龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

國分さん「ハンナ・アレントと哲学」①

2019年09月09日 13時31分03秒 | メディア日記
9/6(金)に新宿(正確には千駄ヶ谷)の幻冬舎で
國分功一郎さんの 
「ハンナ・アレントと哲学」
(四回連続講座の一回目)
を受講してきた。

合計4 万円にもなる高価な講座で、後から講義録音データも付いてくるというサービスぶり。なんかそうなると、講義内容を自分メモとはいえ詳細に書くのはためらわれるが、あくまで「オレフィルター」を介した感想なら書いても良いかな、ということで、録音データが来ないうちに感想を書く。いつもの内容に即したメモじゃないので流して読んでください。

講座を聞いていたら國分さん(の一般向け)講座常連の知人が言っていたコトバを思わず思い出した。
「國分さんってアーレントに対して少年みたいにツンデレだよね」

講義冒頭は、その「ツンデレ」(^_^;)の解説から始まった。
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私(國分さん)はスピノザとジル・ドゥルーズの専門家。いわばフランス系哲学。
ドゥルーズはラディカル系。
スピノザは隠者的。

アレントは違う。ドイツ実存主義(ハイデガーとヤスパースに師事)。

アレントは、ドゥルーズに対してはコンサバ系といえるし、スピノザに対してはコミュニケーション系と言える。

ドゥルーズについての言及はないが、スピノザについてアレントは

「あいつ(スピノザ)は自由について何も分かっちゃいない」

と批判している。
 スピノザは、人間がものを考えるのは勝手に考えるのはのであってそもそも自由。
それは奪えない、とかんがえる。

それに対してアレントは「んなこと考えてるからスピノザはダメなんだ」とダメ出しをしている。
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まあ、ざっとそんな感じ。つまり、國分さんのやってきた哲学とアレントはかなり違う。

國分とアレントは相性が良くない、

つまりツンデレの「ツン」の部分がこれです。

しかしじゃあなぜ、わざわざ高い受講料を払わせてまでアレントについての話をするのか?
ってことになります。

こんどはツンデレの「デレ」の話だ。
デレといってももちろん話しは深刻といえば深刻になる。
(続きは後で。)

相聞歌2019年最後の短歌

2019年09月09日 00時58分09秒 | 相聞歌
2月10日(日)
鳥舟に乗れるは裸の生命のみ十二単の如き諸事を脱ぎ置く(た)

その諸事の中に私も入るのか駄々っ子のごと問うてみたき夜(ま)

緩和ケアと言えども苦痛はあるものを日の降り注ぐ丘に憩いたし(た)

「面倒な身を捨て高く飛びたい」と言った19の貴女(きみ)を覚えている(ま)

森蔭に社の多く鎮まりてみちのくの神のまなざし光る(た)

「もう飽きた」入院四日で言う妻に病室の窓から早春(はる)の陽光(ひ)がさす(ま)

死してなおあなたを守ると誓う我たぶん愛とはそういうものだ(た)

半年を共に闘病したことはそれも二人の財産だろう(ま)

「ぞうきんは?」夫(つま)の電話に病院のベッドから心は駆け出しており(た)

大概はできると言いつつその実は道具の在処(ありか)を妻に尋ねつ(ま)


2月11日(月)
行きたきは梅の香ただよう山の道風とたわむる身体がほしい(た)

弘前の城の桜を眺めていたあの日の温かさをふと思い出す(ま)

病重くその日その日を生きるなり夫(つま)のぬくもりカンサーギフト(た)

寄り添える身のあるうちは泣きはせぬそのあとのことはそのあとのこと(ま)

苦しみを子等には決して見せぬよう背を背けたる心の痛し(た)

なにくれと厳しき母を気遣う息子よ君は優しき大人になった(ま)

3/5(火)
抗癌剤止めますと主治医に言い切って生の残り火かきあつめる夕べ(た)

頸城(くびき)から身を振りほどき何処へと帰らんとするか妻のたましひ(ま)


3/6(水)
一秒でも早くと退院を訴える私看護師は戸惑い医師は声をかけず(た)

病院を逃げ去るように出た後で「ちょっと海まで寄り道」という妻(ま)


3/7(木)
ひたすらにただひたすらにほっとして病ともども昔に帰る (た)

ぞうきんの置き場所もゴミの分別も我に教えて逝かんとするか(ま)


3/8(金)
わずか三か月(みつき)亡くした娘に地蔵尊をたむけて桜のつぼみふくらむ(た)

