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風 雑記

建築とその周辺で感じたこと、思ったこと

ヴォーリズ建築を訪ねて

2011-02-02 22:29:31 | インポート

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1月28、29日に学校エコ改修の全国大会が福井県若狭町三方であり、27日に京都に前泊しました。朝一番の飛行機で大阪に行き、以前から予定していたヴォーリズ建築へ、梅田駅に着くと梅田スカイビル(1993年完成)が目に飛び込んできます。20年ほど前に訪れた時と同じような感動があり、原公司氏のすごさを改めて感じました。

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御堂筋をぶらぶら、綿業会館を覗き、HERMESの新しいビルを横目で見ながら大丸百貨店へ、アールデコのネオゴシック様式建築、1933年完成、築78年経ているとは思えません。エレベーター周りや天井のデザインの華やかさは今も健在です。最近のデパートに比べると階高が低いのですが、中二階があり独特のスケール感を持っています。エレベーター周りのデザインや階段親柱に組込んだ照明が親近感を感じさせます。

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ボーリズ記念館

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近江兄弟社学園

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旧八幡郵便局

大阪から近江八幡までは電車で約一時間、駅からは少し距離がありますが、始めにヴォーリズ記念館(自宅)へ、2月2日に記念行事があり見学は出来ないとのことで、外観を見て、周辺を散策しました。すぐそばに近江兄弟社学園(幼、保、小、中、高一貫教育)があり、徒歩圏内に保存改修された旧八幡郵便局、洋風住宅(数棟)などがあります。

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ヴォーリズの建物群も然ることながら近江八幡は重要伝統的建造物群保存地区に指定された日本建築の宝庫のような町です。豊臣秀次が築城した時に碁盤目状に整備された町並みは数百年の時と現代の生活が溶け合っています。景観に合せた新しい建物もあり、土壁を補修している現場など何処を歩いても見飽きません。

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城山のふもとは琵琶湖と通ずる運河が整備されています。この運河によって京都、北陸の物資が行き来し、そのことが近江商人と言われる商人文化を発展させたとのことです。この地にアメリカからヴォーリズ氏が英語教師として来たのですが、近江八幡はある意味日本文化が凝縮したような魅力一杯のところでもあったわけで、ヴォーリズ氏は洋風建築で有名ですが、細部には日本家屋からインスピレーションを受けたと思われるデイテールが沢山あります。近江八幡に来たのは偶然ですが最高の巡り合せだったと思いました。

粉雪が舞い寒かったのですが、とてもホッとな時間でした。


グランドプリンス赤坂・岩崎弥太郎邸

2011-01-19 20:32:46 | インポート

Akasaka 昨年暮(12/13)のブログを今頃書いていることになります。ずっと仕事に追われ暇が無かったと言うのが言い訳です。

水俣第一中学校エコ改修について「環境省」との協議に行きました。建物は日比谷公園の西に隣接し、合同庁舎6号棟(厚生省も同居)にあります。隣は今話題の最高検察庁です。以前10年近く住んでいたはずなのにこの界隈はまったく近寄ったことがありません。丁度着いたのがお昼時だったので、10階辺りのビル内食堂で日比谷公園を見下ろしながらの昼食、混雑してました。玄関には警備員が数名居て、入館管理カードを貰いゲートを通過しないと入れない仕組みで、なかなか厳重です。

赤坂プリンスホテルも今年3月で閉館なので宿泊しました。1階ホール内装は白大理石でなんとなくあっさりした印象です。部屋は外観デザインの通りコーナー窓からの眺めは開放感があり、他のホテルにない魅力を感じました。

古い旧館にも興味があったので1階のバーへ行き、カウンターでスコッチを飲みながら、チーフバーテンダーの人としばらく話をしました。知らなかったのですがこのバーの内装は村野藤吾とのこと、カウンターは奥まって5名ほどしか座れませんので、狭いことが逆に特等席になっています。ザックリとした壁と木天井が落ち着きを感じさせ、新館とは対照的な雰囲気です。改装時の村野さんの話も聞けて楽しい一時でした。

夕食は赤坂界隈をブラブラしながら外で食べました。クリスマス時期なので窓を利用したクリスマスツリーのデコレーションがしてあるのですが、夜外から見る新館はひっそりした印象で華やかさが感じらません。閉館の理由は天井高さ以外にもあるのではないかと....

