています。ウグイスの「チャッチャッ」という地鳴きも聞こえだし、春は確実に近づいているようです。
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新燃岳大噴火から3年 霧島連山 2014/01/21 (鹿児島県)

2014-01-21 16:57:20 | 霧島連山
鹿児島・宮崎両県にまたがる霧島連山の新燃岳(標高1,421m)大噴火から3年が過ぎようとしています。2011(平成23)年1月26日午後に大規模な噴火が始まり翌27日までが活動のピークでした。周辺に火山礫などによる被害をもたらしました。

特に1月26日以降は風下の宮崎県高原町から都城市付近にかけて火山礫や火山灰が大量に降り積もり、交通が遮断され市民生活に大きな影響が出ました。また、2月1日朝には爆発に伴う強い空気振動で南西側の霧島市でホテルや病院などのガラスが割れる被害が発生しています。

大浪池に設置された監視カメラの画像 2011/01/26 午後 


南東側斜面に降り続く噴石 2011/01/26 新湯から(以下の画像も同一地点で撮影)


今年1月10日撮影の新燃岳 左側、右は中岳、右端の三角形は高千穂峰


新燃岳にはエメラルド色の美しい火口湖があり、ツツジや紅葉時期を中心に多くの登山者で賑わっていました。大噴火後に火口縁まで競り上がった溶岩がさらに大規模な爆発を起こすことが心配されましたが、その後山体の膨張は止まり噴火活動は徐々に低下しました。大相撲の八百長問題が報道され始めた頃です。

新湯から見た新燃岳南西斜面 活動は収まり最近では噴煙は殆ど見られません


火口縁から緩やかに上がる水蒸気


昭和34年に活動した南西斜面に連なる噴火口跡


南側の通称「ウサギの耳」


ウサギの耳付近を拡大表示


ウサギの耳山麓の山火事跡


噴火警戒レベルは昨年10月に3から2に引き下げられていますが、立入規制の継続している新燃岳、獅子戸岳のほか、中岳へも登山ができません。高千穂河原から中岳に通じる登山道は火山礫で埋まっていて、滑りやすくコースも不明なため当分の間は再開できないと報道されています。

中岳付近では天候不良で道に迷うなどして遭難騒ぎも起きています。捜索救助作業で多くの人に迷惑をかけます。火山ガスの危険性もあります。立入規制区域内への登山はやめてほしいものです。

※ 韓国岳、大浪池、高千穂峰へは登山ができます。えびの高原や高千穂河原、霧島温泉郷、霧島神宮、生駒高原、皇子原公園、御池などの観光にもなんら支障はありません。

火山雷を伴い激しく噴火する新燃岳 ウサギの耳付近 2011/01/27 新湯から撮影


霧島一帯は火山活動が生み出した山や湖が連なる景勝地です。新燃岳は3年前の大噴火以前にもごく小さな噴火をしており、そのつど短期間の規制がありました。それでも普段の火山防災で警戒されていたのは新燃岳よりも高千穂峰の「お鉢」の方でした。新燃岳がこれほどの大規模噴火を起こすとはあまり想定されていませんでした。

1月26日は夜半から噴火活動が激しくなり、撮影中も地鳴りが続き足元が小刻みに揺れるようで、夜空を焦がす噴石・噴煙、火山雷はすさまじいものでした。氷点下の寒さも加わり恐ろしさに体が震える一夜でした。
火山活動は人間の考える時間スケールよりもはるかに息の長いものです。これからも霧島連山の様子には目が離せません。
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マナヅルが増えています 出水の鶴 2014/01/19 (鹿児島県)

2014-01-20 18:32:40 | 自然観察
今シーズン2回目の鶴撮影に出かけました。17、18日には国際ツルシンポジウムとワークショップが開催され、19日夜明け前の出水市ツル観察センターには団体バスが2台来ていました。

いつも撮影する出水市東干拓地は北風が少し強く7時前の気温は3度でした。朝日が顔を出したのは7時28分、前回よりもマナヅルの割合がかなり増えていました。

東空 画面奥に見えるのは霧島連山の最高峰韓国岳(1,700m)