病妻を乗せて押しゆく車椅子亡き娘子(むすめご)の墓参ぞ悲しき(ま)


3/9(土)
夫(つま)植えし花々眺め日が暮れる生命伸びゆく音響くごと(た)

やらないと決めていたはず庭いじりそれでもやれば意外に楽し(ま)

3/10(日)
医療器具並んだ部屋でのみ生きられる生命の灯(ともしび)細くゆらめく(た)

治療から緩和ケアへと変更すほっとする思いと震える心と(ま)

「今日からは治療を止めて緩和だけ」清々しいほどの妻の笑顔よ(ま)


3/11(月)
一つ一つ心残りを片づけて飛び立つ羽根を大きく伸ばす(た)

アッピア街道石はめるがごとく遺品渡す次世代よもっと幸せになれ(た)

人生の課題を次々片づけて君は何処(いずこ)へ飛ぼうとするのか(ま)

3/12(火)
眠れぬとあせるほどに目は冴えて遠き春雷を言い訳にする(た)

一人一人必ずくぐる門とはいえどなぜに今かと答えなき真夜中(た)

どこまでも張りつめた思い持て余し忘れたくてがむしゃらに働く(た)



辞世   平成三十一年三月三日作

初蝶の風を味わう桜枝夢を渡りて青空高し


なんだかこの時期のことはあまりよく覚えていないし、日記やメールにも残していない。ただ妻を向き合うことが全てだった、といえば聞こえはいいが、慌てふためいてオロオロしてばかりいたのかもしれなかった。

3月6日に病院を退院して、3月9日に在宅緩和ケアの専門医にお世話になる。
それからの3ヶ月弱は本当に貴重で大切な時間にもなり、とても重要な体験をする期間にもなるのだが、その時期二人は短歌を書かなくなる。
もはや私たちの言葉はそこでは役割を終えていた、ということだろうか。

まだ最後の三ヶ月には整理がつかず、書き残した日記を一度も開いていない。
ともあれ、癌再発以後に彼女が残した短歌はこれが全てだ。

ここまで読んできていただいてありがとうございました。

在宅緩和終末ケアに入ってからの彼女については、機会があったら項を改めて。


相聞歌2019年(歌のない12月,1月,2月のお話)

2019年09月08日 21時27分52秒 | 相聞歌
2018年の12月と2019年の1月は、病院の領収書も手元になく、どんな様子で生活していたの記録に残っていない。

スマホに断片的に残ったカレンダーやメールなどから、記憶を辿ってみる。

12月は3,4,5日が入院予定、とGoogleカレンダーにはある。
おそらくこれは、再発がん対応のカルボプラチン+アバスチンという抗がん剤を予定していたのだと思う。

10月下旬にシスプラチンという抗がん剤を胸膜の患部に直接投与したのだが、その治療が本人にとっては最高度の苦痛で、それが理由で妻は断固セカンドオピニオンをとる!と決意した経緯があった。
11月のセカンドオピニオン、サードオピニオンを受けて、緩和ケアに至るまでどれだけ治療で病気と付き合っていくのか、ということを考え始めたのがこの時期だったかもしれない。
だがもちろん、治療は続けていこうという考えを持っていたし、本人ももうすぐ病院の中に緩和病棟が新しくできるから、そこで苦痛をコントロールしてもらいながら治療を並行してやっていく可能性があるのではないか、と期待していた面があったはずだ。

だが、実際に緩和病棟の話が聞こえてくると、そこはむしろ終末緩和が主であって、治療は病棟で、緩和は緩和で、という私たちから言わせてもらえば旧態依然のシステムとしてしか動けないのではないか、という疑念が大きくなってくる。

医師、看護師らスタッフの方の話を聞き、苦痛をきちんと緩和しながら治療をするという患者の側に立った医療のスタイルが見えてこないことに彼女は気づき始めたのがこの12月だったかもしれない。

緩和と治療は矛盾するものでもなければ、対立するものではない、と言葉でいえば、どの医師もその通りだ、と言ってくれるだろう。
だが、個々の具体的な苦痛と治療を、トータルでケアしようとするスタイルは、どこにも見えない、というのが実感だった。


この後、メールを辿っていくと、①では夫や周囲との関係の話がリアルに出てくるが、
②では、治療を続けるのか、終末緩和ケアに移行するのか、を決断しようとしている心の動きが見えてくる。③では明らかに緩和ケアで苦痛を和らげていこうという意志が明らかになる。