Iwasaki02 Iwasaki05翌日、上野不忍池近くに在る岩崎弥太郎邸に行きました。大河ドラマ「龍馬伝」で注目が集まっただけに閉館前でも結構来館者がいました。洋館は1896年ジョサイヤ・コンドルの設計で、英国ジャコビアン様式(まったく知らない様式です)とのこと、玄関周りにシュロの木が植えられ英国風と言うよりペルシャなど中近東の印象です。壁は金唐皮紙(型打ち模様)張りで、 天井は木格子組みで高く(4.0m程かな)、各部屋に暖炉とスチームがあります。この天井高なら冬は必需設備だったと思います。

Iwasaki04洋館の続きに和室がありますが、3間×3間の和室もあり天井高も高く、寄棟の軒の出が一軒半ほどあるのですが、特に斗組がある訳でないのに軽々と見えます。木組みの構造が知りたくなりました。隅木を上屋の瓦屋根部分で押えてテコの原理でバランスをとっているのかな?それにしても軽快に見え、少し違和感も感じました。 だれか教えてくれないかなと思いながら、閉館時間に追われての駆け足の見学でした。


明治村  帝国ホテル

2010-11-05 21:48:49 | インポート

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11月3日は明治村に移築保存された帝国ホテルを見るため犬山へ行きました。小学5年の時数人の友達と岐阜市から犬山までサイクリングした記憶(おぼろげに)があります。遠かったことは覚えてますが、電車で40分結構な距離です。本当にこんなに遠くまで来たんだろうか、もしかしたら途中で引き返したのかな。(思い出せません)

朝9時にホテルを出て、名鉄で犬山へ、バスで20分、着いたのは10時半、帰りの17時の便には14時半のバス乗らなければ間に合いません。明治村は1丁目から5丁目の区分の中に60以上の建物があり、その内10棟は重要文化財です。一つ一つ見応えがあり、文化の日なので人出も多く、幾つかの建物でオカリナの演奏会も催されていました。一棟づつじっくり見ていたら、残り1時間しか無いのに気付き、その時点ではやっと半分見終えたところ、帝国ホテル(一番奥)にはまだ遠く、仕方なくそこから途中の建物は無視して走りました。

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どうにか30分程は見る時間が取れました。旧帝国ホテルの建物(フランクロイドライト設計)は建築設計者にとって大切な建物だと思います。ロサンゼルスに在るバーンズ邸と同時期の古代インカやマヤの影響を感じるデザインですが、シカゴのオークパークの住宅群と共通するプレリースタイルとも融合しているようで、空間的にも大谷石の細部のディテールが魅力的で、そのデザインの多彩さにフランクロイドライトは建築の天才だと改めて感じました。裏は廻ると切り取られたままの張りぼて状態、これにはガッカリしました。どうして全体を残せなかったのかと非常に残念に思いました。使われている状態で見たかったと思うのですが、1967年に解体されたのでその時はまだ15才で建築の「け」の字も知らず、生まれるのが少し遅かった訳です。(早く生まれても、建築設計を生業にしていたかは分かりませんが)

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実は時間が足りなくなった原因は荒木又右衛門邸(武田吾一設計)に惹きつけられ、内部見学ツアーに参加したためです。少し複雑な外観ですがとてもバランスが良く魅力的でした。(東から見た時はあまり気にならなかったのですが、南側からの外観にハッとするような魅力を感じました)荒木又右衛門は大実業家で長者番付に岩崎弥太郎などと並んで載っていたとの事、武田吾一が外国から帰国後設計依頼され、芦屋に別荘として建てたものです。阪神淡路大震災の時一部被害を受け、明治村に移築、ボランティアの人たちが協力して復元したとの事です。復元したいと思う建物だと思いました。

機会があれば見残した建物たちと帝国ホテルと荒木又右衛門邸にまた会いたいと思いながら、また5丁目から1丁目まで走りました。(いつも旅先でよく歩き、よく走っています)


