はなうたまじりにひとりごと

私視線で、観て聴いて♪素直に気ままに我儘に。主に宝塚の舞台のこと、その他諸々?についてお喋りを。

The Night of Anniversary~あさ・かな妄想その2

2007-04-06 23:27:42 | Weblog
街はイルミネーションの洪水だった。
空気は、クリスマスから、新年を迎える準備に切り替わりはじめていたけれど、笑いさざめく人々で、街はごった返している。
かなみは、小さなバッグを小脇に抱え、人込みに流されないように、必死で歩いた。少し俯いて、人と人の間をすり抜ける。
もうすぐ…もうすぐ、彼の会社が入っているビルだ。

磨きあげられた床がひろがる、エレベーターホール。
自動ドアを抜けて、ロビーに入ると、ちょうど到着したエレベーターから、数人の男女が流れ出た。かなみは、ガラス貼りのホールの隅に後退り、小さく息をついた。
腕の時計を見る。6:50…間に合った。

エレベーターの到着を知らせる音に、はっと顔を上げる。
降りて来る人をそっと眺めて、すぐに目をそらす。もう、どの会社も、定時は過ぎているのだろう。降りて来る人もまばらになっている。
かなみは、少しずつ心細くなってきて、腕時計の秒針をみつめた。
かちっかちっかちっ…刻まれる時間。既に、時刻は7:00を回っている。
7:00を離れて、流れて行く時間。夜が少しずつ、少しずつ、溶け出して行く。
残っている夜が、減って行く。過ごせる時間が…大切な記念日。
はじめての、結婚記念日。

家を出る時には、わくわくして、暖かな風にふわふわと舞い上がる綿毛のようだった気持ちが、少しずつ、少しずつ低空に下降をはじめ、漂いはじめる。
無性に淋しくなって、かなみは腕時計のチェーンベルトをギュッと押さえた。この時計は、彼からのはじめてのプレゼントだった。あの日も……。
そうだ、彼はやっぱり遅れて来て、決まり悪そうに、コートのポケットから、小さな包みを引っ張り出して、かなみの手に握らせて言ったのだった。
「また、僕が遅れるようなことがあっても、これをみつめて、僕と一緒に時間を刻んでるんだって思っていてね」
僕も、君のことを想っている時間だから…
…だなんて、気障な台詞!
彼は子犬のような目でかなみをみつめて、口元だけ、小さく微笑んだ。言葉の意味をはかりかねているかなみに、包みを開けるように促した時の、彼の悪戯っ子みたいな表情…。

あの包みから出て来たのがこの時計だった。
時計のフェイスをみつめながら、かなみはぼんやりとあの日のことを思い起こした。
あれから、ずっと一緒にすごしてきた時計。彼は、何回遅れて来たっけね。かなみは、くすっと笑った。
決して、仕事が忙しいんだ、とは言い訳はしない。ただ、ごめんね、と謝って、そっとかなみの肩を抱くのだ。

「何、笑ってるの?」
突然、耳元で声がしたかと思うと、後ろから伸びた手が、かなみの腕をギュッと掴んだ。
「きゃっ」
思わずかなみは声をあげ、身を縮める。
「もう……」
ちょっと唇を尖らせて、肩越しに振り返ろうとすると、じゅんは、もう片方の手を反対側から回し、彼女を背中から抱えこんだ。両手でかなみの手首を持ちあげ、後ろから、腕時計を覗きこむと、言った。
「あー…この時計、進んでるんじゃない?」
「えっ?」
「僕の時計だとさ…」
じゅんは、自分の左手を軽く振り上げて、袖から覗いた時計を眺めた。かなみが背伸びして、覗き込もうとすると、じゅんは見せまいと、腕を高く掲げた。そして、
「あ、同じ時間だ」
笑う。屈託のない笑顔。
かなみは、思わず、頬を緩めながらも、拗ねてみせる。
「…ばかっ」
「えっ…何?」
わざとらしく、じゅんは少し背中を丸めて、自分の耳をかなみの口元に寄せた。
「わああああっ!」
かなみは、じゅんの耳に吠えて、彼の腕から抜け出した。
「ひどいなぁ…遅れたのは、悪かったよ」
じゅんは、耳を押さえて唸った。それを見て、今度はかなみが笑う。
「びっくりした?お返しよ」
「『愛してる』って言ったのかと思ったのに」
澄まして言うと、じゅんは、両手をコートのポケットに突っ込んで、先に歩き出した。
「自惚れ屋なんだから!」
かなみは、じゅんに追いついて、彼の腕に手を通しながら言った。
「でも、そう聞こえたってのは、ホントだよ。心の声がね」
「…ばか」
かなみは、俯いて呟いて、頭をこつんと彼の肩に預けた。