①12/19---------------------------------------------------------------------

「隣で見ている方が辛いでしょう私はみんなの良さを引き出しロイター板のつもりだっだのに役にたってないね」(た)

「今は、一所懸命に妻の世話をするオレの良さを引き出してるからそれでいいんじゃないかな(笑)
おれは人生史上最高に幸せかもしらんよ、ある面では。」(ま)

「自分の命の使い所なのでしょう。(私の)苦しみの対価が(あなたの)かけねなしの真心なのもわかります。
ですが、このやりもらい関係がわたしにはピンときていなかっのでしょうね」(た)



1/30~2/4(入院)

②2019年2月1日-----------------------------------------------------------------
何が正解なのかはやった者だけに見えるのでしょう動物の定めですね本音を言えばそろそろ方向性を決めたいのですこの治療が判断材料になるでしょう



2月9日~2月16日(入院)

③2月9日(土) 23:47--------------------------------------------------------------
これまで私を支えてくれた神仏やあなたに心から感謝申し上げます最期の目標は酷使した器の恩に報いることですあさひだいでいっしょに過ごせつて本当に幸せだった最高のお姑さんにめぐり合ったこと清少納言にじまんしたいです


そして次は最後の短歌になります。


相聞歌2019年(見つかった10月3日~11月6日までのメモ)

2019年09月08日 20時51分45秒 | 相聞歌
残った紙類を整理してきたら、10月と11月の短歌とメモが出てきた。

10/3(水)
朝日台に転居。(この日から夫婦二人と息子3人の生活が始まる)

10/4(木)タオル、妙子洋服の分類。

10/5(金)整理タンス(カインズホーム)片付け。息子の服の分類

10/6(土)姉来る。息子の服の分類

10/7(日)地区の運動会、息子が代わりに仕事をしてくれる。

10/8(月)息子部屋片付け。食品類を棚に整理していれる。

10/9(火)小名浜山新で貴重品入れの棚、清掃用品購入。実家から冬物。

10/10(水)台所たなの整理。廃プラの回収。冬物分類。

☆この日の夜、呼吸が苦しくなって入院となる。

10/11(木)
0:32咳き込み痰が出る。呼吸ができず救急車に乗る。ICUへ。
人工呼吸器がここにしかないので、そのままICUに留め置かれる。
ひっきりなしに医師が来る。主治医が外来にかかりきりで顔を見せないことに看護師たちは不満げ。
強制的に酸素を入れ続けられるので苦しい。

10/12(金)
ほぼ一睡もできず、呼吸器の中から温風が吹き出し水滴が垂れてくる。
これも治療なのだそうだが、ともかく一刻も早くやめてほしい。
何度も頼んで主治医が来ているか聞いてもらった。
11時に病棟へ。見知った顔ばかりで安心する。重症者個室に入る。

10/13~16
動くたびに息が切れ、咳がでる。夜横になれず、睡眠は2hくらい。


10/17(水)
一日を雲の形を視てすごす病身という牢に押し込められた魂

このまんま眠れるならば今日の日が命日でも良いと願った深夜

10/18(木)
人を診る看護師の真心有り難し苦しみに寄り添う心希望を灯す

10/19(金)
身には嵐心には闇あ「安静」と現状と対局の言葉なり
×安静にする
○やがて安静になる

10/20(土)
今はまだ体力のどん底にいるらしいビルに差す日の移ろい眺めをり

10/21(日)
生から死へ黄泉比良坂駆け下りる軽さ死から生へ這い上る重さ

10/22(月)
医者との懇談。癌性胸膜炎。水を抜き細胞を調べるそうだが、なぜ検査の前に病名が決定しているのだろう。

10/23(火)
朝、右肺にドレーンを入れ、肺の水を吸い出す。1000CC
抜ける。

10/24(水)
朝の30分で500CC抜けたが、午後には液がたまらず、側溝の底をさらうように血や組織の塊がチューブの中をたくさん浮遊するようになった、3時間ほど「たん」を吐いた。最終的には1000CC抜ける。

10/25(木)
580CC。前日2時間ぐらいしか寝ていないので、ぼーとしている。花粉症のためか右の鼻からのみ鼻水が垂れ、いちいち酸素を外すのが煩わしい。胸が痛いが、水に濡れていた肺が乾いて元の大きさに広がろうとする痛みだそうで、痛み止めをもらう。