名古屋から岐阜へ

2010-11-04 19:33:53 | インポート

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11/1、2日 水俣第一中学校エコ改修の先進事例見学に名古屋へ行きました。予定の時間まで時間があったので熱田神宮に寄り道、丁度多くの参列者が並ぶ儀式があり、何の儀式だろうと思っていましたら、儀式が終わって、別の場所に並んだ宮司さんと向かい合う人が前経団連会長、前トヨタ会長の奥田碩氏でした。この儀式はあのトヨタに関係するもの?かなと思いましたが、帰熊後インターネットを調べると午前11時「秋季講社大祭」とありますので恒例の儀式だったようです。

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真新しい社務所が出来ていましたが、見ると見事な桧の四面無節材が惜しげもなく使われています。以前熊本城本丸御殿に木曾から集められた桧四面無節材を見ましたが、6寸角程で一本数百万と言っていましたので、ここで使われている桧も大きいものは...とため息が出ました。木曾は地元とも言えるところですのでこれ位は当たり前なのかもしれませんが気になり神社の人に「全部木曾の桧ですか」と尋ねたところ「一部は国産ではない」とのこと、社務所なのでそれで十分だと思います。本殿建替えは全て木曾材を使ってほしいですからね。

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2日目の見学の後、他の方とは別れて岐阜市へ行きました。 この道は岐阜駅から徒歩10分、安良田町4~6丁目の通りで、小学2年から5年まで4年程暮らしていた場所です。大学生の時以来なので40年ぶりに訪れました。この通りに同級生が10人ほど居てとても仲良してくれました。40年の年月で変わってしまった建物も多いですが、数件古い民家も残っていて懐かしい雰囲気が残っています。花屋さんをしている友人に会い、仲の良かった友達と電話で話すことができました。

今回、この街で暮したことが私の建築設計に影響を与えていると改めて思いました。九州から来た少年にも兄弟のように親しく接してくれたのは岐阜と言う土地が持つ独特の文化だった気がします。その経験が地域や場所に強い親しみを感じさせるようです。父が色んな商売をし引越しを繰り返した事が役に立つとは思いませんでしたが、40年ぶり歩く安良田町はその事を教えてくれました。


肥後國分寺 秋の夕べ

2010-10-23 20:23:22 | インポート

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水前寺公園電停の南側に肥後國分寺があります。国分寺は天平時代(740年代)に聖武天皇が全国に国分寺と国分尼寺を一つづつ置いたことを歴史の授業で聞いた程度で、現在熊本に国分寺があるとは思ってもいませんでした。昨年、住職さんがギャラリーに来られ、話を聞いてそんな有名なお寺があったことを知りました。先日本堂改修の相談に見えたのでお寺に伺いました。予備知識も無く行く訳もいかないので調べると、国分寺は律令体制の弛緩で財政支援が無くなって全国的に衰退したありますが多くのお寺が全国各地に残っています。国分寺、国分尼寺の総本山は東大寺、法華寺現在も健在です。肥後國分寺は曹洞宗で薬師如来が本尊、昔は全国で4番目に大きく七重塔も建っていたとのことです。

現在、出水ふれあい通りから入った場所に本堂と庫裏と墓地があり、そこから南東100Mの熊野神社に巨大な塔礎石が残っているとのこと、神社にお寺の礎石があるのも不思議です。水前寺公園西側付近の住宅建設の時必ず遺跡調査があり、礎石跡や陶器片が発掘されますがそれは国分尼寺の遺跡とのことなので、昔、水前寺界隈は国分寺と国分尼寺が隣接した九州でも最大級の仏教伽藍があったことになります。見てみたかったですね。

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今日は「國分寺 秋の夕べ」のお誘いがあったので打合せから帰り、すぐ行きました。最初の歎佛(たんぶつ)には間に合いませんでしたが、県立大の学生のギターとウクレレの弾き語り、若い住職さんのウクレレの口語体般若心経、日本舞踊、最後に巫女舞がありました。お寺の本堂での催しとしては少し意外な感じで、神道の巫女舞がお寺の本堂であるのは不思議な気もしましたが、日本の神仏混合思想からは良いそうなので、日本の宗教観のおもしろさを改めて感じました。巫女舞は3人の女性が雅楽?喜太郎サウンドのような音楽に合わせ、ゆったりした動きで舞います。見ていると「大気」を表しているようで、引き込まれるものを感じました。全国で活動していて、当然神社での奉納が中心だそうですがジャズとの競演もされるとのこと。

最近仕事に追われているので、「國分寺秋の夕べ」はチョット不思議な癒しのひとときでした。