西空の笠山上空に残る月


朝焼け雲は少なく単調な夜明けでした


残月と鶴


満月を過ぎる時期には西空に月が残ります。夜明けと月の高度、方角を考えて、鶴と組み合わせて撮影しようと計画しました。この日は月齢17.7、風の影響で普段よりも鶴の飛行コースが南側になりうまく月と組み合わせることができませんでした。

東空には朝日が昇り、西空の月は次第に明るさを失っていきます。東空は単調な日の出でまぶしすぎて期待外れでした。次は荒崎方面に移動して東側の風景です。背景中ほどは紫尾山(しびさん)標高1,067mで山頂にはテレビ電波塔等が建っています。



ツル観察センターと手前は鶴保護区域です


標高はわずかに1.4m


駐車場にはツーリングの大型バイクや団体バスも来ていました


センター2階室内から鶴の観察ができます


こちらは屋上から見た荒崎保護区北側の様子 水田地帯を借り上げたものです


風は強いものの晴天のため大半の鶴が保護区域外に出かけているようです。センター前の羽数表示は前回訪問時と同じく12,557羽でした。前回のブログ記事はこちらです。


出水平野で越冬する鶴は平成9年度から毎年1万羽を超えています。前回よりも撮影していてマナヅルの割合が増加していました。地元の方の話では別な日に数えたらマナヅルは3,000羽以上だったとか。実総数は14,000羽近くのようです。

11月から1月にかけて地元の中学生も参加して鶴の羽数調査が6回行われます。まだ薄暗い夜明け前から順次ねぐらを飛び立つ鶴を数えます。今シーズン6回目の1月11日調査では鶴が一斉に飛び立ったため計測できませんでした。これらの調査で最も羽数の多かった回の数値が公式記録とされています。今シーズンは11月30日の第3回調査の12,557羽が最大値となりました。

屋上から見た鶴の姿 飛んでいるのはマナヅル 水が張ってあるところが鶴のねぐら


餌場近くには羽の色が灰白色のマナヅルが多いようでした


背景は蕨島(わらびじま) 漁港があり海岸近くに人家が集まっています




上の画像は帰り道に見かけたマナヅル(右側灰色)とナベヅルです。保護区域よりも気に入った場所でのんびり過ごしているようでした。距離は20mほど、車の窓をあけて車内から撮影しています。車から下りると驚いて飛び立ちますが車が通過するのは慣れているようです。

例年2月上旬にはマナヅルが北に帰り始めます。ナベヅルは殆どが3月まで残り同月下旬には一日に数千羽以上が帰ることもあります。機会を見てもう一度出水に訪れようと思っています。
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霧氷の輝く霧島韓国岳 2014/01/10 (鹿児島県)

2014-01-13 11:26:41 | 霧島連山
連休前の1月10日、霧島の冬景色を楽しんできました。最初は2011年1月の大噴火から3年目の霧島新燃岳(右側の山)です。



昨年10月に噴火警戒レベルが3から2に引き下げられましたが、立入規制が継続中で新燃岳はもとより西側の獅子戸岳、東側の中岳にも登ることができません。新湯温泉手前の噴気地帯から撮影したものです。火口の縁からわずかに水蒸気が上がる程度でした。



10時過ぎには山の霧が完全に消え、右上に韓国岳が白く見えています。この日は積雪がなく道路は普通タイヤで通常走行できました。例年ならばチェーン規制の多い時期です。

次は新床展望所から少し上の方で見える韓国岳南西斜面です。



えびの高原にある不動池です。寒さが厳しくなると氷結しますが、まだ湖面はきれいな青色でした。



えびの高原を小林方面に少し下った露天風呂跡付近からの韓国岳です。野生鹿による食害のためか樹林荒廃が進んでいます。近くには鹿の捕獲用柵がありました。



霧氷(樹氷)の輝く韓国岳に上っていきます。標高はえびの高原が1200m、韓国岳は1700mで標高差は500mほどです。観光地でもあり登山路は良く整備され手軽に登れます。それでも真冬は氷点下10度以下となり霧による視界不良で遭難事故も起きています。強風が吹き荒れ展望もないときは入山しないほうが賢明です。積雪後は登山路が踏み固められ凍結しますのでアイゼンがあると安心です。