街を歩く。
さっきは、一人だった道が、まるで違って見える。
人々の明るい笑顔。店から流れる音楽。
じゅんは、街角に何かをみつけては、それを口にして、かなみを笑わせる。足取りはゆっくりと、電飾に飾られた木々の下を潜る。

吹き込む冷たい風に身を竦めると、じゅんは、自分が巻いていたマフラーを外し、かなみのファーのついたコートの襟元にくるりと巻いて、優しく押し込んだ。
「有難う…」
じゅんの温もりが、じんわりと全身に行き渡る。彼は何も言わず、ただ、僅かに口を結び、柔らかく微笑んだ。かなみの瞳をちらっと見ると、じゅんは、彼女の手をきゅっと握って歩き出す。

ふと見上げると、彼の横顔が目に入る。真っ直ぐに、前をみつめる端整な顔にかかった前髪が、微かに風になびいている。
「どこに行くの?」
かなみが尋ねると、じゅんは言った。
「雲の上」
じゅんは、さらりと言った。
「え?」
「…いや、雲より上じゃ何も見えないなぁ」
じゅんは、一人呟いた。
「え?」
かなみが、怪訝な顔で、じゅんを見ると、彼は微笑んで、言った。
「お疲れ様、さぁ、入って」
かなみが、彼のまなざしが示した方を見ると、もう、目の前にビルの入口が迫っていた。

エレベーターは、ほとんど音も無く、緩やかに昇って行くかのようだった。ただ、耳の奥が引きつられるような感覚が、昇って行く速度を物語っている。
混み合ったエレベーターに会話は無く、かなみは、じゅんの肩幅にすっぽり納まって、目まぐるしく変わっていく階数表示をみつめた。
最上階…

降り立って、すぐ目の前が、店の入口だった。微かにジャズが、漂うように聞こえて来る。
「お召し物をお預かりします」
二人を迎えたボーイが、かなみの前で微笑む。かなみが小さく頷くと、ボーイは静かに彼女の背後に回り、そっとロングコートを受け止めた。
じゅんは、自分のコートを脱ぎながら、その様子を眺めていた。かなみのベージュのコートの下から、真紅のドレスが現れると、少し眩しげに、目を細める。
「寒くはない?」
コートをボーイに預けながら、かなみに小声で囁く。
「うん…大丈夫」
かなみは、顔を真っ直ぐにあげ、にっこりと笑った。

店の奥へと導かれる。
やや薄暗い店内。窓が…高い天井まではめ込まれ、客席を向こう側から囲いこんでいる。
かなみは、息を吸い込んだまま、呼吸を忘れそうになった。遠くまで、まるで煌めく砂が広がるように波打っているかのように見える。
じゅんは、かなみの溜め息を包み込むように、優しく彼女の肩に手を置いた。その彼の腕の軽く曲げられた肘に、かなみは僅かに手を触れる。
「気に入った?」
彼は、ちょっと身をかがめて、かなみの耳元で囁いた。
返事の代わりに、かなみは無言のまま、ただ指先でひっかくように、彼のジャケットを掴んだ。
二人は少しの間、そのままで居た。周りの客席で、静かに語らう声が低く響きあい、ジャズのメロディがその上を流れて立ち上ぼり、ちりばめられた、街の明かりの上をかすめて、夜の闇に吸い込まれて行く。
かなみが、何か同意を求めるかのようにじゅんを見上げると、彼も彼女の瞳を見下ろしていた。どちらからともなく、ふっと笑い、二人は再び歩きはじめた。

