龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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相聞歌2019年(歌のない12月,1月,2月のお話)

2019年09月08日 21時27分52秒 | 相聞歌
2018年の12月と2019年の1月は、病院の領収書も手元になく、どんな様子で生活していたの記録に残っていない。

スマホに断片的に残ったカレンダーやメールなどから、記憶を辿ってみる。

12月は3,4,5日が入院予定、とGoogleカレンダーにはある。
おそらくこれは、再発がん対応のカルボプラチン+アバスチンという抗がん剤を予定していたのだと思う。

10月下旬にシスプラチンという抗がん剤を胸膜の患部に直接投与したのだが、その治療が本人にとっては最高度の苦痛で、それが理由で妻は断固セカンドオピニオンをとる!と決意した経緯があった。
11月のセカンドオピニオン、サードオピニオンを受けて、緩和ケアに至るまでどれだけ治療で病気と付き合っていくのか、ということを考え始めたのがこの時期だったかもしれない。
だがもちろん、治療は続けていこうという考えを持っていたし、本人ももうすぐ病院の中に緩和病棟が新しくできるから、そこで苦痛をコントロールしてもらいながら治療を並行してやっていく可能性があるのではないか、と期待していた面があったはずだ。

だが、実際に緩和病棟の話が聞こえてくると、そこはむしろ終末緩和が主であって、治療は病棟で、緩和は緩和で、という私たちから言わせてもらえば旧態依然のシステムとしてしか動けないのではないか、という疑念が大きくなってくる。

医師、看護師らスタッフの方の話を聞き、苦痛をきちんと緩和しながら治療をするという患者の側に立った医療のスタイルが見えてこないことに彼女は気づき始めたのがこの12月だったかもしれない。

緩和と治療は矛盾するものでもなければ、対立するものではない、と言葉でいえば、どの医師もその通りだ、と言ってくれるだろう。
だが、個々の具体的な苦痛と治療を、トータルでケアしようとするスタイルは、どこにも見えない、というのが実感だった。


この後、メールを辿っていくと、①では夫や周囲との関係の話がリアルに出てくるが、
②では、治療を続けるのか、終末緩和ケアに移行するのか、を決断しようとしている心の動きが見えてくる。③では明らかに緩和ケアで苦痛を和らげていこうという意志が明らかになる。


①12/19---------------------------------------------------------------------

「隣で見ている方が辛いでしょう私はみんなの良さを引き出しロイター板のつもりだっだのに役にたってないね」(た)

「今は、一所懸命に妻の世話をするオレの良さを引き出してるからそれでいいんじゃないかな(笑)
おれは人生史上最高に幸せかもしらんよ、ある面では。」(ま)

「自分の命の使い所なのでしょう。(私の)苦しみの対価が(あなたの)かけねなしの真心なのもわかります。
ですが、このやりもらい関係がわたしにはピンときていなかっのでしょうね」(た)



1/30~2/4(入院)

②2019年2月1日-----------------------------------------------------------------
何が正解なのかはやった者だけに見えるのでしょう動物の定めですね本音を言えばそろそろ方向性を決めたいのですこの治療が判断材料になるでしょう



2月9日~2月16日(入院)

③2月9日(土) 23:47--------------------------------------------------------------
これまで私を支えてくれた神仏やあなたに心から感謝申し上げます最期の目標は酷使した器の恩に報いることですあさひだいでいっしょに過ごせつて本当に幸せだった最高のお姑さんにめぐり合ったこと清少納言にじまんしたいです


そして次は最後の短歌になります。


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