霧氷は2合目付近から見られました。雲ひとつない青空で日射しにきらめいて見事でした。雪が降り寒さが厳しいときはえびの高原の道路沿いでも霧氷が見られますが、タイヤチェーンが必要です。この日は天候に恵まれて登山口の気温はマイナス4度、南国の日射しは強く午後には霧氷もかなり溶けていました。



上がり始めたのが15時頃だったので山頂までは行かず5合目の手前で引き返しました。

3合目付近から4合目を見上げる


遠景は高速道路えびのIC方面


右手の山は甑岳、左奥は白鳥山


17時過ぎになると霧氷は少しだけ夕日色に染まりました




17時半過ぎに日が沈むとすぐに山路は薄暗くなり急ぎ足で下山。新燃岳噴火で足が遠のき久しぶりの霧島冬景色、帰りの夜道が遠く感じられました。
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住民ハ理論ニ信頼セス 桜島大正噴火100周年 (鹿児島県)

2014-01-11 14:27:16 | 桜島
桜島は大正3年(1914)1月12日に大噴火を引き起こし、流出した溶岩で大隅半島と陸続きになりました。

「住民ハ理論ニ信頼セス」はこの噴火災害の記念石碑に刻まれた一文です。噴火記念碑は鹿児島県内各地に残っていますが、鹿児島市東桜島小学校校庭に建っている石碑は「科学不信の碑」として最も有名なものです。

桜島の西側斜面 (上部は噴石火災で植物が焼失)


浸食が進む南岳西側斜面


昭和火口からの噴出物堆積が続く南東側斜面


上流部まで続く土石流対策のダム


長文になりますがウィキペディアから石碑の一部を引用します。

大正三年一月十二日櫻島ノ爆發ハ安永八年以来ノ大惨禍ニシテ全島猛火ニ包マレ
火石落下シ降灰天地ヲ覆ヒ光景惨憺ヲ極メテ八集落ヲ全󠄁滅セシメ百四十人ノ死傷者ヲ出セリ

其爆發数日前ヨリ地震頻發シ岳上ハ多少崩壊ヲ認メラレ海岸ニハ熱湯湧湯シ旧噴火口ヨリハ白煙ヲ揚ル等刻刻容易ナラサル現象ナリシヲ以テ村長ハ數回測候所ニ判定ヲ求メシモ櫻島ニハ噴火ナシト答フ

故ニ村長ハ残留ノ住民ニ狼狽シテ避難スルニ及ハスト諭達セシカ間モナク大爆發シテ測候所ヲ信頼セシ知識階級ノ人却テ災禍ニ罹り村長一行ハ難ヲ避クル地ナク各身ヲ以テ海ニ投シ漂流中山下収入役大山書記ノ如キハ終ニ悲惨ナル殉職ノ最期ヲ遂ゲルニ至レリ

本島ノ爆發ハ古来歴史ニ照シ後日復亦免レサルハ必然ノコトナルヘシ住民ハ理論ニ信頼セス異變ヲ認知スル時ハ未然ニ避難ノ用意尤モ肝要トシ平素勤倹産ヲ治メ何時變災ニ値モ路途ニ迷ハサル覚悟ナカルヘカラス茲ニ碑ヲ建テ以テ記念トス
    大正十三年一月     東櫻島村   (引用終わり)

漢字とカタカナで書かれ、句読点も濁点もないので読みにくいのですが惨状を今に伝え、これからも桜島では噴火災害が必ず起きるので、住民は自ら危険性を判断して早めに避難することが大切だと説いています。

そのためには何時災害に遭遇しても困らないよう、普段から堅実に暮らす覚悟が必要であると結ばれています。防災に対する心構えとして今に通じる貴重な教訓です。

石碑は小学校の校庭にあり、観光看板のように簡単に近づけません。私は数年前に見ましたが、文字自体が小さく画数の多い漢字は風化し始め読みにくくなっていました。

次の看板は観光地のものですが桜島と周辺の位置関係をご覧ください。



桜島北側の鹿児島湾は東西に外輪山の残る巨大な姶良(あいら)カルデラ跡です。この南部に誕生したのが桜島です。桜島と対岸の鹿児島市街地は海を隔てて約3.5kmです。市民感覚としてはかなり離れていますが地図で見るとすぐそこです。桜島の大きさは東西約12km、南北約10kmで、目の前の存在だと実感させられます。