テーブルには、小さなランプが明かりを灯していた。ボーイが引いてくれた椅子に腰掛ける。
夜景は、更に目の前に迫り…眼下に湛える光に脚を浸しているかのような感覚だった。
「かなみ…」
声をかけられて、はっと我に返る。かなみが、景色に魅せられている間に、グラスが二つ、テーブルに運ばれていた。
ひとすじ、ふたすじとグラスの底から、細い細い糸のようにわき上がって行く泡。じゅんの手が、そのグラスの細い脚に伸びる。
「乾杯」
彼が掲げたグラスに、そっと合わせる。
一口含むと、甘い香りがふっと広がり、鼻をくすぐる。胸が一気に熱くなり、ゆっくりと広がって、消えた。
かなみが、グラスをそっと置くと、じゅんの手が、彼女の指先をすっと掴んだ。
「ちょっと、目を瞑ってて?」
じゅんは、ちょっとかなみに顔を近付けて、柔らかな声で囁いた。
「え?」
「いいから、早くっ」
じゅんのちょっと弾んだ声に、かなみは笑いだしながら、目を閉じた。すると、じゅんは、まず、かなみの腕を触り、肩に手を掛け、そのまま大きくあいた背中に滑らせ…
「やだ、くすぐったいよ!もういい?」
かなみは、笑い声をたてながら、手探りで彼の手を掴もうとした。
「しっ静かに。もう少し…」
じゅんは、厳かな声で言う。首をぐるりと撫でられて、かなみは耐えられずに、身を縮める。
「じっとしてっ!」
鋭い声で囁かれて、かなみは思わず身をこわ張らせた。
「はい、そのまま…もうちょっと待って……はい、5…4…3………」
「2!」
かなみが言うと、
「まだまだ…勝手に数えないで!」
「何、それ…?」
かなみは、そろそろ、薄目を開けたくて、うずうずしはじめたが、その前に、彼の手の平が、彼女の目をそっと覆った。
彼のもう片方の手が忙しく、動いている様子が伝わってくる。
「いいよ、さぁ、3…2……1!」
目の前が、ぱっと軽くなる。かなみは、思い切って、目を開いた。
「何?」
かなみが、じゅんを振り返ると、彼は、そっと彼女の頭を押さえて、ゆっくりと窓の方に向けさせた。そして、かなみが首に巻いていた、薄いスカーフを、ぱっと取り去った。と同時に、首の回りがふわっと涼しくなる。
「あ……」
かなみは、夜景の手前に、窓に写る自分の姿を見た。胸元に…さっきまで無かったもの……きらきらと光るチャームが光っていた。プラチナチェーンのネックレス。
「これ…」
かなみは、彼を振り返る。じゅんは、椅子の背に片手をついて、軽く寄り掛かり、かなみを見下ろしていた。
「結婚一周年…おめでとう」
「え……」
「またまたぁ…ホントは期待してたでしょ?」
じゅんは、茶目っ気たっぷりに言って、片目を瞑ってみせる。
「そりゃねっ…」
かなみは、負けずに言い返して、そしてもう一度、窓に写るペンダントを見た。
「これ…」
自分の薬指に光る指輪と見比べる。
「うん。対になってるの、わかる?」
じゅんは、彼女の肩に腕を回し、チャームを手の平にのせた。
かなみは、その横顔をみつめながら、彼が店でこれを選んでいる姿をぼんやりと想像した。
「じゅん……」
「ん?」
「有難う…」
「ん…ほらね、あそこから一つ、持ってきたみたいじゃない?」
じゅんは、街の明かりを指差した。
「夜景ってね、街のパワーみたいなものに見えるんだ。そのパワーを切り取って、プレゼントしたかったから…1年の感謝をこめて」
かなみは、一度、目を見開いて…でも、言葉が出て来なかった。込み上げて来るものに、目を伏せると、唇に柔らかいものが優しく触れた。ほんの一瞬のキス…。
「これからもよろしくね、奥様」
じゅんは、かなみの耳元で言って、立ち上がった。
「さ、今夜はまだまだ始まったばかりだからね。まず食事食事…!」
自分の席に向かう、じゅんの背中を、かなみはじっとみつめた。