10/26(金)
450CC。前夜は催眠剤のおかげでよく眠れたので、体に力がある。漫画「女王の花」を10巻読んだ。

10/27(土)
540CC
「ちはやふる」4巻キャラクターの作り方が上手!
さようなら尾花手をふる土手の道風に背押され家路を急ぐ

予定表をぎっしり仕事書き込んで頬杖をつく朝の職員室

もどかしく戸を引き開けて添削の子らは駆け来る風となって

閉め忘れた窓の向こうに赤々と夕日が照らす円陣の背番号

10/28(日)

470CC。

抗がん剤入れたその日に店に立つ生きがいがいかす88歳

二十分演じる練習二ヶ月間呼びもせぬのに集まる生徒

10/29(月)
420CC。

由里ちゃんと話す。互いが会いたいと感じているのが痛いほど分かる。

心は帰り足たし身は帰れるわけもなしといい騒ぐ夜半の病室

携帯の友の声よみがえる青春老いと病いと見えぬこそよけれ

10/30(火)
500CC肺(胸膜)に抗がん剤を入れる。

11/4
辛すぎた体の記憶に子守歌ゆっくり沈め忘却の淵へ

11/5
一回までおそるおそると歩を運ぶ小さな自由をかみしめながら

11/6
60年置き去りにしてきた体に合わせ休み休みの人生を歩む


この日に私ががん研有明に行ってセカンドオピニオンを聞いてきている。
ここから、(歌のない11月)に繋がる。



Mercedesのc220d購入記その⑤

2019年09月08日 16時46分13秒 | クルマ
いつものことたが前置きがながくなってしまった。
ようやくc220dの話になる。

c200の方は四駆ではなくエアサスなしの革シートあり、内装のウォールナットはブラウン。

その2日後に来たのがC220dのフル装備。

新車価格 5,860,000
レーダーセーフティP 205,000
AMGライン      377,000①
レザーエクスクルーシブP561,000②
メタリックペイント 93,000
フロアマット      95,000
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合計         7,119,000

定価で見ると、意味が分からないほどの高額商品である。まあ、この値段で買う人もいるのだろうが、サラリーマンではなかなか手が届かない。手取り年収を軽く超える。無理無理無理無理。

やはり乗りたければ中古車、ということになる。

ネットを検索するとだいたい分かるのだが、このCクラスのディーゼル220dは、今さ2019年はじめの登録車だと440万ぐらいから~540万円ぐらいまで。提案された金額もそんなところだった。
その差の理由はというと、

AMGライン ①
レザーP②

の有無による。
(ちなみにレーダーセーフティPを付けないものはほとんど市場に出ていない。必須装備。)

ただし、中古車市場で評価されるのは高いレザーP ②ではなく、見た目にすぐ分かるAMGライン①の方なのだそうだ。

さて、4マチックが最初の希望だったが、このC220dはFR。
一方、エンジンは(試乗であまり魅力を感じなかった)1.5Lダウンサイジングターボではなく、新型の2Lディーゼル。
AMGラインのオプションとしてエアサスと艶消しブラックの木目内装が付いてくる。

さて、ここで初めて本気で考えずにはいられなくなった自分を見いだすことになる。

見事に「1day試乗キャンペーン」の餌食になりつつある自分を発見した、といってもいいかもしれない(苦笑)。

300万円(下取り車を含めると500万円)を超える出費をしてまで、果たしてレヴォーグを手放す価値があるだろうか?
Mercedesの新型ディーゼルエンジンってどんなフィーリングなのか?

そこでまず、比較対象となるマツダのディーラーさんに行き、マツダ6(アテンザ)ディーゼルターボの試乗をさせてもらった。

Mercedesのc220d購入記その④

2019年09月08日 11時17分54秒 | クルマ
急に展開があったのはその後数日してからだった。
まあ考えてみればただ単に目的もなく
「1day試乗キャンペーン」
をするはずがない。

営業の人から数日後には連絡があり、

C200の中古車(ディーラー登録の新古車という枠かなと思われる)があるがどうか、との打診があった。

今乗っているレヴォーグを200万円で下取りしてくれるという。相場は分からないが、2.5万キロ走行の一年落ちだと、ネットの市場で250万円ぐらいの値段がついている。アイサイトツーリングアシストつきだし、人気はあるのだろう。まあ妥当な値下取りの値段だという印象を受けた。下取りを引くと300万円を切る総額。