これだけの活動火山近くに50万人以上が居住する地域は世界的にも珍しいことです。桜島の防災計画と聞いても桜島島内住民の避難のことだけを考えがちです。風向きによっては鹿児島市街地でも噴石や火山灰被害が予測されます。強い地震や津波も想定されますので、桜島島外でも危険性が迫っている身近なこととして防災意識が必要です。

垂水市「道の駅たるみず」から桜島東側斜面


桜島の南側に位置する垂水市「海潟漁港」から


昨年の桜島爆発回数は835回、2014年はまだ2回。年末から活動は穏やかですが、誕生から2万6千年の若い火山桜島にとっては、ごくごく短い休息に過ぎないのでしょう。
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鬼火焚き(おにびたき) 2014/01/07 (鹿児島市郡山地区)

2014-01-08 16:32:05 | 祭り・伝統行事
孟宗竹や木材を櫓状に組み、お正月の門松や注連縄などの飾りを焼いて鬼(厄病)を追い払う鹿児島の伝統行事です。過疎高齢化が進む鹿児島ですが集落自治会などの主催で行われています。

正月三が日のうちに焚くところや日曜日開催地もあります。時間帯では日の出前、昼間のところもありますが、大部分は7日の18時から19時に点火しています。耕作に支障がでないよう、翌日には燃え残りを丁寧に片付けます。





大きな焚火ですから、延焼の恐れのない田畑や公民館近くの広場で行われます。一枚目のものが代表的なスタイルですが、材木を井桁状に高く積んだキャンプファイヤー形も見られます。

中心には孟宗竹を立て、四方から針金や縄、ロープなどで固定します。二枚目の場所ではワラ人形のようなものが取り付けられていました。

次は鹿児島市北西部に位置する川田町の南方小学校近くのものです。先月22日に櫓を組んだそうです。夕方からあいにくの小雨模様でしたが準備のお母さんと子供たちが集まってきました。



孟宗竹は大きなものでは直径15cmほどもあり、焼けるとポーンという音を立ててはじけ火の粉が飛び散ります。



大人用には焼酎の燗をつけるのでしょうか、小さな竹製の容器が準備されていました。火の勢いが落ち着いた頃には大人たちも集まり始めます。年始の挨拶を交わし、ちょっと遅い新年会の雰囲気になります。子供たちが鬼火焚きの火で餅を焼くところもあります。



18時15分点火、乾燥した天気が続いたため小雨などものともせず、たちまち炎は櫓を駆け上がり子供たちの歓声が起こりました。





次は最初の画像にある郡山花尾町岩戸集落の鬼火焚きです。19時に点火、櫓が大きいだけに迫力のある燃え方でした。天を焦がす炎が高く上がり続けました。







100mほど離れた場所から望遠レンズで撮影しました。空に雲がなければ残照があり山のシルエットが出るのですが、来年に期待しています。

デジタルカメラは撮影状態がすぐに確認できるため便利です。フィルムだと露光時間、絞りは全くの経験値で撮影していたのですから、本当にありがたいことです。
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新春三社参り 2014/01/02 鵜戸神宮

2014-01-04 14:47:29 | 日記
三社参りの最後は宮崎市南隣の日南市にある鵜戸(うど)神宮です。青島神社と同様に海沿いに位置し、本殿は岩窟内に建てられている珍しい神社です。
団体バスは専用駐車場までスムーズに行きましたが、一般車両は長い列を作って渋滞していました。