つまり、去年買わなかったCクラスを、レヴォーグ一年分に100万円を支払えば新(古)車にのれるということだ。

興味がわかないこともない。
一年で二台の(ほぼ)新車に乗れるわけだし。

まあしかし、気に入ったエアサスも付いていないし、四駆でもない。加えて木目の内装がブラウンで、艶消しの黒が好みの私としてはこれは「ない」ということでお断りした。

さてしかし、断りはしたものの、断り方の中に、私のやる気というか興味津々な雰囲気が見て取れたのだろうか。
2日後には別のクルマの提案が同じ営業の人からあった。
それがC220dというC クラスのディーゼル車。
結局これを購入する事になるのだが、その経緯は次回に。

中上健次資料収集室〈熊野古道への道(8)〉

2019年09月08日 07時49分24秒 | 相聞歌
☆13:00新宮市図書館

中上健次資料収集室は、新宮市図書館の3階に有る。本当は今年のイベントで坂本龍一が参加するはずだったが、天候のため飛行機が飛ばず、これなかったとこのと。中上健次が本気で地元の活動に関わっていたということは聞いていたが、「熊野大学」という活動が今も続いていたとは知らなかった。

中上健次についてちゃんと読んだといえるのは『枯木灘』だけだ。
そしてその衝撃はかなりのものだった。
それについては
松岡正剛の千夜千冊755夜「中上健次『枯木灘』」
以上のことは言えそうにない。

https://1000ya.isis.ne.jp/0755.html

中上健次といえば「路地」である。
もちろん一義的にはフィクションの中の場所、なのだが、それは作家自身が生まれ育った新宮の被差別の場所でもある。

今回、資料室で、図書館の方から
「中上健次自身がとった路地の8mm映像があります。ごらんになりますか」
と聞いたときには、びっくりして舞い上がりそうだった。
「もちろんです、見せてください」
といいつつも、友人は理系で、人文系には疎いだろうしましてや文学、しかも中上健次など触ったことも観たこともない人だから、ちょっと悪いな、とは思ったが、今回の熊野行の目的の一つでもあったので、一緒に観てもらうことにした。

そのDVDは、20分弱の(8mmから起こしたものなので当然だが)無音映像で、路地の様子が淡々と撮影されていた。
映されているのは、高度成長前の日本の都市部周辺にありそうな密集住宅、のイメージだ。かつてはいろいろな都市の周辺部にこういう人が集まって暮らす場所があった、という記憶がある。

私自身は父が応募に当選した市営の郊外分譲住宅で育ったので、住宅としては一世代後の「郊外」的な生活になるのだが、それでもお風呂は薪だったし、煮炊きするコンロは七輪か石油コンロだった。だから、地続きだが、そのままではない。
自分史に置き換えて考えると、母が戦前に住んでいたという写真で見た借家に近い、だろうか。

戦後のバラック、っぽい感じとでもいえばいいだろうか。

それは、次第にアジアの都市周辺から消えていった場所、でもある。
韓国でも、中国でも、そういう場所はあったはずだ。オリンピックなどの「発展」によって消えていくわけだが。

中上健次がその小説作品の根源に据えた「路地」という場所は、そういう意味では「世界」に地下茎のように繋がっていた、とも言えるのかもしれない。
研究者でも良い読者でもないが、そんなことをぼんやり考えながら映像を見ていた。

分かるのはその頃のクルマだ。
スカイラインのケンメリが映っている。当時か少し前に人気だったクルマだ。
あとは一度だけ、フラッシャーランプのついたローレルがちらっと見えたような気がする(私が子どもの頃好きだった車種だ)。

図書館の方が地図で説明してくれたが、今はその路地はすっかりなくなって、そのあたりは市営のアパートになっているそうだ。
「熊野誌」という郷土資料雑誌のバックナンバーを分けてもらう。









中上健次の自筆原稿も見せてもらった(写真不可)。
A3横の罫線紙(縦書罫線)に、特徴的な文字一つ一つが四角い筆跡で、びっしりと書かれている。訂正は多くなく、線を引欄外にいて書く形式。

「自筆で読む『坊ちゃん」という新書だ漱石の自筆写真本を読んだことがあるが、やはり肉筆を見るとしみじみする。
上に引用した松岡正剛の中上健次評も、身体を伴って出会っているから書けたものだろうし。そういう意味ではいつもの松岡正剛とは違っている。
中上健次という作家はそういう人、でもあったのだろう。会って起きたかったな。

さて、図書館で、係の方に地図をもらい、、「路地」のあった場所を教えてもらった。
そこに行ってみる。

熊野古道への道(7)

2019年09月08日 07時26分33秒 | 相聞歌

和歌山県世界遺産センターの
熊野古道紹介がこちら
http://www.sekaiisan-wakayama.jp/know/sankei.html

古くは紀伊半島の西側を大阪側から歩く「紀伊路」がメインだったという。
途中から山道を行く「中辺路」と、そのまま海沿いを辿る「大辺路」に分かれる。
中辺路は熊野大社から速玉大社を経て那智大社へ、大辺路は那智大社から速玉大社を経て熊野大社へと向かう。

私たちはお伊勢参りを経てからの熊野なので、伊勢路側から、ということになるわけだが、ここは歩かない(笑)。

「あそらの茶屋」で美味しい朝粥を食してから、今日(二日目)の目的地の一つである新宮の図書館に電話をかけたところ、「今伊勢にいらっしゃるんですか、じゃあ午後になりますね」と言われた。慌てて調べてみると、伊勢から新宮までクルマで約3時間かかる。
申し訳ないが、伊勢路は自動車道で行かせてもらうことにする。

この日一番の目的地は、新宮市の図書館。ここに作家中上健次の資料室があり、展示もされているという。今から40年近く前、大学生の時に中上健次の『枯木灘』という小説を読んだときの衝撃は忘れることができない。
同時代を生きる作家として名前を挙げるとすれば、大江健三郎、村上春樹、中上健次だった。
中でも中上健次の作品は新宮の「路地」という場所から湧き出るエナジーに満ちていて、一度その場所を含めて訪れてみたいと思っていた。

去年妻と訪ねてみたいと思って計画していたのだが、出発直前の検査でがんの再発がわかり、「来年行こうね」と話をしていたものの結局叶わないままになってしまった。
亡妻が生きていれば、中上健次の話をしながらこの旅をしていたのだと思うと、少し感傷的な気分になる。

それを承知の上で友人はこの旅に誘ってくれた。持つべきものはツアコン魂のある友人だ(笑)。

というわけで、お昼過ぎの到着を目指して、伊勢路を友人の運転で新宮市に向かう。

たどり着いた図書館は、小さい道路に面していて、駐車場が分からない。係の方にうかがって、図書館のバスの前にクルマを止めさせてもらった。

さて、中上健次史料収集室である。
(地図の中程に図書館。上の方はかつての「路地」)



熊野古道への道(6)

2019年09月08日 06時52分20秒 | 相聞歌
さて、伊勢に一泊した翌朝、2日目の朝食が秀逸だった。

☆9:30「あそらの茶屋」

伊勢外宮の真ん前にある伊勢せきやというお店の二階の「あそらの茶屋」というところで朝粥(7:30~10:00)を食す。

これが絶品だった。

(左横、見切れているのはオプションで頼んだ鯛。これもおいしかったです)

ウルメイワシ、佃煮、高野豆腐、温泉卵、漬け物、赤出汁にお粥(お代わり可)というシンプルな朝粥だが、外宮の参道前という場所でいただくせいか、清々しい気持ちでいただくことができた(オプションの鯛は、鯛茶漬けに近い感じで食べる)。
佃煮は「つくに」というのか、階下の「伊勢せきや」で購入可能。

ちなみに「伊勢せきや」で買った勾玉サブレ、美味でした。

さて、ここからいよいよ「熊野古道」が始まる。
実は熊野のことを良く知らないまま伊勢まで来てしまったのだが、少しおさらいをしておきたい。


Mercedesのc220d購入記その③

2019年09月08日 06時34分30秒 | クルマ
その一年後(2019年8月)、Mercedesのサイトで
「1day試乗キャンペーン」
をやっているのを見かけて応募すると、地元の正規代理店から連絡が来た。
あの時乗りたかった
Class(の4Matic)はどんな乗り心地なのだろうか、という興味もあって、8/4(日)に試乗することになる。

その記事がこちら。

https://blog.goo.ne.jp/foxydogfrom1999/e/81e89d117539d2874cbaf800aacf0510

1日試乗してみた結論は、

①4種類選べるエアサス
②歩行者飛び出し検知能力の高い運転支援・安全システム 
③感触の良い落ち着いた内装(とくにシート)