本殿は鵜戸岬先端部の岩窟にあるためトンネルを抜けて坂道を15分ほど上り下りします。足元に注意が必要な場所です。概観図の左側から参道を上がり右側の岬へ向かいます。

さすが南国、参道沿いにはバナナが実っていました。

トンネルができる前は山道を上っていました。

トンネルを抜けて坂道を下れば左手に神社の建物が見えてきます。

竜宮城を思わせるような門です。

御祭神は「うがやふきあえずのみこと」、神武天皇の御父君です。由緒について鵜戸神宮ホームページには次のように書かれています。
山幸彦(彦火火出見尊)が、兄(海幸彦)の釣り針を探しに海宮(龍宮)に赴かれ、海神のむすめ豊玉姫命と深い契りを結ばれた。山幸彦が海宮から帰られた後、身重になられていた豊玉姫命は「天孫の御子を海原で生むことは出来ない」とこの鵜戸の地に参られた。霊窟に急いで産殿を造られていたが、鵜の羽で屋根を葺終わらないうちに御子(御祭神)はご誕生になった。故に、御名を「ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」と申し上げる。(引用終わり)

左下の岩窟内に本殿があり、参拝者は階段を下りて行く珍しいタイプの神社です。

広さ300坪ほどの岩窟内に社殿、縁起物取扱所があります。社殿裏手には「お乳岩」があります。豊玉姫が乳房をひききり岩にくっつけていかれたとされる伝説の岩です。







本殿前の海岸にある「霊石亀石」の穴の中に運玉を投げ入れ、見事入ると願いが叶うといわれています。男性は左手で女性は右手で投げます。昔は小さな皿を投げていましたが今は粘土で作られた玉を投げます。



幸運な玉は縁起物として販売され、うまくリサイクルされていると感心させられました。





マイカーで訪れると大鳥居からの道は近いのですが、木陰がないので夏場には大汗をかきそうです。この日は快晴に恵まれたこともありバスへ戻る坂道では汗が出ました。普段行くことのない宮崎の三社参りができて幸先の良い年明けでした。バスの運転手さん、ガイドさんに感謝しながら丸一日のバス旅行を終え家路につきました。
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新春三社参り 2014/01/02 青島神社

2014-01-04 11:20:01 | 日記
三社参りの2番目は宮崎市南部にある青島神社です。ビロウ樹が生い茂り、奇岩「鬼の洗濯岩」が取り囲む周囲1.5kmほどの小さな島にあります。
駐車場から青島神社まではゆっくり歩いて10分ほどですが、この日は参拝者が多く鳥居辺りから列ができていました。





鬼の洗濯岩は、まるで石を敷き並べたような不思議な風景です。硬さの異なる地層が交互に重なり海面に露出しています。傾いた地層は柔らかい部分の浸食が進み洗濯板のようになっています。手前の砂は大き目の石粒や貝殻、サンゴの破片などでした。



神社の由緒について青島神社ホームページには次のように書かれています。
青島神社は彦火火出見命(山幸彦)が海積宮からご還幸された御宮居の跡といたしまして「彦火火出見命・豊玉姫命・塩筒大神」の三神をおまつりいたしております。
 奉祀の年代は、明らかではございませんが平安朝の国司巡視記「日向土産」の中に「嵯峨天皇の御宇奉崇青島大明神」と記されてあって(約千二百年前)、文亀(室町時代・約五百年前)以降は、藩主伊東家の崇敬厚く、社殿の改築、境内の保全に力を尽くし、明治以後は御祭神の御威霊を仰ぎ熱帯植物繁茂する国内絶無の霊域をたずねる人々いよいよ多く、縁結・安産・航海・交通安全の神として、御神威は益々輝き今日に至っている。(引用終わり)



鳥居をくぐると列ができていて一向に前に進みません。神社から戻ってくる人は少しずつということは、かなりの時間がかかるということ。バスの時間があり社殿まで行くことはあきらめて様子だけを写してきました。







団体行動なので自分の都合だけで迷惑をかけることはできません。参拝や周辺散策は次回の楽しみに残しておくことにして急ぎ足でバスまで戻りました。参拝後にはお土産を買うための時間もかかり出発時刻は20分遅れとなりました。





参道のお店で人気があったのがこのトルネードポテト。ポテトを薄く切り螺旋形に延ばして串に刺したフライドポテトのようで若者たちが列を作っていました。アイデアが面白いですね。
有名キャラの雑貨店もあり観光地らしさを漂わせていました。青島地区を訪れる観光客は減少傾向のようですが、さすがにお正月でお土産店も賑わっていました。
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花浄土/鹿児島

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