の三点は乗る価値あり。

物足りないのはむしろ、評判の良いとされる1.5Lターボのモーターアシスト付きエンジンだった。

この手のダウンサイジングターボを乗るなら、Aクラスとかgolfとかもう少し車体の軽いグレードが相応しいという思いが消えない。

なにせレヴォーグの方が(内装のそれなり感、出だしの弱さ、CVTが持つ感触の問題などはあるにせよ)200万以上も安いのだ。積極的にC クラスの四駆を選ぶ気にはなれない、それが改めて試乗した結論だった。

Mercedesのc220d購入記その②

2019年09月06日 17時33分25秒 | クルマ
レヴォーグは、「大きくなりすぎた」と国内市場で不評を買った5代目レガシィに対する「反省」を踏まえて2014年新たに発表された車種だ。

レガシィを一回り凝縮させたようなモデルで、国内中心にワゴンとしては人気のクルマである。

エンジンへ1.6リッターと2.0リッター。馬力は倍近く違う。

私が300馬力を使いこなせないのは自明だし、多動症の私がそんな馬力を手にしたら事故に直結しかねない。
だから選んだの1.6リッター。これでも十分力強い。

一年25,000km走ってみてのレヴォーグの問題は2点。

①ターボの効かない発進時がとうしても一呼吸遅れる
②燃費は11.9km/Lと、年間3万キロ走る者としてはガソリン代が優に年30万円を超える

どちらも承知の上で買ったので、それ以外はほぼ満足していた。特に発表当時派硬すぎ多足まわりがしなやかになり、ストローク不足のせいか高い段差でガツンと底つきはするものの、、乗り心地は思いの外良かった。


ワゴンだから荷物も載るし、発進時を除けば120kn/hぐらいまでは十分に素早く動く。また、最高水準の安全&運転支援装置。スムーズに回る水平対抗エンジンe.t.c.満足度は高かったと言える。

だから、MercedesのCclassに乗り換えるなんてことは微塵も考えてはいなかった。
Mercedesベンツの1日試乗キャンペーンに応募するまでは(^_^;)




Mercedesのc220d購入記その①

2019年09月06日 17時07分20秒 | クルマ
一年前(2018年の3月〉、MercedesのCクラス4Matic(四駆)を買おうとしたことがある。
当時私はレガシィ(5代目)を19万キロほど乗っていて、退職を機に思い切って「最後のクルマ」(嘘!)を買おうとしていた。

年に3万キロ乗る私は、特に輸入車の場合、新車でなければメンテナンスにどれだけかかるかわからない。

するとMercedesの場合、お値段はざっと600万円。

無理である。


元々亡妻はMercedes好きで、Aクラスに乗り、息子にもCクラスを買わせていたから、乗りたかったんじゃないか、と忖度して候補にはしたものの、新車で買うにはやはり勇気が足りなかった。

クルマに限らず、趣味のものは自分の身の丈や経済状態以上のものが欲しくなるものだが、やはり無理なものは無理だった。

クルマは300 万円まで。家のローンほほんの数年前に終わり、やっと出た退職一時金で買うには600万円は無理(三回もいってます)。

第一、亡妻と息子のベンツ派どちらも70万円ほどの超低年式だったし。

というわけで(対した理由でもないが)、Mercedesとは縁がなかった、と、新車のレヴォーグ1.6GT-S(D型)を300万円強にて購入。2018年6 月に納車された。

それで「最後の車」問題は一件落着したはずだった。

熊野古道への道(5)

2019年09月06日 15時52分34秒 | 相聞歌

16:00☆内宮参拝

亡妻が伊勢に来るといつも寄っていたお香屋さんでライトタイプの沈香を購入。
たぶん「くつろぎ屋」かな。京都でも、よく漬け物屋さんとお香屋さんには顔を出していた。


お店を通見していざ参道へ。
前回工事中立った参道入り口の橋が完成していた。


今調べたら宇治橋といってら遷宮に先だって架け替えし続けているらしい。


その下を流れているのは五十鈴川。

ここが御手洗場。ここで身を清めて~本宮へ。「清める」っ手身振りも、なんだか落ちぶれたした使い方されてるよね。
「選挙で禊ぎを済ませる」みたいな。


いかにも穏やかな流れで、伊勢内宮の空気を支えているような気がする。

一方で、荒ぶる神さまも小さく祀られている。
これは天照大神の荒ぶる分身らしいね。外宮の豊受大御神もにぎにたまとあらみたまを別の神社で祀っている。

どうなんだろうな。

女子の神さまってところ。斎宮という女子禁忌、女子の神を動と静、パワーと調和に分離、仏教の匂いがあまりしない(仏教からの分離?)

なんかあくまで静かにぐるぐる考えていられる場所だ。
参道にはほぼ起伏もない。
(熊野とは対照的だ。)

5時過ぎに参拝を終えてホテルに戻る頃、雨が激しく降り出した。
ホテルキャッスルという名前だが、ふつうの(笑)ビジネスホテルだ。
ホテルのレストランがお休みで、雨の降りもひどくなってきたため、向かい側にあるローソンで夕食の買い出しをした。

ところがこれがツアコン魂を持つ友人にとっては屈辱の一夜になったらしく、その後は絶対にコンビニ弁当ご飯は許可されなくなった。

この夏旅のポイントの一つは「ツアコン魂」かもしれない。それは翌日朝の食事から顕現ていくのだが。

熊野古道への道(4)

2019年09月06日 12時55分48秒 | 相聞歌
15:00過ぎ
☆おかげ横町(内宮の門前市みたいなお店街)に行く。

なかなか熊野にたどり着かない(笑)
しかし、まずは腹ごしらえ。16:00過ぎるとお店が閉まっていく、という友人の判断で、お店を廻ってから内宮参拝することに。

更に友人の判断力に感心したのは、内宮参拝者用の駐車場の電光掲示板案内が
「60 分待ち。別駐車場へ」
となっているのを見て私は指示通りにいこうとすると、
「もう混雑のピークは過ぎてますから、出る車が増えてるはず」
といって内宮真ん前のところに行こう、という。
半信半疑で行ってみると、案の定すぐ待たずに入れた。友人にはこの旅のあいだじゅう大変お世話になることになるのだが。

この後、別のヒトに大曲の花火大会に連れて行ってもらった時のこともいずれ書こうと思っているのだが、この痴人も凄い。

旅行に行くときに、ツアコン魂がある人は「別格」だと思う。

さて、おかげ横町である。
言わずとしれた伊勢うどん。
コシが無いなんてものじゃなく、もう圧倒的にフワフワ。お店によってまた違うのだろうが。


そして赤福。


この二つの食べ物で、お伊勢参りは幸せに包まれる。
無論、神を祀るのに相応しい地形も大切だし、伝統や伝説も大切だが、食べ物の至福は決め手の一つだと思う。

熊野古道への道(3)

2019年09月05日 17時05分54秒 | 相聞歌
さて、伊勢神宮である。

☆14:00伊勢外宮

二見海岸から伊勢外宮へ。 
内宮と違って比較的静かな佇まいの境内で、駐車場も無料(笑)。

どちらかというとこの外宮(豊受大御神)の方がおかげ横町を抱えた内宮より雰囲気が好きだ。

だが、伊勢神宮について考えたり調べたりすると、なかなか一筋縄ではいかない歴史の綾を感じる。

持統天皇が天照大神信仰をバックに自分のステイタスを上げようとした、とか、神道は全般に新羅系の渡来人文化に支えられて発展したのではないか、とか、出雲と大和の政権争いも関わる?とか、日本の神社の神さまはとにかく歴史があるだけに簡単な把握は無理、である。

それにしてもなぜ「伊勢」なのか?

という疑問は尽きない。今回はパスしたが、斎宮歴史博物館ももう一度行ってみたいものだ。

外宮の豊受大御神も、天照大神と同じ女神様。そしてステイタスとしては現代人から見るとほぼ無名キャラである。天照大神の食べ物をお世話した、とか言うけど、

なぜ食べ物?

謎だ。

「『日本書紀』によると」
とか言う持統系の物語はさておき、色々考えさせられる。

まあ私たちがお参りするのは江戸の「お伊勢参り」文化の末端にぶら下がった「観光」にほかならないわけだけれど、多分その頃の伊勢の街はメッチャメチャ賑わっていたのだろう、と想像する。

寂れた地方小都市の趣きがある伊勢の街に泊まるのだが、江戸期の繁栄に想いを馳せると、シミジミしてしまう。

インターネットでしらべると、意外に神道系では外宮のパワーが大きいらしい。新興宗教はどちらかというと外宮の流れを汲む、とか。

自分の中の「外」もそこに反応しているのだろうか。

そんなこと思いながらも、お腹が空いたのでおかげ横町を目指す。